- ベストアンサー
江戸時代の動物性蛋白質の摂取
江戸時代(要は昔の人ですが)の人、主に農民ですが、 動物性蛋白質ってどうやって摂取していたんでしょう。 前に栄養関係の本を見た時動物性蛋白の不足は・・・とあり (・・・の部分はよく覚えていません) これが寿命の短い一因かなと思ったからです。 なお、寿命が延びたのは医学の進歩のおかげというのは 前に聞いて知っています。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
意外かもしれませんが、日本人は江戸時代以前から魚のほかにも肉食を結構しています。 すき焼きなどはその原型が戦国時代にはすでにあったと言われています。 主に鳥類ですが、それ以外にもイノシシ、熊、鹿、ウサギ、鯨など。 鯨は魚の扱いでしたし、沿岸漁業で獲る小形鯨類でも一頭当たり牛数頭分の肉が確保できるため、豊富に流通していたと言われます。 ウサギは鶏肉に似ていることから鳥類の扱いでした。 今でもウサギの数え方が一頭二頭ではなく、一羽二羽なのはこの名残です。 仏教で禁忌とされていたのは主に牛馬で、伝来する途中でヒンズーなど他の宗教の戒律と混ざってしまったのと牛馬は農耕、運送に使え、財産的価値が高かったために食用に供されなかったということが考えられます。 ちなみに牛乳は江戸時代広く飲まれていたようで、これを勧めたのが水戸光圀だったと言う記録が近年発見されました。 また、牛乳から作るチーズやバターは平安時代にはすでにあったらしく、こちらは貴族の高級嗜好品や薬として使われていたようです。 江戸期以前の農村は貧しく、農民は植物しか摂っていなかったかのような印象がありますが、むしろ、農村のほうが江戸や大坂のような都会在住者より積極的に肉食をしていたのではないかと私は思います。 地方農村には熊や鹿などの害獣駆除を目的とした弓猟師、鉄砲猟師がいましたし、農閑期の生業として組織的な狩猟をする集団もありました。 彼らの収穫物のうち、大型動物の毛皮や薬として高額取引をされていた「熊の胆」、一般的に食べられていた鳥やウサギなどは都市部に出荷し、残った肉は村人が分配して食べていた、と考えるほうが自然であると思います。 昔の平均寿命が短かったのは動物性蛋白の欠乏より、戦乱での若年者の減少による出生率の低下と、10歳未満の幼児、新生児の死亡率が桁外れに大きかったのが原因であると思います。
その他の回答 (2)
- e_16
- ベストアンサー率19% (847/4388)
取ってなかった。
- papabeatles
- ベストアンサー率15% (316/2083)
不思議ですね。魚を食べるのはとっても珍しいことでしょうね。 大豆などの植物性タンパク質で十分に生きていけるのではないでしょうか。
お礼
ご回答有り難うございます。 植物性蛋白質だけで生きていけるのかなと思ったのです。
お礼
詳細に有り難うございます。 猪、鹿、熊、ウサギ・・・なるほど。 意外と豊富だったというのは気付きませんでした。 豊富だったとのことは目から鱗でした。