• 締切済み

母親との関係、自分自身について

はじめまして、初めての投稿に加え、今日起こった出来事で少なからず気も動転しており、 拙い文章になるかと思うのですが… どうかお許しください。 質問はタイトルの通りです。母親との長年の関係について悩んでいます。 皆さまは、自分自身が母親に受け入れられていないと思った時や、 自分が向き合おうとしている時に向き合って貰えないというような時はありますか? ここ最近、実は随分前から、根本的には向き合ってもらえていなかったのかなと思うような出来事が頻発しています。 私の性格上、考え過ぎだと言われればそれまでなのですが、 心に重くわだかまりが残り、苦しくなってしまっています。 先ほどもささいな事から事が発展し、私が面と向かって話せば話す程、 何やら逃げられているような気がしてならないのです。 先ほどの話を話しますと、 私がとある用事で購入してきた洋服があります。その服は用事が済み次第、再度普段着でも着れるように補正してから着ようと思い、捨てずにとっておきました。 夕方母も仕事から帰宅し、その用事が無事済んだ事を何気なく伝えました。(特にその段階では勿論ただの報告もとい世間話程度だと思っていたのですが…) しばらくして私が台所へ離れ、戻ると、何故か普段使わない裁縫セットを手に持ち、もう片方の手にはその私の服を持っていました。 どうした?と思い 『なにしてるん?』 と聞くと、 『えっ、何が?着ようと思って。丈長いし私にちょうど良いし。』 と目も合わさず言われました。 私も疲れていたのは原因ですが…怒ってしまいました。 『いやそんなんやったら聞いてよ、そこに居てるんやし。私それ一応自分で後々使えるように選んで買ってきたんよ。一声かけて欲しかったわ』 と、 正直、本当に欲しかったなら一言言ってくれれば良かったのにという気持ちを伝えると、母は不機嫌そうに洋服から手を離し、裁縫セットも置いてその場から離れて行きました。 正直、ここまでこの文章を書いて振り返ってみて、 私も相当細かい事をグダグダ言っていますね…。 ですが、無言で逆上されるのも理解し難いですし、何より子供みたいでお互い子供だとやり切れない気持ちでいっぱいになりました。 その後も話しもしないようだったので、 『その場に居るんやったら、言いたい事言ってな?外出時はまだしも。』 と仲直りの意味も込めて伝えると、 『はぁ?そんなに怒るような事?!』 と言われ逆ギレされてしまいました。 穏やかに言ったように気をつけたつもりだったのですが…。 とりあえずそこにいるなら声を掛けてくれと言いたかったつもりが、 焼けぼっくいに火が付いてしまったのは言うまでもないです。 私の言っている事は非難される様な顔付きで言われる事なのでしょうか… 『嫌がってると伝えた事は謝って欲しいし、今後もやめてほしい』 と告げると 『そもそも着ようと思ってなかった。ただの冗談。』 と突然意見が滅茶苦茶に。 『それならそれで冗談ってゆってよー。誤解生んでるで?』 と伝えると 『アンタかって冗談で色々言う時あるやん。それと何が違うの』 と返答が…。 うーん。相手が誰であれ、嫌がったり怒ったりする様な冗談は言わないように気をつけているのですが。 最終的には勿論要らないとの事。 私が怒ると思ってなかったし、謝るような事だと思わなかったと、またしても火に油を…。 投稿させて頂いたのは、今回の事に限らず、コミュニケーションが上手くいっていないと感じる事が多く、コミュニケーションがこの様にずっと上手く取れない限り、この状況が続くのかと思うと、今は今で苦しいのが正直な心境です。 母親は、母の両親も不仲で、両親共に(特に父親)に愛されず育ち、 情緒が不安定だと感じる所があります。 たまにふと、言い合いをしている中で、 『あんた(私の事です。)はおじいちゃんに好かれている。少なくとも私よりは』 と自虐的に言ってきたり、 『あんたはいいやん、かわいがられてて』 『あんたばっかりえこひいき』 と言われたりするのですが、正直どう返していいのか分かりません… 祖父も母以上に気性や感情の流れが非常に激しく特異な性質であると、周りの意見に加え、私自身も実際に肌で感じていますが、 実際に私は母と私の愛情にそこまでの大差があるとは感じていませんし、 それを母から責めるように言われる時、私はどうしたらいいのか分かりません。 そうかなあ。と生返事しか返す事が出来ません。 挙げ句の果てには、母は自分自身、 産まれてこなければよかったとまで言い、私の事も産まなければ良かったと言い出します。 力になれる事はなりたいですが。感情的にすぐなってしまうので、正直困っています。 解決というのは難しいのかも知れませんが、今後に向けて皆さまの御意見等聞かせて頂ければと思い、投稿させて頂きました。 長々と読んで下さり、 ありがとうございました。

