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尖閣が個人所有だったのはなぜ
石原都知事がアメリカで「個人所有になっている尖閣の島を都が購入すべく島の所有者と交渉中」と発表するまで、不勉強ながらあの島々が長らく個人所有であったという事実を知りませんでした。当然国の所有と思っていたので「なんで今の今まできちんと国が所有、管理しなかったのか。」と不思議に思わざるを得ませんでした。初歩的な質問で申し訳ありませんが、個人所有となった歴史的経緯や国と所有者個人との関わりの経緯等についてご存知の方がおられましたら、宜しくご教示のほどお願い致します。
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とりあえず、歴史的経緯を述べておきます。 まず、尖閣諸島の歴史を語る上で理解して置かなければならないのは、明治政府の琉球王国(沖縄)を巡る問題です。 明治政府は、中央集権強化のため1871年8月29日に「廃藩置県」を行います。 これは、少し過激な言い方をすると各藩主から領土を取り上げ、県制に再編したあと、知事を中央から派遣し地方行政に当たらせるというものでした。 この時、琉球王国は薩摩藩の付属国であるとともに清国への朝貢国でもありました。 つまり、宗主国を2つ持つことで独立を保とうという政策をとっていたわけです。 そこに、本土の廃藩置県もひと通り終わった1972年、明治政府は琉球王国を琉球藩とし尚泰王に琉球藩主とし任命しました。 琉球王尚泰王はこれに反発、その後も清国への朝貢を続けました。 1879年、明治政府は尚泰王を東京に呼び出すと、その隙に400人の兵士と160人の警察隊を出動させ首里城を占拠してしまいました。 そして琉球藩を廃して沖縄県を設置し、尚泰王はそのまま東京に留めおきました。 こうした一連の流れを「琉球処分」と呼びます。 こうした一連の政策に対して、当然清国は抗議しますが米国の仲介で話し合いで決着をつける事になります。 しかし、なかなか決着せず結局は日清戦争に勝つことで、琉球王国は正式に沖縄県として日本領土となりました。 この時(1895年)に、石垣島北方160キロにある尖閣諸島も日本が領有することとなります。(尖閣諸島が目的というよりも、台湾領有の一環という色が濃い) 尖閣諸島領有に活躍した人物に、実業家古賀辰四郎という人が居ます。 生来進取の気性に富んだ人物であった古賀氏は、琉球処分で揺れている沖縄に渡り、1981年には石垣島で真珠養殖を始めたりと手広く事業を展開しました。 1884年には尖閣諸島の調査にも乗り出し、鳥毛、べっ甲、貝類などの商品価値を見出し事業開発に乗り出します。 この話を聞いた沖縄県知事が政府に尖閣諸島領有のための碑を作るよう進言し、1895年の領有宣言に至ります。(因みにバカ鳥(アホウドリの別名)が多く生息していたことから「バカ鳥の島」とも呼ばれていたようです。) 領有宣言の翌年1896年に古賀氏は30年間無償で魚釣島、久場島、北小島、南小島の4島を政府から借用することに成功します。 そして、古賀村という村をつくり鰹ぶし業や海鳥の剥製製造などの事業を展開します。 最盛期には約90戸248人の島民を数えたといいます。 そして、古賀辰四郎氏が1918年に死去すると、事業は息子の古賀善次氏に受け継がれます。 善次氏は1926年、30年の借用期間が終わると、有償で借り事業を継続しました。 しかし、借地料を払うのが負担になってきたので1931年に払い下げの申請を政府に提出。 その結果、魚釣島、久場島、北小島、南小島の4島は古賀氏の所有となりました。 戦後の連合軍(米軍)の沖縄占領のおり、尖閣諸島も接収されます。 そして、1955年久場島が米軍の演習場となりました。(借地料は古賀氏に払われていた模様) しかし、1966年、国連機関であるエカフェが設けたアジア沿海鉱物資源共同探査調整委員会の調査報告書で、尖閣諸島近辺の海域に石油資源が眠っている可能性が高いことが発表されました。 それから、古賀氏のもとには本土資本、海外資本問わずひっきりなしに共同開発の話が持ち上がったようです。 古賀氏はそれらをすべて断り続けたそうです。 1972年、古賀善次氏は南小島・北小島を埼玉県の実業家栗原国起氏に譲渡します。 そして、1978年に古賀善次氏死去すると妻花子さんが資産を継承します。 同年、花子さんは魚釣島も栗原氏に譲渡。 1988年、花子さん死去。資産は遺言により栗原氏に譲渡 古賀夫妻には子が出来なかったので栗原氏に譲渡されたそうです。 と、以上が個人所有のザットした経緯ですね。 長文乱文で失礼しました。 ではでは、参考になれば幸いです。
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- princelilac
