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心の落ち着かせ方、切り替え方
- 心を落ち着かせ、気持ちを切り替える方法についてご紹介します。
- メンタル面が弱い方におすすめの心の落ち着かせ方を解説します。
- ストレスや過剰反応に対して効果的な心の切り替え方をお伝えします。
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質問者が選んだベストアンサー
自分の感情に入り込み過ぎないことです。 その感情に浸りきっているときは、その事しか考えられなくなります。 まず、自分の心を、自分自身でなく、「ここにある心」として考えます。 そして、「ここにある心」が今感じている感情を、言葉で表現してみます。 口に出さず、心の中で言うだけで結構です。 仕事で失敗したことで、自分は「落ち込んで」いるな。 →ここに「落ち込んでいる心」があるな。 上司が私のこと怒ってるのかなと、自分は「心配して」いるな。 →ここに「心配している心」があるな。 友人に言われたキツイ一言で、自分は「へこんで」いるな。 →ここに「へこんでいる心」があるな。 そうするだけで、その元の気持ちが減ります。 その気持ちに浸りきっているときは、自分自身でその気持ちを無意識的に増幅しているのです。 そこから少し離れることで、少なくとも、増幅が停止します。 無理にその気持ちを、無くそうとする必要はありません。 完全に無くそうとしても、それは無理な相談です。 ただ、「そう感じている心が、ここにあるな」と言うことに気付くだけでいいのです。 その習慣を続けるうちに、最初から極端な感情の変化を抑えられるようになります。 これは、タイの仏教の教えです。 仏教は、そもそも、自分が悟りを開くための方法論を述べた物です。 そして、上に述べた方法は、心を常に中庸に保つための修行方法の一つです。 これは、タイ人の妻に教えてもらいました。 私にはまだまだ、それが十分にできません。 怒りに我を忘れることが、まだありますが、それにしても以前より怒らなくなりました。 こうしたことを、もっと時間をかけて徹底的にやるのが、瞑想です。 瞑想は、一時的にでも、自分の思考そのものを停止することが目的です。 何も考えない状態になれば、心配も、怒りも、悲しみも、喜びさえもが無くなり、深い落ち着きに包まれます。 私自身は、そんな静寂を経験したことは、まだありませんが、瞑想をした後は、不安が和らいで、いい気持ちになれます。 瞑想そのものは、変な宗教とは全く無関係ですので、ご心配なく。 瞑想を試されるなら、下記の本がお奨めです。 始めよう。瞑想―15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫) [文庫] 宝彩 有菜 (著)
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- poooooo123
- ベストアンサー率32% (13/40)
これはお気持ちわかりますよ。 粘着質とでもいうか、どうしてもクヨクヨしてしまう自分が苦しいんですよね。 頭ではわかっていても、いきなりさっぱりあっけらかんとした性格になるなんて出来ませんよね。 それでもなんとか自分を変えたいという気持ちはとても素晴らしいですし 日々の実践・訓練で少しずつ直していこうという方向性も間違っていないと思いますので 七転び八起きの精神で頑張ってほしいです。 一つには、「これは悩んでどうにかなる問題か」という視点で物事を切り分けることですね。 「これは、一生懸命悩めば、自分の性格や状況が改善できる。悩む甲斐がある」 ということと、 「これは、これ以上悩んでも取り越し苦労や恐怖心が募るばかりで、心身の消耗しかしない。 悩む前と悩んだ後で、状況が何も変わらない」 ということを頭の中で整理するのです。 そして、後者と判定したものは、腹を据えて覚悟を決めることです。最悪ここまでだ、ということを受け入れるのです。 これでかなり時間とエネルギーの節約になります。 また、かなりの割合で、想定した最悪にはならないことにそのうち気付かれると思います。 さて、違っていたら笑って流していただきたいのですが、根本的には、あなたの中の完璧主義からくる劣等感の問題なのではないかと思います。 あなたが「自分はこうありたい」という理想像と比べて、今それができないでいる自分が許せず、そこから沸いてくる性急な劣等感を通して周囲を見るので、あなたが成長するまでの時間的猶予や人間関係上の容認を与えてくれていることが、素直に信じられないのではないかと推測します。 