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蕨手刀について
東日本では蕨手刀が発見されていますが西日本には少ないのはなぜでしょうか。大和政権は九州より北上して出来たものとすれば、蕨手刀を常用した人達は大和政権以前に東日本を抑えていたと考えられます。大和政権が奈良にできる以前はその地にはだれがいたのでしょうか。 又、蕨手刀を使った時代西日本ではどのような刀を使っていたのでしょうか。蕨手刀が後で日本刀に発展したのなら、西日本での刀剣はどうなっていたのでしょうか。お教えて下さい。、
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- izuhara
- ベストアンサー率31% (97/310)
補足に書かれた質問について、蕨手刀が日本刀のルーツと言う説にのっとって回答します。 朝廷に服属した蝦夷は、戦闘に長けていると評価されたことから、その軍事力を期待されて全国に俘囚として配置されます。 国衙の軍事力の中核であった彼らの戦闘法・武装は、他の国衙の軍事力(在地武力)に影響を与えます。その中に蕨手刀も含まれており、やがて日本刀として発達していきます。 つまり、蕨手刀が俘囚とともに全国に普及することによって、それまで全国的に使用されていた直刀は廃れていったと考えられます。 もっと極端に言えば、東北出身の蕨手刀が、全国に広まり、直刀を淘汰した、ということでしょう。 とはいえ、蕨手刀→日本刀という説には批判もありますので、あくまで参考程度に。
- at9_am
- ベストアンサー率40% (1540/3760)
> 蕨手刀が日本刀の原点だ まず、これが間違い。 蕨手刀は、後に毛抜き形太刀の成立へと繋がるとしても、あんまり技術的には繋がっていません。例えば蕨手刀の最大の特徴の一つは、刃から柄まで一体で作る共柄ですが、この方式で作られた日本刀はありません。 西日本の刀は、例えば丙子椒林剣のように7世紀ころには既に刀身と柄が別の構造をしており、これは以後の日本刀では一貫しています。また鍔も、日本刀では刀身には付けませんが、少なくとも古代には蕨手刀に付けることが普通だったようです。 > 西日本の刀の原点は日本刀じゃなかったのですか むしろ、西日本の刀の原点が他の技術を取り入れながら発展して今の日本刀になった、という方が自然でしょう。 蕨手刀は、どちらかと言えば鉈の先祖と思った方が近いののではないかな?
- KappNets
- ベストアンサー率27% (1557/5688)
http://www.geocities.jp/tyuou59/atwrui2warabi.htm に議論されていますが、大和朝廷軍と10数年もの長期にわたり戦った蝦夷の首領アテルイの主要武器だったようです。形状は反りがついていて、薙ぎ払うようにして切るのに適しており、馬に乗ってこの刀を使うと威力を発揮したと考えられます。(朝廷軍の刀は直刀)当時馬も鉄もこの地方の主要産物だったようです。ただし鉄の品質は有名なたたら鉄のような優れたものではなかったようです。
補足
蕨手刀が日本刀の原点だと言うなら西日本の刀の原点は日本刀じゃなかったのですか。とお聞きしています。
- Verhalten
- ベストアンサー率17% (36/201)
質問内容が良く見えません。 えみしの蕨手刀=日本刀のルーツと言う記載も散見されますが、 残念ながら「たたら製鉄」と比較すると相当見劣りする技術であったとしか言いようがありません。 製鉄の必要が無い砂鉄から作られ、焼き入れも甘いナマクラ刀が実情であったようです。 日本の古代文化圏を 銅剣銅鉾文化圏と銅鐸文化圏、及び毛人の地と大別すると、 http://www.b-net.kcv.jp/~ryhei/1-8futatunobunka.htm 宮崎県の遺跡からは青銅器は出土しませんから、相当文化や技術が劣っていた。 が実情のようです。 大和政権は九州より北上して出来たものとすれば、蕨手刀を常用した人達は大和政権以前に東日本を抑えていたと考えられます。 もちろん、毛人は東日本を抑えていました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%A4 大和政権が奈良にできる以前はその地にはだれがいたのでしょうか。 毛人ではありません。
補足
西日本での刀の原点は何だったかとお聞きしています。 蕨手刀が日本刀に発展したなら九州から北上してきて出来た大和政権は蕨手刀を取り入れて改良したと言うことでしょうか。」
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
http://www.mokuzai-tonya.jp/05bunen/zuisou/2005/08nihontou20.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9B%E6%85%8E 古墳時代 西日本の鉄剣 http://blogs.yahoo.co.jp/bpjjy686/8028339.html ソリがあるいわゆる日本刀というのは、北方 沿海州あたりの騎馬民族が騎馬の状態で切り結ぶために発達し、北日本経由で到来した。 桓武天皇のころに、蝦夷征伐で捕虜となった蝦夷が日本全国に分散された。 それぞれの地方での反乱征伐や治安維持のために捕囚となっていた蝦夷が活用され、日本刀が全国スタンダードになった。 西日本に少ない → 騎馬前提の刀剣なので、騎馬部隊の少ない西日本には必要性が低い 大和政権以前の東日本 → まだ蕨手刀が到来するまえに大和政権が関東あたりまで進出したから 奈良時代の刀剣は、直刀 そりがありません ソリのある刀が全国に広まったのは、捕虜となった蝦夷が有能な武装集団として活用されたから
補足
北方民族がもたらした刀にはそりがあるなら、北日本で生まれた蕨手刀はそりがありましたっけ。 あなたの言ってる事は矛盾してはいませんか。 ソリのある刀を持った騎馬民族は北方でなく朝鮮半島を経由して日本に到来したはずですよ。 そりがある所謂日本刀というのは北方からは来ていません。 真直ぐな刀が騎馬民族のものでないなら直刀をもたらしたのはどこの民族でしょうか。
お礼
なる程、そうでしたか。よくわかりました。有難う御座いました。