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神仏に慈悲を願い、取りすがる事は信仰の自由の範囲内で完結するのか その3
三度目の問いです。 その一12月22日付 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5539308.html その2 12月31日付 質問趣旨が誤解されてアラシにあったので削除されました。 主題はこれです。 >そもそも人間同士でお互いに和解して助け合えば、神の救いは不要ではないでしょうか。 人間同士の和解と言っても、仏に関する通念がまかり通る日本では和解のために必要となるのは、自助なのか、宗教の場などでの互助なのか、やみくもに神仏に取りすがるだけのあさましさが必要なのか。 この点からアドバイスをお願いします。
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以前の質問・回答を見ずに書いています。 >そもそも人間同士でお互いに和解して助け合えば、神の救いは不要ではないでしょうか。 とのことですが、結果的に和解・助け合いできたときに、「あぁ、神仏のご加護があったのだなぁ~」と感じる人々もいるでしょうし、「和解・助け合いが可能」だということ自体が、「神仏によってそのように計られている」と考える人がいるかも知れません。 「神の救いが必要か否か」 ではなく 「和解・助け合い」をしたいという気持ち・情動が先にあるということを共有できるかどうかだと思われます。 そういった「気持ち・情動」が先にあって(原因)、来るべき結果としての「和解・助け合い」の向こう側に神仏なりを想定する(結果)人々がおられるのだと思います。 そういった人々は、「先に神仏の救い・加護があって」(原因)、来るべき結果としての「和解・助け合い」が可能だという逆の発想をしているだけで、本質的には変わりはないのだと思っています。 ※先に神仏の救い・加護を想定する人々は、結果が思わしくなかった場合に、責任転嫁先を準備しておく必要があります。逆に、先に「気持ち・情動」を想定する場合には、結果が思わしくなかった場合には、「別の方策」を考えようとするなど、常に前向きの姿勢を堅持することが可能になるでしょう。
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- kigurumi
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>そもそも人間同士でお互いに和解して助け合えば 先日avataという映画をみてきた。 主人公の上司は、ある惑星の原住民(ナヴィ)は野蛮な生命体という認識。 彼らが住む場所の地下に地球人にとって利用大な鉱物が眠っているから、野獣たちを排除して採掘すれば、地球の人々はとても助かるって考えなんです。 別の研究者は、ナヴィは地球人と同じ知的な生き物なので、相手を尊重して交流を深めて友好関係になり、それから交渉して採掘させてもらおうという考え。 主人公は下半身不随で、avataを使ってナヴィの群れに入り有益な情報を仕入れたら、体を元通りにしてもらえるという条件で、彼らの群れに進入して一緒に暮らしたわけです。 目的は体を元通りにしてもらうためなので、自分とは関係の無いナヴィがどうなろうと、知ったことじゃなかったわけです。 ところが異文化で暮らすうちに、ナヴィの高度で知的な文化を知り、彼らの価値を認めるようになったわけです。 でも上司の言うこともわかる。 あそこにある地下資源が手に入ったら、地球の多くの人は助かる。 結局 地球人寄りの視点から、ナヴィ寄りに視点に物事を見る目が切り替わり、ナヴィとして地球人と戦うことになった。 和平は無理で地球人に理解してもらえないのなら、死に物狂いで戦うしかない。 戦争です。 この映画を観てて、イラク戦争を思い出した。 同じ状況。 アメリカにしてみればイラクはナヴィ。 キリスト教徒にしてみれば、イスラム教徒はナヴィなわけです。 ナヴィにしてみれば、宇宙からやってきた地球人の方が破壊者だし、イラクの人にしてみればアメリカ人は宇宙からやってきた獰猛な破壊者なわけです。 日本の捕鯨調査団を妨害している団体いますよね。 妨害している団体にしてみれば、鯨を食う日本人は野蛮なわけです。 日本からすれば、妨害する人たちがナヴィなわけです。 赦すとかそいういう次元じゃあないんです。 文化が違うために認識が大きく違うゆえに、理解しあえない。 avataのように異文化に入って生活しないと、認識を変えることはできない。 神に救いを求めるってのは、、、、 インド方面にカルマって概念があり、生き方により次の人生が決まるという考えがある。 その前の人生に依存しないのが、解脱した人とされた。 