もしそうだとすると目指す方向は、今は不器用な生き方しかできない自分を許してあげることです。 神様ではない人間なので、実はみんな不器用なのをなんとか隠して生きているのですから、他人に迷惑をかけてしまうことも含めて許して、自分に時間を与えてあげることだと思います。 そしてその間に、スキルなり専門知識なり、自信を持つことのできる何かを一つ築いて、揺れない自己を確立されるとよいと思います。 何かしら参考になれば幸いです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 気持ちを理解して頂き、ありがとうございます。 なるほど、悩んで解決する事と、悩んでも事態が 変わらない事に分けて、考えるかどうかを 決めれば良いのですね。 分析をありがとうございます。 完璧主義からくる劣等感の問題には驚きました。 もしかしたらそうかもしれないですね、言われるまで 気づきませんでしたが、完璧主義な所は あるかもしれません。 参考にいたします。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20256/40157)
それは無理な話。 自分じゃない自分になるには?という考えと同じ。 無理な事を「出来る」と思ってしまう時に。 それが出来ない現実が余計な「ダメージ」を創るんだよ? 貴方はメンタル的にやや脆い。 それはこれからも変わらない事。 別にそれでも良いんだよ。 今までもそういう自分として生きてきている。 これからも貴方「なり」に自分自身と付き合っていけば良い、という事。 それもスムーズな解決とか、 嘘みたいにスッキリする自分を急がない。 そんな魔法は無い。貴方は貴方だから。 ただ、 貴方個人の脆さが起因している個性ある落ち込み状態と。 貴方じゃ無くても、 貴方の立場に置かれたら誰でも多かれ少なかれ引きずったり、 直ぐには浮上できない状態ってあるんだと思う。 それこそ想定外のトラブルとかね、 それって誰しもが不安定になるんだよ。 貴方だけじゃない。 その不安定こそ「自然」なんだよ。引きずっても問題無い。 ただね、 貴方の場合はマイナスの状態が起こった「後」の残照が長いんだよね? アップダウンが大きい。 一旦ダウン状態のくぼみにハマってしまうと、 そこから自分を整えて浮上するのに時間が掛かる。 当然浮上する「まで」の時間はマイナスモードじゃない? 心が閉じている状態。 閉じているが故に、 今の、目の前の現実に丁寧に向き合っていれば出来る事も。 今の、目の前の相手を丁寧に感じていけば分かる事も。 自ら閉じた状態で遠ざけてしまっている事もあるんだと思う。 一つの失敗や一つのマイナスを整理し切れないうちは、 他の要素、他の作業にバランス良く向き合っていくのが難しい貴方。 自ら不安要素を増やしてしまっている部分もある。 それは貴方の一つの「個性」なんじゃない? そして、 そういう自分を経験しているからこそ。 貴方は言葉にして自分の姿を冷静に描写出来るんだよね? その今までの経験値こそ財産なんじゃない? 自分の陥りやすい「傾向」があるなら、 その傾向に対して「対策」を取っていく。 完璧に出来なくてもいい。 でも、 自分を分かって自分に向き合えている状態って。 既に「~過ぎ」という極端な状態からは離脱出来ている。 何でもそうだけど、 極端になってしまうと整えるのに時間が掛かるから。 例えば、上司に叱られたとする。 貴方はショックを受けて、いつまでも上司の目線が気になる。 まだ怒っているのかな?どうなのかな? でも、 それって上司にしか分からない事。 そして、 仮に上司が怒っていたとしても。 それもまた上司の「自由」なんだよね? 貴方が怒られた後の上司の顔色を気にするのが貴方の自由なら、 怒った後の貴方をどのように見つめていくのかも上司の自由なんだよ。 相手の自由まで気にしても何も出ない、という事。 貴方は神様じゃないから。 怒っていようがいまいが、 貴方は貴方なりに「今」に対して丁寧に向き合っていく事。 その作業に変わりは無いんだよ。 そして、 トラブルや失敗をしてしまった後で。 強く強く自分を責め続けるのも貴方の「傾向」でしょ? じゃあ今までの貴方の経験値で、 そうやって責め続けて何か良い事あった? 責めて責めて責め抜いて、 自分を崖っぷちにまで追い込んだら急にタフになった? 丁寧に戒める部分は大事だよ。 ミスを単なるダメージで終わらせてしまうと、 また同じような事を繰り返してしまう可能性も「残して」しまうから。 ミスはミスで丁寧に検証する。 そして、 自分なりに次は同じような事を起こさないように。 自らをしんどくさせないように。 貴方なりの経験値として丁寧に腑に落としていく。 自分に丁寧に声掛けする作業は大事。 