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学歴社会の理由とその社会構図の成り立ちの理由は?

 当たり前すぎて、これまで考えていなかったんですが、学歴社会の本当の理由って何でしょうか?。    学校等の教育機関から出題される問題に取り組み正解率が高い答えが出せ、他者との競争でも勝ち残ることが出来る人=仕事で起きる様々な問題も解決できる能力が高く、社会で絶対に必要となる「競争」に勝てる能力も備わっている。  という感じで、高学歴の人が大規模の給料の良い企業へ流れると、私は考えているのですが・・・。    近年叫ばれがちな、反学歴社会主義者のような事を言わせて頂きますが、教育現場で教わる「学問」は人間が文明をえ築いてきた中で、人々の生活に影響があってその学問を追及することで、人々の生活を豊かにできる「知恵」「知識」ですよね。    その「知恵」「知識」に対しての理解力が高い人が職業の選択でも優遇されるというのは、首をひねってしまう部分があります。でもやはり、「勤勉性」の証明となるんでしょうか?・・・。    教育機関・社の人事に関っているような方のご意見を頂けたら幸いです。それ以外の方のご意見でもお待ちしています。  

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  • apple-man
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回答No.6

今の時代は学歴による区別が目立っていますが、 現在の大学が明治時代にできたときは、 身分による区別の影響が大きかった。  能力評価を優先することが社会の発展に 繋がることは諸外国の歴史からも明らか だったわけで、学歴重視の方向に向かったのは 当然だったと思います。 > その「知恵」「知識」に対しての理解力が高い人が職業の選択でも優遇されるというのは、首をひねってしまう部分があります、  個性とか発想力の問題が大きくなり始めたのは ここ十数年の話で、以前は既存の知識を出来るだけ 早く、沢山吸収し、使える状態になる人材が 日本の社会には必要でしたので、そうゆう人が 優遇されるのは当然でした。  まさに東大生タイプの人が必要だったんで、 東大生を中心としたピラミッドが形成された んですね。 >学歴社会の本当の理由って何でしょうか?。  お家柄に替わる新しい階級制度だと思います。 都市国家の社会では、学歴社会のほうが効率が いいからです。    少し話が飛びますが、中世ヨーロッパの学者は、 その殆どが貴族の出身です。しかし、大学制度が 確立していく中、社会に役立つ知識を持てば 優遇される環境が生まれ、17世紀には 貧しい生い立ちのニュートンやフックが業績を 残すことになります。  同じことを日本は目指してきたと言っていいと 思います。  日本が大失敗した点は、戦後アメリカの 平等思想が共産主義思想と結び付き、 極端かつ不自然な平等思想が広がった ことで、本当は完全には無視してはいけない 生まれ育ちを完全に無視し、学歴偏重に 走ったものの、ここでの差も差別のように 扱ったことです。  ドイツでは今でも学位がないと 会社で100%出世できないという 学歴重視社会であると同時に、銀行の トップなど、特定の家系の人しかなれないと いう生まれ育ち重視の階級制度も存在して います。  アメリカでは勉強のできる人はどんどん飛び級 させ、学費免除など優遇措置をとります。  日本は最近ようやくアメリカタイプの 学歴重視の方向転換を試みていますが、 いろいろな反発があるようでうまく 行っていません。

komadakomada
質問者

お礼

「日本の失敗は平等思想が共産主義思想と結び付き、極端かつ不自然な平等思想が広がったことで、本当は完全には無視してはいけない生まれ育ちを完全に無視し、学歴偏重に走ったものの、ここでの差も差別のように扱ったと」  この点は非常にうなずけます。  歴史に左右された国家体制の影響なんでしょうかね~。

