少し問題の視点をいじくってみることをご容赦いただけるならば「中立的」との言葉に私はいささか懐疑的な立場をとります。
「裁判」に例を求めるならば、法廷での“Judgement”つまり「判断」が下される場合、裁判官は「何に基づいて判断を下す」のでしょうか?。一人は規範としての法に重きを置きそれを厳密に適用する裁判官もいれば、もう一方には過去の判例に規範よりも重きを置く裁判官もいるでしょう。更にはこれらの判断材料を参考にしつつも実際の案件の持つ意味を重視する裁判官もいるかもしれません。
「中立」との言葉は東洋では一般的に使われる言葉ですが、欧米殊にヨーロッパでは逆に余り肯定的なイメージでは採り上げられない表現です。単純に言えば、ある問題に対して「あなたの考えはどうですか?」と聴かれた場合に答えに窮してしまう姿勢と同様であるとの理解もしくは判断されてしまう可能性もあります。
日本では「波風を立てず」「黙して語らず」の様な姿勢が美徳であると教えられてきた世代の方々もいらっしゃり「意見あるいは異見をいうこと」が時として異端視される光景もまだまだあります。こうした前提を踏まえるならば御題の例文は
(1)「良い」とも「そうでない」とも言い切れない。なぜなら「その時点での選択」が「その後に絶対的な影響を及ぼす」とは誰も予測はできない、からです。
(2)この場合は“裁判官の3つのタイプ”が適用できます。そして“ヨーロッパ的な基準”が成り立ちます。判断する「主体」が本人であるならば、その「基準」が「本人の価値観」に基づく、からです。そしてこの「ヨーロッパ的基準」の前提には「個人と社会の距離感」「個人と社会の関係」を如何にとらえるかとの問題もあります。
日本の伝統的な道徳観念を端的に表す言葉に「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」などがありますが、別な面から見ればそれは「あなた任せ」の反映であり僕は決して「好ましい姿」であるとはいえないと思います。
お礼
中立とは、対立するどちらにも味方しないという意味なんですね。 「人間万事塞翁が馬」と考えたら、意味がよく分かりました。 また、「中立的に」を「中間の立場で」に置き換えたら、よく分かりました。 「中立」自体に良い・悪いの意味はなく、前後の内容で、良い・悪い・どちらでもないが決まるんですね。 とてもよく分かりました。国語力のある方々を尊敬します。御回答ありがとうございました!