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プライベートという「聖域」
http://qanda.rakuten.ne.jp/qa7458032.html 以前こういう相談をさせていただいた者です。 最近はサークル活動を引退し、就職活動に専念しています。 その中で考えが変わった部分も変わらない部分もありますので、改めて投稿させていただきます。 ・プライベートでは誰ともつきあわない点については今も変わっていません。 先日サークルを引退したのですが、おかげでサークル仲間とは没交渉状態です。 別に縁を切ったわけではありませんが、サークル仲間とはサークル以外では会いませんし、会いたいとも思わないので、疎遠になるのも仕方がないのでしょう。 ・就活の過程で友人が何人かできましたが、この友人関係はなかなかよいと思いました。 基本的には就活の情報交換をするだけで、直接会ったり遊びに行ったりは全くしない「浅い人間関係」なのですが、私にとってはこれくらいが居心地がよいです。 プライベートでは誰ともつきあわない主義でしたが、メールで情報交換する分には構わないかなと思い始めました(かといって、頻繁に連絡してくれとか会ってくれとかいわれると煩わしいですが)。 以上を踏まえた上で質問です。 (1)世の中には「深い人間関係」を求める人が多いように思います。 私の例でいえば、「メールで情報交換」するだけでなく、遊びに行ったり人生相談したりと、全人的なつきあいを求める人が多いように思われます。 私は「就活の情報交換をする関係」とか「サークルで会う関係」とかの機能的な人間関係のほうが居心地がよいのですが、世の中の人はこういうつきあいをあまり望まないようですね。 世の中の人はなぜ全人的なつきあいを望むのでしょうか? (2)結婚・家庭のことを少し考えていますが、私のような人間には家庭生活は向いていないでしょうか? 結婚すれば妻子と毎日顔をあわせることになりますから、当然「プライベートでは誰ともつきあわない」ことなど実現できませんよね。 そう考えると、私は自分が家庭生活に絶望的に向いていないと思うのですが、やはりそうでしょうか。 こういう質問をするのは、サリンジャーなど、世の中にいる隠遁者は結婚している人が多いからです(孤独主義者を自認する中島義道でさえ結婚していますね。私の尊敬するグレン・グールドは独身でしたが)。 私は彼らを尊敬していますが、彼らでさえ結婚している事実を鑑みると、孤独主義者であっても結婚はしたほうがよいのだろうか? 孤独主義者でさえも認める「よさ」が結婚にはあるのだろうか? と思っています。 ※ちなみに、私個人の考えを述べると、現段階では結婚することは全く考えていません。 現在恋人はいませんし、恋人を作るための努力も一切していないので、この状態がずっと続くようなら、生涯独身のままでしょう。 結婚願望がないのでこのままでもよいかとも思いますが、「将来結婚したくなるかもしれない」ということで、一応結婚という選択肢は考えてはいます。
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- E-1077
- ベストアンサー率25% (3258/12620)
#1です。回答の中に補足を要求されていますので再回答します。 一応ピアニストの端くれですからグールドの偏屈さやバッハの新しい解釈にはとても魅力を感じます。 さて、親への避難と自己否定なんですが、 親の言うとおりにピアニストになった。けれど私はピアノは嫌い。 でも弾くのが自分だとすれば、弾いてなければ自分じゃない。 親が死んで親の仕事を引き継いで会計士を目指すことになった。 では。。。今までのピアノに関する努力はどこに行ったんだろう?それを我慢していた自分は? ということで、親を否定すると自分が居なくなってしまった。 親は片親で、当時は片親だというだけでいじめられたし、水商売だったのでそれだけで不良と呼ばれた。 でも親のことでいじめられているとは親には言えない。私だって悲しませたくはないですからね。 自分が我慢すれば・・・と思ったわけです。 ですから、幸せな幼少時代だったわけでもなく、ピアノさえ弾いていれば安泰だったわけです。 で、親元から離れるためには関東圏の大学に行く必要があり、頑張らなければいけなかった。 頑張れたから講師にもなれたのに、あっさり私を残してしかも転職させてあっさり親は死んじゃいました。 残された自分としては「はい?」って感じ。これからどうすりゃいいの?