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シニア世代の悟りとは?
- シニア世代になると、多くの人が自分なりの悟りを開いています。
- 60歳からのシニア世代には、人生の経験からの洞察があります。
- シニア世代の悟りは、若い世代とは異なる価値観や視点を持っています。
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- ok2775
- ベストアンサー率20% (102/487)
いまだ悟りを開けません。 60は越してしまいましたが未だに迷いの境地に居ります。 前の回答者の方もいっておられましたが、悟りとは何でしょう。 そもそも人は迷いの中に生きている その迷いが消えた時が悟りが開けたとお釈迦様は説いています。 では迷いとは 1.欲望 2.嫌悪 3.愛執 4.恐怖 5.疑い 6.みせかけ と、このようなものといっております。 どれ一つといっていいほど消えたものは有りませんが、人に同調(協力)して 和をつくれるようにはなってきたと思います。人生楽しくやりたい、そのために 意地をはらずに仲良くしようと思っています。 特にボランティア活動ではみなさんその気持ちが大切なことですね。
- pinkpearl0202
- ベストアンサー率25% (69/267)
40代女性なのでなまいきですが なにがあっても動じない。幸せを 有頂天になって喜ぶのではなく謙虚に受け止め 不幸のなかにも これも勉強と思い前向きに何かを学ぼうとする姿勢ではないでしょうか? 一生人生言う課題の生徒だと謙虚に違う意見も受け入れ 身になるものとできる力ではないかと思います。 自分が偉いと思いこんでいる人で悟りを開いた人はいないでしょう? あと心配することを一切やめました。時間の損だからです。(笑)
お礼
>40代女性なのでなまいきですが 女性ですから許します (笑) そうですか、ありがとうございました。
- alterd1953
- ベストアンサー率20% (239/1173)
う~ん。「悟り」と言ってしまうと微妙なんですが 若い頃より圧倒的に生き安くなっているのは事実です。 (60才にはもうちょいありますが) 小学生の頃「これで良し」と言って死んだ人の話を聞いて 私もそうしようと思いました。 それには、その時その時をベストで生きるしかありません。 しかし、私は厳しくし過ぎた為に子供に嫌われてしまいました。 ですので悔い無く死ぬのは今のところ無理です。 でも「やれる事の内で、やりたい事をやる」という考えは変わっておりません。 後、人付き合いも、価値観の違う人とは付き合わないという考えも変わりません。 特にモラルの低い人は絶対に受け付けません。腹の底から軽蔑します。 最後に、ニーチェの受け売りですが 「汝の立つところを深く掘れ、やがて泉が湧くであろう」 という言葉は本当だと思います。 私は色んな趣味を持っておりますが この年になって、言葉では尽くせない喜びを得ております。
お礼
>小学生の頃「これで良し」と言って死んだ人の話を聞いて 私もそうしようと思いました。 同世代だと思うのですが 小学生の頃、そんな事を思いました凄い小学生だったんですね >「汝の立つところを深く掘れ、やがて泉が湧くであろう」 深い言葉ですね 有難うございました。
- sadami10
- ベストアンサー率23% (354/1536)
悟りとは。 理解すること。知ること。気づくこと。感じつくこと。があります。仏敵に云うと,まよいが解けて真理を会得すること。 また,悟り絵なんてのがあります。 萬意の絵。また,判じ物の絵。絵で詞(ことば)の意をさとられるもの。鎌と輪の絵に「ぬ」字を添えて「かまわぬ」と読ませる類。 悟り澄ますと云う言葉があります。 少しの迷いもなく悟りきる。また,いかにも悟ったようなふりをする。 上記のように,なるほどと思うようなところと,新古今和歌集に出てきそうな,言葉もあるし,さまざまですが,これ等を読んでなる程と思えてら,それだけ人生を歩んできたことの証しなのです。 私の悟りは。 後悔はしない。これからの人生は何とかなるさ。家族に迷惑を掛けない。 悟りではないが,ゴールデン エージ カラオケで楽しい人生を過ごすこと。
お礼
>人生は何とかなるさ。 頓智でお馴染みの一休さん、実在の人物ですが、臨終のおり、弟子たちに どうにも成らなくなった時、この遺書を読みなさいと言ったらしいですね どうにも成らなく弟子は、遺書を開封したら一言、なんとかなる、と書いてあったらいですね なんとかなると言うより、成るようになると、言いたかったのでしょうが。。 有難うございました。
子曰く、我十有五にして学に志す。 三十にして立つ。 四十にして惑わず。 五十にして天命を知る。 …。 と習ったでしょう? 悟りを開くのは五十歳を過ぎてからでしょう。 私はまだ五十歳を過ぎていないので、悟りは開いておりません。
お礼
私は五十歳を過ぎましたが、まだ野狐禅の域を超えていません(笑) 孔子時代の五十歳は、今の時代の60歳半くらいに成るのかも知れませんね。。 有難うございました。
別に悟りと言う程大層なものはありません。 でもね「死」は沢山見てきましたし、 言葉でも理解出来てます。 もし、あの世とやらがあるのなら、両親に、また会えるのかな? それが楽しみでもあります・・・。 ですから最近は「死」と言うものに別段怖れはありませんし、 充分生きたのかなぁと言う思いはありますね。 これはもうお釈迦様の心境でしょうか?(笑)。 あなたの質問とは違う回答かもしれませんね・・・。
お礼
生きる事は、ままに成らん事が殆んどであると自覚する事が ある意味悟りかも知れないですね 長年生きてくるとそれを身体で悟るのかもしれません。。 「死」がその総本山 そう思ってしまうと死もまた、 必要以上に恐れる必要はないのかも知れません 自然の摂理には勝てないですもんね。 有難うございました。
- k-josui
- ベストアンサー率24% (3220/13026)
3年ほど前に、シニア世代の仲間入りをしましたが・・・ 悟りとはほど遠いと思っていますけど・・・ 世間ではよく、公務員などを退職された方を見て固い、融通が利かないなどと言います。 (あ私は違いますよ。公務員でもなく、そしてゆるゆるですが・・・) そんな人を見ても「それで自分の人生を支えてきたのだから、当然ではないだろうか」と思えるようになりましたよ。 でも、そのような人が例えば地域活動などにいると融通が利かないのですよね。 これはその人が悪いのではなく、そんな人を採用した側が悪い! そう思えるようになったのは、ある意味悟り???
お礼
公務員に成ろうと思うことが安定志向に根ざしている事が 公務員という仕事がら競争原理が働いてない事が、融通が利かない事になるんでしょうかね。。 >ある意味悟り??? 違いまっせ(笑)^^。 有難うございました。
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お礼
禅の始祖 達磨は安心法門のなかで 迷ふ時は人、法を遂(お)ひ、解(さと)る時は法、人を遂ふ。解る時は識、色を摂(おさ)め、迷ふ時は色、識を摂む と言ってますから 迷い(煩悩)人間である以上、生きている間はどうする事も出来ないのかも知れません。。 有難うございました。