• 締切済み

オリンピックで国威発揚は、もう古い!?

日本のような世界的メジャーな国は別にオリンピックで国威発揚をする必要などありませんから、選手強化費などに多額の費用を使う必要などもありませんが、マイナーな国にとっては、四年に一度、自分達を世界にアピールする事が出来る唯一の機会ですので、金メダル目指してはりきってしまいます。 そんな中、大国でありながらオリンピックで金メダルを獲得するのに国力を注いできたのが中国です。 それがです、今回の中国のオリンピック選手の中から『金メダルに拘る事に意味などない』などと発言する選手達が登場するようになり、イギリスメディアも『中国、金メダルコンプレックスを克服!!』という内容の報道をしました。 中国が金メダルコンプレックスを克服できたのは、北京オリンピックの成功と中国が名実ともに大国の仲間入りをしたからだと思います。 現在、『金、金、金、何がなんでも金メダル!!』という国は、途上国やダサい国、田舎者の国だけになってしまいました。 今後、オリンピックが国威発揚の場や政治イベントではなくなり、純粋にスポーツの祭典、アスリートの表現の場になった時、オリンピックはどのように変わっていくのでしょうか? 事情通のみなさん、スポーツ音痴な私にご教示ください。

みんなの回答

  • siege7898
  • ベストアンサー率21% (191/888)
回答No.11

>今後、オリンピックが国威発揚の場や政治イベントではなくなり、純粋にスポーツの祭典、アスリートの表現の場になった時、オリンピックはどのように変わっていくのでしょうか? 「国家的に」ではなく「個人的に」金を目指すようになるのではないでしょうかね。基本「競技」ですので、やはり選手としては競って勝ちたいという思いが自然ではないかなと思います。 または、「参加することに意義がある」などとも言われている通り、参加すること自体を目指すというのもアリだろうなと私は思いますよ。 いずれにせよ、参加したならば全力で競技をすれば、メダルの色には関係なく見ている人にそれなりの感動は与えられると思います。

Guan-Yu
質問者

お礼

私も回答者さんと同じで、選手個人としてオリンピックに挑むようになると思います。 国の役目としては、"金は出すけど口は出さない"で十分です。 他の回答者さんのお礼にも書いたのですが、昔、日本がまだ、オリンピックを国威発揚の場としていた時、東京オリンピックで銅メダルを獲得した円谷幸吉さんは、オリンピック後、『幸吉は、疲れきってしまって、もう走れません。』という遺書を残して自殺してしまいました。まだ、27歳の若さでした。 その当時の日本人選手は円谷さんだけでなく、みんなが激しいプレッシャーを受け、悲壮感を漂わせていました。 現在の日本人アスリートは本当に幸せだと思います。 中国選手も昔の日本人選手と同じで、激しいプレッシャーの中で競技に挑んでいるのではないのでしょうか? そのような中で、中国人選手の中から、金メダルには拘らないと考える選手が出てきた事は非常に喜ばしい事だと思います。 あくまでも、金メダルは結果です。 ありがとうございました。

noname#159292
noname#159292
回答No.10

A No7.でんね。あんたバッカじゃなかろうか。 自分の意見に同調を求めて反論が出ればダサイとか、途上国のやつ、とか。 議論するならOKWaveでなく、他のサイトでやりなはれ。(笑い)

Guan-Yu
質問者

お礼

チンカス野郎が出しゃばってんじゃねぇ!! 金メダルの前にテメエのタマ金の事、心配してろ!!(笑)バカ。

Guan-Yu
質問者

補足

事情通のみなさんって書いてるだろうが、 字が読めるようになって回答してこい。(笑)

noname#159292
noname#159292
回答No.9

A No,7ですが。生まれも育ちも世田谷のれっきとした日本人ですが、それがそうしたの。♪♪♪ あんたこそ在日じゃないの。♪♪♪ もっとマスメディアをよく見て質問したほうが良いんじゃありませんかね。(笑い)

Guan-Yu
質問者

お礼

日本人アスリートは、途上国のような国威発揚の為の道具じゃねぇ!! バカ。(笑)

Guan-Yu
質問者

補足

やっぱダサい国のヤツか?(笑)