自分てなんなの? で。。。。。存在意義は「家族」ではありません。 「自由」でした。自分で考え自分で動く。それだけでいいんだと。そうしてもいいんだと。 だから、プライベートに家族を入れなくても大丈夫だということです。 いや、入れても両立できると。 部屋に入ったら追いかけないでというのは、犬猫のテリトリーと一緒かな。 家族を家族と思わずにいるので(個人の集団)付かず離れずいい距離だと思ってます。 それについて家族は知らないだろうけど。 でも、トラブルもない。 もともといろんな理由で「孤独」なのです。難聴者で周囲の音は聞こえないし(ピアノが弾けるのは伝達難聴だから) 鬱だから引きこもりだし、一人っ子だから姉妹喧嘩とか、親が親族の中で末っ子なのでもう親族もいないし。 だから「寂しい」ってことがわからない。 暇はわりとわかるけど。 人って環境で変わりますよ。 息子が居ますけど、学校帰りにショップから「ねえ、ダージリンとアールグレイどっちがいい?」とか電話してきてくれる。かわいいと思う。「ついでにクロデットクリームもよろしく」と返事する。きっとショップでは有名なお兄ちゃんだろう。 まあ、ご自身でも言っている通りに、いろいろ考えが変わったりしますから。 ただし、今回の震災にあって思ったのは どんなことでも根底に「愛」や「絆」がないと無理だってこと。 地域のコミュニティーを大切にって言われても、嫌いな人も存在していたのは事実。今更仲良くしてねって幼稚園じゃあるまいし。 独身でいると自分も思ってた(笑 でも、結婚もいいもんだなとは思う。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
どーもどーも。以前も回答しましたかね。 結婚についていえば、こっちから妥協しないと無理だと思いますわよ。昔はね、アメリカでも日本でも結婚しなきゃ男も女も生きていけなかったのです。コンビニもなかったわけだし、男は女に身の回りの世話をしてもらわないと生きていけませんでした。一方、女性も昔は社会的立場が弱かったので、男に特に経済面で頼らないと生きていけないというのがありました。 だけど今、男も女も「相手に世話にならないと生きていけない」という世の中ではなくなりました。質問者さんだって毎日ごはんは研いで炊かなきゃいけなくて、食事もスーパーで食材を買ってきて毎日料理をしないといけない、なんてなったらこの際ちょいと妥協しても結婚しようかなと思うでしょ? それに女性にしたって「結婚したい」とは思っても「誰でもいい」というわけでもないのですから、わざわざ自分のことを大切にしてくれない男と結婚する理由はないわけです。 あと、グールド先生にしてもサリンジャー先生にしても、彼らはとてつもない才能を持った芸術家だったから変わり者でも偏屈でも世間は相手してくれたけどさ、サラリーマンは偏屈じゃあ通用しないぜ。サラリーマンというのは社会全体と関わることで成り立つ商売ですから、孤立主義でやっていきたいなら、漆職人とか、そういう職人の世界にでもない限りいつか行き詰まります。ああいう生き方は芸術家限定です。 中島先生のことはあまりよく知らないけど、ご本人は学者さんと呼ばれるのがお嫌いらしいですが、もし学者をさせてもらえなけりゃどうやってメシを食っていくつもりだったんでしょうな。哲学でメシが食えるかよ。「半隠遁」と書いて「ニート」と読んでもいいんだぜ。しかもご本人の孤立主義は自らそれを選んでるというより、今風の言い方をするとコミュ障で世間に溶け込めなかったから結果としてああなっちゃったって感じです。 質問者さんはまだ若いから気づかないだろうけど、いつか「ああいう生き方はとてつもない才能を持った天才だから許されるけど、彼らほど才能がない人間には許されない生き方だ」ということを知る日がきます。なぜなら、世の中には才能がなく、かといって世間に自分を合わせられないがゆえに「単なるダメ人間」となってしまった人がうんざりするほどいるからです。パチンコ屋とか、競馬場とかにはそういうおじさんとかがいっぱいいるよ。 いつか壁に当たったときに私の言葉を思い出してくれれば幸いです。
- BC81
- ベストアンサー率25% (687/2673)