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  • fkl16454
  • ベストアンサー率40% (6/15)
回答No.5

失礼します。NO.4のものです。 振り返ってみて、再読して「しまった!ただの経験談になっていて、ちっとも質問者様への回答になってない!!」と気付きました。マヌケですいません; 質問者様もきっと(憶測ですが)、長きに渡り、お母様との関係に苦しんでおり、それが今も継続されている状態であるように思います。家の中で、家族の中で、母と二人で、余計独りぼっち…いつもそうでした。 でも、それは私が「病気になって気付いた真実」です。 つまりそれまで、私にとって母は完璧で、お人よしで、やさしく、強く、あたたかみのある存在だったのです。 あくまでも過去形で「だった」としかかけませんが、その過去があるからこそ、今そのギャップに苦しんでいる、ともいえます。 質問者様は(勝手に想像しますが)「お母さん子」ではありませんでしたか?その細やかな心配りや、行動や、折り目正しい文章を読んでいると、そんな印象の、お優しいがために苦しんでいる。そんなお姿を想像します。 私の考えですが「こんな風に優しくいられるときもある。それは自分があの人のことを母親として受け入れ、受け入れられた、愛してもらったことがあるからなのではないか」、と考えるように心がけています。(実際はすごいですよ!兄の眼をくらまし、憎みあい、いがみ合っています(精神戦を繰り広げてるんです。陰湿ですよw)。私が先制することはありませんが、やられたらやり返してますwww) もし、物理的に距離を置くことが不可能なら、医療機関(心療内科などは体の不調なども訴えられますし、精神科よりはハードルが低いのでは…)を利用することをお勧めします。ちなみにカウンセラーは、良い先生とめぐり合うまでがかなりイバラの道なので、心と体に強さをお持ちの状態で無い限りは、お勧めできません…。「私は間違ったことしていないのに、どうして私が?」と思われるかもしれませんが、心の痛みを取り除くプロがいるのです。それは経験的にですが、活用すべきです。もし不可能であれば、日記や紙の切れ端に、綿々と思ってることを書いてみる、というのもいいです。基本は「外に吐き出す。内に溜め込まない」。ご友人に聞いてもらう、というのもいいと思いますが、相手は慎重に選ぶことになりそうですね。 そして、自分でも「コレは不毛だ」と分っていることなのですが… 盛大に喧嘩してみる。 というのはいかがでしょう。 勿論後で罪悪感にさいなまれ、謝っちゃったりするものですし、自分で泣いてしまう事もあると思います。でも…黙ってるよりよさそう。そのくらいの差しかありませんが… そして息抜き。カラオケでガンガン歌う。一人で行ってもいいと思います。泣いても構わないですしね。こちらも対症療法ですが、少し楽しいですよ。 「産まなきゃよかった」という暴言は、「本当にそうだね。避妊の方法も分らなかったの?下半身のガードがゆるい女だね」と心の中で叫び、外面は「ふ~ん?」でも無視してもいいと思いますよ。 私が病気になってよかったと思うのは、「最近自分は母を疎ましく思っているな…辛いな…ってゆうかムカつく…これ、自立欲?!親離れしてるのかなぁ?!」と、なんだか嬉しいときさえあります。自分がどんどん孤独になって、考えも行動も自分なり、という形があることに気がついて、良い面だけもらって後は打ち捨てて、なんだかこころが豊かです。自我の芽生えってやつでしょうかね。兎に角自分の強さがうれしいのです。一つ一つ自分で考え、答えを出し、誰かに何か理不尽なことをされたり言ったりしたときは、ここ一番頑張る。 そのようにして、自分を育てています。 少し落ち込むときもあれば、幸せが分らないときもあるし、分ってみたら人より分量が足りなかったりもしますが、 精一杯生きてください!! 最後まで読んでくださって、ありがとうございました!!