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回答No.8

去年から就職活動をしています。 他の方のように立派な意見はいえませんが(嫌味でもなんでもなく、社会経験も人生経験も浅いと自覚しています)思い当たる事がいくつかあるので、回答したいと思います。 いろいろな選考を受けて最終的に納得できたのは、人事の人も実際に仕事をしてもらわなければ、本当の所はわからないと言っていたことです。将来についてその人がどう成長していくかもわからないですし、何回かの面談でその人を理解するというのは難しいのではないでしょうか。その理由というのは、国内大手の証券会社の営業職の離職率は7割を超えていると社員の方に聞いたことと、就職サイトでの人事の本音についてのインタビューで「実際の所はわからない」というコメントから知りました。しかし、選考を行うことにより、企業と学生のミスマッチを減らすことができることから、企業としてもよりよい人材を取ろうと考えた場合、学歴という1つの基準を目安にすると結果として、学歴社会ができるのではないでしょうか。 ・企業の中で社員の役割を考えてみると、いくつかのタイプに分かれると思います。実際に考える人と、実行する人、また、専門的知識の必要とする人などがあると思われますが、実行する人では、着実に物事をこなす能力と、作業効率、また、仕事上での新しい知識を増やす将来性を考えたときに、高学歴の学生の方が普通の学歴を持った学生よりも優秀な可能性が高いからではないでしょうか。 また、高学歴=「知識」「知恵」に対しての理解力が高い人となっていますが、その高学歴に至った過程が大事なのではないでしょうか。具体的には、受験時代における「知識」「知恵」に対する理解のスピード感が仕事における作業効率にかかわってくると思います。また、確率的に高学歴の人の方が、受験の中で勉強を投げ出さずにいたという「自己管理能力」も評価の基準になるのではないか、言い方を変えると、「我慢強い人」という事になると思います。 トータルで見ると高学歴の方が仕事ができる可能性が高いという事と、企業側から見ると、間違いの少ない人材を採用できるという事が高学歴化につながっていると感じました。

komadakomada
質問者

お礼

 その通りな話で、学歴はこれまで生きてきた証であり、その為に頑張った証明書なわけですよね。    あくまで可能性ですが、「高い」と受け取られるでしょう。

  • may-may-jp
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回答No.7

「理解力」が違ってくるからだと思います。 例えば新入社員に対して同じことを言っても、10言わないと1を理解してくれない人と1を言って1を理解する人とでは、その社員を育てるのにかかるコストは単純計算でも10倍違ってくるのです。それが積み重なれば・・・と考えると、経営者が「できるだけ理解力のある人間を」ということで大卒(それもなるべく有名大学の学生)を採用するというのも納得できるのではないでしょうか。 そういう「言ったことをきちんとやるいい子ちゃん」な学生は、裏を返せば「創造性・個性がない」ということになるわけで、いいことばかりという訳にはいかないのです。一方で、創造性がある!と思って採用しても、会社の業務から逸脱してばかりの社員というのも、生産効率を下げる要因です。 以上のことから、会社にとっては「高学歴」で「均質なレベル」の新入社員というのが理想的なのではないかと思います。そしてそれが、大学へ行くのは一握りだった時代からの歴史(上司・教える側のレベル)とあいまって「学歴社会」というものを生み出しているのだと思います。

komadakomada
質問者

お礼

 シンプルかつ説得力あるお答えありがとうございます。視点を変えれば、反学歴も正論なのですが、大学卒者はその資格を得る為に、どうやって生きてきたかというと、「現実的な目標設定をする能力があり、それを実現する計画性と忍耐力があり、その為に必要な試験を突破できる理解力がある」  これは、組織活動で必要な能力で、大学卒業することでそれを証明したわけですからね。  ありがとうございました。