悩んでいるところ申し訳ないですが、何となくニヤニヤしてしまう質問ですね。若いっていいなあ。 別に変わらなくてもいいと思いますよ。大抵の人は変わりますが、そのままで人生を全うする人もいますから。 ただそれなら、常に自分の価値を高め続けることです。損得での付き合いは、こちらに利用価値が無くなると消滅しますから。 それと常に強くあること。若いうちは平気でも、年取ってからの孤独はひどく辛いですから。はっきり言って、こんなところで相談しているようじゃ駄目ですね(笑) サリンジャーや中島義道の結婚生活についても検索してみるといいでしょうね。結婚するだけなら意外と誰でも出来ます。「もてない男」の著者だって、二度も結婚してますよ! ゲゲゲの女房のような「出来た嫁」に巡り会わないと、俺様な人はなかなか幸せになれません。でも昭和の昔と違って、それは本当に難しいことです。
お礼
回答ありがとうございます。 > 損得での付き合いは、こちらに利用価値が無くなると消滅します おっしゃる通りです。 私自身そういうつきあい方をしていますから、他人からそうされても仕方がないでしょうね。 > 年取ってからの孤独 BC81さんは実際に年老いてからの孤独を経験したことがおありなのでしょうか。 また、若い頃の孤独と老人の孤独は何が違うとお考えですか? > 結婚するだけなら意外と誰でも出来ます しかし、それって結婚する意味はあるのでしょうか。 > サリンジャーや中島義道の結婚生活 サリンジャーは割とまともな家庭生活を送っていたと思いますが、中島の結婚生活はほぼ破綻していますよね。 『ひとを嫌うということ』で読みましたが、確か妻子とほぼ絶縁状態で、別居中なんですよね? 上でも書きましたが、中島の場合、本当にただ「結婚するだけ」という感じで、いまいち結婚して幸せそうに見えないんですよね。 > 「もてない男」の著者 小谷野敦のことですね。 彼の一連の恋愛本(『もてない男』とか『帰ってきたもてない男』とか)は読んだことがあります。 ただ、彼の場合は「孤独が好きだから結婚しない」というより、 「結婚したいがもてないので結婚できない」 「もてない男は恋愛なんか夢見ないで見合い結婚しなさい」 という論旨であった気がします。 あと余談ですが、彼は『もてない男』出版後に一度結婚して、離婚した後に『帰ってきたもてない男』を出版したと記憶していますが、その後また結婚したのでしょうか? > ゲゲゲの女房 というのをよく知らないので調べたのですが、「文句もいわず献身的に夫に尽くす妻」という感じでしょうか。 > 俺様な人はなかなか幸せになれません 「俺様な人」はそもそも結婚しないのではなかろうか? と思ったのですが、そうでもないのでしょうか。
- E-1077
- ベストアンサー率25% (3258/12620)
グールドは好きですよ。夜中に聞くのは怖いけど。 で、プライベートに含まれるカテゴリーの中には「肉親」も排除されると? それだと、自己否定にもつながりませんか?私はそれで鬱になりましたが。 親を批難すると自分も否定しなくてはならず、存在意義を見つけるためには何をするのがいいのかわからなくなった時期がありました。 しかし・・・・・・ 両立するのは可能ですよ。ある程度の時間は必要ですが。 私は女ですから子供を産み育てるということをしなくてはならない状況でしたが、プライベートがないと感じたことはありません。というのもナニーを雇っていたからです。 ある程度子供が大きくなれば個室に入りますから、食事や遊び以外は引きこもることも可能です。 私の部屋は天の岩戸とか大奥とか呼ばれています。家族それぞれに一部屋ずつあります。 PCとTVも一台ずつ所有。メールや電話で召集をかけたりします。 孤独が好き。 つまりはナチュラルディスタンスですよね。 お互いの許容範囲内で生活する。 結婚生活は私でプライベートになり 社会生活が公になりますね。 そこで妻も子も否定して「プライベート」を確保するために・・・と考えるとこれはちょっと違うなと思います。 結婚生活は修行でも苦行でもありませんでした。 また、自己否定もしなくて良いと分かりました。 今は夕食後、ある程度の家事をすませて(もちろん家族全員一人きりになっても生きていけるくらいに教え込んである)リビングに誰かが残っていても「じゃ・・・」と自室に引き上げることは可能です。 子供も自立心旺盛ですが、家族がバラバラというわけではありません。家族麻雀もしますし、家族でボウリングにも行きます。全員マイボウラーです。 付かず離れず。つまり、公的な場での質問者さんが望むある程度の距離が保てている状況だと思います。 結論:可能です。 絶望的にならないでもいいと思いますよ。 私の現在が出来ているので、出来ないことはないと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 E-1077さんもグールドがお好きでしょうか。 私は彼の演奏も好きですが、何よりも彼の生き方に魅かれますね。 > で、プライベートに含まれるカテゴリーの中には「肉親」も排除されると? はい。私にとっての「プライベート」というのは「肉親」「家族」も排除された空間ですね。 > それだと、自己否定にもつながりませんか?私はそれで鬱になりましたが。 > 親を批難すると自分も否定しなくてはならず、存在意義を見つけるためには何をするのがいいのかわからなくなった時期がありました。 このへんが私には理解できないので、詳しい説明をしていただけるとありがたいです(なぜ自己否定に繋がるのかということ)。 想像するに 1. 両親は自分を生んでくれた存在(自分という存在の発生要因) 2. 両親を否定することは自分という存在の発生を否定することになる 3. 両親の否定は自己否定になる という推論でしょうか。 この推論が正しいとして、私見を述べると、私は両親を「排除」はしても「否定」しているわけではないので、自己否定には繋がらないというのが私見です。 確かに私を生み育ててくれた両親には感謝はしますが、その両親であっても私の「聖域」に立ち入るのは勘弁願いたいです。 ただ、あくまで「聖域」にさえ入ってきてくれなければ結構で、私の知らないところで幸せに暮らしてくれればそれで構わないと思います。 あと、 > 存在意義を見つけるためには何をするのがいいのかわからなくなった時期がありました 現在は「存在意義」は見つけることができたのでしょうか。 E-1077さんにとっての「存在意義」とは「家族」なのでしょうか。 > 結婚生活は私でプライベートになり > 社会生活が公になりますね。 たぶん、ここがE-1077さんと私の認識の違いなのでしょう。 生活を「一人の時間」「家族との時間」「社会との時間」と三つに区分すると、E-1077さんは「一人の時間」「家族との時間」をプライベートで括っていらっしゃるようです。 「一人の時間」がE-1077さんのいう「天の岩戸」「大奥」で、「家族との時間」が「食事」「遊び」でしょう。 私の場合、プライベートが「一人の時間」のみで、「家族との時間」はプライベートから排除されています。 > 家族麻雀もしますし、家族でボウリングにも行きます。 私の家庭ではこういうことは全くないですね(私の家庭嫌いや、家庭の仲があまりよくないこともあるでしょうが)。
お礼
回答ありがとうございます。 以前はなかなか興味深い回答をいただきました。 > 毎日ごはんは研いで炊かなきゃいけなくて、食事もスーパーで食材を買ってきて毎日料理をしないといけない、なんてなったらこの際ちょいと妥協しても結婚しようかなと思うでしょ? 私は自分で家事はできますし、自分のためならそれぐらいはしますよ。 むしろ、家事がめんどうで結婚しようという人間のほうが信じられないですね。 家事がめんどうなら家政婦でも雇ったほうがよいのではないですか? > 孤立主義 これについては私の説明がまずかったかもしれません。 私は「自分の時間」に誰も入ってこなければよいだけで、「社会全体と関わる」ことを拒否するつもりはありません。 サラリーマンとして働くことにはむしろ意欲的ですよ(この点は中島先生と異なるかもしれません。中島先生は「働く」ことさえも嫌悪されているようですから)。 ただ、 > ああいう生き方は芸術家限定です おっしゃる通りで、こうした生き方は「芸術家」的性質の強い仕事でなくては難しかろうとは思います。 > 半隠遁 確かに中島先生の「半隠遁」は中途半端というか、「ずるい」なあと私も思います(本人もそれを自覚していらっしゃるようですが)。 > 世の中には才能がなく、かといって世間に自分を合わせられないがゆえに「単なるダメ人間」となってしまった人がうんざりするほどいる そういう「ダメ人間」も悪くないと私は思うのですが、どうでしょうか(進んで「ダメ人間」になろうとは思いませんが……)。 確か中島先生も、「ダメ」でもいいから、両親にいくら反対されてもいいから自分のしたいことをしろ、ということをおっしゃっていた気がします。 私もそう思います。 お礼を書いていて気づきましたが、グールド・サリンジャーでは「孤独」の性質が違うのですね。 グールドの場合、結婚していませんから「家族との時間」はないわけですが、自分の演奏を発表し続けているので「社会との時間」は持ち続けています。 サリンジャーの場合、「家族との時間」はありましたが、晩年は全く作品を発表しなかったので、「社会との時間」を持たなかったわけです。 私が理想とする生き方はグールドのほうですから、サリンジャーを例に出すのはまずかったかなと思いました。