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生きたいと思う理由
死にたい、と言う人によく 「生きていればいいことがある」 「死んでも何も解決しない」 「死ぬつもりなら何でもできる」 「遺される家族のことを考えなさい」 etc. このような言葉がかけられますよね。 しかし、借金を抱え、恋人もなくもう30代後半、仕事も非正規雇用なので安定しない、もちろん貯金もない、たった一つの趣味のサークルからはほぼ閉め出し状態(うつで参加できないことが多かったので誘われなくなった)、何かをやりたいという夢もない… このような状態で生きる意味が分かりません。 このカテゴリで「夫(妻)や子供がいるから立ち直った」という話を見ますが、恋人はおろか「好きな人」もいません。 家族は母と姉と伯母(寝たきり)で、母以外とはあまり仲がよくありません(伯母は認知症でもう私の事もわからないし)。 確かに「母が悲しむ」と言われればそれは気になりますが、気分が落ち込んでいる時は 「姉がいるんだし、そのうち母も立ち直るだろうから私はいなくてもいい」 と思います。 友達がいないわけではないですが、それぞれ家庭を持っていて、家事に子育てに忙しそうにしています。 もし私が死んだらその時は悲しんではくれるかもしれませんが、それほどダメージを受けるようには思えませんし… 仕事はいつ契約を切られてもおかしくないし、貯金もない。 鬱病で働けなかった期間が結構あるので年金もあてにできない(そもそも私の頃にはもらえるかどうかも怪しい) 母がよく「死ぬのは順番だ」と言いますが、私は家族の中で一番年下なので「そうなると孤独死になるじゃないか」と思って、余計に生きる気力がなくなります。 仏教では「生かされている命だ」「人間に生まれるだけで有難い」と言いますが、自分が辛いとそのような気持ちになりません。 このような状態で生きる理由って何でしょうか? ※ちなみに心療内科で抗鬱剤などは処方されています
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質問者が選んだベストアンサー
こんばんは 文面から質問者様の現状を想像するしかできませんが 見通しのたたない様々な不安要素の中ではポジティブになれなくて当然だし、無理にそうなる必要もないと思います。 そもそも「生きる理由・意味」など、歴史上の優れた哲学者や思想家をもってしても答えが出ていないのです。 いわゆる仏教の教えの大きな柱として「生きることが修行である」というのもあります。 要は生きること自体がしんどくて当然ってことなのではないでしょうか。 「生きる理由」は人の数だけあると思うと同時に 「生きる理由」をはっきり認識して生きてる人は少ない、とも思います。 今、私は質問者様に回答させていただいていますが 何度も書いては消しを繰り返し、3時間以上経ちました。 おこがましいですが私にとってこの3時間の「生きる理由」は質問者様だったということかもしれません^^; 質問者様の抱えてらっしゃる不安要素は決して他人事ではありません。 今は無理でも少なくとも「生きる理由」にとらわれることなく 「ただ生きる」ことが出来る日が来るということ、 30代後半くらいが私の人生でも一番あがいてたけど、40過ぎたらどんどん楽になって 50過ぎた先輩からは「50過ぎたらもっと楽!」と教わったこと、 「あきらめる・開き直る」ことが恥でも負けでもないと思えることなどなど・・・ うまく書けないのがもどかしいですが、心の片隅にでも置いてもらえたら幸いです。
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追加 今気付きました。 カトラさんだったんですね。 たぶん生きる理由を考えてしまうのは鬱病のせいだと思います。 鬱病治しちゃいましょうよ。 協力するから。 そしたら生きる理由なんて考えないで生きられるから。
お礼
たびたびのご回答ありがとうございます。 もう一つの質問でもお世話になりました。 鬱病、治したいです。 でも怪我などと違って目に見えて治るのが分からない、いつ治るのか分からない、というのが不安です。 結局そうやってネガティブに考えてしまうんですよね…
