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島左近が戦死しなければ…

歴史にもしもはない事を承知の上での質問ですが 関ヶ原で三成の懐刀だった島左近が仮に戦死しなければ戦況は変わったでしょうか? 小早川秀秋が裏切っても勝てた様な気もします… 「三成には過ぎたる者」と言われたほどの猛将です 合戦前日の杭瀬川の戦いでは東軍を散々に突き崩し 西軍の士気を上げました 評論家も 左近が早々と戦死したのは西軍にとって大打撃だった と述べています もしもです 左近が生きてたら… どう思いますか?

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回答No.1

左近は良い武将ですよね。 戦国を生き抜いて欲しかった武将の一人です。 杭瀬川は局地戦ですが栄えある西軍の一勝だと思います。 さて 左近が生きていたら戦況は変わったかどうかという問いですが 明石全登という人を例えにすることで「戦況は変わらなかった(東軍が勝った)」と 自分では思います。 明石は西軍総大将の一人宇喜多秀家の一将で猛将でした。 彼は散々東軍の福島を苦しめた後西軍が小早川の裏切りによって自軍が崩れ始めると逃亡し潜伏。 後に大坂の陣で豊臣方につき、また散々徳川方を苦しめます。 彼は結局戦死したのか逃亡したのか定かではないのですが 徳川方は生きていると信じ”明石狩り”を幾度も行いました。 しかしつまりは徳川の天下となり260年の安泰が続くわけです。 以上の明石の例を挙げることで左近が生きていても、 明石の場合と似た結果になるのではないかと思うわけです。 勝負は時の運ですが、戦はそれに関わる準備で勝ち負けが左右されると考えます。 1.関が原という大規模野戦に出たこと(杭瀬川や夜襲のような局地戦、ゲリラ戦ではないこと) 2.小早川勢の陣の位置と戦の成り行き(実際は小早川の軍勢よりも、赤座・小川・朽木・脇坂の4将の裏切りの方が大谷吉継の陣を壊滅させたようですが) 3.毛利勢の陣の位置と戦の成り行き(吉川が動かなかったことで長宗我部まで動けなかった。長宗我部勢は石田勢とほぼ同数) 左近が生きていてもこれらを覆すには至らなかった、と考えるのは、前記の明石全登が、左近、蒲生、舞の3将の用兵よりも多い8000もの兵を使いながら逃亡するまでに至ったため、という理由から判断せざるを得ないのです。 西軍の本隊が大垣城周辺から動かず、局所的に左近らが東軍と杭瀬川のような小競り合いをしていたのならば大坂から何か動きがあって東西軍共に退くという形になったかもしれません。

azuki-7
質問者

お礼

明石と左近では采配力と統率力が段違いで左近が上ですね  確かに勝敗は動かなかったむかもですが 戦局に変化はあったかも知れません 大阪の陣でですが 明石は水野隊の鉄砲攻撃にあい戦死しています

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回答No.5

明治時代、軍事教官として日本に派遣されたドイツの軍人メッケルは関が原の布陣図を見て、 「10回やっても10回とも西軍が勝利する」と言ったそうです。 実際に関が原は、西軍が大きく広げた包囲網の中に東軍は無造作に進入しています。 西軍の諸将が普通に戦えば、東軍はあっけなく包囲殲滅されていた筈です。 ただ、家康とて経験豊富な武将です。 何も考えずに敵の包囲網の中に飛び込むような真似はしないでしょう。 毛利は動かない。 小早川は味方になる。 家康の心中では確信があったからこそ、一見死地に見えるような場所に飛び込んだのでしょう。 つまり、関が原は事前の外交によって既に勝敗が決していた戦いと言えます。 また、島左近がどんなに優秀であったとしても、彼の地位は今で言えばせいぜい大隊長か連隊長と言ったとこでしょう。 軍集団規模同士の戦いで一人の大隊長の去就が勝敗を決する事などまず無いと思います。

azuki-7
質問者

お礼

また仮定のはなしですみません だとすると家康の計算は狂った可能性もありますよね 毛利も動き小早川は西につく だとすると… あくまで仮の話です

  • izuhara
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回答No.4

左近は合戦前半に黒田勢の銃撃により負傷して陣を退いただけで、この時点では戦死していません。その評論家はよく調べていないのでしょう。 よって西軍の敗北が決まった後での左近の戦死の有無は、勝敗に影響を与えたとは思えません。 負傷による陣の後退がなければ、黒田勢を崩していたかもしれませんね。そうなると、秀秋の去就に影響を与えたかもしれません。

azuki-7
質問者

お礼

対黒田長政なら圧倒的に左近の勝ちですよね 父の官兵衛ならもしかしたらかもしれませんが 小早川は数に物言わせただけで 秀秋の采配自体は三成以下と言われてますからね

  • trajaa
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回答No.3

戦術レベルで優れた人間が、戦略レベルでも優秀であるとは限らない。 局地戦で勝利しても、戦局全体に影響を及ぼすことは難しい。

azuki-7
質問者

お礼

左近は 戦術 戦略ともにすぐれた武将です

  • bonky653
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回答No.2

左近に1万ぐらい預ければ戦況は大きく変わっていたかもしれません。 でも光成の動員力ではそれはなかったでしょう。 兵力そのままだったら大きな変化はなかったでしょうが 東軍方は大打撃を被っていたでしょう。 有力武将の2、3人は首を落としていたかも。 実際は小早川秀秋の裏切りが全てです。

azuki-7
質問者

お礼

そうですよね 藤堂高虎や黒田長政が正面から攻めてもどうしょうもなかったほどですからね