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ドラッカー読みのドラッカー知らず

「論語読みの論語知らず」と言う言葉があります。 同じような事で「ドラッカー読みのドラッカー知らず(略して、ドラ読みのドラ知らず)」と言う言葉が誕生しつつあるようです。 流行に流されやすい人が多いのが、多くの日本人気質だと思いますが、自分より立場が上の人(例えば、上司 etc.)が、この言葉に該当すると困ってしまう事が多くなると思います。 そこで、皆さんの周りにいる「ドラ読みのドラ知らず」について教えて頂きたいのですが。 また、この典型と言えるような話がありましたら、それもご教授ください。 「ドラ読みのドラ知らず」には、どのような事例があるのか興味がありお尋ねします。 宜しくお願いします。

みんなの回答

  • v008
  • ベストアンサー率27% (306/1103)
回答No.1

ドラッガー現象って おかしげな感じを受ける。 だんだん仏典のようになっていて 修行僧から菩薩 如来のような存在があるような社会的構造を構築している印象さえ受けます。 そのことと切り離して個人的な私見を述べますと ドラッガーの力学を活用して何かをした時点で 効果が最小化に向かう。広がれば広がるほど使えないということがおきるのではないか?という力学的な仮説を持っています。 つまり 現実には 信者が増えれば増えるほどそのことでの何らかの効果は生み出せるが 本来のものとはかけ離れている。 一対一で行うことが 一対十では効果が上がらない ナッシュ均衡のほうが有用でシンプルだと思う。 信賞必罰も バーターがも上手くいくことは少ない。やってくれたと思っていた相手が実は無能なことは良くあるからだ。その横で本当に有能な人間は息を潜めて静かに暮らしている。 経済学は その影響が枠の中の外に与えることまでは計算しないという限界がある。 自由競争マーケットの原理が上手く働くのは囲いに入った一定のテーブルの上だけ。 なんていうことは実際の現場経営では当たり前のように起こる  組織の中だけでも複雑化し コントロールが困難になってきていた。  そこにドラッガーがありがたかったステージの時代があった ということではないでしょうか?

ml_4649
質問者

お礼

ドラッカーを使い勝手がいいように使う需要が存在したということですね。 ドラッカーの本質とはかけ離れたとしても。 今の日本での使われ方がドラッカーの本意ではない気がしますが、ご本人が存命でない以上使い勝手のいいように使われていくんでしょうね! 根本に気が付かないともったいない気がするんですが仕方ないですね。 ご意見、ありがとうございました。