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前近代の日本は好きな人としかセックスしなかった?

岸田秀『性的唯幻論序説』の中に、 「前近代までの日本は『好き=セックスする』ということであり、好きでもない女とセックスするなど考えられなかった」 という説明があり、西洋の性事情と対比して語られていたのですが、これは本当なのでしょうか? その説明の後に遊郭の制度の説明などあり、確かに一定の説得力はあるものの、「恋愛感情を伴わない性欲処理のためだけのセックス」が皆無であったとはいいきれないのでは、と疑問に思いました。 あと、オナニーしている姿を描いた春画などが残っていますが、オナニーもただの性欲処理ではなく、恋愛感情を伴ったものであったのだろうかと疑問に思いました。

みんなの回答

  • phj
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回答No.5

#3です。お礼有難うございます。補足です。 >ここでいう「好き」という言葉の意味がよく分からないのですが、これは「恋愛感情を持つ」という意味での好きではなく、「セックスが好き」という意味での好きですか? いいえ、恋愛感情という意味での「好き」です。ただし現代日本と同じ意味で好きとは言い切れません。どちらかというと「コノミ」と考えていただいたほうがいいと思います。 >こういう絵が描かれるということは、セックスの盛んさとは別にオナニーも結構盛んであったのではないか? と思い質問しました。 現代でも、セックスに不便しない男が「やはりオナニーが最高だ」と吐露した、なんて話がありますし、セックスが盛んであったからといってオナニーが皆無であったとは思えないのですね。 この点については嗜好ですので、有る無いでは判定できないと思います。実際のところ、江戸時代は出刃亀(覗き見)がかなり流行しており「三度の飯より出刃亀が好き」という御仁もいたそうです。これは書くのが憚れるので書かないのでしょうが、出刃亀をしながらオナルが好き、ということでしょう。 このあたりは、司馬遼太郎氏も「日本人は精力に劣るのか、自分でするよりも見るほうが好きな傾向がある」と書いておられます。 ですからオナニーが無かった、とは思えませんし、それをいうなら衆道(男色)も結構盛んでしたので、男色の春画を見ながら自慰、ということもあったかもしれません。(いや、当然あったでしょう) それぐらい前近代の日本は何でもありだった、ということですし、それは「嗜好」であってオナニーが盛んだからセックスしないとは言えないし、気軽にセックスできたからオナニーしないでもいい、とも言えないということです。それ現代でも同じでしょう。 > 夜な夜なたずねてくる男子たち ここで気になったのですが、恋愛感情抜きで、性欲処理だけが目的で夜這いをしていた男子はいなかったのでしょうか。 あの女子は別に好きではないが色っぽいので夜這いに行こう……ということはなかったのかなと思います。 最初に書いたように「色っぽい」のも「好み」です。というよりある人物を「色っぽい」と思ってセックスしにいくのは、十分にその個人を好き、なのではないでしょうか。 性欲処理だけというのは「好きではないが目をツブッて好きなを女を思い描きながら穴だけ使う」ということでしょう。 色っぽさを楽しめるなら十分、好きのうちですし、「目をツブッて仕方なく処理する」ほど異性との接触が少ないところは当時の日本でもそうは無かったと思います。 > 日本の風俗で言えばセックスは好きならできました これは「恋愛感情を持つ相手と自由にセックスできた」という意味ではなく、「セックスしようと思えば自由にセックスできた」という意味ではありませんか? そうでもありますが、あくまでも西洋との対比においてです。西洋は宗教的なタブーのために ・好きな人とは簡単にセックスできない ・好きじゃない人でも簡単にセックスできない ・オナニーだって宗教上の禁忌に触れるので、おおっぴらにできない ・だから春画などはとてもじゃないけどありえない という状態だったわけです(もちろん庶民はもう少し猥雑でしたでしょうが、日本のようにおおっぴらには行かなかったわけですし、その分記録もほとんどありません) ですから最初の質問に戻って言えば 前近代の日本は好みの人としかセックスしなかった、(しなくて良かった) ということです。もちろん個人的にはどう頑張っても個人的な好みを満足させる相手を得られず、性欲処理でセックスすることもあったでしょうし、オナニーをすることもあったでしょう。 しかし西洋の宗教的なタブーから発するセックスに対する抑圧から比べれば、比較にならないほどおおっぴらでハッピーだった、ということですし、その上でオナニーが好きならそれでいいじゃん、ということでもあります。 あ、そうそう、思い出しましたが、日本にやってきた異国の船にはメスのヤギか羊が必ず乗っていたそうです。これは性欲処理の為だったのですが、日本にやってきてプレゼントしたら日本人はそれを食べちゃったそうです。 逆に、日本人が外国船に乗っていくときには何ヶ月もしなくてもけっこう我慢できたそうです(オナニーしてたかは分かりませんが・・) 当時の日本人の感覚では「動物とやるぐらいなら我慢(または自慰)したほうがまし」ということでしょう。それだけ日常的にセックスが充実していたのだと思います。 ということで、あくまでも西洋との比較の上で「日本人は性欲を我慢する必要がほとんど無かった」という意味で「好き=セックス」と書いたのだとおもいます。好きならすぐにセックスに合意して仲良く出来たということですね。