  • fkl16454
  • ベストアンサー率40% (6/15)
回答No.4

こんにちは。通りすがりに貴方様の苦しい心情をみつけ、 「なんだか私と似ているなぁ」 と勝手に思い、自分の内省の意味もこめて、こちらで回答させていただきたく思います。 こちらこそ冗長でしょうが、軽く考えて、ひとつの参考程度のお気持ちで、 笑って受け止めていただければ…と思います。ひとくさり、お付き合い願います。 私は貴方様よりはるかに年上ですが、わけあって母と二人でいることが多いです。 母子家庭だからですが、ふたつ上にしっかり者の頼れる兄がいます。私は高校生のとき統合失調症に罹患し、現在も療養中です。 主に母との関係について、長きに渡り悩んできました。 私が小学生のころ、母が「子供の性の芽生え」のような感じの講演を聴きにいって、帰ってきて私に言ったのです。 「もう私、吃驚しちゃったわ。ショックだった。経血で汚れた下着を、そのまま引き出しに入れておくなんて、「これ、○○ちゃん(私です)のことじゃないの!」と思って…」 絶句しました。私はそのころまだ初潮を迎えていなかったから。そうでなくとも汚れた下着を丸めて入れておく、などということは本当にしたことがなかったからです。 時は過ぎて、統合失調症を発症した私と母の会話について。 母がまた、友達の紹介とかで、統合失調症についての講演を、30万円出して見に行ったというのです。その後、事あるごとに「30万も出して聴きにいったのに…!!」と目じりを吊り上げて、つばを飛ばしながら愚痴を延々と話す。そのたび私は、息苦しいような、申し訳ないような、言いようの無い不安定な感じを受けたものです。その話を最近、母にすると…「三万円よ、三万円」、と、微笑みながらいうのです。言いようの無いやるせなさと、ぶつける相手の無い怒りを感じました。 母のヒステリーは現在の主治医相手でもとどまることなく、だからこそ逆に、「ああ、私だけに変なんじゃなく、この人はこういう人なんだ」と思って、少し安心したり…でも、基本は辛いです。兄がいるのといないのでは、私に対する態度があまりにも違うからです。 無言になって、リビングへ来ないで、キッチンの椅子に腰掛けて、私が話しかけるのを待ってだんまり。こんなことはしょっちゅうです。ほかにはわざと仕組んでやることですね。このあいだから兄が帰省していますが、兄が自分の服の入っている引き出しを開けて、「これ俺のじゃないんじゃないの」といって、何か小さい灰色のものを放り出しました。見ると私のパンツでした。母はそのパンツを拾い上げ、心のそこから嬉しそうに笑って、「見てぇコレ~」と私に言ったのです。私は無反応のまま無視しました。母が入れなければ、兄の引き出しに私のパンツを一番上の見えるところに入れるはずもありません。 そして質問者様の供述にあったような、「両親の不仲(殆ど断絶)」についても、身に覚えがあります。母は見合い結婚でしたが、恋人に裏切られた後、「みんながしてるから私もしてみたいと思ったの」、という動機で父と結婚したんだそうです。九州男児の父と、男兄弟の一番下で、兄たちに守られて、自分の父からも格別甘やかされて育った母には(「男は優しいもの」という思い込みがあったようです)折り合いがつくはずも無く、私が中学二年生のときに離婚しました。そのときの忘れられない母の一言があります。「○○ちゃんは、お父さんとお母さんのどっちについていく?○○ちゃんはもう大人ですからね、自分で決められるはずよ。貴方の自由意志よ」。因みに父親のほうは、「もし自分が子供たちを引き取ったら、施設にあずける」といったそうで、母がだいぶあとに親切に教えてくれました。母の言葉が忘れがたかったのは、「お母さんもお父さんも「私についてきて」とはいわない…「喧嘩しても、奪ってでも連れに行く」とも違う。私は二人とも好きだったけど、二人とも私のことあんまり好きじゃないんだ…知らなかったんだ…」と、強烈な寂しさを感じました。母はどうも結婚に不満というか、「何よ、結婚なんて!」みたくいうことがあります。「真珠婚」という、長年連れ添ったご夫婦の二度目の結婚式というのがテレビで流れていたとき、「馬鹿みたい!くだらない!」といって怒っていました。 母は魅力的な人物です。あけっぴろげで人間好きで、あまり人を疑わず、いってみれば単純。友達も多いです。そんな、一見バランスの取れた母に、私はしんどさを感じることがあります。(そんな感じの、いってしまえば外面のいい母に騙された歴代の主治医からは「お母さんは○○さんのことを愛してらっしゃると思いますよ?」などといわれました。入院中もケーキを持って日参してましたし…しかし、母は必ずケーキをふたつ買ってきて、自分は残して私に食べさせて、病院食だったのに退院のころには5キロも太っていました…) そして私は母が好きです。嫌いな部分もいっぱいあるけど、でもお母さんでいて欲しい。優しいときの母のことはもう本当に大好きです。だからこそ、好きな母とそうでない母のあいだで落差があり、余計苦しんでしまうのですが。 寂しい気持ちのときは、「こんなに寂しいほど、私は母が大事なんだな」、と思いもします。 うまくいえません。 これで終わりです。 読んでくださってありがとうございました。 それでは…

