• 締切済み

現代を語る上で重要な概念装置

 理解するって言った方がいいかも知れません。  ちょっと調べてみると、概念装置っていう言葉自体はWikiにも載ってないんですね。  道具や機械を使うのと同じように、何かを理解するために何らかの概念を方便として使うってことです。物理でしたら「電磁波」とか「重力」とか「ダークマター」とか、何らかの“概念”を仲立ちとすることによって理解しようとするわけです。社会学や哲学、心理学の分野でも同じで、例えば「無意識」という概念が無かった時代の人の理解の仕方は今とはずいぶん違っていたでしょう。ヒステリーの人を『悪魔に取りつかれた』みたいな理解の仕方をしたのでしょうね。  ほかに重要だと思う最も大きな概念装置って何だろうと考えた次第です。「アスペルガー」っていうのも最近の概念装置だと思うのです。他になにかありますか?。

みんなの回答

回答No.8

現代を有意に捉え、問題に対処する為の概念装置で簡易なのを少し 先づ⚫︎ノマディスム; 国境を易々と越える,資本や有志連合の軍事の動き。対して情報や人の流れを捉えて、ドゥルーズetガタリが賞揚しましたが、弟子筋のアントニオ・ネグリが敷衍して《Multitude》=全世界の有象無象の労働者達、などと階級化した辺りから其の力能が頭打ちとなったか⁈、組織ならざる組織でしょうが、ダボス会議にデモ掛けるだけじゃ旧来左翼と変わらない印象です。通俗化したNomad、解り易いのも良し悪しか。 ~チンギスハーンのモンゴル遊牧戦争機械から哲学者が引いてきた概念ですが、今は悪い方の力能が跋扈してしまってる。~ISとシリア難民、ボコハラム等の過激派。 流石にEuro主軸国の民衆は未だ難民には理解あるのが過半数みたいですが。 ~Nomadismに対応するには、経済政治的な概念のAxisも必要なのに其処が欠けてる、宿題。デリダやドゥルーズが亡くなって以降の哲学の新展開が怪しい。そこで ⚖●個体所有 ; マルクスの此の概念を、世界中の共産党は理解した事が無い。だから国家共産主義は破綻するに決まってる歴史です。~資本論やcommunism宣言,でも、私有財産の廃止は謳っても、国有化とは言ってない。個体(英語ではindividual.独逸語は失念)が所有、 分割出来ない主体=in-divide.何の事だか誰も解らなかった。漸く今世紀から論文が出始めました。~ 個体は個人の事もあれば、社員集団で持ち株や、アナルコsyndicate組合(anarchyサンディカリズム.)とか、今ならクラウドfund等もそうか⁈ ◉Internetでは共有財産として半ば現実化してる⁈、広告無しのWikiの所有者は確定不能でしょう。フリーcontentsや無料アプリ…等。誰もがイデオロギーに拘らず半ばコミュニストでも在ると言えますか、こんな事態はマルクスの思惑越えてるよう、。 此れを重視するのは、換算すると経済規模がデカいからです、五輪の比じゃない。 加えて、賃労働に対する“自由労働”と云う概念もドゥルーズ等が提出した。市場に直ぐには上らぬ研究開発とか芸術創作活動など、。効率主義が最優先の今の市場原理では、資本投資が其処には機能しないでしょう、其れでは先細りだ、日本の家電の様に。投資先が土地本位金融商品だけじゃ資本主義も危な。化けて莫大利益にはリスク付き物なのにね。 対してハーバード白熱教室のサンデル教授の言う“公正さ”とか、Thomasピケティの“再分配=redistribution.”も大事でしょうが対症療法に過ぎず根本には突っ込めないと思う。彼は資本論なんて読んだ事ないと公言してますしね。 ~これら経済という、社会の下部構造が上部構造を決定すると云う命題は、マルクス以来続いてるようですから、重要な概念でしょう。~因みに私は何がしかストックも保有する資本主義者ですから(^^;、全て共有化には反対です。若い皆様の方の問題だ。 ⚫︎移民排斥や市民活動にも見られるSeparatismの背景には、自己同一性の誤謬や単一幻想が露見してるけど厄介、彼ら他人に耳を傾けないし失業も絡んで一理有るから。~話は簡単でDNA検査受けろや!.で済む。古来よりの民族移動で血は混淆、Virusが触媒catalysis RNA として遺伝子に入り込んでますよね。~ 概念としては〈Transversal-横断性.〉でしょうか。宗教原理主義にはベルクソンのimageイマージュ論も有効だと想う。 ⚫︎尚BIGバン宇宙論は、起源論を展開せざるを得なく、極小では量子論と空間の相対論を大統一しなくてはならず、更に観測で新発見が加わって、Darkマター理論の再考も要請される、。物理学者こそ『差異と反復』を読んだ者勝ちだと思いますよ、今世紀はあの本に掛ってると識者達は言います。それを大学の科目から文系学問を削減してる政府は無知低脳を奨励してるのか⁈, アインシュタインはスピノザ信者なのにね。 <差異=微分的differentielな諸関係とそれに対応する諸特異点から成る潜在的な多様体があって、それが分化differenciationの過程を通じて顕在化現働化actualizeされることで現象が構成される.〉浅田彰によるドゥルーズvirtualiteの説明。 差異”とは「何かと何かの差異ではなく,」其れ自体が差異それ自体...だと“差異と反復”でも繰り返し注意されてます。誤解されがちですが、絶対的な差異であって、其処からは,西部邁が批判するよな価値相対論は出て来ません。まあ解り難いのよ~。 差異は、体系だけでなくキルケゴール的“反復”やニーチェの“回帰”と相俟って“生成”の存在として内在平面にconsist成立して来るのです。

