• 締切済み

盾と矛?初心者です。困っています。

こちらに限らず、哲学の投稿を読んでいて思ったのですが、文章が「盾と矛」になっていたりするのは、何故ですか?答えが分からないことの例えなのでしょうか? また、このような書き方は、哲学という分野の暗黙の了解(?)なのでしょうか? どうぞ、よろしくお願いします。 初心者で、困っています。

みんなの回答

noname#15238
noname#15238
回答No.6

今日は,お邪魔します。 ひょっとしてすごく単純なことですが、「弁証法」の事ではないですか? 哲学に限らす,思考方法として「演繹法」「帰納法]そして「弁証法」といった考え方が有ります。 弁証法は,極端に大雑把に申し上げれば、矛盾したものが止揚して新しいと言うか別の存在になるといった考え方です。ヘーゲルが有名ですね。 私も詳しくありませんから間違ってたら,ごめんなさい。

noname#5622
質問者

お礼

回答いただき、ありがとうございました。

  • yuika111
  • ベストアンサー率36% (9/25)
回答No.5

えぇと、ものすごい簡単に言うと、哲学というのは、物事の道理やら、事柄に対する考え方を言葉でわかりやすく説明する学問で、もともとはいまの国語とか、数学とか理科とかそういうものがまったくない時代に、●●ってなんだろう??って思って考えたことが始まりです。その●●って何だろう??にはジャンルは関係ありません。たとえば、なぜ雨は降るの??と小さい子供に聞いた時、なにも教わってない子供は、神様が泣いてるの。というかもしれません。また、雷様のおしっこというかもしれません。その答えはひとつの考え方です。疑問というのはたとえば人間関係のことかも知れませんし、世の中の成り立ちのことかもしれません。哲学が学問の基礎といわれるのにはこういったところにも原因があるかもしれません。そういうことを踏まえていただくと、命題に対して、色んな考え方があって、大体、肯定意見と、否定意見が書いてあることが多いかと思います。あと、たくさんのことが原因で、それらが成り立っている場合も多多ありますので、そういった場合は矛盾が引き合いにだされるように、どちらが先か・・・といったことになるかもしれません。質問の意図がいまいちつかめなかったので、説明が回答がまとはずれかもです★

noname#5622
質問者

お礼

レスいただき、ありがとうございました。 いろんな考え方があって、いいのですね。 また、たくさんのことが原因で、それらが成り立っている場合も多多ありますので、そういった場合は矛盾が引き合いにだされるように、どちらが先か・・・といったことに なることもあるのですね。

  • kurokawa
  • ベストアンサー率25% (38/147)
回答No.4

暗黙の了解と言うよりも、哲学に限らず、絶対的な答え、存在、理論の様なものは現実の世界に存在しない訳ですから、そういった事を考慮すると、二律背反的な文章になる事もあるでしょう。 逆に「○○は◎◎である」と言い切ってしまう様な理論は眉唾だと私は考えています。 数学のような物と異なり、哲学は10人いれば10通りの考えがあると思いますし、故に偉い人の哲学が貴方にとっての正しい答えにはなり得ないでしょう。 文章に矛盾を感じたら、自分なりの答えを探してはいかがでしょうか?

noname#5622
質問者

補足

哲学という分野は、絶対的な答え等がなく、 それを考慮したうえで、矛盾的な文章になってしまうこともあるのですね。 どうもありがとうございました。

  • mi-si
  • ベストアンサー率35% (200/567)
回答No.3

矛盾の話ですね。 何でも突き通す矛と絶対壊れない盾をぶつけた場合どうなるかと言う命題です。出展は『韓非子』です。 似たような単語にパラドックスが有りますね。

noname#5622
質問者

お礼

お返事いただき、ありがとうございました。 哲学という分野は、まったく知識がなく、 文章にするには、何か暗黙の了解? (つじつまをあわせない=分からない)とかが あるのかな?と思ったりしているような素人です。 また何かありましたら、レスをお願いします。

回答No.2

こんばんは。 「哲学」というのは、平たくいうと「考え方を考える」学問です。頭のいい人がいろいろ考えてはいるものの、結局結論が出ず、現在に至ります。 「これはこうだ!でもこーでもないかなぁ」 ニーチェ先生(「超人」という言葉を作った人)も 「ボクのことを判ってるのは、ボクの本を読んでない人だ」といってます。マジ判りません。 ただ、「暗黙の了解」なのかどうかは判らないのだけど、読者はすべてを鵜呑みにするのではなく、一部をいいとこ取りして、それを人生に役立てればいいのではないでしょうか。 ところでボクは「戦争と平和」について考えます。戦争(忌むべきもの)の対極に平和(望まれるもの)があるのですが、仮に戦争がなくなると、平和という概念もなくなるのです。なんなんでしょう(ーー;)

noname#5622
質問者

お礼

お返事いただき、ありがとうございました。 哲学という分野は、まったく知識がなく、 何かの命題に対して、文章にする時は、 ”つじつまをあわせない=分からない” というのが暗黙の了解(?)となっているのかな?と 思ったりしているような素人です。 また何かありましたら、レスをお願いします。

回答No.1

「矛盾(むじゅん)」のことでしょうか? 論理的に間違っていることのことわざです。 どんな盾でも突き通す矛(槍のようなもの)と、どんな矛でも防ぐ盾を売る商人がいて、じゃあその矛でその盾を突いたらどうなの?と言ったことからできた古事成語です。

noname#5622
質問者

お礼

お返事いただき、ありがとうございました。 韓非子の話は分かっているのですが、 哲学の世界では、自分も答えが分からない時に、 あえて盾(たて)と矛(ほこ)みたいな文章にするのかな?と思いまして・・・。 どうもありがとうございました。

関連するQ&A