  • btys1944
  • ベストアンサー率34% (19/55)
回答No.8

アスリートが日々努力し、自分の能力の限界に挑戦している姿はなんのためでしょう。 自己の記録を更新し、少しでも向上していくための努力です。 その目安や努力結果が記録であり、成果となって表彰の対象となるのです。 単なる健康オタクと違って、先進国や後進国に限らず、どの国のアスリートたちも自己の更新、ライバルの記録を目標に励んでいる訳で、メダルはその象徴です。 確かに貧しい国では、メダル獲得が貧乏から抜け出せる唯一の方法なので死にもの狂いの努力をしていますが、スポーツは単にそんな貧富の差だけで推し量る側面だけではありません。 富んだ国のアスリートが、一人で20以上の金メダルを獲得し、未だに挑戦している姿をみても分かるでしょう。 感動を与えてくれる彼らのためにも、この形態は変わっては欲しくありませんね。 国旗掲揚に関しても、年代の相違があるからかも知れませんが、国旗や国歌は国のシンボルです。 日教組や一部の若者は「君が代」の内容を問題視していますが、天皇は国家の象徴と認識するなら、あの内容は十分に民主的であります。 日本人である以上、国に誇りをもっていれば自ずと国旗掲揚・国家敬唱には疑問などはさみません。 おごそかで優雅だと思いませんか? 山田耕作がドイツ留学当時、恩田区教授たちが世界の国歌について品定めした際にも、第一位に選ばれたのがこの我が国国家だったのですよ。 オリンピックは世界の祭典です。 そこには当然各国の国旗が掲揚されてしかるべきです。 今の日本は、世界に胸を張れる状態ではありませんが、せめて日本国民である以上、国家や国旗にプライドを持って生きたいものだと思っております。

noname#159292
noname#159292
回答No.7

アマチュア精神だけでは国際的なスポーツイベントはできません。オリンピックは世界各国のマスメディアの報道権、TVの放映権、運動用具メーカー援助があってこそ開催できているのです。 オリンピックで国威発揚や政治イベントが排除されれば選手の養成に必要な莫大な経費の賄ができないので、オィンピックは消滅するでしょう。 >現在、『金、金、金、何がなんでも金メダル!!』という国は、途上国やダサい国、田舎者の国だけになってしまいました。 そのような事はありません。♪♪♪ 日本だって開催前はなんだって金メダルでした。 結果2個しか取れなかったので、アンタみたいな阿呆な人の意見が出てきました。 それは金がとれなかった痩せ我慢にすぎません。 いづれにしても金メダルを目指さないオリンピックはありませんので、将来もどこかの国がまた国威発揚に利用するので、この状況は変わらなく続いていくと思います。 純粋なスポーツの祭典、アスリートの表現の場なんて夢みたいな事を言わないで下さい。(笑い・・・)

Guan-Yu
質問者

お礼

日本は金メダルに拘わるような途上国じゃねぇ、バカ。(笑)

Guan-Yu
質問者

補足

途上国の人は黙っててくださいな!?(笑)

