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課外授業で黙想 正座で足が痛いだけです
- 学校の課外授業で黙想を行う際、女子生徒は剣道場で裸足で正座することがあります。しかし、板張りの床で正座するため、足が痺れて痛くなります。
- 黙想は精神を鍛えるための時間であり、集中力を高める効果があります。しかし、足が痛くなることで集中が妨げられる可能性もあります。
- 黙想の効果や大義名分はわかるが、足が痛いだけで効果が少なくなることに疑問を抱く考え方もある。
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昔は正坐が基本でしたが、今はイスの生活なので 痛くてつらいでしょう。 ただこれが将来役立つかどうかは誰にも わからないので、正坐が無意味だと決めつけるのは どうでしょうか。 下記サイトが痛みを減らすことに役立つことを祈ります http://www.seizajsa.com/
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- Streseman
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イヤな教育姿勢だなぁ >黙想は「精神を鍛えて集中力を養う」なんて大義名分あるけど、正直言ってそれは足がしびれるまでで、しびれて痛くなれば残り時間をどうやってやり過ご黙想は「精神を鍛えて集中力を養う」なんて大義名分あるけど、正直言ってそれは足がしびれるまでで、しびれて痛くなれば残り時間をどうやってやり過ごすかの精神力の戦いになります。本当に すかの精神力の戦いになります。本当に 大義名分からして、嘘っぽちだよ 黙想している人間が精神を鍛えられていたり、集中力が人より優れているなら、そう立証してほしいもんだね 日常的に黙想している聖職者を見れば、優れているなんて到底思えないけどね・・・ ここらは、学校の特色ということで見過ごされるけど、まったく非科学的な話だね 両親も変だね 「礼儀作法をしっかり学べる」というが、黙想そのもので礼儀作法を学べるはずもない 黙想に至る過程で作法は学ぶかもしれないが、そんなものは、一般社会に必要な作法じゃないよね 特殊な世界だけで通用する礼儀作法よりも、優先するべき教育内容があるだろうに・・・・ 黙想などの宗教的な行為を教えること自体が、違法性があるのにさ・・・ まだ体育の集団行動の方が作法・礼儀を教えられるね 作法・礼儀なんてのは、教師から教わるものではなく、周囲を真似て覚えるもの そういう感覚がない状況で、学校で礼儀作法を学べる・・・というのは礼儀作法の本質(配慮・思いやり)の部類を理解できてないんじゃないのかな? まぁ”足が痛い”だけで黙想には意味があるとは思えないね 少なくとも、教育的な意味を主張できるほど、適法性はないし、効果にしても怪しいことから、教育者からは支持されないね・・その黙想という行為が まぁ、課外授業としてはその程度でも許される現実があるだろうけどね 質問者の見解は、”おかしい”とは思えないね むしろ、具体的な効果・効用について説明責任を指摘すれば、学校側も困るだろうね 黙想という指導そのものの正当性が正直立証できないし、代替授業での代用性まで指摘すれば、学校・教師側を黙らせることは出来るかもね でも、まぁ、日本人社会は、”空気を読め”なわけで、 『こいつら馬鹿だな。効果もないことに無駄金使わせやがって』と思いながら、思考回路の未熟な学校側を嘲笑しながら受けるしかないだろうね まぁ、やめるべき・代替授業を考えるべき・・とは思うけどね
お礼
「作法・礼儀なんてのは、教師から教わるものではなく、周囲を真似て覚えるもの」 その通りだと思います。言われてイヤイヤやって身につくものじゃないって思います。 代替授業を考えるべき・・・何かいい方法ないでしょうか。 うちの学校の黙想は学校の都合で今日は部屋が使えないから黙想します→剣道場に集合して心構えと姿勢を整えて正座。本来の黙想の大義名分はなくて部屋が使えないから黙想させておくみたいに思っちゃってます。
お礼
サイトのURLを教えていただいてありがとうございました。 正座の専門サイトってあるのですね。 サイトの中の「痺れない正座」のコーナーを読んでみましたのでやってみたいと思います。