カルマの法則から抜け出す→解脱。 以前キリスト教徒の人と対話したときに、「自分はどう努力しても、どうにも今の状況を変えることはできないが、神なら可能なはずだから、信仰してあげる代わりに救え」というようなことを言っていた。 完璧他力本願。 いろいろ努力しても限界を知り、外からの力を求めた というのがこの人の信仰することになった原因。 内にあるのに、外にあるはずだと探している状況。 聖書でヨシアって人が登場します。 ヘブライ語で「神は救い」という意味です。 この人は神の信託を受けて、エリコの丘に住んでいた原住民を一人残らず絶滅させて、土地を奪いました。 この土地は神が自分たちに与えてくれた約束された地という<認識>なので、大虐殺して奪えたわけです。 この土地にはペリシテ人が住んでいた。その人々を虐殺して土地を奪った。 従ってローマ帝国はこの土地を「パレスチナ」つまりペリシテ人が住んでいた土地 とひにくって呼んでいた。 もともとペリシテ人もイスラエル人も祖は同じ、後に分かれてイスラエル人からしたら、ペリシテ人はナヴィのようなものに見えるようになったわけです。 で、ユダヤ人絶滅計画が世界規模で起こったとき、日本人のある集団は、中国のある地域で追い詰められてがけっぷちになったユダヤ人を脱出させて海外に逃がしたやった。 何故 まったく人種が違う無関係なユダヤ人を日本人が救ったのかというと、自分たちの祖とユダヤ人の祖は同じだという認識を持ったから。 だから家族を救うために、危険を冒かせたわけです。 つまり和平の鍵は、親近感を持つかどうか。 異文化理解。 共に暮らすことで、仲間という認識が可能になり、相手の過失に対してはとがめなくなるわけです。 ただし、過失ではなく故意に加害した場合まで赦せと聖書は説いていない。 古代ローマ帝国はいろいろ譲歩したが妥協しなかった熱心党に対して、「もはやこれまで。もう一切の交渉は受け付けない。ここからは戦争の法に従う。生き残りたかったら死に物狂いで我々と戦え」と言った。
お礼
オカマではなく女性と見なしてお礼を差し上げます。 デレデレされるのには懲りた。
- ENERGEAR
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No.5回答欄 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >丸出しで媚びていたから削除されたんだ。 認識が捻じ曲がっているようです。アラシは自分だと気付いてください。 神仏に取りすがる浅ましさもあるが、他人に取りすがる浅ましさもあるということを忘れているようです。他者への取りすがりは 互助 とは言えません。 質問者さんは救われたいのですか?救いたいのですか? 「良心」が捻じ曲がっているのではないですか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 猿が諦めきれずに 最後の雄叫びをあげているような。。。
お礼
締め切り後のコメントです。 新しく質問を始めたが今度こそ邪魔すんな。 媚びる姿勢とも言ったが要するに露骨なとりすがりだよ。 宗教オタクのようだが一つアドバイスしてやろう。 お釈迦さまやイエスさんなどの聖人を神様扱いするな。 彼らはその信仰心の尊さの代表選手だ。 人間として故事に学べ。
- ENERGEAR
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>丸出しで媚びていたから削除されたんだ。 認識が捻じ曲がっているようです。アラシは自分だと気付いてください。 神仏に取りすがる浅ましさもあるが、他人に取りすがる浅ましさもあるということを忘れているようです。他者への取りすがりは 互助 とは言えません。 質問者さんは救われたいのですか?救いたいのですか? 「良心」が捻じ曲がっているのではないですか。
お礼
前回質問を締めた時は、長々と開けているとバター犬と私の愛の交換日記状態になるからと説明したね。 今回もぞろまかと湧いて出やがって。
- hamaki1978
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こんばんは。 下の方のクリスチャンさんに便乗して異宗教という視点から失礼します、ほんの少し神社関係です。 >そもそも人間同士でお互いに和解して助け合えば、神の救いは不要ではないでしょうか。 確かにそうだと思います。 しかしどうしようもない問題は存在します。 例を挙げれば、 自然災害 病 等。我々人の子がどう足掻こうが来るときは来ちゃう!みたいなものですねー。 そういう時人は自身の無力を痛感します。 だからこそ宗派があってもなくても神にすがろうとする。 神道は、神様の代弁者という役割でご参拝の方に接するわけではありません。 