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幸徳秋水の文章について知りたい
- 幸徳秋水が兆民先生の文章を引用した一節について出典と意味が知りたい
- 「兆民先生」の引用文は明代の文人、屠隆の「婆羅館清言」に似ているが微妙に違いがある
- 明治35年当時の日本で「婆羅館清言」はどの程度読まれていたのか知りたい
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出典は明の陸紹珩の『酔古堂剣掃』の「第十巻 豪」であるようです。ただ、この本が古典の名言嘉句の抜粋集なので、もともとの出典があるとは思いますが、不明です。 しかし、幸徳秋水の書いた「古人」は特定の人物を指して言ったのではなく、「昔の人」との意味で使っているのではないでしょうか。 なお、『酔古堂剣掃』については、安岡正篤の『酔古堂剣掃』と、塚本哲三編『酔古堂剣掃・菜根譚』が出版されているようですが、安岡正篤の『酔古堂剣掃』が手に入り易いようです。 醉古堂劍掃卷十 集豪(下記の「『酔古堂剣掃』の「第十巻 豪」」のページから) 今世矩視尺步之輩,與夫守株待兔之流,是不束縛而阱者也。宇宙寥寥,求一豪者,安得哉?家徒四壁,一擲千金,豪之膽;興酣落筆,潑墨千言,豪之才;我才必用,黃金複來,豪之語。夫豪既不可得,而後世倜儻之士,或以一言一字寫其不平,又安與沈沈故紙同爲銷沒乎!集豪第十。 桃花馬上,春衫少年俠氣;貝葉齋中,夜衲老去禪心。 岳色江聲,富煞胸中邱壑;松陰花影,爭殘局上山河。 驥雖伏櫪,足能千里;鵠即垂翅,志在九霄。 個個題詩,寫不盡千秋花月;人人作畫,描不完大地江山。 慷慨之氣,龍泉知我;憂煎之思,毛穎解人。 不能用世而故爲玩世,只恐遇著真英雄;不能經世而故爲欺世,只好對著假豪傑。 綠酒但傾,何妨易醉;黃金既散,何論複來。 詩酒興將殘,剩卻樓頭幾明月;登臨情不己,平分江上半青山。 閑行消白日,懸李賀嘔字之囊;搔首問青天,攜謝朓驚人之句。 假英雄專吷不鳴之劍,若爾鋒鋩,遇真人而落膽;窮豪傑慣作無米之炊,此等作用,當大計而揚眉。 深居遠俗,尚愁移山有文;縱飲達旦,猶笑醉鄉無記。 藜床半穿,管甯真吾師乎;軒冕必顧,華歆洵非友也。 車塵馬足之下,露出醜形,深山窮穀之中,剩些真影。 吐虹霓之氣者,貴挾風霜之色;依日月之光者,毋懷雨露之私。 清襟凝遠,卷秋江萬頃之波;妙筆縱橫,挽昆侖一峰之秀。 聞雞起舞,劉琨其壯士之雄心乎;聞箏起舞,迦葉其開士之素心乎? 友偏天下英傑人士,讀盡人間未見之書。 讀書倦時須看劍,英發之氣不磨;作文苦際可歌詩,鬱結之懷隨暢。 交友須帶三分俠氣,作人要存一點素心。 棲守道德者,寂寞一時;依阿權變者,淒涼萬古。 深山窮穀,能老經濟才猷;絕壑斷崖,難隱靈文奇字。 獻策金門苦未收,歸心日夜水東流。扁舟載得愁千斛,聞說君王不稅愁。 世事不堪評,掩卷神遊千古上;塵氛應可卻,閉門心在萬山中。 負心滿天地,辜他一片熱腸;變態自古今,懸此兩隻冷眼。 龍津一劍,尚作合于風雷。胸中數萬甲兵,甯終老於牖下。此中空洞原無物,何止容卿數百人。 英雄未轉之雄圖,假糟邱爲霸業;風流不盡之餘韻,托花谷爲深山。 紅潤口脂,花蕊乍過微雨;翠勻眉黛,柳條徐拂輕風。 滿腹有文難罵鬼,措身無地反憂天。 大丈夫居世,生當封侯,死當廟食。不然,閒居可以養志,詩書足以自娛。 不恨我不見古人,惟恨古人不見我。 榮枯得喪,天意安排,浮雲過太虛也;用舍行藏,吾心鎮定,砥柱在中流乎? 曹曾積石爲倉以藏書,名曹氏石倉。 丈夫須有遠圖,眼孔如輪,可怪處堂燕雀;豪傑甯無壯志,風棱似鐵,不憂當道豺狼。 *『 雲長香火,千載遍于華夷;坡老姓名,至今口於婦孺。意氣精神,不可磨滅。』 據床嗒爾,聽豪士之談鋒;把盞惺然,看酒人之醉態。 登高遠眺,吊古尋幽,廣胸中之邱壑,遊物外之文章。 雪霽清境,發於夢想。此間但有荒山大江,修竹古木。 每飲村酒後,曳杖放腳,不知遠近,亦曠然天真。 鬚眉之士,在世甯使鄉里小兒怒駡,不當使鄉里小兒見憐。 胡宗憲讀《漢書》,至終軍請纓事,乃起拍案曰:“男兒雙腳當從此處插入,其他皆狼藉耳!” 宋海翁才高嗜酒,睥睨當世。忽乘醉泛舟海上,仰天大笑,曰:“吾七尺之軀,豈世間凡士所能貯?合以大海葬之耳!”遂按波而入。 王仲祖有好形儀,每覽鏡自照,曰:“王文開那生甯馨兒?” 