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宗教家が神仏への供物を横取りできるのは、なぜ?

お賽銭や供物は、神仏に捧げたものです。 それを横取りする神主や僧侶は、神様、仏様に悪いと思わないのでしょうか?

みんなの回答

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.5

では、完全に供物や賽銭を禁じたら、どうやって寺社を維持管理するんですか? 古来より寺社は村人、統治者、権力者の喜捨を受けて維持管理してきました。 明治時代に国営としたとき以外は全ての時代においてです。 戦後、何の補償もなく放置された寺社において、どうやって維持管理するのでしょう。 当然、僧や神職を含めての話です。 例えば直接ではなくても「神田」或いは「鹿島田」などという地名は神社に寄進されるための田畑が残ったものです。寺社はこの地からの収穫を売ることによって維持管理しました。 現在岐阜の一地域などでは神田が残されています。そこでは村に人々が総出で、或いは当番が付きっ切りで稲を育て、それを捧げていますが、当番は自分の田を育てることができませんので、村中が協力して当番の田を管理していきます。 さらに、昔は神主などというものは各神社には居らず、村長が神主となったり、役職が当番で神主をしたりしていました。 そのような時代に戻れば神社への寄進物で生活する必要もないでしょうが、村人が兵士として戦争をしていた時代から信長らによって兵民分離された戦国時代と同ように神職というものが専門職となったのは歴史の流れです。従って住民は本来神職の衣食をまかなう義務があります。 それが戦争によって一方的に捨て去られたのですから、神社のみならず寺も自らの力で生活を維持するように強制したのは僧や神職ではなく、国や国民ではないんでしょうか? となれば神仏への供物を搾取する神職や僧に対する罰は、真っ先に国と国民に下されるはずです。 私は今のような神社本庁独占のような機構を是とはしていません。村町ごとに長を決め、そのものが一定期間の研修を経てその鎮守なり氏神の神主になればいい。 喜捨物は全て神社の維持管理のためだけに使えばよいと考えていますが、現在の形態も一つの仕組みとして残されても仕方のないことだと考えています。 寺に関しては稽古事の宗家と同じようなシステムで、下から吸い上げていく方式ではなく、本山が維持管理をしていく教会方式に変更すべきだと考えています。もちろん宗派の中にはそのような部分もあります。 悪事をやっていて「悪い」と思っている人など、裁判が始まるまではいないでしょ。裁判が始まれば全てのほとが「悪いと思っていたが仕方がなかった」となるのです。 ちなみに古来より神に捧げたものは「直会」といって皆に分ける作法があります。 実際に例大祭などでお神酒や供米といって配る風習もありますし、御守りの中に供米が入っているものもあります。神職や僧が受けるものはこの一部ということになるので、それ自体が悪いことではないのです。 要は程度問題ということになります。

tk4mzt2
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • superski
  • ベストアンサー率19% (388/2010)
回答No.4

横取りなんて思う人はいないでしょう。 もともとこれら金品は「崇拝、信仰、布教活動のギャラです」と考えていますよ。

tk4mzt2
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.3

旧約聖書には、 ちゃんと捧げものの儀式に使って 残り物を聖所の維持に使用した後は、 払い下げてもらって祭司家族が食べたり家の修理に使ってよいと 主の言葉が明記してるので、かまいません。 ※捧げないで、勝手に盗んだら、雷に打たれてバチが当たった実例も 書いてあります\(^^;)...マァマァ

tk4mzt2
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.2

日本人は、わりと「宗教はいい。でも宗教組織は悪い」という考え方をしますが、それと似ている考えかたですね。 目に見えない神ならいいけど、目に見える人間の組織は悪いってことでしょうか? 仏陀は、「布施」の大切さを説きますけど、これは、僧たちの生活維持、組織の維持に必須のものです。 私たち人間が、本来の力を取り戻せば、神仏の代理人のような人を必要とせず、見えない世界に通じることが可能ですけど、それが無理な現状では、神の代理人が必要となり、その人たちの生活を周りの人々が支えることになります。 また、国防や経済に問題がなければ私たちは幸福ですが、北朝鮮からミサイルが撃ち込まれたり、中国の属国になったり、勤めている会社が倒産すれば、たちまち不幸になります。 そうなってからでは、宗教がいくら頑張っても、人々の不幸を取り去ることは無理です。これは誰しもが納得すると思います。 なので、宗教団体であっても、政治組織をつくり、政治活動をして、そういう事態を防ごうとするのですね。 政治が順調で、経済成長が続いているなら、宗教は、本来の宗教活動のみに専念できるのですが、現状はそうできない残念な状況ですね。

tk4mzt2
質問者

お礼

ありがとうございました。

tk4mzt2
質問者

補足

宗教が本来の宗教活動に専念できるときは、いつ来るのでしょうか。早く来てほしいです。

  • aran62
  • ベストアンサー率16% (485/2911)
回答No.1

お賽銭や供物は、神仏に捧げたものです >本当にそう思っていてそれを信じているとしたら馬鹿です。 参拝者も知っているはずです。それらの金品で宗教家が食っていることを・・・ ですから質問者が横取り云々と真面目に思っているとは思えません。 宗教家にしたら神仏はあくまでも自分が食っていくための商売の道具です。 神仏で自分の食い扶持のために商売しているのでから当然貢物は自分のもです。

tk4mzt2
質問者

お礼

ありがとうございました。

tk4mzt2
質問者

補足

>本当にそう思っていてそれを信じているとしたら馬鹿です。 馬鹿でした。目が覚めました。

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