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図星をつかれた時

本当に人は怒るものなのでしょうか?

みんなの回答

回答No.7

こんばんわ。1234さん。 >怒るものなのでしょうか? >怒るものなのでしょうか? :本当に「怒っている」ことは まづ無いと思いますよ。 「図星」をつかれた本人、 「図星だなあ・・」と 「自覚している」はずですし、 図星をついた人に対して 感嘆するか、 図星をつかれた自分に苦笑するか、 一瞬、混乱するか、ぐらいっしょ。 その感嘆や苦笑や混乱が、 あたかも怒っているような形相で つい現れてしまうことがある、 というそれだけかなあと思います。 ___________ ◇ 自分はこのような者である、 と決め付け過ぎている場合、 ◇ さらに固まった自分を基準に 人を裁き過ぎている場合、 図星をつかれると 「笑えるすり傷」を 「骨折・脱臼」のように 感じるかもしれませぬ。 そういう方は、 自分の基準で 自分を裁いているわけですから、 図星をつかれりゃ 勝手に痛がるでしょう。 「怒る」のは、 一瞬の「勘違い」「気のせい」 だと思いますお。

hifumiyo
質問者

お礼

図星をついた人に感嘆してしまいますか。 すげーー感動した、よくわかるなって感じでしょうか(笑) 今回皆さんの意見を聞いて 図星つかれた時の自分のコンディションによるのかもと考え直してるところですが 自分と似た考えの人もいてくれてホッとしています。 回答どうもありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.6

図星だから怒るのではなく、「突かれる」から怒るのでしょう。 この場合の「突く」とは下記ネット辞書の 6 弱い所、予想しない所、急所などを選んで鋭く指摘したり攻めたりする に該当するわけですが。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E7%AA%81%E3%81%8F&stype=1&dtype=0 仮に「弱い所・予想しない所」などへの指摘があったとしても、それを言った相手が自分のことを心底心配しつつ諭すように、あるいは紛れもない慈愛の精神に基づいて言っているのだ、と受け止めることが可能な場合においては怒るという感情には至らないように思います。 「たしかにそれは図星だ」などと穏やかに納得できる場合も多いことでしょう。 「図星を突く」人は、図星の内容そのものより、突くこと自体が目的になっているために、相手へ気持ちを通じさせることが難しいのだと思います。  

hifumiyo
質問者

お礼

真偽にかかわらず、殊更に弱点を突く相手の失礼さに怒るとお考えなのですね。 そりゃ怒りますよね。やな奴ですね(笑) 私は事実であるかもしれないけど真実ではないとき怒る気がするのです。 事実であり真実でもある時、悪意ある言葉であっても怒れない気がするのです。 ショックではあるかもしれないけど でも皆さんどうやら「怒る」で一致してるようです。 回答どうもありがとうございました。

  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.5

どうなのでしょう。 経験談です。以前このサイトでわたしを、誰か過去に接した者と間違え、下品極まりない長文の罵声を返してきた人がいたのです。 第一の応答で、わたしはあなたを存じません、と述べ、相変わらず続く派手な罵倒への第二の応答で、人違いです、と答えました。 その後、謝ろうとしないことにわたしが怒っていると知ると、その人は、もはや絶対に、人違いをして恥ずかしい振る舞いを公衆に晒してしまったことを認めたくないあまり、〈怒っているのは自分〉という逃げ道に入りました。その人なりの防御のスタイルなのですね。 〈怒り〉と〈攻撃〉をわがものとすることによって、自分の恥に向き合わずにいられるわけですね。 そして同時に、その人は、自分の誤りに向き合わずにいられるよう、〈誤りのなすりつけ〉もわがものとしました。 わたしに複数のIDがあると考え出し、自分の犯した恥ずかしい人違いという出来事を無いことにしたかったのです。 こうした防御のスタイルを持つ人が、それからどうなると思いますか? 自分の作りだした〈防御〉とともに、〈自分が受けた攻撃の苦痛〉も作りだされるのですよ。 自分を見つめずに済むよう構成された防御のスタイルが、自分への攻撃への仕返しという口実を手に入れ、強化されるからです。 怒りのメカニズムは深いですね。そこには自己正当性の観念が横たわっていなければならず、ところが自己洞察なき自己正当性というのは、正当化の手続きが先に立つのですね。怒りがそのような手続きによっているなら、自己洞察の過程における事象への同心円的で根源的な怒りの感情とはまったく別のものですね。見分けるのは難しくないでしょう。 上記の経験談のその後がどうなっているかは、わたしの名前を検索エンジンで検索してみれば容易に見つけられることでしょう。果てはありません。しかし上に述べたように、どこまでもその人本人の問題であり、その人の図々しさがその人に与える恩寵ですね。こんなところでどうでしょうか。