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.6

>現在、『金、金、金、何がなんでも金メダル!!』という国は、途上国やダサい国、田舎者の国だけになってしまいました。 とんでもない。金メダルをとったらどんだけテレビ出演や講演、CM出演などのオファーが来ると思いますよ? 森末慎二さんはさわかやなルックスと軽妙なキャラクターでタレントとしても大成功をした人ですが、元はといえば「オリンピック金メダリスト」だからこそここまで有名人になったわけです。もしオリンピック4位だったらタレントとしての成功もなかったでしょう。その森末さんによると、金メダルをとった直後はどこのテレビ局もハイヤーを用意し控室も準備してVIP待遇だったそうですよ。 フェンシングの太田雄貴選手は、北京大会で銀メダルをとったとき、職がありませんでした。北京大会で銀メダルをとったことで一躍有名になりましたが、それでもまだポッと出だったためかあちこちに頭を下げて所属先を探してようやくスポンサーが決まりました。しかし、メダルをとれなければおそらくスポンサーがつかず、フリーターをしながら細々と競技を続けるかひっそりと引退するかどちらかを強いられたでしょう。 しかし今回再び団体で銀メダルをとったことで知名度はさらに上がり、おそらく今度は頭を下げてスポンサーがやってくることでしょう。フェンシング界で随一の知名度を持つので集客力すなわちスポンサー吸引力はケタ外れですから、日本フェンシング協会も太田選手を軽んじることはできません。いずれ日本フェンシング協会会長になることは間違いありません。なにせ日本で唯一の2個のメダルを持つ選手ですから。 儲かるのは選手ばかりじゃありません。なでしこジャパンの佐々木監督は、W杯の優勝で一躍講演に引っ張りだことなりましたが、今大会のメダル確定でさらにギャラが上がることは間違いありません。なにせ、「気難しい女性たちをいかに戦力にするか」なんて、ビジネスセミナーの人気になること間違いありません。 水泳の北島康介選手を育てた平井コーチは一躍知名度は全国区になり、これまたセミナーやら講演やらで引っ張りだこになりました。体操の内村航平選手の実家は体操教室で、入門者は引きも切らないでしょう。 シルク・ドゥ・ソレイユをご存知でしょうか。その名前を聞いてもピンとこないかもしれないですが、「キダム」「コルテオ」「アレグリア」と聞いたら、ああと思うでしょう。その公演をしている劇団がシルク・ドゥ・ソレイユです。本部はカナダにありますが、所属する団員は世界中から集まります。実は団員の多くが元体操選手などのアスリートなんです。あの人間離れした身体能力もそう聞いたら納得ですね。そして、体操選手の場合は「オリンピックメダリスト」かどうかでオファーされるギャラがまったく変わるそうです。もちろん、金メダリストともなれば破格のギャラが用意されるとか。 選手でいられる時間はとても短いです。ほとんどの選手が1大会だけに出場します。2大会連続出場なんて滅多にいません。そこで(金メダルを含めて)メダルをとるかどうかでその後の生涯収入と業界内での発言力が天と地ほども変わるのですよ(ただし、マイナー競技だと影響は小さい)。 ひょっとしたら、国威発揚にだけ利用される貧乏国の選手の方が経済面での影響は小さいかもしれません。

Guan-Yu
質問者

お礼

金メダルを取って、その後、優遇されるのはメジャーな競技の選手かタレント性のある人だけです。 中国となれば金メダリストの数が多いので、優遇されるメダリストはほんの一握りだけです。 中国の選手達は子供の時から国家に選抜され、英才教育を受けます。 練習ばかりの生活で、遊んで楽しかった思いでなどないのかもしれません。 そのような人達が、楽しんで競技をしている先進国の選手達を見れば、疑問を感じてもおかしくないと思います。 これまでの中国選手は国威発揚の為の道具でしかありませんでした。 ありがとうございました。

noname#173693
noname#173693
回答No.5

中国人を馬鹿にしすぎ・・・ 何でそんなに上から目線なの? オリンピックはまた国威発揚の場になるかもしれませんよ。 世界中で戦争が行われている今 独裁国家の台頭はありえると思う。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.4

”今後、オリンピックが国威発揚の場や政治イベントではなくなり”        ↑ 国家というのは幻想です。人間の頭の中にあるだけです。 だから、国民には常に国民であるという意識を植え付けて いないと、国民は国民になることができません。 国家が銭を遣ってまで、オリンピックや国体などのイベントを やるのは、それが目的です。 (NHK 高校講座 世界史) 国歌や国旗などもその為のツールです。 だから、政治イベントでなくなったら、国家は銭を出さない でしょうし、出す理論的根拠がありません。 そうなると純粋に個人参加の大会になりますし、現在のような 大規模な祭典ということは不可能になるでしょう。 尚、古代オリンピックが衰退したのは、当初は神に感謝 する祭りであったのが、次第に勝ち負けにこだわるように なり、賄賂や薬を使う例が増えてきて、観客が愛想をつか されたことが原因です。 なにやら、オリンピックの将来を暗示しているような 感じがします。

Guan-Yu
質問者

お礼

オリンピック選手達は子供の時から国家、メディア、その影響下にある監督、コーチから"金メダル"を目指せと刷り込まれます、つまり洗脳されるという事ですが、もし、hekiyu さんが言う通り、国家が"幻"ならば、金メダルもまた、幻です。 なぜなら、幻が金メダルを目指せと言ってたわけですから・・・。 昔、東京オリンピックで銅メダルを獲得した、円谷幸吉という選手がいました。 円谷さんは、27歳という若さで自殺したのですが、最後の言葉が『幸吉はもう疲れきって走れません。』でした。 あの頃の日本人選手は円谷さんだけでなく、全ての選手が『なんとしても勝たねばならない、そして、メダルを・・・』と悲壮感がただよっていました。 日本が、オリンピックを国威発揚の場としていた頃、日本人選手達はまさに不幸だったと思います。 現在、メダルが取れなくてもハツラツとしている日本人選手達はなんと幸せなのでしょうか? 金メダルに拘り、オリンピックを国威発揚の場と考えている国を見ていると、昔の日本を思い出します。 ありがとうございました。

