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縄文人の主食は?
現代の日本人の大多数は、米を主食として食べています。 米の渡来する前の縄文時代の人々は、何を主食として食べていたのですか? 粟やひえですか? ドングリなどの木の実ですか?(手間がかかりそうですが) あるいは、いも類ですか?
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縄文人とは縄文時代の人々のことですよね 縄文時代は1万数千年に及び、北海道から九州までと気候が異なる広範囲の地域 更に1万数千年の間に、大きな気候変動もありました なので、何を食べていたのかは、地域や気候や年代でも異なります 確かに、ドングリを主食的に食べていた時代と地域もあったとされていますが、全ての時代と地域でドングリが採れたわけではありません 基本的には狩猟と採取、及び原始的な栽培で、その地域で食えるものはなんでも食う。 多く手に入るものが主食的となっただけです 栄養的には必ずしも炭水化物は必須ではなく、脂質やタンパク質も最終的には炭水化物と同じ役割も果たします 縄文後期には稲作も行われていたとのことですが、弥生時代に入っても、面積あたりの収穫量は近代とは比べ物にならない程少なく、弥生時代ですら米が主食となるほど採れなかったので、縄文の米もやはり主食にはなり得なかったでしょう
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- garasunoringo
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逆に言えば、狩猟や採取だけでも生きていけるほど、日本の自然は豊かだということです 近代化や汚染などで、失われたものも多いですが、意外と野山も川も海も食べられるものは多く、かなり美味しいです ドングリはアクヌキが大変なので、食べたことはありませんが、シイノミなら生でも食べられますし、煎れば更に美味しいですよ 今の時期なら、ちょうど各地で転がっているので、まだ食べたことがないのでしたら、この機会に是非
お礼
再度の回答ありがとうございます。 確かに <日本の自然は豊か> で、その例として食物も豊かでした。昔から狭い国内に沢山の人口を養うことができました。 私は、コメを不自由無く食べていたので、ドングリなどは味わったことはありません。食わず嫌いは良いことがないですから、挑戦して食べてみようかと思います。
- technatama
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講談社発行・日本の歴史01『縄文の生活誌(改訂版)』(著者・岡村道雄)からの、引用です。 “季節ごとの自然の恵みと加工・保存・貯蔵技術の工夫によって、 縄文人の食生活は現代人の想像以上に十分豊かであったらしい。 骨や歯に栄養障害が認められる例はほとんどなく、 逆に、歯にはデンプン質の付着による虫歯が多く見つかっている。 乳幼児の死亡率の高さと平均30余歳という短い寿命が相まって、 おのずと人口増も抑えられ、食料が不足することはなかったと 考えられる。” “どうやら縄文人は、1種類の食料に偏ったり、頼って生きてきた わけではなかった。それはひとえに、狩猟・漁労はもとより、 各地の豊かな縄文の森が、これまでの予想に反して、 堅果類を中心にバラエティーに富んだ植物質食料を提供していた ためである。 では、各種の食料を、どういうバランスで摂っていたのだろうか。 現段階では、木の実・果実・キノコ・山菜・イモ類、そして栽培植物、 シカ・イノシシなどの獣、カモ・キジなどの鳥、 アサリ・ハマグリ・シジミなどの貝類、魚、海獣などの 食料バランスについては、なかなか実態を把握しにくい状況にある。 今後さらに、おのおのの栄養価や味覚、捕獲の効率や時期 などから見た生産効率などが詳しくわかってくれば、 縄文時代の生業や食生活について、 広く深く総合的に理解できるようになるであろう。” などとの記述があります。 要するに、主食・副食といった区別はなかったものと思われます。 どんなものでも食べなければならなかったのでしょう。 とにかく生きることが大事だったのです。 主食というものは、もっと後の時代になって生まれた概念ではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございました。 質問が上手でなかったようです。我々現代の日本人は、食物の中で、米を恐らく一番多く食べていると思います。それでは、縄文人は、何を一番多く食べていたのでしょうか、ということを質問したかったのです。ところで、主食という言葉を迂闊に使って、誤解を招いたかも知れません。 縄文人は、幸か不幸か <どんなものでも食べなければならなかったのでしょう。> ですね。しかし、 <堅果類を中心に> なっていたことですね。