  • IQ-Engine
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回答No.5

 私は人事に関わっていますが、ここではその立場としてではなく、全くの私見で意見させていただこうかと思います。  学歴社会とは、別に誰かが(人間が)そうなることを求めて作り上げた社会なのではなく、結果の一面に過ぎないのだと考えています。  終戦直後の日本まで遡ると、国力の立て直しを図るために諸外国(特にアメリカ)の影響を受けながら法律や民主政治の原型を整備してきたように思われます。ですが、日本はもともと他国に輸出できるような主だった資源を保有しない、本当に心もとない国ですから、今のような経済発展を遂げたのは奇跡のような気もします。これを支えたのは、今の引退期にある方たちなのですが、そういう方たちは必ずしも高学歴とは言えません。  技術立国日本などと言われたりしますが、それは資源を持たない国ゆえ、物造りで経済を支える必然性が生んだ賜物でしょう。物造りに必要な「技術」や「知識」は言わば日本の経済発展の原動力に直結していると言っても、言い過ぎではないように思います。  戦後の経済成長を見てみても、先に他国から資源を仕入れて、それを製品に変えてから消費したり輸出しなければなりませんでしたから、生産現場の機械化や効率化(生産性の向上)というのは発想的に当然の成行だったかもしれません。これが後の機械化技術に始まる産業なのでしょう。  ちょうど経済が上向いてきた時(昭和40年代)と重なるようにベビーブームが始まったのですが、その頃に生まれた人たち、つまり現在の30代の人たちは年齢別での人口が最も多いので、進学というひとつのプロセスも「狭き門」としてシミジミ経験しています。  言い方を変えると、学校が学力の差で選別する「大競争時代」を作り出したとも言えそうです。そして、中学よりは高校、高校よりは大学というように、より上位の高等教育を受けるほど専門性も高くなりますし、特に起業した人たちも「自分よりも専門性のある人間」を積極的に使い、事業の戦力としたい気持ちがあったかと思います。  実は、ベビーブーム世代の人たちは、この進学ひとつとっても非常に過酷な競争だったと思いますし、現に進学の機会を失った人はそれまでの学歴でしかないのです。当然、複数の学歴者が社会に生まれてきます。  これを企業はどのように受け入れればいいでしょうか。より専門性の高い、新しい技術を生み出すことに必死な企業は、少しでも即戦力となり得る人材に目を向けたいのです。自社の競争力を高めてくれそうな人材であれば、投資も惜しまないでしょう。ゆえに、高学歴なほど欲しがられます。  ただ、「職業の選択でも優遇される」というのはいささか誤った認識であると考えています。確かに、進学は安定路線と考えられる側面もありますが、職業というのはなにも既存の企業に採用されることばかりを言うのではないはずです。たとえ中学卒業の学歴しかなくても起業することはできますし、学歴を離れて専ら興味のあることを追求して立派なビジネスを作り上げる人たちもいます。こうした人たちが、また新たな雇用機会を作り出していることも事実ですから、高学歴であることが必ずしも職業の選択性において優遇されているとは言い切れないでしょう。  私は、いやゆる「反学歴」という考えや主張が生まれるのは「就職」や「人事」という限られた世界だけの一種の反感や反発であるような気がしてなりません。当事者となった人の主観が生み出す「理不尽」のことを言うかもしれません。学歴社会という言葉そのものは、日本が求めている姿を言っているのではなく、そういう路線をたどってきた結果を言っているのではないでしょうか。  ご質問の主旨から幾分離れた回答になってしまいましたが、確かにおっしゃる通り、「知恵」や「知識」は我々共有の財産ですから、その理解力や知識の大小だけを計って職業の選択を制約されてはならないはずです。  ですが、既存の企業の採用基準や人事という要素を除いても尚も職業の選択が制約されるという仕組みや事実があるのなら、それはむしろ国の行政そのものに問題があるような気がします。だとすれば、国民の力で社会の仕組みを変えるチャンスはまだあるわけですね。別の言い方をすれば、人がそういう社会を望めば変わる可能性もあるわけです。結局は、その人個の社会に対する働きかけや志次第ではないでしょうか。  大変偏った意見に終始してしまいましたが、このような考え方や見方もあるのか、くらいに受け止めていただければ幸いです。  余計な事ではありますが、私自身は高卒の学歴しか有しておりません。ですが、職業の選択に関して意識の持ち方が違ったことも幸いして、自ら目指した職業を自らの手で形にしております。

komadakomada
質問者

お礼

 今の30代の方達の受験競争は今の比では無かったと体験者からよく聞きます。  人事職に関り、自身の職業選択の体験も織り交ぜた、 大変貴重なご意見ありがとうございました。  

  • blacklabel
  • ベストアンサー率12% (124/1033)
回答No.4

一部の学校や学部によっては、ろくに勉強もしないでも卒業が出来てしまうという現実があります。 学生も、学校には遊びに行くだけと思っている人も多いですよね。 従って、大卒だけど中身がないという人が増えたのが原因でしょう。 本来は、貴方の言う通り、勉強をして学問を身に付けたのだから良い仕事ができる素質があることを期待するわけですよね。 おまけに、私が思う学歴とは、どこの学校出身かではなくて、何をどれだけ学習してきたのかということ。学習歴のことを学歴と解釈するのが良いと思います。 だから、有名大学出てたとしても、勉強もしてないようなら学歴は「なし」ということになります。 これからは、真の学歴社会になることを望みます。

komadakomada
質問者

お礼

 大学の有り方が問われている時期なんでしょうね。  米式への大学路線変更がベターでしょうか・・・。    最近は大学生が繁華街で馬鹿騒ぎをしていますよね。  あの姿はまさに「中身の無い、大学生」の象徴デス 

