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名古屋市内初空襲は?
私の記憶(70年前)では4月に間違いないですが鶴舞公園からみた1機はちょうど真上にいた、どうみても双胴機(ロッキードP38)だったと思いました。 「警戒警報」「空襲警報」も鳴らなかった。 空襲警報のサイレンが鳴ったのは、高蔵工廠へ爆弾が落とされた時でした。 なにもかも面食らった出来事でした。 鶴舞公園の高射砲が「カン、カン」とゆう音とともに足元へ熱く切り立った破片が多く落ちてきた。 資料ではドウリットル作戦とゆうらしいが、B25が来たとゆうのが資料ですが、私のみたのはP38でした、がどうでしょうか。 (東京初空襲は1942、4、17日 B25―25機となっています。 ) 名古屋を爆撃した飛行機は中国の基地で間違って日本の占領基地へ下りてしまい乗員は殺されたと聞きました。 本当にB25だったのかP38だったのか知りたいです。
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- staratras
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ご指摘のとおり、名古屋市など本州の主要都市が初めて空襲を受けたのは昭和17年4月(18日)で、アメリカ陸軍のB25爆撃機によるものと記録されています。この初空襲は不要な設備を取り外して極力軽量化を図ったうえ、燃料タンクを増設して航続距離を伸ばした特製の機体のB25を日本列島の東方の太平洋上の航空母艦から発進させたもので、P38など他の機種がこの作戦に参加したという記録はありません。 爆撃機B25は戦闘機P38よりは大きく、また双胴ではありませんが、どちらも双発機で垂直尾翼が2枚あるなどの共通点もありますので、やはりご覧になったのはB25の可能性が極めて高いと思います。 P38はアメリカ陸軍の戦闘機で艦載機ではないことや、爆撃機B29などと比較すれば航続距離が短いことを考慮しますと、硫黄島や沖縄など比較的本州に近い南方の島々に米軍の基地ができた後でないと、日本本土の空襲には参加できなかったのではないかと考えますがいかがでしょうか。
お礼
回答お礼申し上げます。 たしかに記録による空襲はB25と記録されています、名古屋市内の負傷者も高射砲の破片落下事故によるとあります、双胴に見えたのですかね。 爆弾は「高蔵工廠」での一発のみだと記憶しています。 頭真上を通過した飛行機でした。 帰る家は「雁道」です、飛行機と同行方面です、「空襲警報」は市電に乗ってからでした。 防空体制のあわてぶりが今でも目にやきついています。 ありがとう。
補足
寄せられた回答は1件、目撃者も老齢、PCははダメ、家を焼かれ爆撃で命を落とした多くの人、何の保障も、要求もなし、「人災」だよね。 想定外の天災は「保障」いい時代に生を受けて結構、結構。 ああ我何の為に長生きしているのだろう。 天に生かされ、余命に楽しみを知らず。