  • tanuki4u
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回答No.4

No3の方が詳しく書かれているし、 http://www.amazon.co.jp/%E6%B0%8F%E5%AE%B6-%E5%B9%B9%E4%BA%BA/e/B001JOPXTY/ref=ntt_athr_dp_pel_1 氏家 幹人さんの一連の書籍(No2での指摘が非武士層だったのに対して、このかたの著書は武士関係が多い)とか読んだ感じだと 簡単にセックスが出来ないので、精神的に昇華しちゃたのが 恋愛でんがな。 なんてことじゃないかと。 明治時代「男女交際進化論 「情交」か「肉交」か (集英社新書) 」あたりですと、『西欧には、男女交際という恋愛があるので、日本でも しませう』というような、「江戸時代には恋愛なんてなかったよの説」もあるわけで。 門閥精度は親の仇で御座る と言い放った、福澤先生も上記の「男女交際進化論」では大活躍ですが、福澤先生はめっちゃ夫婦愛の方で、(西欧的、ないし近代的)家族大好き人間だったから、日本にちゃんと男女交際を広めましょうなんて言ったんじゃないかと。

  • phj
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回答No.3

いや、読み取り方が全く逆です。 「恋愛感情を伴わない性欲処理のためだけのセックス」というのは、セックスするチャンスが少なく抑圧されていて、性処理の方法に、恋愛を伴わないセックスか自慰、という選択肢しかない(つまり好きでセックスするという選択肢は無い)という読み取り方をされているのだと思います。 前近代の日本は全く逆で、好きなら(つまりヤリタイというもの好きのうち)なら夜這いや祭りで好きなだけセックスできたのが、日本の風俗だった、というのが本質です。 この点において西洋の禁欲的な性事情とはまったく逆の、きわめて原始的な形での性事情であった、というのが本当なのです。 当時の日本において、セックスそのものはなんらタブーではありませんでした。江戸などの都会なら吉原などの性風俗だけでなくちょっとした商店街には茶屋と称する飲食店があり、茶汲み女が「ちょっとの間」という小遣い稼ぎ程度の金額で性を売っていましたし、連れ込み茶屋はその名の通り「ラブホテル」として使える座敷をもっていて、時間貸しでカップルに提供していました。 ただこれだと「好き=セックス」じゃないと考えるのは、現代日本の恋愛=結婚観から来る誤解で、当時の大都会特に江戸では男女比が10:1ぐらいに極端に男性が多かったために、所帯を持つことができない男子が多すぎ、その代わり「ちょっと好みの女の子」が小遣い稼ぎで性を売り、それを買う、という形で『好き=セックスする』が成り立っていたのです。 もちろん自慰行為に関しては別ですが、自慰をしなくても少々のお金とちょっとした「好き」でセックスが簡単に成立したのが日本の特徴なのです。 だけど、これは男だけだろう。ということなるのですが、女子は女子で江戸ではなにせ1/10ぐらいしか女性が居なかったので、女性の需要はとても高く、性を売らない大店の使用人などでも祭りや芝居見物などの帰りに好きな男性と逢引するのは可能でしたし、そのためのラブホテルという仕組みを整っていたというのは、先に書いたとおりです。 じゃあ、田舎は、となるのですが、これも今では廃れてしまった風習がありました。 まず田舎では村など集落ごとに15歳前後から20歳前後の若者(男性)が若者宿などと称する集団生活を行い、規律と仕事を覚えていくようになっていました。 今も昔も、この年代の男子が一番性欲が旺盛なのですが、ここで行われていたのが「夜這い」です。 男子は集団生活を行うのですが、同年齢の女子はこの時期も自宅で過ごします。ただ年頃になると、夜ばいに対応できるように、木戸のすぐ近くの部屋に寝るようになり、夜な夜なたずねてくる男子たちから選んで自宅の寝床に誘い、セックスをするのが普通だったのです。 これが(大都会を除く)日本の一般的な性風俗でしたから「好き=セックス」というのが十分に成り立ち、男子も女子もこれが当たり前だったわけです。 そして、年頃の娘を木戸の近くに寝かさず、家の奥に仕舞いこむようにすることを「箱入り娘」と呼び、世間を知らないという意味以上に、男性を知らないすぎるという意味(悪い意味)があったのです。 そして夜這いが続けばいずれ女子は妊娠するのですが、妊娠すると夜這いをしていた男たちから夫を選んで結婚します。結婚した男子は若衆宿を出て、村に家を持つことになり「大人」の仲間入りをします。もちろん子供と夫が同じDNAじゃないことも多いわけですが「ムラ」という集団の子供ですので、誰も文句を言わずに育てるのが義務であり、周りもそのように扱ったのです。 ですから日本の風俗で言えばセックスは好きならできました。しかし結婚は「好き」では出来なかったということでもあります。 西洋を簡単に言えば、女子も男子も原則的には結婚するまで性交渉を行うことはできませんでした(ただし、パーティーなど機会あったようです)これは宗教的な禁忌が大きいわけですが、その分、戦争などに出て異教徒の女を捕まえ強姦する、ということにつながっていきます。 少なくとも西洋では「好き」では(日本のようには)セックスは出来なかったということです。今の日本の現状は西洋的な処女の概念が入り、夜這いが廃れたことにより、一見セックスが遠のいているように見えますが、地方に行けば必ず有名なナンパスポットがあったり、女子高生が「援助交際」と称して、昔の茶汲み女のような小遣い稼ぎをしているのを見ると、あまり変化していないように見えます。 ただし男子は、手ほどきをしてくれる若衆宿の先輩などのコミュニケーションが無くなった分、厳しい状況に置かれているといえるでしょう。