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今回の報道で、日中が「解決を次の世代に」と棚上げ論で合意していたことが明らかになりました。これは隣人とのトラブルを回避するという、日本人の古来からの気質に合うものだったのです。中国側はそのことを見通していたのかもしれません。日本はその言葉通り長らく明確な領土表明を避けてきたのです。個人が海外の土地やマンション、工場、商店などの不動産を所有することはよくあることなので、尖閣を日本人が所有しているという例外を、中国側も辛うじて黙認するという姿勢を示していたのです。(共産主義下では個人資産の保有は認められませんので、あくまで特例です。) しかし、それを国有地としたことを口実に反論して見せているのです。それまでくすぶっていた反政府的な動きを、反日に誘導しガス抜きしたのです。都知事の政策に批判がありますが、永久に棚上げすることなどできません。いつかは通らなくてはいけないことだったのです。批判する人は、「いつ」「誰が」「どのような形で」表明すべきだったのかの対案を出さなければなりません。見識のある評論家はマスコミから追放されているのでしょう。よくあるネットでの批判は、見識のない評論家の受け売りを自説のようにして叫んでいるように思えてなりません。
お礼
ご回答有難うございました。御礼申しあげます。
- atcoffee
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あなたは日本にお住まいですか? じゃあ、一つお伺いしますがあなたもしくはご両親が土地を所有していたとします。 かならず土地には所有者がいます。 その所有者は国に税金を支払います。 つまり所有者いるだけで土地そのものは国の物なんです。 その所有者が国に変わっただけですので単なる政治的パフォーマンス以外の何物でも無いですね。 所有者がいても日本のものには変わりないのですからたとえそれが国に移っても整備を国がしないのであれば茶番でしかないですね。
お礼
よくわかりました。有難うございました。
- seble
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領有権と所有権は関係ありませんからね。 国有化とか、単なるデモンストレーションに過ぎないのです。 税金は無駄遣いするわ、反発くらうだけの結果に終わり、やはり政治家はアホの仲良しごっこをしているだけだと再認識しました。
お礼
早々にご回答を頂き有難うございました。御礼申しあげます。
- kusirosi
- ベストアンサー率32% (2838/8859)
・明治17年 福岡県古賀辰四郎、明治政府から尖閣諸島、無償貸与される。 鰹節工場、アホウドリ羽毛化工場を設ける ・昭和7年 辰四郎の長男善次、1万5千円で国から尖閣諸島のほとんど購入 ・昭和45年 子供のいない善次の妻の面倒を死ぬまで見ていた埼玉県の実業家、4600万円で譲り受ける。 ・平成14年 小泉首相、尖閣諸島を国が借りること決定、総務省が一年ごとに契約更新し、年約2400万円で借りていた。 石原都知事、都民海洋公園ネオトキオ・センガク構想を提案、地主の友人山東昭子参院議員の仲介により、売却の同意得る。が、結局日本国政府に売ることになり、那覇法務局石垣支局に所有権移転登記。 沖縄県石垣市に、国が固定資産税を払う、国有地となる。 ※古賀善次氏へ売却されず、国有地に残った島は、終戦後、駐沖米軍が接収、 沖縄返還後も、米軍基地用地(平時は無人の海軍・空軍・海兵隊の射撃爆撃場)として 国から周辺海域と共に、在日米軍に貸し出されているので 領有権施政権は日本、地方行政圏は沖縄県石垣市であるが、管理者は在日米軍である。
お礼
詳細なご説明を頂き有難うございました。国と所有者をめぐる尖閣諸島の歴史的経緯も大変よくわかりました。不当な領有権主張に対し、私達もこうした歴史上の基礎知識は日本人として最低限共有すべしと、自戒の念を込めつつ思いを新たにした次第です。重ねて御礼申し上げます。
- mekuriya
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じゃ利尻島、礼文島、佐渡島、渡島大島、渡島小島、焼尻島、天売島は?当然国の所有と思っているんでしょうね。当然、今の今まできちんと国が所有、管理しているというんですよね?それとも何もなければ個人所有でも良いが、どこかの外国が領有権を主張したとたんにただちに買収して国有化すべきだという論理なんですか?私には質問者さんの頭の構造がさっぱり分かりません。
お礼
詳細なご回答有難うございます。大変参考になりました。御礼申しあげます。