回答No.3

似たような母親を持ちます。 感情的、言うことがその場によってコロコロ変わる、自分が一番でないと気が済まない、逆切れ、自分を下げること(ハイハイ、お母さんが全て悪いのね!など)をいうことで娘を服従させるなどなど。 同じように言い合いしてもけっして自分からは折れません、上のように自分を下げる発言して私に「ああお母さんに悪いことしたかな」って思わせて私に謝らせるように仕向けるのがいつものパターン。それまでは次の日になってもだんまり。絶対に心から自分が悪かったと思って謝ることなどしません。 根本的に娘のもの=自分のものって思ってるフシはありませんか? だから好き勝手するし、娘も自分の所有物だと思ってるから反発されると気に食わずに逆ギレする。 私でも自分の服をかってにそういうふうにされたら怒りますよ。質問者さんは間違ってません。 もう言い合いするだけでも無駄ですから「何してるの?これ私の服だから勝手なことしないで」って取り上げてそれでおしまいにすればいいですよ。おじいさんの愛情に対する愚痴はヘタに同調してもそんなことないよと慰めてもどっちにしても怒りを買うだけなので適当にハイハイ、って言ってればいいです。話題をすり替えたり話をうちきって逃げてもいいし。 物理的に距離を置いてなるべく連絡を取らないのが一番ですね! お母様は変わることもないし(たぶん自分が悪いとも思ってない。娘が全て悪いと思ってます)あなたが我慢するしか道はなし。 でも我慢することでお母様のことを嫌いになったり自分の精神が崩壊する(私はもう我慢しすぎてこのレベル)くらいなら、 嫌いになる前に距離を置いたほうが少しは母子関係はマシになると思いますよ。

