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宗教が大切なのでしょうか?
外国では無宗教と言うと、良い印象を持たれないと聞きました。 宗教は生きる指針だったり道徳だったりするのだとか。 反面、宗教絡みの戦争とか事件とかたくさん起きていますよね。(特に欧米とか中東等) それでも、宗教が大切なのでしょうか? これほど戦争や事件が起きていると、無宗教の方が安全では?と感じてしまいます。
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質問者が選んだベストアンサー
西洋や中東の宗教観と日本の宗教観は全く違います。 西洋や中東の宗教観は質問者様がおっしゃる通り生きる指針というか人生哲学みたいなもののようですが、東洋、特に日本の宗教観は人生哲学というよりは生活習慣ですね。 根本的な違いがなぜ生まれるかというと、これは一神教と多神教の違いでしょうね。日本は元々多神教の国でしたから神道も仏教もキリスト教も皆拝んじゃう文化ですが教義にはあまり興味を示さない、対して西洋や中東では教義をとても重要視します。だから他の宗教の人は教義が違う、つまり人生の哲学が違うということですから相容れない間柄になったりするのです。 インド人なんかも多神教の国ですから割りと日本人と似ていて、キリストもブッダもいい神だなどといいますね。 つまり多神教の国で育った日本人は、知らないうちに宗教が身についているので、どの宗教を信仰しているのかという問いに明確な答えを出しにくい特性があるのです。つまり無宗教というよりは、ほとんど全ての宗教を信仰しているといってもいいくらいのものではないかなと私は思っています。
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- mekuriya
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キリスト教は、蛮族だったゲルマン民族を教化して、文明人に変える役割を果たしました。それゆえにローマ教会は、ローマ帝国が滅亡しても命脈をつなぐことができたわけです。だから西欧人にとっては無宗教というのは蛮族と同義語です。略奪、殺人、強姦をなんとも思わない獣だと思われます。 日本人は無宗教ではありません。余りにも当たり前に規範意識を持っているので、宗教を宗教と意識していないだけなのです。日本は歴史的に科学が育たなかった。だから今でも科学が根付いていない。教科書と参考書で書いてあることが違う。私はどちらを信じればいいの?そういう質問をする人がいます。これが日本人の典型です。日本人は疑うことを知らない。信じて信じて信じ尽くすだけです。 西欧人にとって宗教は自と他を区別する重要なキーワードです。キリスト教は、信徒と異教徒を厳然と区別します。歴史的には区別というより差別でしたが。それはローマ教会が、異教徒は奴隷にしても殺しても全然OKですよと教えたからです。そのかわり、同じキリスト教徒を奴隷にしてはいけないとも教えました。殺されたくないから、ゲルマン民族はキリスト教に改宗しました。スラブ民族は奴隷にされてイスラム社会に売られた。そうされたくないから、ルーシにキリスト教(正教会)が広まったわけです。それは自分は蛮族ではない。同じ文明人なのだという自負みたいな意味がありました。彼らは生きる為に積極的に自分の宗教を周囲にアピールする必要がありました。それはキリスト教だけでなくユダヤ教もイスラム教も同じです。せっせと教会に通って、自分も同じ仲間だよと仲間に訴える必要があった。 聖徳太子は十七条の憲法で、「人と争わずに和を大切にしなさい」と教えました。これは仏教の影響を受けた教えなのですが、この教えには仏教徒と異教徒を区別するといった発想が全く含まれていないのです。これがキリスト教のように信徒と異教徒を厳然と区別する西欧の宗教とは全く違う点なのです。 何度も同じことを回答していますが、西欧人にとっての宗教の意味を日本人に理解させるのは本当に難しいと感じています。
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ご回答ありがとうございます。 西欧人と日本人では宗教に対する思い入れや理解が、かなり違うみたいですね。 日本にもそれなりの宗教はやはりあるのでしょうか。 西欧や中東の人と比べると、宗教に対して無関心な人が多い感じがします。
- tsubuyuki
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すごく哲学的なテーマですね。 各個々人、違う考え方で問題無いのだとは思いますが、 私見をチラホラさせていただきますね。 実は、日本人ほど知らず知らず宗教に被れた国民って少ないと思うんですよ。 1月、初詣!と言って、神教徒になりますよね。 2月、バレンタインデイはキリスト教の成人を讃える日だったかな。 3月、雛祭り・桃の節句は神教の考え方だったかな。 などなど、色々あって、12月にはクリスマスを祝うわけですね。 さらに、どなたかが亡くなれば、仏教徒になってみたりしますよね。 無宗教と言いつつ、これだけ宗教的な行事に触れているんですね。 確かに、宗教絡みの事件は多いですね。 ただ、これらは極一部の新興宗教が起こしている事件が取りざたされているだけで、 宗教そのものが争いの種になることは少ないんです。 宗教にかこつけた領地領土争い、権力争いがメインだったりするんです。 結局、時の権力者たちが 「異教徒を追い出して、自分たちの領土にしてしまおう」 と考えた結果であり、 「異教の考え方が気に入らない、話して解決できないなら武力で」 と言う、教えの違いから来る争いではないのです。 宗教と言うのはおそらく「精神的な救い」なんだと、私は思います。 神社にお参りに行くことが、すでに神教への入り口なのです。 ご先祖さんや故人に向かい手を合わせる事が、仏教への入り口なのです。 御神体や、ご先祖さん始め故人に祈ることによって救われるのは、 故人の御魂ではなく、本人なのではないでしょうかね。 故人に祈りを捧げる事すら出来ない無宗教派が 精神的に救われているとは私には到底思えないのです。 無宗教は決して安全ではないと、私は思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに日本では様々な宗教行事がありますね。 私も関わったことはたくさんありますが、自分が敬虔な信者だとは思ったことがありません。 逆に中東とか凄く熱心で敬虔な人が多い気がします。 そういう人達に比べると、やっぱり無宗教に近いのかなって。