回答No.7

今晩は。~〈哲学の役割は、概念”の発明だ。〉とはGドゥルーズの言葉ですが、仲の良かったJデリダは其れに反対表明してる。 確かにギリシャローマ以降の神学や哲学の歴史に於いて、概念装置が機能してきた歴史が有ると思われますので、此処ではドゥルーズ(以下,D)の説に従います。 近現代に於いて先づ、無意識”というのは、夢判断とかでは殆ど“こじ付け,としか見えない場合多く、その心理学に対して、Dとガタリがアンチ・エディプスで批判した通りです。 しかし其の通俗的な学説にも拘らず、フロイトが発明し見出した,無意識なる物は、個人の深層心理などと言う水準ではなく又、ユングの集団無意識の如き想像物でもなく、 謂わば“歴史の無意識”といった形式で実際に機能してると見る事が出来るわけです。 ●モーゼと一神教」で展開されるのが、自分も出自の“(ユダヤ)民族の無意識”、モーゼを殺したのは…逆撫でされる様なトンデモ学説にみえるけど、単にコカイン中毒に依る妄想とも思えない迫真力がある哉。 ラカンの“対象a”とかマルクスの“剰余価値”とか、確かに機能してる筈だけど捉え難いBlackBOX。斉藤環の「生き延びる為のラカン」とか分り易いそうです。 ヘーゲルの“ガイスト精神”とか“歴史の狡智”とか、欧州人以外には噴飯物ですが、単に妄想とは言えぬ、歴史の無意識,の様な概念装置かも知れません。へーゲリ(^^;;の欧州精神はとっくに終わった筈でしたが、Neo何とかの如く愛国自閉的に、民族浄化の妄想として蘇ってきてるでしょう、通俗低脳化した欧米と、入欧の大東亜も。 ~其れらに対する処方としての概念装置は、巧く纏まれば又次にでも。 ●序でながら、アスペルガー”は、現在は障害ではなく、Mental Disorders,の範疇から外されましたね。今では〈自閉症スペクトラム〉の1種にされて、此れは概念として余計に分かり難くなったと思います。境界ボーダー例か、俺等はADか⁈判らん(^^;、では。