いつかは死にます。 急ぐことないんじゃないかな。 どうせ死ぬんだから。 私は自ら死を選ぶのは怖いです。 あなたは怖くないですか? 鬱のため趣味を失ったのが大きいのかな。 前向きに考えられないんじゃない? 鬱病は先のことをネガに考えるから起きるですよね。 ポジに考えられるようになれば生きているのが辛くなくなりますよ。 もう30代後半? まだ30代後半ですよ。
お礼
ありがとうございます。 >あなたは怖くないですか? 怖いです。なので「死にたい」と言いながら死ねずにいます。 死ぬことへの恐怖感がなくなれば死ねるのに…と思うこともあります。 >鬱のため趣味を失ったのが大きいのかな。 それはあります。 今まで「素の自分でいられる場所」と思っていたところに居場所をなくした感じで… それも鬱病を理由に参加できなかった自分が悪いんですが…
- ShRoud
- ベストアンサー率37% (14/37)
No.2 3回目です。 あまりに言葉が心に刺さったので余計な事ですが言っておきます。 「私は生まれてこの方生きている実感など持った事がありません」 ここでぐちぐち書いてるのもいいのかもしれませんが、 重度鬱の人がこんな長文読んで解答まで書けるなんて経験上信じられませんよ。 西洋医学でも東洋医学でもいいので医学で治す努力をするか そんなに誰が何を言っても言う事が受け容れられないなら救いはないでしょう。
お礼
不用意な言葉を用いて不快な思いをさせてしまったことに深くお詫び申し上げます。 決して他意があったのではありませんが、言葉が悪かったと反省しています。 ですが >重度鬱の人がこんな長文読んで解答まで書けるなんて経験上信じられませんよ 私の自立支援手帳には「重度かつ継続性の鬱病」と記載されています。 環境によって軽減された時期もありましたが、自死を図ったことは数しれません。 それこそ不幸自慢ではないのですが…
- d194456
- ベストアンサー率27% (423/1524)
前回の回答で、「ところで、あなたはどの様な人なのですか、と聞かれ、あなたはその肉体なのか、心なのか、 どちらだと答えますか。」と書きましたが、あなたはお礼の言葉の中で「五体満足」だとか「怠け」の言葉を 何の躊躇いも無く用いていましたね。そして先輩の才能に関しても。 心身が健やかであることを親は願って子供を生んでくれるのでしょう。 でも、これだけでは人間を作ることは出来ません。人の持つ魂は子供が自分で選んで身に付けるものです。 その魂の存在を知らない人は、生きる理由に答えることは出来ないでしょう。 そして人は如何に生きるべきかも知らないまま過ごすでしょう。 友達に裏切られて失くしてしまう様な楽しみ方なら、それは人としての楽しみ方ではありません。 五体満足が人の素晴らしい姿だと思っている内は、生きる目的だとか、何故生きるのかなどの答えは出せないでしょう。 風邪引いて苦しんでいる人間が、人の生きるべき道を分らないのを風邪の所為にしているのと同じです。 今しばらく考え込んでください。 人の持つ、肉体や心とは別の、その魂が何かが分ったなら、あなたの質問に答えましょう。
お礼
>友達に裏切られて失くしてしまう様な楽しみ方なら、それは人としての楽しみ方ではありません。 心を許して信頼していた人に裏切られ、そこからそれに関わる全てを失くした経験はおありですか? どういうことが「人としての楽しみ方」だというのでしょうか? >人の持つ、肉体や心とは別の、その魂が何かが分ったなら、あなたの質問に答えましょう いえ、上記のような言葉を「何の躊躇もなく」書かれる方の言葉は私にはわかりませんので、これ以上の回答していただかなくて結構です。 ありがとうございました。
体を健全に保つためにいろいろなことをしていることが生きる意味ではないでしょうか。こういうことをすることとは別に生きる意味があると思うことがまずいということになると思います。たとえば歯磨きを丁寧にやってみることに喜びを感じませんか。
お礼
たびたびのご回答ありがとうございます。 小さなことからでも意味はあるんですね。 参考になりました。
- okei49
- ベストアンサー率48% (72/147)