  • papanda26
  • ベストアンサー率40% (407/1002)
回答No.2

質問者さんのお年が分からないので、もしまだ学生さんでしたら 少し酷な話になるかもしれません。ごめんなさいね。 たとえ母親であっても、弱い人や未熟な人は沢山います。 自分なりに子供の事は愛していても、愛された経験や自己肯定感が薄い場合は かなり意識的に接しない限り、子供が求める形で母性を与えることはできないでしょう。 たくさん抱かれた赤ちゃんは、自分の子をたくさん抱けると言います。その逆もしかり。 そういう母親を持ってしまった子供はどうすればいいのか。 これが私の永遠の課題です。まだ道半ば。 ただ言えることは、大人になりきれていない母を持った場合は、子供の方が大人になってやるしかない。 親にできない事(子供と真っ向から向き合う)をどうしても!と押し付ければ互いが不幸です。 欲しい母性がもらえない事は、時に淋しく、虚しく、切ないものではあります。 でも、残念ながら、母親に対しては諦めるしかない。 その渇きをどこに求めるか、自分の中で解消していくかは個人次第ですが。男性の選び方は注意しましょう(余計なお世話ですね!) 子供は「自分はこう思った!」「自分はこうしたい!」「こうされたかった」と“自分を分かって”が主張の中心です。悪い事じゃない。必要なことだと思います。 けれど、大人になるためにはどうしたらいいのか。逆をすればいい。 「あなたはこう思ったのね」「あなたはこうしたかったのね」「こうしてあげればよかったね」と言えばいい。 質問者さんの例で言えば「先に言っておけばよかったね」「出しっぱなしにしておいたから紛らわしかったね」と言ってあげた方が、お母さんもカッとせずに聞いてくれたかも。 また、これは子育てにも言えることですが“ごめんなさい”という言葉に捉われないこと。 相手が何が悪かったのか分かっていれば、ごめんなさいと言うまでしつこく追いかけない。 ごめんなさいは自分がきちんと言うようにしていれば、相手もじきについてくる。 (お母様の場合はもう大人なので、子供ほど単純にはいかないとは思いますが…) お母さんに娘がしてあげられる事はとても少ないです。 お母さんの幼少期はもう戻らないし、その時期が土台になってしまっていますから。 恩を返すべき時は必ずきます。日々は家事の手伝いを続けるのみで十分。 自分が親になって気づきましたが、本当「元気でそこにいてくれるだけ」で有難いんです。 時々、自分でいっぱいいっぱいになったり、感情をコントロールできなくて、うまく寄り添ってあげられない時もあるけれど、生まれてくれただけでいい。ありがとうって思います。 とはいえ、質問者さんは“自分を一番大事に”してください。 家族や親は大事だけれど、それぞれ別の個人です。 近すぎると苦しくて自分が壊れそうなら、距離を取るのもありです。 大丈夫。質問者さんは、愛情をうまく伝えられる賢く強いお母さんになれます。 苦しくなりすぎたら、またこういう所で吐き出してくださいね。