HeyXey
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  いろいろ出していただきましたね。そうなんです、いろいろあるけれど、これってやつに絞れないんです。もうちょっと焦点を絞って、“わかりやすく”世界を捉えたいのです。エントロピー増大則よろしく“概念”が増え過ぎちゃってるのではないかと思います。「無意識」という概念にしても、何でも性に関連付けるフロイトやオカルトチックなユングを鵜呑みにしている人は少ないでしょう。だけど、「ひとは意識していることだけで考えているわけではない」という捉え方が一般的となったことで、世の中は大きく変わったと思うのです。  ADなんて言葉がなかった頃は、落語でよく出てくる「粗忽者」呼ばわりされてたのでしょう。信長もジョブズもアスペではないかと言われていますが、そういう人がいたから時代が切り開かれるという側面もあると思います。『だからどうだ?』と言われそうですが、「辻褄の合った世界で生きたい」という欲求は、「充実した人生を生きたい」という欲求に匹敵するくらい大きな欲求ではないかと思うのです、案外。どうでしょう。だから、読み解く概念装置を追い求めるのです。

  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.6

なお補足しますと、下でhekiyuさんの言っている、 「子供という概念が有名です。2~300年くらい前までは子供という概念は存在しなかったそうです。<小さな大人>という概念でした」 ・・・・・・というのは、きっとフィリップ・アリエスの「子供の誕生」(みすず書房)に書いてあることから、そう仰っているのかもしれませんが、このアリエスの言っていることは現代では、否定されています。 たぶん、最近の学問の動向をご存知ないからだと思いますが、19世紀の英国では、子供は大人と一緒に工場で働かされて、一日12時間労働をさせられていたことから、子供はいなかったと言われたので、児童福祉法と学校制度が整備されることで、大人と子供の境界線が引かれたことから、それをアリエスはアンシャン・レジューム期にまで拡大適用して近代以前までは子供という概念はなかったと言いましたが、たまたま学校制度と児童福祉法が出来るまで、子供と大人が一緒に働いていたことから、そう思われただけです。 子供と大人だけではなく、たいていの概念の境界線はあいまいなものなんです。 もし、今でも学校制度がなかったら、子供と大人の境界線なんてあいまいで、明確ではありません。 でも、昔も今も、子供は子供、大人は大人です。

HeyXey
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  日本では20歳以上が大人(成人)ですが、選挙権が18歳以上になったり、その他の線引きも以前からまちまちであり、あまり厳密さがない概念だと思います。もし、「子供」「おとな」という言葉がなくても、年齢を数える慣習があるのなら、「年上」「年下」という感覚は持つでしょうね。  この質問は、『もしこの概念がなかりせば、隔世の感があるのではないか』と思える概念、そして、現代を読み解くために今、重要な概念は何かというものです。「無意識」「アスペルガー」を僕はあげました。他には、トマ・ピケティで注目された「資本収益率」>「経済成長率」…お金がお金を生む方が勝っているので格差が生まれる…、税務で言うと「資産性所得」と「勤労性所得」って感じのものが現代を読み解く上で影響力が大きくなった概念装置ではないでしょうか。  ある時には『ガキのくせに』と言われ、ある時には『もうオトナなんだから』と言われ、「大人」と「子供」という概念が大きなウエイトを占めるという人もいるでしょう。  個人的に、『この概念装置を手にしてから世の中を見る目が変わった』というようなものがあれば、ご回答ください。では、また。

回答No.5

「宇宙」という概念装置には、階層現象性 という歯車があり、物理というゼンマイを 巻き戻して、無へと還元される。

HeyXey
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  普段の生活で「宇宙」は意識しないのですが、回答者様は意識されているのでしょうか。対称性の破れで始まった宇宙は、宇宙の大規模構造のようなフラクタルな構造を持っているが、またプラマイゼロの無に巻き戻されるのでしょか。  たぶん哲学好きな人は“自己重要感”を無意識に求めているのでしょう。そう害はないのですけど、目の前にいらっしゃると正直、扱いに困ります。

回答No.4

民主主義なんてのは典型的な概念装置で色々と悪さをしますね。 共産主義ってのも概念装置だが、今日日あまり機能しなくなった。 安全保障も概念だけのもんだから、騙されやすいね。

HeyXey
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  たしかに民主主義ってものに疑問を持ちたくなるような昨今です。イラクの独裁者を退治してやれやれと思ったら、ISみたいなのが出てきて、前の方がまだましだったとか、エジプトの混乱もそうです。なにより米国の大統領候補にトランプのような人物が人気となって残っていることに、民主主義の限界を感じます。