hifumiyo
質問者

お礼

?? amaguappaさんが図星をついたら相手は怒り それはエスカレートすることもあるということでしょうか。 私はその件を見ておらず検索もかけてないのですが (果てはありませんの言葉だけで十分なので) 延々と続いたのでしょうか? 本当に怒りは意外と奥が深いですね。 回答どうもありがとうございました。

回答No.4

怒る場合は、自分を肯定出来ていない場合と思います、その理由が怒る理由になるからです。そして具体的な話の内容が、自分が自分を肯定出来ていない部分です。 何を居云われても怒らない人が居たなら、その人は、大抵の事を受け入れる事が出来ていると思います。その理由は、『馬鹿』といわれても怒らない場合では、本人の頭の良し悪しではなくて、馬鹿な自分を自覚して受け入れている事を意味すると感じます。 という訳で、自分が受け入れられない事柄をストレスとして、『自分の心から排除したい事』の表れとなっていると感じます。ストレスの発散方法が『怒る事』に繋がっていると感じます。

hifumiyo
質問者

お礼

まさに感情は指針図、でしょうか。 どうもありがとうございました。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.3

#1さんの言葉を借りるならどうしてそれが地雷となりうるのかという話をしているつもりなのですが。

hifumiyo
質問者

お礼

地雷を踏まれた時、怒ったり悲しんだりします。 イヤなことをされたから。 でも図星の時は怒悲の感情をとっさに表現できない気がするのです。 時には怒悲すらない、ぐぅの字も出ない でもなぜかイヤな感じはあまりしないみたいな。 うまく説明できないんですが 私の認識が違うのかなぁ。 どうもありがとうございます。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.2

怒りますよ 私は何人もそれで怒らせてきましたから なぜ怒るかといえば そこは自分自身が一番見たくない部分だからです 当人はそのことをよくわかっているのです。 それを赤の他人に指摘されるのですからプライドが傷つくのです

hifumiyo
質問者

お礼

相手の無礼さに怒るのであって 図星をつかれたからではないのではないですか? 回答ありがとうございます。

hifumiyo
質問者

補足

すみません、回答者さんのことはわかりません。 一般的なお話です。

  • LHS07
  • ベストアンサー率22% (510/2221)
回答No.1

よく人には地雷がありますね。 痛いところをつかれたのかどうかは解りませんが、異常に怒りたくことです。 **さんの地雷はXXとか言いますね。 私にも経験あります。異常に怒りたくなることで 理由は私にもよく解りませんがいろいろ考えてみました。 今まで考えなかったこと 考えなければならないけれども伸ばし伸ばしにしておいたこと 他人に踏み込んでほしくない点 言われた人とはそんなに仲良くないのに、土足で心の中に進入されたとき 余計なお世話と思ったとき 今は話したくないとき、話題にしたくないとき 自分にとって逃げていること、考えたくないこと 本当に悩んでいること 自分の考えている範疇以外にあること 私が、その人を嫌っていたり、心を開くきたいとは思っていないこと 相手が、自分よりもだらしなくて、この人には相談したくないとおもっいたのに、言われたこと 私とは気が合わないと思っていた人 こころの奥深いことまで話したくない人、表面的なこと形式的なことだけ話したい人 虫が好かない人 不潔な人 私より劣る人

hifumiyo
質問者

お礼

地雷、、ありますね。 私も両足で踏まれジャンプまでされたことありました。 怒るを通り越して泣きました。 全く厚かましい人はイヤですね(笑) 回答どうもありがとうございました。