bee17
質問者

お礼

papanda26様 身内の出来事の悩み、質問欄に書かせて頂いた具体例共に 拙い文面から様々な事を読み取って下さり、また暖かく励まして下さり、 本当にありがとうございます。 申し訳ありません、年齢も表示されない様な仕様の登録をしてしまったのですね…。 お優しい心遣い、本当に有難うございます。 大変申し上げ難いのですが、私は来年の1月で27にもなる、よそ様から見れば見た目だけはもうすっかり立派な大人です。 papanda26様の御解答、本当に心に染みました。文章だと伝わりにくいかも知れないですが、前向きにこの事と向き合っていく一歩の背中を押して頂いたような気持ちです。 最後の大丈夫、という温かいお言葉には涙が止まらなくなってしまいました… 昨日の事は私にも至らない事が多く、あくまで私の勝手な言い分だという事も含めて、根本としてpapanda26様が言われるように、過度な期待を母親に求め過ぎている事を痛感しました。 母自身の両親も不仲ですが、不幸は巡ってか私自身の両親もまた、私が小学6年生の頃に離婚し、私は母方についています。 小学生の頃私は父親が大好きで、いつも一緒にいました。口が立ち感情も流れ出てしまう母と、口下手で私と同じ様に感情の出し方が不得意で、それに伴って自己表現の仕方が下手な父。 私はそんな両親のどちらにも似ていると思いますが、根の部分は父に似ているのだと思います。 母は口うるさいだけでなく劇的に感情的になるのが怖かったですし、頻繁にヒステリックな声を上げるのが煩わしく、理解し難い部分が当時から多かったです。 寝室は父一人と母と私の二部屋でしたが、父と母が夜中にリビングでの大喧嘩をするようになってからは、 就寝時に母から父との離婚を考えていると持ちかけられました。 その度に 絶対に嫌。 三人で仲良く暮らしたい。 どっちかだけなんて選べない。 と必死に訴えていたのを今でも思い出すと鮮明に情景が蘇ってきます。 結局父がアルコールとギャンブルに溺れてしまった事で離婚という形に踏み切り、私は6年生の秋に母の両親が住む遠く離れた家に母と一緒に移り住む形になりました。 当時の私が悲観的になったのは間違いありません。 一般的な思春期には現状に満足がいかず、父親がいればこんな事にはならなかったと母に叫んだ事もあります。 今現在は、両親の離婚については残念ですが止むを得ない選択だったと思っていますし、理解出来ます。 離婚は子供にも影響は及ぶのは勿論の事、同じ様に親当人にもとても金銭的・体力的な負担が大きく、大変な事だという事にも年を重ねるにつれよりリアリティーを持って感じるようになってきました。 それだけに仲がいい時も見ていたし、縁があって一緒になったのに勿体無いなあとは思います。(一概には言えませんが) その気持ちに便乗して、私は大人になった今でも、知らぬ間に父親の愛情分まで母に求めてしまっていたのですね。 そんな事は出来るはずないのに。 私がもっと大人になるべきなのに…。 私は中学を卒業後にはあまり家には帰らず、父を悪く言う祖父母との接触も拒んでいましたし、(私は父の子でもあるので、いたたまれなかったです) その後高校を卒業してから約8年間、実家から遠く離れた場所でひとり暮らしをしていました。 なのにも関わらず、つい数ヶ月前に6年間勤めた会社を退職し、実家に戻ってきたという訳です。 再度同居を始めて4ヶ月が経ちます。 実家に戻ってからは、実家がこんなにも居心地の良い場所だと感じるのに時間はかかりませんでした。 今時間がたっぷりある中で、あの日あの時逃げていたのは自分だと痛感する事にもなりました。 家族とは、何か行事が無くてもpapanda26様が仰る通り、ただ日々を過ごしていく事が大切なのになあ。 昨日母親と喧嘩をして感情的になり大切な気持ちを忘れていた事に気が付きました。 本当にpapanda26様の温かいお言葉が、一つ一つに染みました。 本当にありがとうございます。 焦らなくても恩返しが出来る日が来ますよというお言葉に、とても救われました。 その時が来たら、必ず母に恩返しをしたいです。 今は未来の旦那様は不在ですが、 いつか未来に出会うその時には、素直になる事から逃げずに、 きちんと向かい合って理解し合える家族を目指そうと強く思いました。 本当に有難うございます。 質問文よりもお礼が長文になってしまい 申し訳ありません。 貴重なお時間の中御意見下さり、 本当に有難うございました。

  • lupan344
  • ベストアンサー率28% (1201/4265)
回答No.1

51才、既婚男性です。 おいくつの方かわかりませんが、お母様と二人暮らしなのでしょうか? 洋服の話は、お母様の真意はわかりませんが、貴女が嫌がっているから、冗談としてごまかしたような気はしますね。 お母様に受け入れられるとか、向き合ってもらえないというのは、あまり考えない方が良いと思います。 もう、自立されているわけですよね? お母様の言葉に振り回されるのはわかりますが、もう大人として、あまり深く考えない方が良いですよ。 産まれてこなければよかったとか、産まなければよかったとかいう発言は、正直親としてはおかしいですが、そのような事を子供に言えるという事は、もう親としての立場では無いと思って良いんですよ。 貴女は、親と考えるから、不愉快になるんです。 単なる、知り合いのおばちゃんが愚痴ってると思えば、気が楽になると思いますよ。 親として尊敬したり、助け合うのは大切な事ですが、いちいち言動に振り回されても、貴女が辛いだけです。 貴女が感情的になるのは、親だったら、もっとちゃんと子供の事を考えてくれるはずという思いが無いですかね? だから、感情的になっちゃうんでしょう? お互いに、もう自立した大人として付き合う時期なのに、親子関係にとらわれすぎてるんですよ。 お母様を一人の女性として考えたら、親の愛情がもらえなくて、可哀想だったなと思えるんじゃないでしょうか? 貴女が、祖父様から可愛がられている事は、親なら喜ぶ事のはずですが、お母様の言葉はそうじゃないですよね? 貴女は、その矛盾に怒ってるわけでしょう? もう、お母様は親の立場じゃないと考えれば良いんです。 それが、嫉妬なのかどうかはわからないです。 貴女が、お母様の意に沿わないときに、嫌がらせでそう発言する可能性もあります。 一人の女性として、お母様を冷静に見れれば、感情的にならなくてすむんじゃないでしょうか?