- hekiyu
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”外国では無宗教と言うと、良い印象を持たれないと聞きました” ↑ 外国総てではありません。 中国などは大丈夫です。 欧米ではそのようです。 ”宗教絡みの戦争とか事件とかたくさん起きていますよね” ↑ 歴史を見れば解るように、宗教が直接戦争の 原因になったことは希です。 戦争の殆どは、領土と資源です。 ”宗教が大切なのでしょうか?” ↑ 宗教には、副作用が沢山あります。 しかし、それを補って余りあるメリットもあります。 例えば、道徳倫理ですね。 宗教はこれを内面化でき、人間の骨肉とする力を 持っています。 もし宗教が無かったら、社会の秩序は保たれなかった でしょう。 これによる弊害は戦争による弊害を上回ります。 「お国では、子供達に宗教教育をしていないと聞きましたが 本当ですか?」 「本当です」 「お~、それではどうやって道徳を教えることが出来るのでしょう?」 「我が国には武士道があります」」 (新渡戸稲造 武士道 より) 蛇足ですが、日本にも宗教はあります。 文科省によりますと、神道の信者は1億1千万人、仏教は 9千万人だそうです。 神道というのは、学者が国が人工的に作った神道では なく、古来から根付いている日本人特有の情感です。 教義や体系などなく、ただ我々は自然の一部であり 先祖を想う、というだけで信者になれる宗教です。 信者である、との自覚も不要な宗教です。 ”無宗教の方が安全では” ↑ 無宗教の方がはるかに危険です。 例えば、人間の遺体。 これは客観的にみればただの物質です。 しかし、これをただの物質として扱える人間は どれほど存在するでしょうか。 つまり、人間は宗教的感情と無縁ではいられない のです。 遺体をただの物質として扱える人間ばかりだったら その社会はどうなるか。 考えただけでも恐ろしい、と思いませんか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 何となく、自分の中で宗教と道徳倫理は切り離して考えています。 死者に対する悼みなどは、生活の中で宗教に関係なく自然に身についていくもののような気がしたのですが・・・ なので宗教がなくても、ある程度の道徳倫理を身に付けるのは可能だと。 それで、時には戦争になる宗教を持つより無宗教のほうが安全ではないか?と考えました。
- hunaskin
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>それでも、宗教が大切なのでしょうか? そういうことなんですよ。 宗教に限らず、それぞれの正義を主張してひとは争いますよね。 歴史解釈の違い、領土問題、なんかはそれぞれの正義を主張して行われる国家間の争いです。 食習慣の違い、言葉の違い、生活習慣の違い、これらは同じ国民同士でも世代や地域、性別を異にする間で争われる問題です。 争いをなくしたいから、外国の言い分を全てうけいれますか? 女は必ず男の言うことに従わなければならない、と言われて納得できますか? 兄弟の食事の好みにすべて合わせますか? これにたいして「はい」と応えられる人はなかなかいませんよね。 それぞれのひとにそれぞれの正義がありますからね。 宗教戦争というのもそういうことなんですよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 難しい問題ですね。 でも、それが宗教の問題になると頭で理解しても心で理解しきれない部分があります。
- atatataa
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少し宗教関連の書物でも読んだらいかがでしょうか? 少しでも読めば、こんな質問にはならないと思う。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- Teio_Plateau
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思想教育は非常に重要です。思想無き者は猿未満です。 行動基準などの規範となる思想の源流に宗教があります。 テロや戦争が起きているのは、殆どが一神教です。自分たち以外の者を認めない。 そういう姿勢だから危険なのです。また、手塚治虫「火の鳥」にもあるように、政治が宗教を 利用しようとする事がもっとも危険なのです。 しかし、キリスト教を信仰していても、人道的な意味においても立派な実績を残した者は 歴史上に存在しています。しかし、他方ではテロリストもいます。結局、その宗教の価値を 決めるのは、信仰者の振る舞いにほかなりません。「子は親の背を見て育つ」これに近いかも しれませんね。 日本は無宗教というより、無宗教という宗教を信仰した、 宗教アレルギー国家と言えるかもしれません。 思想・宗教を否定した姿が、現代中国であり、戦時中の日本です。 いわゆる国家社会主義の状態ですね。反戦を謳うと思想犯扱いで投獄されました。 思想・信仰の自由を民主主義国家が抑制しようとするのは、危険極まりない。 最後に一つだけ。日本は宗教や思想の面では非常に未熟です。 地下鉄サリン事件をやらかしたオウム真理教は、宗教団体ではなくてテロリストです。 この区別がつかないぐらい日本は未熟なのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 日本が宗教アレルギーというのは何となく分かる気がします。 個人的に、第二次世界大戦の国家神道で失敗したというのも原因ではないかと思っております。
お礼
ご回答ありがとうございます。 宗教が知らず知らず身に付いている、というのは分かるようで分からないような感覚があります。 でも、テレビなどで日本の様々なお祭りなどを見ていると、日常生活の中で宗教に深く関わっているんだなとも思います。 それにしても、西洋の宗教感覚は理解しづらいものが多いですね。