私も6年前位に精神疾患を患いました。 寛解して普通に働いています。独身です。 私も精神疾患は、薬だけの治療では治らないと考えています。 投薬を受けて病識を持てたので、無意味とは思いませんが、きっかけ位でしょうか。 あとは、母が沢山話を聴いてくれたこと、4年前に急逝した父が支えてくれたこと、自身と真に向き合い考え方を変えたことなどがよかったのだと思っています。 余計なプライドを捨てたり、実現の難しい夢をあきらめたり、でも普通に戻りたくて、がんばりました。 生きる意義って、見つけたいですよね。 私は、幼い頃に私達を育ててくれた曾祖母と&大好きだった父が守って来た、私の家とお墓を次代に引き継ぎたいと考えて、前向きに生きたいと考えています。 私にもまだ、パートナーはいませんしもちろん子どももいません。 妹には10歳になる子どももいます。 でも姉も妹も嫁いでいるので、家を守れるのは私だけです。 他人をうらやんだり、自分に出来ないことを数えるのではなく、自分にしか出来ないことを考えてみませんか? 生きる。生かされている限り生きる。どうせなら、幸せになりたい。 私も病気を患い、友人を沢山失いました。玄関先まで来て、親に苦情を言われた苦い経験もあります。 でも病が癒えるのを待ってくれていた親友たちもいます。 不幸の数はかぞえない。 幸せ数えて心を暖かくして、私は前を向きます。 そしてここまで来ました。来月から、契約社員だったのが正社員扱いになります。 お互いがんばってみませんか? 昨日より成長する今日の自分を信じて。 参考になれば幸いです。
お礼
ありがとうございます。 寛解しされたとのこと、そういう方もいらっしゃることを知って少し安心しました。 素晴らしいご家族だったのですね。 私は家庭環境が原因で鬱になり、なかなか話をする人もいません。 (母は最近認知症の兆候があり、介護認定の手続きをしています) 父が自宅の土地を担保に莫大な借金をしていたので、その土地を守るために今弁護士さんと相談中です。 私も、先祖代々の土地を守りたいと思っています。 確かに不幸の数を数えても仕方ないですね… 今の職場は派遣社員とは言え環境には恵まれているので、ここで精一杯仕事をして認められたい、というのはあります。 それを目標にするのもいいかもしれません。
たとえば歯磨きなどはしていないのでしょうか。歯磨きなどはあまり気力を必要としないと思います。
お礼
もちろん歯磨きもしますしお風呂にも入ります。 ご飯も食べます。 でもそれは生きる意味とは違うような気がします
できることをやってみるのはダメなのですか。
お礼
ありがとうございます。 できること、というのが思いつかないし、体が思うように動かず、例えば「片づけでもすると気分がすっきりするよ」と言われてもその気力がなくて、そこから 「こんなこともできないなんて」 と余計に自分が嫌いになる繰り返しです…
- d194456
- ベストアンサー率27% (423/1524)
身体障害者施設へボランティアに行っています。 生まれつきの障害ですから、自分だけでは身体を動かせませんし、会話も出来ない人たちです。 その様な人たちに、同じ質問をして見ますか。 僕は「傍にいる人を幸せにするために、生きているのでしょう?」と聞きます。 幸せにするにはどの様な方法があるのでしょうか。あなたの言葉の中には無いようですね。 その身体障害者の方たちにも出来る方法なんですから、考えて下さい。 人の価値も同様です。 人の為、世の中の発展の為に必要なのは、多様性です。 生きている一人一人の方が、その価値を持っているのです。 ところで、あなたはどの様な人なのですか、と聞かれ、あなたはその肉体なのか、心なのか、どちらだと答えますか。 ウツが酷いときの心にはあなたは違う人なのでしょうか。何時もと変わらぬ考えもありますか。 それならば、「身体を病んでも、心まで病ますな。」の意味もお分かりでしょう。 それを怠った結果が、ウツの長い患いであり、人生運の悪さなのでしょう。 ウツは心の風邪などではなく、心の生活習慣病だと思いませんか。 あなたの健康運も人生運も、あなたの生活次第だと思いますよ。 人生は楽しいものに出来ているのです。楽しみ方を知らない生き方をして来たようですね。 今からでも、運命は変えることが出来ますので、生き方を考えて下さい。
お礼