もし防げたミスなのに何となく~の自分で犯してしまったなら。 そういう自分に対して気をつけていこうぜ、という叱咤も大事。 ただ、 「責める」という作業ってどこに行き付かないんだよ。 自分を責めて責めて、自分を小さく小さくして。 心まで小さくなって、 その心の小さく狭くなった貴方が「また」同じようなミスをしてしまったら。 むしろ「責めた」事がミスの原因になってしまうでしょ? 責めるという作業にポジティブな側面を感じているなら構わない。 貴方自身、少しだらしが無い自覚があって、 私のようなタイプはしっかり自分をキツく束ねる必要があるんだ、と。 そういう意識の上で責めるスタンスなのと、 ただ自分のミスを抱えるように、 自分に背負わせるように責めるって全然違うでしょ? 貴方は自分歴何年? 自分を知っていく事も大事。 貴方の「責める」作業って、 自分の心のざわめきを「続ける」作業になっている、という事。 自分で自分を不安定にし「続ける」為にしている作業。 それが「責める」、なんだよね? じゃあ自分を責める作業より大事な事は無いのか? ある筈でしょ? 貴方だって心地良く目の前の日々を過ごしていきたい筈。 その目線を大事にしていくなら、 責める作業って自分の「為」? やってしまった、起こってしまった事に目を向け過ぎる事で。 これから出来る、 これから起こせる事に対して「半身」になってしまったら。 自らこの先の自分に対して、 不安定要素を散りばめていくようなものなんだよね? 悩んでも良いよ。凹んでも良いよ。 でも、 貴方はその作業をするにあたり「今」に対して目を切ってしまう。 だから「切り替え」という大袈裟な作業が必要になってしまう。 大切なのは「今」の貴方でしょ? 今の貴方を心地良くさせない過去があるなら、 それに対しても丁寧に目を向ける。 でも、その作業だけで終わりにしない。 貴方の「今」が大事。 今の私として心地良く前の前の日々に向き合っていく為に。 その作業の一つとして「悩み」を捉えていかないと。 丁寧に廻していかないと。 貴方の為に活かされていかないんだよね? ただダメージ感、負債感だけが蓄積されてしまうから。 改めて自分自身と丁寧に向き合ってみたら? これからも貴方は貴方なんだからね☆
お礼
ご回答ありがとうございます。 私の目線で、丁寧にひとつひとつ、 アドバイス下さり、ありがとうございます。 そうですね、大事なのは「今」ですね。 いつも過ぎてしまった出来事にとらわれる癖が あるので、今を生きていないと思いました。 ご指摘をありがとうございます。 参考にいたします。
- aaaaaaa777
- ベストアンサー率41% (65/156)
切り替えることはなかなか難しいとは思いますが、私の場合は 十二指腸潰瘍という病気にかかり、考え方を変えました。 考えない。気にしない。そう心の中で思うのです。 考えすぎているから、病むんだと自覚しました。 考えないと言い聞かせるくらいがちょうどいいと思いました。 自分が痛い目にあったので、考え方を変えるようになったわけで、 大きなことが起きないと自分自身を変えることは難しいのかなとも 思います。 悩みすぎても、自分自身を傷つけているに過ぎないのです。 自傷行為と同じですね。 なるようにしかなりません。そして、人生は1回きり、やり直しは きかない。そう思うと、今できることを精一杯やれば、もう十分で す。誰もがオリンピック選手になれるわけでもないし、総理大臣 になれるわけではないのです。 選ばれた人が長生きをしているに過ぎないというふうに考えると 気が楽になります。すべてを受け入れて、自分が傷つかないよう に生きる。そうすれば少しでも自分が損しないと思いませんか? という回答ですが、いかがでしょう?
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、自分が考えすぎているから病むのですね。 悩みすぎても、自分を傷つけているだけということなのですね。 そうですね、解決せずにただ、今の状態を長引かせているだけ でした。 貴重な経験談もありがとうございます。 参考にします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 自分の感情に入り込みすぎないこと、ですか。 なるほど、と納得いたしました。 具体的で役立つアドバイスを本当にありがとうございます。 そうですね、気持ちに浸りきっていると、 自分から、もっとその感情を増幅させていますね。 自分からどんどん、嫌な気持ちの方へ進んでいると 気づかされました。ご指摘をありがとうございます。 タイの仏教の教えと、瞑想の本のご紹介をありがとうございます。 参考にいたします。