- phj
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縄文人の主食は主にどんぐりです。それ以外にも栗やクルミ・トチノミなども食べていたようです。「どんぐり貯蔵穴」で検索していただくと、縄文人がいかにどんぐりを食べていたか分かると思います。 またどんぐりは、そのままではアクが強くて食べられません。アクを抜く為に大釜でゆで、すりつぶしてクッキーのように食べていたと言われています。縄文土器のあの形はどんぐりを煮てアク抜きをするために発達した、とも言われています。 また吉野ヶ里遺跡などは、完全な形での栽培ではないものの、どんぐりの木などを集落の周りに生やしていたようだ、と研究結果がでているそうです。栽培している農作物は遺伝子がパターン化されていて、野生はパターン化されていないのに対して、吉野ヶ里などの遺跡群の作物は一定のパターンがみとめらるのです。 つまり、元々自生していたどんぐりの種などを選んで周囲に植えていったのでしょう。 それぐらい、縄文人とどんぐりは深い関係にあったようです。 さて、主食と副食に関してですが、そもそも「主食」という概念があるのはコメ文化の地域だけの特徴です。 コメは非常に優秀な食物で、特に玄米はほぼ完全食品と言っていいぐらいです。そのため、昔の日本人は玄米を何合も食べ、少しの野菜とみそ汁程度で元気に生きていたのです。 この事情はコメが生産できるアジア全体で同様の状態で、特に2毛作・3毛作が出来る東南アジアは、面積あたりの人口も他の地域と比べて多いのが特徴です。 コメを食べる文化を持つ地域では「まずコメ、そしてコメを美味しく食べるための(栄養の足りない部分を補給するための)副食物」という考え方になっていったのです。 これ以外に世界では主に小麦などの麦を主食にする地域ととうもろこしを主食にする地域、ジャガイモなどのイモ類を主食にする地域、などが存在します。 しかしこれらの地域では「○○は主食」という意識はほとんどありません。「まず○○、そしてそれをおぎなう副食」という考え方もしないのです。 たとえばとうもろこし粉からできるトルティーヤ(薄いピザ生地のようなもの)のような形でとうもろこしを主に食べる地域の場合、トルティーヤはあくまでも肉や副食物を食べるための包み紙であったりもします。トルティーヤならとうもろこしから出来ているので、何枚でもおなかいっぱいになるまで食べられる、というだけで「まずトルティーヤ、そしておかずを載せて・・」ということにはならないのです。 ですからある日はトルティーヤ、ある日はトウモロコシ粉から作ったスープ、ある日はトウモロコシ粉のパンケーキ、などいろいろな形で副食の調理法などによって換える事ができるのです。 またヨーロッパの特に寒い地域では、主食と呼べるのはどちらかというと肉と脂(ヘットなどの脂の塊)であって、小麦などはそれを挟む食べられるお皿にすぎません。 たとえばイギリスの伝統料理であるヨークシャープディングなどは、完璧にステーキの付け合せとして出てきます。 肉汁をすわせて、食べるためのものだからです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0 そういう視点で見ると、サンドイッチのパンも鉄火巻(どちらも賭博中に食べるために生まれたもの)で言えばコメではなくて海苔の部分だといえます。 あくまでも小麦粉は添え物としての炭水化物なのです。 ですからよく聞くように、アメリカでは夕食時にパンを食べているわけではない、ということになるのです。 はなしが脱線しましたが、縄文人はどんぐりをスープにしたり、丸めてクッキーのようにして食べていたようです。
お礼
回答ありがとうございました。 どんぐりが、主の食べ物でしたか。手間のかかる食物ですよね。現代は、米を見つけてもらい、楽になりましたね。 主食も、理解できました。たとえば、動物や植物のタンパクを大量に食べることができなくても、あるいは食べなくても良いので、日本人は、米を別枠にして主食という名称で食べているのですね。トウモロコシからできているトルティーヤは、 <包み紙> ですか。
- yuyuyunn
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お礼
早急な回答ありがとうございました。 紹介して頂いた説明では、 <現代人の感覚でいえば「おかず」だけを食べていたのです> だそうですが、 主食としての炭水化物を取らなくても、健康面では大丈夫だったのでしょうか? 現代だったら、炭水化物を取らねば、栄養の面で偏っている、と注意されるようですが。
お礼
回答ありがとうございました。 <その地域で食えるものはなんでも食う。 多く手に入るものが主食的となっただけです> なるほど。 そして <栄養的には必ずしも炭水化物は必須ではな> い、ということですね。 その地域で食えるものはなんでも食う。 多く手に入るものが主食的となっただけです