ありがとうございます。 >楽しみ方を知らない生き方をして来たようですね 鬱病になる前、大学時代は本当に「楽しい」と感じた時期もありました。 ですが、その頃に心から信頼していた友達に手酷い裏切りを受け、その楽しかったことを思い出すのが辛くなりました。 >それならば、「身体を病んでも、心まで病ますな。」の意味もお分かりでしょう。 >それを怠った結果が、ウツの長い患いであり、人生運の悪さなのでしょう 鬱病は怠け病の結果ということでしょうか。 そう言われればそうかもしれませんね。 私の大学のずっと上の先輩で、生まれつき足に障害を持った方がいらっしゃいます。 ですがその方には天才的な音楽の才能があり、某銀行で若くして重役を務めた後に退職して音大出身でもなくプロの音楽家の道に進まれました。 障害を持った方でも素晴らしい方がいらっしゃるのはよく知っています。 私は五体満足に生まれながら、何も持つことができずにいます。 これから何かをしようという気力もないのです。
- ShRoud
- ベストアンサー率37% (14/37)
No.2 2回目です。 反復性の鬱病でしょうか?新薬やまだ飲んだ事のない抗うつ剤を試したりはしましたか? もちろん薬だけでは治らないでしょうが、薬なしで治るものでもありません。 そこを疑って服薬するのと、飲めば治ると信じて服薬するのでも差が出ます。 「楽しみ」を芸能人で例えたのが悪かったのですが、つまり好きならなんでもいいのです。 それも、うつが回復傾向を見せてからの話です。 自分の好きなこと、もの、場所、音、色、香りなどイメージしてリラックスする方法もあります。 ※例※私は絵が好きなので最もリラックスできる自然の風景の中にいる自分を描いて部屋に貼り 横になって目を閉じてその風景の中の自分を想像しています。(音、風の感触、草木の香り) 生きる気力も死ぬ気力もない状態ですから、完全なうつ状態でしょう。 ですから、鬱の治療に専念して頂きたいと思うのです。 もうなさったかもしれませんが、病院を変える、主治医を変えてもらう、カウンセリングを受ける・・・ 鬱の治療に対する気力もないのでしたら心療内科などとっくに行くのが面倒でやめているでしょう。 人間は本能的には生きなければならないので、どうにかして生きるほうの選択をします。 (ここに質問を書き込んでいることもそれを証明しています) 生きていて何の価値もないのは誰もがそうではないですか? あなたにとっての「価値」の定義は解りませんが、価値のあるなしなど元々ありません。 私も死ねば住宅ローンが0円になって両親に楽な老後を与える事ができます。 でもいまこうして生きています。 では、病を抱えろくに仕事も出来ずに生きて居るこの私は「価値のない」人間ですか?
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 >生きていて何の価値もないのは誰もがそうではないですか? いえ、私の考えは違います。 例えば結婚して子供を産めば子孫を残すことに貢献しています 医者は人の病気を治療することに貢献しています 例えが極端ですしそれだけがすべてではないと思いますが、私にはそういう「何かに貢献する・役に立つ」という意義が見出せません。 それに病を抱えていても仕事をしてなくても「生きている」という実感がある人はそれでいいのだと思います。 私は「生きている」という感じがしません。 悪い意味で「生かされている(=死ぬこともできない)」という気持ちになるのです。 唯一の楽しみであった趣味でも皆から「不要だ」とはっきり言われ(本当に言われました)、もう何の楽しみもないんです。
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お礼
ありがとうございます。 >仏教の教えの大きな柱として「生きることが修行である」というのもあります そうなんですよね。私は中学高校と仏教系の学校に行っていたので、その教えはよく授業でもされました。 先日父が亡くなった時にも、お坊様が 「お父様は現世での修行を終えて阿弥陀様のお弟子になられたんです」 と言われて、いささか父がうらやましくも思えました。 >おこがましいですが私にとってこの3時間の「生きる理由」は質問者様だったということかもしれません^^; そのように言っていただけて、何だか涙が出ました。 皆さん、一時一時に「生きる理由」があるのですね。 多分私はまだ「諦める・開き直る」ことができずにあがいているんだと思います。 もう少し自分に自信を持ちたいです。