selfless
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 > 好きなら(つまりヤリタイというもの好きのうち)なら夜這いや祭りで好きなだけセックスできたのが、日本の風俗だった ここでいう「好き」という言葉の意味がよく分からないのですが、これは「恋愛感情を持つ」という意味での好きではなく、「セックスが好き」という意味での好きですか? > 自慰をしなくても少々のお金とちょっとした「好き」でセックスが簡単に成立した 質問文にも書きましたが、男が春画を見ながら自慰をしている姿を描いた春画を見たことがあります。 http://michaelsan.livedoor.biz/archives/51643949.html 上記のスレッドの162番ですね。 こういう絵が描かれるということは、セックスの盛んさとは別にオナニーも結構盛んであったのではないか? と思い質問しました。 現代でも、セックスに不便しない男が「やはりオナニーが最高だ」と吐露した、なんて話がありますし、セックスが盛んであったからといってオナニーが皆無であったとは思えないのですね。 > 夜な夜なたずねてくる男子たち ここで気になったのですが、恋愛感情抜きで、性欲処理だけが目的で夜這いをしていた男子はいなかったのでしょうか。 あの女子は別に好きではないが色っぽいので夜這いに行こう……ということはなかったのかなと思います。 > 日本の風俗で言えばセックスは好きならできました これは「恋愛感情を持つ相手と自由にセックスできた」という意味ではなく、「セックスしようと思えば自由にセックスできた」という意味ではありませんか?

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

盆踊り 乱交の民俗学 下川 耿史 (著) この辺の研究内容をどう位置づけるんですかね?岸田さん・・・ と、思ってしまいますが。

selfless
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 夜這いや乱交といった性風俗については岸田秀は詳しく言及していないようです。 複数の男と関係を持つ、現在では「公衆便所」と呼ばれるような女も、前近代は「観音様」と尊敬されていた、といった説明はありましたが……。 たぶんですが、岸田としては 「乱交にせよ夜這いにせよ、性欲処理だけを目的としたものではなく、擬似的な恋愛に則っている」 ということなのかなと思います。

  • IDii24
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回答No.1

不貞は重罪でしたからね。それを覚悟でやる人は少なかったでしょうね。そもそも昭和30年代まで赤線、青線が合法として存在していたわけで、やりたきゃそういうところでやればいいという事だったと思います。 ただし、性犯罪は確かに多かったようで、これはあくまでも無理やりですから遊びでは無いですよ。 まあ表向きはそうですがあくまでも今より相当少なかったという意味で、どこでもアホはいたわけで、全く無かったわけではありません。

selfless
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「不貞」とは今でいう「不倫」ですよね? 別に既婚者に限らず、独身者でもセックスをしていた人はいたのでは。 赤線・青線の時代は明治以降、西洋のキリスト教的性事情が輸入された時期だそうです。 岸田曰く、明治維新以降に西洋的セックスが輸入され、従来の「好きな人としかセックスをしない」という風俗は廃れたのだとか。 > 性犯罪 「性犯罪が多かったとしても、それは好きな相手に対して行われたものであった。 例えば強姦も、自分のことを好いてくれない女を男が強姦するといった類のもので、性欲処理が目的のものではなかった」 と考えれば、性犯罪が多かったという事実と、岸田秀の説明とは合致するかなと思います。 これは私の推測で、実際の性犯罪の動機がどうであったのかは分かりませんが……。 前近代の性犯罪の資料とかが残っていれば分かるのですが、そういうのってあるでしょうか。

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