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『慣れ』とは?

同じ条件に同じ環境と・・・、まったく同じようにしても、 最初は出来なかった事が、ある時突然スムーズになっていたりする・・・。 最初(苦手意識で一杯だった時)と環境も使う道具も何もかも変わっていないはずなのに・・・! “慣れていく過程”をはっきり認識していくことは、難しいのでしょうか。 頭じゃなくて体が覚えるって、どういうことなのかな・・・。 自分でも訳が分からないのですが、理由も分からなくうまくいったりダメだったり、というのが、何だか悔しいです。何かに振り回されているみたい。 何が言いたいのか分からないような文章で、読んで下さっている方には申し訳ないところですが、『慣れる』という概念(?)に対し、自分なりの考えを持ってらっしゃる方、広くご意見下さい。宜しくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • mon-roe
  • ベストアンサー率38% (330/852)
回答No.4

こんにちは。 慣れる、というのはある物事に対する経験を積み重ねて理解を深める事だ、と思っています。 例えばコンピュータにしたって、触れ始めは何をどうすればいいのか全く分からなかったのが、手探りでいろいろ操作していくうちに何をどうすれば何が出来る、これをやるとトラブルの原因である、という事を学習していきます。 昨日出来なかった事が突然出来る様に、というのはこの場合あんまり無いですが、トライ&エラーを繰り返すうちに徐々にエラーが減っていきちゃんとした扱い方を覚えていく、その過程が"慣れていく過程"でしょうね。 > 理由も分からなくうまくいったりダメだったり それこそがまさにトライ&エラーの繰り返し、つまり今まさに慣れていく過程にあるのだと思います。 経験の積み重ねで熟練度が高くなると、すべてに余裕が生まれてまるで体が勝手にその作業をやっているように、いわゆる"体が覚えた"様な感じがすると思います。 そのくらいの域になると実際、見ただけであるいは触っただけで分かるというように、目や手の感覚で覚えているのでしょうから=体が覚えていると確かに言えますね。 しかし、どれほど熟練しても思いがけない失敗は必ずありますし、失敗をゼロにする事は誰にも出来ないと思います。そういう意味では、"慣れ"というのは終わりのない事で、物事を始めた時からそれをやめてしまうまでの間のすべてが、"慣れていく過程"と言えますね。 経験=慣れとすれば、人との親交を深めるのもある意味慣れだと思います。喜ぶ事や嫌がる事が区別出来たり、人の考えてる事がある程度理解出来るのも、人生経験を積んでいる=人に対して慣れているから分かる事じゃないでしょうか。 というのが、私なりの"慣れ(経験)"に対する考え方です。

noname#179632
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 なるほど。確かに経験を繰り返していくと、心に余裕が生まれますよね。 それが、(例えば)手先なんかに作用したりするのでしょうね。 色々と興味深い点が多かったです。 ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • hitoshit
  • ベストアンサー率33% (79/237)
回答No.3

#1の返信 >その過程を確認できないことが“悔しい”と感じてしまう私はおかしいのかな 確認できないのではなく、自分では記憶したものが、 表の「認識」に細かく常時出ていないのかも知れませんね。 (すべての記憶が表面に出てきたら・・・うざいかも(^_^.)) 「蝶々結び(靴紐結び)」や「編み物」、「包丁使い」なども、 「慣れ」なのかと思われます。 「言葉」も「慣れ」なのかも知れません。 幼児期に「ママ」と発してみる。 母親はそれを聴いて喜ぶ。 最初はうまく発音出来ないかも知れませんが、 次第に喜ばれる発音になっていく。 でも、私たちは「その頃の記憶」をしっかりと記憶していないかも・・・ あんがい「慣れていく過程」は、本人には判りにくいのかも知れません。 母親(本人以外)なら「その過程を確認できる」のかも知れません。

noname#179632
質問者

お礼

またまたお時間割いて下さりありがとうございます! >表の「認識」に細かく常時出ていないのかも知れませんね。 そうですね~・・・。そんな感じですね。潜在意識は、なかなか認識しづらいものでしょうね、やっぱり・・・。 “何だかよく分からない”ことはとっても厭ですが、哲学に長けているわけでもない凡人としては、深入りし過ぎると変なことになっちゃいそうで怖いです(笑)。 いや、でも深入りしたい!(笑)。

  • yu-taro
  • ベストアンサー率39% (3209/8203)
回答No.2

  ChristinaMilianさんこんばんは。 慣れるというのは体で覚えるということですね。自然と体が動くということでは、パソコンのキーボードの入力も慣れてくるとブラインドタッチができるのが分かると思います。  「習うより慣れろ」という言葉がありますが、これは誰でも長い間続けていることが自然と分かってきていると思います。  前の方が掲げている車の運転や、自転車に乗るとか、スポーツもある程度やっているとコツがつかめるというのはあると思います。  職人の仕事もある程度は同じだと思います。  逆に、頭の優秀な人は、体で覚えずに、一生懸命に頭でシュミレーションしますが、実際に自分の体を動かしてみるとなかなか思い通りにならないということが結構あります。  一番良いのは、指を動かすことが脳を刺激します。私は左利きですが、マウスは両方の手で使えますし、字も右でも左でも書けます。箸はいつも左ですが、右でも少しは使えます。ボールもどちらでも投げられます。これも習うより慣れろで、努力次第で誰でもできると思います。この両手を使えるようになる事は考えていもできないですよね。  ということで、慣れは大事だと思います。左手マウスをできるようになると、忙しい時には筆記具は右で持ち替えずに便利ですよ。頭の回転も良くなるみたいですし、頑張って下さい。

noname#179632
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 私は頭は良くないですが、頭でシュミレーションするということが好きです。 頭の回転が鈍い割には頭で考えることが大好きです。 というか、出来ない人ほど、それ(理屈や理論)があるから、絶対に出来ないと思っていたことも出来るようになる、と考えてしまうんですよね。 出来ない不安があるから、“慣れ”という要素に任せることが必要以上に不安になってしまうのでしょうか・・・。 蛇足ですが・・・体を使うことはどちらかというと苦手な方ですね(運動神経は悪いです)。 “慣れは大事”ということは、分かってるんですよねぇ・・・。 それでも・・・あんなに考えて四苦八苦した挙句、ある時急に出来ちゃった時・・・すごく悔しい(!?)気持ちになる自分がいます。 何だよっ・・・あんなに苦労したのに、考えたのに、足りないものは単なる“慣れ”だったのか!?って・・・(苦笑)。

  • hitoshit
  • ベストアンサー率33% (79/237)
回答No.1

「慣れ」・・・自転車の運転というのは、どうでしょう? 最初あれだけ真剣に、「バランス」や「足の漕ぐタイミング」、 さらに「曲がり角」など、 一生懸命に運転を意識しているのに・・・ 慣れてしまうと、「意識」しなくても自分の足となってしまう。 これが「体が覚える」という事なのではないでしょうか? PS. そう言えば、「車の運転」も「体で覚える」ともいえるのかも知れませんね。 もっとも「体が覚える」というのは、 「大脳で記憶された、ある一定の連続行動が小脳に記憶される」という話を 以前テレビで見たことがあるような気がします。

noname#179632
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 なるほど・・・。自転車の運転なんかは『慣れ』でできるようになることの代表例でしょうね。 あれも、“いつの間にか”“気づいたら”のことでした。 自分の乗り方、こぎ方の何がどう変わって安定して乗れるようになったのか分かりません。。。 その過程を確認できないことが“悔しい”と感じてしまう私はおかしいのかな・・・(苦笑)。 でも、よく分からないけどひたすらにやるってことも大事なことですよね。

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