毛澄七歲善屬對,諸喜之者贈以金錢,歸擲之曰,“吾猶薄蘇秦鬥大,安事此鄧通靡靡!” 梁公實薦一士于李於麟,士欲以謝梁,曰:“吾有長生術,不惜爲公授。”梁曰:“吾名在天地間,只恐盛著不了,安用長生!” 吳正子窮居一室,門環流水,跨木而渡,渡畢即抽之。人問故,笑曰:“土舟淺小,恐不勝富貴人來踏耳!” 吾有目有足,山川風月,吾所能到,我便是山川風月主人。 大丈夫當雄飛,安能雌伏? 青蓮登華山落雁峰,曰:“呼吸之氣,想通帝座。恨不攜謝朓驚人之句來,搔首問青天耳!” 志欲梟逆虜,枕戈待旦,常恐祖生,先我著鞭。 旨言不顯,經濟多托之工瞽芻蕘;高蹤不落,英雄常混之漁樵耕牧。 高言成嘯虎之風,豪舉破湧山之浪。 立言者,未必即成千古之業,吾取其有千古之心;好客者,未必即盡四海之交,吾取其有四海之願。 管城子無食肉相,世人皮相何爲;孔方兄有絕交書,今日盟交安在。 襟懷貴疏朗,不宜太逞豪華;文字要雄奇,不宜故求寂寞。 懸榻待賢士,豈曰交情已乎;投轄留好賓,不過酒興而已。 才以氣雄,品由心定。 (以下略) 『酔古堂剣掃』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%94%E5%8F%A4%E5%A0%82%E5%89%A3%E6%8E%83 『酔古堂剣掃』の「第十巻 豪」 http://handsomebb.pixnet.net/blog/post/6024672-%e3%80%90%e8%bd%89%e9%8c%84%e3%80%91%e9%86%89%e5%8f%a4%e5%a0%82%e5%8a%8d%e6%8e%83%e5%8d%b7%e5%8d%81%ef%bc%8e%e9%9b%86%e8%b1%aa%ef%bc%88%e6%98%8e%ef%bc%8e%e9%99%b8%e7%b4%b9%e7%8f%a9 安岡正篤の『酔古堂剣掃』 http://www.amazon.co.jp/%E9%85%94%E5%8F%A4%E5%A0%82%E5%89%A3%E6%8E%83-%E3%81%99%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%91%E3%82%93%E3%81%99%E3%81%84-%E3%80%8C%E4%BA%BA%E9%96%93%E8%87%B3%E5%AE%9D%E3%81%AE%E7%94%9F%E3%81%8D%E6%96%B9%E3%80%8D%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%AE%B4%E8%A8%80%E9%9B%86-PHP%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%AE%89%E5%B2%A1/dp/4569664113 塚本哲三編『酔古堂剣掃・菜根譚』 http://www.rockfield.net/kanbun/congshu/yuhodo.htm 以上、参考まで。
お礼
「酔古堂剣掃」についての書誌情報を含む詳しいご回答ありがとうございます。「兆民先生」の表現とまったく同じですし、明治時代の日本ではこの書が広く読まれていたようですので、この「酔古堂剣掃」が直接の出典だと思います。 明末に作られた「酔古堂剣掃」がこれより前に書かれ、質問に挙げた「裟羅館清言」(質問文では婆羅館清言と誤記していました。失礼致しました。)を参考にした可能性はあると思いますが、ご指摘のようにこの「酔古堂剣掃」は古典の名言嘉句の抜粋を集めた書であり、「裟羅館清言」も同様の箴言集のようなものですので、どちらもオリジナルではないのでしょうね。
補足
私が幸徳秋水の「兆民先生」を初めて知ったのは、昭和50年ころにNHKのラジオ放送で朗読されていたのを聞いたときですが、その当時から「意気精神、磨滅すべからず」という名文句の由来が気になっていました。 明代後半には「酔古堂剣掃」の『雲長香火,千載遍于華夷;坡老姓名,至今口於婦孺。意氣精神,不可磨滅』や、少し字句の異なる「裟羅館清言」の文章が、一種のことわざのように、人口に膾炙していたのではないかと推測します。そうすると秋水の言う「古人」も特定の人ではなく、ご指摘のように「昔の人」の意味と考えた方が適切でしょう。この文章がいつの時代まで遡れるか、気長に調べてみたいと思います。