まずは,面積と考えてよいと思います.つまり,
1丈四方(しかない狭い寝室)に横たわって
でしょう.
ただ,前後の文脈しだいでは,
(僧侶は質素を旨とするが,そういう僧侶の)狭い寝室
と解釈すべきかもしれません.その場合でも,「狭い部屋」という意味は生きていると思います.
ん~,まあ,
実はけっこう広いのだが,
僧侶が使っている部屋なので,
「僧侶」の別名である「方丈」なる語を使った
という可能性も完全には否定できません.
しかし,わざわざ「方丈」なる語を使う必然性のある文脈でなければ,チグハグと思います.
「横たはりて」が旧仮名遣いであることから,文語体の文章からの引用かと思いました.しかし,これにつづく言葉が「流れる」であって「流るる」でないことは,口語体と思えます.書き言葉が文語体から口語体へ移行しつつある時期(明治以降)に執筆された文章でしょうか.
そういう執筆の時代も,考慮する必要があるかもしれません.僧坊や僧侶を「方丈」と呼ぶ時期であったかどうかということです.2012年には,もう,そういう呼び方はしないのではないでしょうか.
まあ,松任谷由美とかは,現代風の言葉の歌詞の中に文語体の言葉を入れるという乱暴を恥入ることなく平然とやるので,私はあきれていますが.
なにしろ,文脈が見えないと,なんとも...
補足
詳しく答えてくれてありがとうございます。 このセンテンスは徳富蘇峰の『支那漫遊記』の「分外清」という段落からの文章です。 前後は以下ですけど。 『我が鹊巣居は、其名の示す如く、真に鹊巣のみ。身體と、書物と、行李と雑居すれば他人は足を著くるの餘地なさや。然も是れ予に取りては、第一の安楽窩也。方丈の寝室に横はりて、半夜に床下を流るる泉聲を聞く時は、何となく天楽を聞く心地せり。』 ちなみに、『支那漫遊記』現代語バージョンの電子書がありますか。 文語体では読みにくいです。