要するに神と人との中間で、人様の願いを神様に伝える役割を担っただけの 所謂代弁者というよりは神との「仲取り持ち」になります。 祝詞奏上で人の祈りを告げること。 撤餞献餞といいそして三方に供物を乗せ神様へ召し上がっていただくこと。 玉串を捧げること。 書き出したら限りはありませんが、 救いをお願いするというよりは 神様と人様に奉仕をすることになります。 このような感じで大丈夫でしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 人間同士の和解と協調が成立した現代では自然災害の救済や病気の時の医療は互助の範囲内で人間同士の問題ではないでしょうか。 せいぜい「死」が謎だから神の領域となるのかもしれませんが、それだけにしては醜態が多いでしょうね。 神道の作法はコメントしません。
- ENERGEAR
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>いつも教えて!gooをご利用いただき、誠にありがとうございます。 回答された、下記のprimeape様の質問についてご連絡いたします。 質問内容を確認しましたところ、当サイトの定める利用規約や禁止事項ガイドライン・ネチケットにてご遠慮いただいている内容と判断されましたので、質問を削除させていただきました。 当サイトは、困っている方が疑問や問題を「質問する」ことによって、他の皆様が協力し合って回答を出し合い、質問した方が解決の糸口を見つける手助けの場です。いわゆる掲示板サービスのトピックように意見を表明したり、議題を掲げたり議論や雑談をしたりする場所ではございません。質疑内容を確認させていただきましたところ、意見表明(意見募集)や議論などを目的とした投稿のようでございましたので、大変申し訳ございませんが質問を削除させていただきました 。 なお、質問文そのものは、質問として成立しておりましたが、お礼や補足を含めて総合的に判断させていただいた結果、質問者様の意見を表明する為、または質問者様に同意する意見のみを募集する為の投稿であると判断いたしました。 恐れ入りますが、質問を削除いたしますと、お客様の回答もあわせて削除されてしまいます。せっかくご回答いただきましたところ誠に申し訳ございませんが、何卒ご了承くださいますようお願いいたします。 何かご不明な点がございましたら、このメールにご返信ください。 今後ともよろしくお願いいたします。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ という事です。 例の削除された質問に回答した人であれば、上記のような文面でのメールを受け取っているはずです。 したがって、 >質問趣旨が誤解されてアラシにあったので削除されました。 は、真実を捻じ曲げて自分に都合にいいように解釈していますね。 「A」と言えば、「自分はAではない」ということにはなりません。 捻じ曲がっているのは質問者のようです。
お礼
こびる態度はやめろと、遠回しに何度もお願いしたつもりです。 丸出しで媚びていたから削除されたんだ。
- Po-ni
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こんにちは。私はクリスチャンです。 えっと・・・真に和解し、真に互いを理解し、決してブレること無く、損得でモノを考えるのでは無く、忠義に助け合うことが出来れば、「神の救い」は不要・・・ですね。 私の答えは、「神の救いは必要」です。 理由として、12/31の「その2」で、誤解されて荒らされてしまったことを挙げます。 返事をしてくれた方々は力になりたくて返事をしたのに、誤解が生じ、互いの思い違いが騒ぎを大きくしたのかな・・・と、詳しい状況は全く解らないけれど、想像しました。 人は和解して、ならばそれで全てが上手く行くか、というと、そうでは無く、小さなズレは生じるものです。時にそれが、相手を力で説き伏せようとしたりなど大きな問題へと進展することもあります。だからこそ、「正しいことをしたいのに、間違った行動をしてしまう脆い私たちを救ってください」と、クリスチャンは祈ります。 ・・・ですから、冒頭に書いたように真に生きることが出来れば可能ですが、そもそも人には、それが出来ない・・・と。 以上、数ある内の参考意見です^^。
お礼
ご回答ありがとうございます。 反省会です。 私はペットを飼ったことがあるのでアラシさんの下心にこたえて餌を与えたのですが裏目に出たようです。 アラシさんは、人間の身でありながら「絶対に」譲れない何かをもっていたのでしょう。 その、「絶対」がねじれていれば信仰心が忠実であろう筈はありません
お礼
ご回答ありがとうございます。 今回の質問ののみの趣旨からすれば順当なご回答だろうと思います。 その通り、神仏はそのようにあるのでしょう。