• 締切済み

西田の「アカシアの雨がやむとき」の「雨」は何?

アカシヤの花の咲く頃に降っている「雨」だと思っていましたが、ある時、ある人から、普通の雨でなくアカシヤの「柳ジョ」のことだと教えられ、びっくりしていました。しかし、作詞家の水木かおるの簡単な経歴しか分りませんが、大連などで有名な柳ジョを体験しているとも思えません。だから、余計に気になっています。 初めて先日この欄に質問したら、とても素敵な回答をいただきました。今回はどうなのだろうと少し心配しながら質問している次第です。

みんなの回答

回答No.5

日本の文学や歌詞で、表現される「アカシア」というのは、「ニセアカシア」の事です。 有名どころだと、石原裕次郎の「恋の町 札幌」で歌われていますね。 「アカシヤの雨」とは、いっせいに散る「花」の事だと思います。 桜吹雪をイメージしていただければよいかと思います。 吹雪は決して、雪ではないですよね。 アカシヤは、初夏に咲く花で、だいたい、桜が散ってから一ヶ月くらいして咲きます。 桜と同じように、一斉に散り、アカシアの雨となります。 歌詞の中で、 アカシアの雨にうたれて‥ アカシアの雨に泣いている‥ アカシアの雨がやむ時‥ といっているのは、夜一人で、散りゆく白いアカシアの雨を見て、別れた恋人の事を思っているのです。 つまり、恋人と別れた悲しさ を 「アカシアの雨」と暗喩しています。 「アカシアの雨がやむとき」の意味は、表面的には、 「アカシアが全て散ってしまったとき」という意味ですが、 暗喩としては、 「自分の心に振る悲しみの雨がやむとき」という意味だと思います。 つまり、散っていくアカシアの花と、散ってしまった自分の恋を重ねあわせているわけですね。そういう視点で、もう一度、歌詞を眺めてみたり、歌を聴いたりしてみてください。違った感動があるかと思いますよ。  しきりに歌詞で、自分が死んだ情景を想像(妄想)していますが、アカシアの白い花に埋もれた自分を想像しているですね‥ちょっと、こここは作詞家のナルシストっぽさが入っていますが‥ ちなみに、アカシヤの「柳ジョ」というのは、ガセネタです。 何故なら、アカシヤは、ヤナギ科ではなく、マメ科で、「柳ジョ」はありません。植物学的にありえません。 「柳ジョ」は、ヤナギ科の植物などの綿毛のついた種で、(タンポポの綿毛みたいなもの) カワヤナギや、ポプラなどでみられます。 ご参考になれば、幸いです。

arugamama3
質問者

お礼

ああっ、雨は花びら。柳ジョは「ガセネタ」らしいけど、「柳ジョ説」に近い解釈。 少し嬉しくなって読みました。 花に包まれて死んでいく姿を想像しました。 ずっと昔、五味川順平の『人間の条件』だったか、題名は忘れましたが、主人公が最後は降り積もる雪に埋もれて死んでいく状況を思い出しました。 ありがとうございました。

  • kimari14
  • ベストアンサー率17% (50/288)
回答No.4

大連を代表する樹木はアカシヤであることは そうでしょう。 6月にアカシアは白と赤の花をつけるそうです。 また古代エジプト人には生命を表す神聖な木で エジプトの神々はアカシアの木の下で生まれたと伝えられています。 ~のようだ ではないですか 柳がわが身の種を遠くに飛ばすために綿をつけた柳ジョ を その方が そのように アカシヤ(ニセアカシヤ)の白い花房を 例えた? もし作詞家が大連で柳ジョの乱舞を見たとしたら 無理を承知で 歌詞の3番の 冷たくなったわたしの抜け殻 あのひとを 探してはるかに 飛びたつ影よ のところですかね。 この歌詞の雨は春とはいえ 冷たく つらい雨でしょう。 ご質問の雨が  黄砂が終わり 中国に春の到来を知らせる柳ジョとは オイラにはとても思えませんがね。  

arugamama3
質問者

お礼

私は、別の方の回答へのお礼の中でも触れましたように、柳ジョは懐かしさを呼び起こすだけのものではありませんでした。だから、「アカシヤの雨」は「柳ジョ」だとの説を「新発見」のように思ったのです。それでずっと信じたままでいました。 ところが、ある事情があって、作詞を読み返しました。すると、誰もが考えるように普通の雨としか読めなくなったのです。私のある時からの思い込みを疑い始めました。それで質問することになったのです。 「無理を承知の」3番の歌詞に気づかせていただきました。 しかし結果的にはその解釈も不可能だと教えられました。 色々面白かったです。ありがとうございました

回答No.3

レインツリー(rain tree)という木があって、ネムノキの一種らしい。有名な大江健三郎に、「雨の木」をモチーフにした連作がある。雨が降ると葉裏にびっしりと雨滴を溜め込み、雨上がりの後もその木の下を歩くと雨が降り注ぐという。 雨の木は何のメタファーだろうか。若かった私はそんな取り留めのないことを考えながら、大江の講演を聞きに行った。まだノーベル賞をもらう前だった。ただ、講演で雨の木の話は出てこなかったけど。しょーもない思い出ですみません。 また、アカシアあるいはニセアカシアは、ネムノキと近縁のようだ。いずれも、葉は羽状複葉である。「アカシアの雨」とは、英語のレインツリーに類するものではないかと思います。

arugamama3
質問者

お礼

ありがとうございます。 私の全く知らないこと。 「レインツリー」は不思議な現象であるように思えます。 素敵な名前だと思いました。

回答No.2

質問と回答に一票。 そして柳絮は知ってが、oakbow4490氏回答に同感。 柳絮はということばは知りませんでした。 大連の柳絮も知りません。 しかし、歌詞や作詞やその他の事を勘案して、柳絮ではないと鑑賞しております。 当時私はまだ22でしたが、こういう音楽より安保闘争と労働歌の世界におりましたが、いい時代でした。

arugamama3
質問者

お礼

ありがとうございます。矢張りそうなのでしょうね。 私が所謂「雨」に疑問を抱いたのは、5,6年前の5月下旬だったろうと思います。ハルビンで数日間続く夥しい柳絮に出会った頃にこの柳絮説を聞き、さもありなんと思ったものでした。中国の幾つかの町で、柳絮の出ない樹木に植え替えを計画していると聞いて納得するくらいに現地の人の生活を脅かしていることをも知ったからです。 私に柳絮を教えた人が今どうしていらっしゃるか知らないのも、ここで質問する気持になっていました。 ないものねだりをしていたようです。済みませんでした。

回答No.1

やはり雨でしょう。最初に >アカシアの雨にうたれて と打たれるのですから、柳じょのように柔らかくフワフワと包まれるのではない。 花は混じるとしても、ポツンポツンと落ちてくる。

arugamama3
質問者

お礼

早速ありがとうございました。 内容については、ちょっと違う感じです。大連などの柳ジョをご存知の方だったらもっとよかったろうなと思います。

関連するQ&A