bee17
質問者

お礼

lupan344様 深夜にも関わらず、 早速の御回答有難うございました。 lupan344様には私の拙い文章から全て状況がお見通しの様で、 正直初めての質問で皆さまが汲み取って下さるかどうか不安でしたが いち早く返信を頂けた事も含めまして、本当に心から御礼申し上げます。 有難うございます。 仰る通り私は母と今現在は暮らしています。数ヶ月前までは約6年程一人暮らしをしておりました。 家族構成は母と祖父の3人です。今現在は3人で暮らしています。 父とは私が小学生の時に母と離婚し、私は母と母の両親と暮らすことになりました。 それから3年前に祖母が他界し現在の家族構成に至っております。 私は父が大好きでした。 当時から母親の事が苦手といった表現が一番相応しいでしょうか…。感情的な母は嫌いでした。 父は私に似て温和です。悪く言うとのんびりし過ぎていますし、鈍感であり今こうして自分の感情コントロールが上手くいかず、行き詰まってしまうような不器用な所やぐうたらな所も似ていると思います。(只、今こうして父の事を思い出している際も、正直憶測に過ぎません。なんせ小学校の頃の記憶です。思い出補正も多少あると思います。) そんな父ですが、母と大きく違った所は、私の意見を聞き入れてくれるところでした。きっと今私が求めている甘えられる存在でした。 ピアノを習い始めた低学年、母のピアノのお古でピアノを弾いていた記憶があります。後々不器用な私は中級過程で行き詰まってしまうようになりました。 ですが母と母方の祖母からの羨望の眼差し。何やら左手のタッチが珍しく力強かったらしく、センスがあると言われました。あまり自分ではピンと来なかったのですが。 一人で練習に行き詰まってしまった時、恐らくどうしようと思っていたのでしょうが、その二人には打ち明ける事が出来ませんでした。私の事なのに、何故か蚊帳の外というか…。 幼心に出来ない事を受け入れて貰えない雰囲気を感じました。 ピアノについては未経験の父にも相談出来ませんでしたが、私は教室に行く度に出来の悪さが露呈する事を恐れ、勝手に行くのを辞めてしまいました。本当に最低ですよね…。 二人の過度な期待をひしひしと感じながら過ごしていたのは紛れもない事です。両親が離婚してからはより一層、何かしら求め続けられていたように今振り返っても思います。 等身大の私を見てくれていたのかなあと。人さまに迷惑は掛けずに、楽しく毎日過ごし、何かを見つけてくれればいいと心から思っていてくれたのかな。本当に自分自身でも呆れる程鈍感で情けないのですが、最近まで気がつかなかったのです。その互いの行き違いに…。 本当、いい歳してなんやのよ。と思うんですが。 二人、もしくは祖父を含めて3人は、私が一番になる事、輝かしい功績を残す事を望んでいたのだなあ。特に祖父は先述の通り、非常に厳格な性格の持ち主ですので出来が悪い人に対しては人一倍厳しく当たります。 ですが、出来ない事もありました。殆どが出来なかったですが…。f^_^;) 何故できないか、誰か出来ない理由を一緒に探して欲しかった。百点が取れない理由。逆上がりが出来ない理由。自転車に乗れない理由。挫折した時に、寄り添って欲しかったです。 思い返せばそんな時側に居てくれたのが良くも悪くも父でした。 逆上がりは小学生の時、父が帰ってきてから夜公園が暗くなるまで一緒に練習しました。通知表の成績が悪くても理由を聞いてくれました。いかんせん筋肉馬鹿ですので、体育だけは悪いとこっぴどく怒られましたが。(笑) 私は当時男の子と遊ぶようなやんちゃな女の子だったので、ある日男子との喧嘩に勝ちたいと思い、 “空手習いたい” と夕食時両親に告げました。 母には当然の如く怒られました。散々ピアノも習字も勝手に辞めてきたような子が!と。 それは正論です。当たり前なのですが。 でも諦めきれず夜にもう一度父にその事を相談すると、 『母さん怖いからな~ でも○○も勝手にピアノ辞めてきたしなあ。』 