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聖職

なぜ教師や医師が聖職者と思ってない人が増えているのですか? 聖職者の意味を最近知って気になってます!

みんなの回答

  • 3355Teach
  • ベストアンサー率11% (12/101)
回答No.8

聖職者とは、信者の上に立って指導をする宗教者のことです。これを、教員や医師のレッテルにすること自体が間違っているのです。こういう根本的なことを等閑視してはいけません。教員や医師が、自分を聖職者だと思っていたら、その方がおかしいのです。

  • doimama
  • ベストアンサー率23% (10/42)
回答No.7

一昔。。。いや、二昔前までは、一般人以上の知識・学歴がないと先生になれなかったという事もあるのでは? 今は、誰もが大学に行って、かなり簡単に教員免許を取る事が出来ます。 そして、とった人間が教員になるかといえば、そうではなく、一般市民になっているんですよ。 で、その一般市民の子供の親になるわけで、親からすれば、自分とあまり変わらない人間が『先生』をしているという事でそうなってしまうのではないでしょうか・・・。 学校によっては、『先生』を敬う気持ちをしっかり持つことを教えてくださるところもありますよ。

  • tattaro
  • ベストアンサー率19% (30/153)
回答No.6

別に増えてないでしょ。 どんな職業もどんな立場もぴんきりだってだけだよ。 全ての家庭の親が、子供の模範となる優れた人間性かい? とんでもない!くそみたいな親が殆どだよ。 子供にとって最高の聖職者たる親がそんなもんだ。

回答No.5

聖職者なの?そもそも そういう設定・思い込みを強制したいの? だったら、学生・生徒は聖職者の支持に絶対服従という設定にしてもいいのかね? 当人の思い込み設定を大前提にするのは極めて不適切だが、それを思慮できない人間が増えているのだろう ちなみに、質問者が聖職者の意味を理解しているとは思えない 小生もその言葉の恣意性を思慮して、十全に理解していないが

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.4

>聖職 なぜ教師や医師が聖職者と思ってない人が増えているのですか? ↓ 善しにつけ悪しきにつけ、当該世界の情報&実態のオープンと就労の一職種としての意識が当事者にも周囲にも利用者にも強まっているからだと思います。 ◇情報・内容 聖職者だと禁欲・現世利益と引き換えにした活動活躍に対する名誉や名声があって、更に美化喧伝されていたものが、功罪も汚点も広く報道され従来の尊敬や理想とのギャップもあってイメージが良く言えば身近な存在、悪く言えばサラリーマン化したり稼ぎや権限と仕事やモラールのアンバランスを指弾する意識も見られる。 従来の天職・一子相伝的な特権階級や指導者意識による選ばれた人物と言うプライド、責任感、知識&情報&技量のクローズされた中にある優位性や与件が薄れ、原則としては誰でもが成れる職業であり、その実態(仕事・人間性・モラル他)が明らかになっている事からの親近感と特別ではない意識が強まっている。 懐旧的な神格化された聖職者イメージと現実の個々の人物や行為に対するギャップが見られた時にバッシングも起こり、逆に報道される場合には聖職者イメージとの矛盾やギャップには厳しく誇張された報道にも繋がり理念としての聖職者のイメージとの反作用・裏切られた意識が聖職とされていた職業〔教師・医師・神職・僧etc)に向けては増幅するのではないでしょうか。 厳しい&難関でも、志し目指すならば、誰でもが試験や資格にて成れる時代であり、職業となり、必ずしも跡目相続や出自は関係しなくなり、特別な聖域・別次元・職業と品格とリーダーシップに一貫性は無く、聖職と言う認識や評価は当事者にも周囲の見る目も希薄化し既に喪失している。 ◇就労の一職種としての意識 世の中全体に一子相伝・家柄・師弟(徒弟・家元)制度等が崩壊&特殊化しており、誰でも画志し、目指すならば資格取得や就労の道は開かれている。 国家試験や資格認定にて、真に知識・経験・資格を持ち就労出来るし、人物の品格や活動の評価は個々の対象で見られ真贋を絶対評価され相対評価もされる。 そして、第3や第4と称される権力を持つマスコミ(報道)や世論(世評・口コミ)にて厳しくチェックされ,期待と現実の乖離には手厳しい辛口の批評に晒される傾向にある。 その為に、聖職者とか聖職という意識は当事者には薄く、その期待やイメージを重荷・ありがた迷惑に感じている側面も強い。 モンスターペアレントや教師や医師の事件、税制や年金問題、日教組とか医師会の政治への関与等から、価値観や観点としての聖職者意識は普段は希薄&ゼロに成っており、聖職者とか聖職は死語に近い対象だと思われる。 それが、一旦、教師や医師等のかって聖職者と見られていた職業や資格を持った人物が、事件や問題や矛盾を行い起こすと深層心理にある聖職者にあるまじき行為と感じる。 そこにはモラールやイメージの中の聖職者観(倫理観・清新なリーダー)と実際の世俗にある人物の行為とのギャップをダブルスタンダードで見る伝える評価すると言う自己矛盾も有るのだと思う・・・。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

お金万能の世の中になりつつあるから だと思います。 子供の人格形成のため? 金の為にいやいや教師やっているだけだよ。 病人の喜ぶ顔を見たい? 医者ほど儲かる商売はないからだよ。 だから、お金は卑しい、とするぐらいで 丁度良いんですよ。 誰でもお金は欲しいのです。 だからこそ、お金は卑しいとして ブレーキを掛けようとしたのです。 しかし。 現代ではお金が欲しい、ということを 正面から認めてしまったので、 遂に暴走してしまいました。 お金は卑しいとして、ブレーキを掛けようと した先人の知恵を捨ててしまったのです。

noname#198951
noname#198951
回答No.2

一部の辞書には 【宗教上の聖職に就いている者。僧侶・神職・神父・牧師など。】 とあるからではないでしょうか?

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.1

>>なぜ教師や医師が聖職者と思ってない人が増えているのですか? それは、人間の世界を超えた、神の領域があることを否定している人が増えているからです。もちろん、教師や医者のまわりの人だけでなく、その職業についている人たち自身が、「自分は単なる労働者」と思っているということも理由のひとつですね。 人間以上の存在を信じないかぎり、「これが正義である、これが真実である!」なんて言い切ることはできませんので、教師は生徒に自信を持って指導することができません。 また、医者も、「人間は霊とか魂なんて全然関係ない単なる物体」となって家電や車を修理する修理工と同じ仕事をしていることになります。 人間の存在を超えた「聖なるもの」を知らないので、教師や医者自身を含めて「聖職」と思わないわけです。

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