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.3

国威発揚の元を糺せば、たとえば米ソ冷戦時代に、東西がメダルを競い合った様な事象で、大がかりで陰惨です。 その結果、ボイコット合戦みたいな、ロコツな政治的な色合いが表面化してしまいました。 逆に言えば、今時、国威発揚を図ると言うこと自体、平和の祭典に政治色を持ち込んでいると言う証左に過ぎず、非常にナンセンスで、極めて前時代的です。 ただ、純粋なスポーツですから、勝負とかメダルに拘るのも、国民レベルでは健全だと思いますよ。 悪いのは、それを国威発揚などの政治的思惑で『利用』する国や、その国のリーダーです。 そんなコトは、もはや先進国においては常識ですが、中国の場合、経済的には相当発展したものの、未だにソレをやらざるを得ない状況も存在すると言うことでしょう。 あるいは、中国が目指す先進性と言うのは、西側諸国・資本主義国とは根本的に違うことが原因かも知れません。 四千年の歴史の中で、民主化したことが無い国ですから。 しかし、仮に政治利用が排除出来ても、「純粋にスポーツの祭典」となるのは、なかなか難しいのではないでしょうか? こちらは主に、西側諸国の思惑で「商業化」と言う側面があります。 アスリートも、スポンサーシップと言う、持ちつ持たれつがあるし、見る側にも、より高いレベルの競技を望む気持ちがあるし、スターを求める気持ちなどがありますので。 アマチュアスポーツや、学生スポーツでさえ、商業化の流れに組み込まれていますし、それによるメリットもありますので、コチラは根深いと思いますよ。 「純粋にスポーツの祭典、アスリートの表現の場になった時」は、もしかすると「オリンピックは、つまらなくなる」かも知れません。 商業化の排除を徹底すれば、NHKなどを除き、商業マスコミではテレビ中継もされないワケだから。

  • mstk2
  • ベストアンサー率26% (157/588)
回答No.2

金メダルに拘ることのよし悪しは、競技をやらないマスコミあるいは我々視聴者が気にするべき問題です。 なぜなら、別に柔道や水泳が金をとろうがとるまいが、我々の生活に何の影響もないのだから。 それでも異常に金にこだわるとしたら、なるほど金メダルコンプレックスとも言えるかもしれない。 いっぽう競技者であれば金メダルにこだわるのは当然です。なぜなら、金をとるかとらないかは後の競技者人生に大ちがいなのだから。 引退後の進路にも効いてくるし、コマーシャルに出れれば千万単位で収入が変わります。 >中国のオリンピック選手の中から『金メダルに拘る事に意味などない』 もしこれが本当なら、すでに金をとって名を成した選手か、あるいはその可能性のない弱小選手の負けおしみなのでしょう。 あるいは野球やサッカーのようなプロ選手が 「オリンピックよりシーズン成績の方が大事」 というケースはありえるが、あくまで例外と考えるのが普通です。

Guan-Yu
質問者

お礼

中国選手で、金メダルに拘らないと発言した選手達は、外国のチームと合同合宿したり、トレーニングをした時に『外国の選手達はリラックスして競技をし、楽しんでいる。』と感じショックを受けたようです。 そして、外国人選手は最高のパフォーマンスをする事を常に心掛け、メダルの色はその結果に過ぎないと感じたようです。 もしかしたら、中国の選手達もこれまでの中国の金メダリストの引退後を見て、虚しくなったりしたのかもしれません。 金メダルをたくさん獲得する国では、金メダリストもたくさんいるわけで、全員が企業のコマーシャルなどに出れるわけではありません。 厚待遇を受けられるのは、ほんの一握りの人達だけです。 中国の選手達も先進国の選手達と交流するほど、意識が変わっていくようです。 ありがとうございました。

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