  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.3

「概念装置」という言葉ですぐ連想するのは、カントの「純粋理性批判」でいう、「図式」というものです。 人間は物事を認識するときに、あらかじめ先天的に備わった「図式」「概念装置」に当てはめて、それを認識する、それを認知科学者マーク・ジョンソンは「心の中の身体」で、「イメージ図式」と言っていますが、「イメージ図式」はカントのいう「図式」よりももっと幅広い意味でそれを使っています。 カントのいう「図式」は、一つは直観の形式である「時間・空間」と悟性の形式である「カテゴリー」です。 私たちは外界に存在するものを「時間・空間」と「カテゴリー」の「図式」「概念装置」に当てはめて、認識しているので、カントはその「図式」がなかったら、外界は「現象」でしかなく、そして物も不可知である、と考えていました。 もし外界を知るとしたら、その種の「図式」や「概念装置」とを必要としない超越論的認識しかない、といい、超越論的認識にとって、私たちの経験的認識でいうすべての物事は「現象」でしかなく、経験的認識でいう物も「仮象」でしかないと言いました。 それは自我とか「私」に関しても同じで、経験的には自我もあれば、「私」も存在するけど、超越論的には自我も「私」も「仮象」でしかない、と。 これが有名なカントの「コペルニクス的転回」です。 では現代哲学のキィー・コンセプトが何であるかといえば、「差異」です。 ソシュール言語学は「差異の言語学」ですし、ソシュールは言語を「ネガティヴな差異の体系」と言っていました。 私たちは言語があって、しかる後「差異」があると考えていますが、ソシュールはそれを逆転しました。 むしろ「差異」が先行し、言語は後。 そして晩年のソシュールは言語というのは存在しないのではないか、という懐疑に襲われ、「沈黙の10年」に陥りました。 ドゥルーズは「差異について」という小論で、ベルグソンの哲学を「差異の哲学」と言っていました。 そう考えると、あの難解なベルグソンが実に明解に分かるようになりました。 ドゥルーズの主著が「差異と反復」という本で、ひじょうに難解で、私はまだすべて理解するには至っていません。 ハイデガーは自分の哲学を「存在と存在者の存在論的差異」と言っており、「同一性と差異」という本もあります。 ハイデガーはその「差異」によって、古代ギリシャから近代のカント・フッサールまでの哲学の歴史をすべてひっくり返しました。 それはフランス現代思想のフーコーにも言えるし、デリダにも言えるし、バルトにも言えることです。 「差異」のキィー・コンセプトを知らないと、彼らが何を言っているのか分からない。 また、ジャン・ボードリアールの記号論とその社会学にあっても、「差異」が中心的な役割を果たしており、現代社会の諸現象を理解するには、「差異」の理解なくしてはあり得ないほどです。 たとえば私たちは商品を買っていますが、実際は「差異」を買っているのです。 私と他人との「差異」のシンボルとして商品を買っています。 このように「差異」の図式・概念装置は現代社会の、あるいは現代哲学のキィー・コンセプトであり、その理解なくして現代社会・現代哲学を理解できません。 この「差異」の概念は、古代ギリシャから近代までの、ことにデカルトからカントを経て、フッサールに至る近代哲学のキィー・コンセプトであった、自我・主体・主観・「私」の概念をすべて破壊する「起爆装置」を秘めています。 言い代えると、「差異」によって、自我・主体・主観・「私」というものが哲学から追放され、存在しなくなるということです。

HeyXey
質問者

お礼

 お礼が遅くなってすみません。  たしかに「差異」は重要なキーワードかもしれませんね。この世界に絶対的で独立した存在は無く、すべての事物は(言葉でさえ)相対的な差、つまり差異によって成り立っているというような構造主義的な捉え方をするのが今日的だと思います。ただ、そうなると犯罪者の“責任”があやふやになって、さまざまな条件の関係性によって犯罪を犯してしまったのだという解釈になってしまいそうです。でも、刑事罰も構造主義的なものであって、便宜的なものと捉えれば釣り合っているかもしれませんね。  王道の回答をありがとうございました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