  • densha
  • ベストアンサー率29% (333/1123)
回答No.3

 会社に勤めた場合、資格試験の合格が仕事上不可欠であれば、 当然、「高学歴=試験突破の達人」なので・・・ また、学閥もあるでしょうね。 旧大蔵省官僚は3(5)つの大学が占めていましたよね。 実質、1つの大学ですが、日本のお金はここから始まる訳です。 事務次官の同級生という理由だけでも、会社の役に立つ場合もあるでしょう。 そして、その同級生と同級生と言うだけで、また・・・・  学歴(出身校や資格試験の点数)をとても知りたい場合がないですか? 例えば、医者とかどうですか? 8割以上が合格する試験ですが、(偏差値で)最低ランクの 私学でも半分くらいは合格するのです。 確かに、テストだけでその人を判断してはいけないでしょうが 初めて行った病院に入院して、その医師の能力を十分知る間もなく 担当医になったら・・・ やはり、得られる情報は得ておきたいものです。 企業の採用担当者も同様かと思います。  学歴(試験)以外に測る尺度や十分な考察期間がなかった事も原因でしょうね。 終身雇用制だから、なるべく味見の前に外観(学歴)で 判断するしかないのでしょう。 我々が買い物の際にパッケージやメーカーを見るのと同じでしょうね。

  • 100Gold
  • ベストアンサー率27% (284/1018)
回答No.2

学歴社会における高学歴な人というのは、決して「出題される問題に取り組み正解率が高い答えが出せ」る人ということではありません。これまでに社会にとって有用な人材を輩出している教育機関において教育を受けてきた人間です。また、そのような人は今後社会において中核的な人材になるであろう人々と交誼を結んでいます。ゆえに職業においても高い生産性をあげる可能性が高く、そこに学歴社会の成立しうる理由があります。 日本では大学進学率が極限まで上昇してしまい、全員が高学歴になってしまったこと、および大学の教育内容が社会のおける必要性と乖離してしまい、長期間の教育が生産性の向上に結びつかなくなってきていたことが学歴社会否定論の出てきた原因になっています。 大学の教育内容は見直されつつありますので、今後は大学院なども視野に入れた第二次学歴社会がはじまるかもしれません。

komadakomada
質問者

お礼

 「学歴社会における高学歴な人というのは、決して出題される問題に取り組み正解率が高い答えが出せる人ではない」  これは実体験からのご意見でしょうか?。  大学院が最高学歴になる日は近いでしょうね。  少子化で、4年生大学でこだわらなければどこでも入れる時代ですから。  極化な時代ですね~。  ありがとうございます。

noname#118466
noname#118466
回答No.1

いろいろな見方の出来る問題ですね。答えは百人百様でしょう。 1)採用者が創業社長自身なら学歴にこだわらないでしょう。(人を見る目を持っているから)昔から早飯、早糞、早刀な男は人より優れたことをする能力があると見られていました。現代なら、何事もてきぱきと処理する能力を備えた男ということになるでしょう。 2)特殊能力・知識・経験などをを求める職業(医師、弁護士など)には高学歴が求められます。 3)採用の基準を設けざるをえない。採用担当者が会社の最高実力者でない限り、個人の好みでは採用できない。基準をどうするか。現在では安易に学歴(学校名) に頼っている。就職難がこの傾向に拍車をかける。 4)終身雇用制度の悪弊 仕事に合った実力のある人を途中採用するのではなく、ある基準で選んだ素人を長期間の社内教育・訓練で、ポストにふさわしい人材に育て上げる。そのためにはいい素材が欲しい。しかし、人間のいい素材の基準が分からない→学歴、学校に頼る。 学歴・学校と就職後の力の発揮には公式も相関関係もないはずですが、職場を運営するのは神ならぬ凡人ですから、単純に実力主義だけでは通らないのが現実だと思います。 今年は申年です。猿の社会をよく観察すれば参考になることが多いと思います。群れのリーダはメスの人気ものであり、決して肉体的な力を持つ猿ではないそうです。動物の世界において肉体的な力は高学歴に匹敵するような要件ですが、しかし、それだけではリーダにはなれないのです。

komadakomada
質問者

お礼

 多くの入社希望者をふるいにかけるの為に、一定基準を設けるのは必要ですね。  猿の社会・・・。  人間の起源でもある、猿社会でも同様な現象があるんですね。  勉強になりました。

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