と言いながら両手を広げ 『しゃーないなあ父さんが相手になったる』 と見ると父が両手を広げていました。(笑) ここに正拳突きしてこいと。まさかの家庭講習です。(笑)それが続いたらお父さんがお母さんにゆうたる!と言ってくれました。結局父と私は数日間で飽きましたし、そこからどうするかという案が出なかったので、数日間だけの空手講座でした。(笑) ですが、上手く言葉では言えないですが、その都度その都度の等身大の私と向き合ってくれる父が大好きでした。頼りないでしょうね。今になれば私も解ります。(笑) だけどそれが○○やもんな~と受け入れてくれていたように感じます。 そんな父が居なくなってから私自身も今まで住んでいた土地を離れ、転校もしました。あと少しで卒業だったのですが。小学6年の秋でした。 それからというもの、家族全員の過度な期待を受けてきましたが、最近になって祖父とふと話している時にそんな時の話になりました。思ってもみなかったのですが。 『お前はなあ。あれだけ勉強しろと言ったのに。バカタレ。ロクな仕事にも就かんと。だからしんどいアホみたいな仕事しかないんや(私のこれまでの職の勤務時間が長い事に対して。一応普通の正社員です…。)』 と言った後、 『でもあん時のお前にゆうたらなあ。どうにかなってしまうと思ったしなあ。』 と言われました。これは大学進学時の話なのですが、もうその頃には家族全員にそういった意味では愛想を尽かされており、やんちゃな事はしていなかったですが、誰も私を見てくれていないと感じていた家には殆ど帰らず、文句も言われないようになっていたのです。 この会話を交わした時、本当にびっくりしました。まさか当時祖父がそんな風に思っていたなんて。私の動向を気にしてくれていたなんて夢にも思わなかったので、目からウロコでした。 その出来事があってから特に最近よく考えるのですが、やっぱり思っている事は、口で言わなければ相手に伝わらないと強く感じる様になりました。 自己表現が下手な私も、やっぱり大切な人には下手でもいいから気持ちを伝えなければ。口だけじゃだめだし不快にさせるのは別ですが、相手には思っている事を言おうと思えるようになってきました。 むしろ何故今まできちんと言ってこなかった事があったのか。その当時は無意識でしたが、相手の顔色ばかりを気にしていたのが馬鹿みたいです。 ちょっと話が脱線し過ぎて本当に申し訳ないです!! 要するに、私は同居を再開してから、今やっと本当の母という一人の人間と向き合い始めていると実感しているんです。昔は嫌いでした。苦手なのは今も残念ながら母の軽率な数々の言動や行動に向き合う事により一層色濃くなっているのですが、だけど私の産みの親であり母親だという事には変わりありません。 lupan344さんが仰る通り、親離れが出来ていないのかも知れません。 同居を再開してから3回ほど、些細な事からここまで大きな喧嘩をしてきましたが、全てそこには私が親に求めてしまっている心情の割り切れなさ、ジレンマに要因があります。 この感情には最近気付いたばかりで、それが本当に互いに受け入れられるような日が来るのか。その葛藤が堪らなくて、昨日この掲示板に吐き出させてもらった次第です。 一応昨日も聞いていないかも知れないですが伝えました。 『私は相手がどうであろうと思った事感じた事を口に出して言っていこうと思ってる。』 『私は大切な人であれば、その人が嫌がってしまうような事をしたら謝る。謝れないというのは自分自身のエゴに過ぎないと思う。』 と伝えました。 伝わっているか伝わっていないかは彼女の胸の中にしか解りませんが、私も親の子という事で、母と似てくるのかと思うと怖いですし、 いつか私に愛する子供が出来た時、そんな風な思いをさせないように自分に何が出来るのか。そんな事を考えながら昨日は感情的にもなり、眠れませんでした。 原文より大幅に長くなって仕舞い 申し訳ありません…。 ですがここに吐き出して、lupan344様に聞いて頂けて、凄くスッキリしました。本当に有難うございます。 長文乱文、失礼致しました。