子供、という概念が有名です。 2~300年ぐらい前までは、子供という 概念は存在しなかったそうです。 小さな大人、という概念でした。 それが、子供という概念が出来てから、 子供は可愛がるものだ、育成すべきものだ という観念が強くなったと言われています。

HeyXey
質問者

お礼

 お礼が遅くなってすみません。ご回答ありがとうございます。  「子供」ですか、へぇ~×20。当たり前になりすぎると、自分が概念装置を使っていることすら意識できないようになるものですね。おもしろい回答をありがとうございました。

回答No.1

概念装置とは、人間が思考したり概念を伝達する上での共通理解の助けになる志向の枠組み、言葉群と考えます。 私は質問者様の理解とは多少異なる解釈をしています。 「電磁波」これは実際に観測・測定可能な物質世界の現象ですので、厳密には概念装置ではないと思います。人間が理解できるようになったのは19世紀からですが、人間とは無関係に自然界には存在しています。 「重力」は最近やっと重力の歪みの観測に成功した可能性が高まってきた段階であり、正体は未だ不明、しかし人間がわかっていないだけで電磁波と同じく物質界のいち現象であることは間違いなかろうと思います。 これとは異なり、「ダークマター」はその正体は全く不明、単なる仮設でしかありません。ダークマターという物質を仮定しないとつじつまがあわないからあるかもよーということで、もしダークマターを定量的に扱った学問体系が在るのなら概念装置として役割を果たしているといえると思います。 「無意識」も、実際に存在するわけではなく、人間の行動を理解するために無意識とか識閾下などというものの存在を仮定すると説明しやすい、ということでしょう。しかし、人間を理性に従い機械的・合理的に行動するという前提の近代的合理主義の超克という側面で見ると、(現象面で見ると脳の中での電気信号の異常なのかもしれませんが)わけもわからず頭のおかしな人を縛り付けておいたり電気ショックで痛めつけていた「科学的合理主義」に比べて遥かにマシであり、現代にまで繋がる大きな概念装置だと思います。 アスペルガーというのは、まさに概念装置ですね。病名がつくと、それは生まれつき馬鹿であったり生来の怠け者などではなく、本人の責に期するものではなく医療の対象であり治療可能・保護対象であるとカテゴライズするわけですから大活躍です。 先ほどの近代的合理主義の理解で言えば、単なる「馬鹿(ガイヤー)」で片付けらていたことに比べてとても理解が進んだのかなと思います。 概念装置とは斯くの如く理解に助けになるのですが、一方で決めつけであり、主張する人の価値観の表明にしか過ぎないものがたくさんあって、使い方には特に社会科学にあっては慎重であるべきと考えます。 少なくとも、他人が考えついた「概念装置」を鵜呑みにしてそのまま自分で言葉として発することの無いよう、気をつけることにしています。

HeyXey
質問者

お礼

 お礼が遅くなってすみません。さっそくのご回答ありがとうございます。  概念装置のネガティブな側面に言及いただいた点については、確かにそうだなぁと改めて気づかされる思いです。ただ、定義については相違があるようで、と言うか、僕は寡聞にして正しい定義を知りません。しかし、放送大学の認知心理学のテキストでは『たとえば物理学の場合は、物質、エネルギー、質量、速度、加速度、分子、原子…といった概念装置によって、さまざまな物理現象を理解している』、あるいは『どのような学問であれ、草創期には、適切な概念装置は存在しない。研究の中で徐々につくりあげていくものなのである。』となっています。  ふだんの生活に目を転じると、「努力」や「能力」を使って原因を理解している人が多いと思います。そして自分に対して自信を無くしたり、他者に対して『もうちょっと努力してくれれば…』とか、『もうちょっと考えてくれれば…、気を付けてくれれば…』と無用に腹を立ててしまいます。  アスペルガー傾向のある人に対して、理屈ではわかっていても、腑に落ちるような感覚にはなかなかなれません(慣れません)。ちなみに、僕はアスペルガーではありません。この感覚を例えるなら、右にハンドルを切ると左に曲がる自転車に乗っているようなものです。   https://www.youtube.com/watch?v=MFzDaBzBlL0  要は、この質問は、『あなたが思う重要な概念装置は何ですか?』という質問です。何か思い当たるものがあれば、ふたたびご教授ください。

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