<ファン>
・ある種の尊敬を対象者に持っていて、魅力を理解し肯定している。
・対象者の喜びは自分にとっても喜びであり、悲しみもまた自分にとっては悲しみとなり得る。
・対象者の自分にはない魅力に惹かれている。
・共感できる、見習いたいという気持ちを対象者に持っているのがポイント。
<アンチ>
・対象者に負けたくないという気持ちを持っていて、巷で囁かれる その魅力は、まやかしだと思っている(または、そう思いたい)。
・対象者の存在を否定することが生き甲斐で、対象者の不幸は自分にとって喜びとなり得る。
・自分自身の大ファンなので、対象者の存在が疎ましい。
・共感できない、ああはなりたくないという気持ちを対象者に持っているのがポイント。
―― こんなところだと思います。
また、それぞれの項目は全て満たさなくとも、どれか一つを満たしていれば、そう呼べると思います。
>「あの人、大嫌い」は好きの屈折した表現の場合もあるのでしょうか?
;親友、恋人、夫婦が仲が拗れてそうなることはありますよね。
何だかんだで一緒にいられるのなら、仰るとおりだと思います。
>極度に嫌うというのは、普通に嫌うのと違うのでしょうか?
;元々、何事においても執着心が強い人ほど、対象を嫌いになったときの激しさは尋常ではないと思います。良く言えば情熱家なのでは。
>「アンチ」というとわざわざ嫌っているのを表明しているイメージあります。
そして、結構注目している。
;それは、ライバル視していて、勝負を挑んでいるということではないでしょうか。
「どっちが上か、目にもの見せてくれるわ!」…みたいな。
>アンチもまたファンであるのでしょうか?
;どうなんでしょう…
対象者のことを思うとき、闘争心が湧いてきて、生き生きするのならファンと言えるのでは。
これは実は相手を必要としていることになりますから、アンチでありながらファンということになると思います。
相手のことを思うとき、気分がどっと暗くなったり、ゲッソリするのなら、唯単に毛虫の如く嫌いなんだと思います。
「アンチ」の意味を調べると、「排斥」の意味がありますが、毛虫のように嫌う場合は排斥意識が強いと思われますので、こちらもアンチと呼べると思います。
でも、相手が必要という意識は皆無だと思いますので、煩わされたくない、距離を置きたいといった感じ(過剰防衛と言えるかもしれません)で、先のに比べると執着心はなく、ファンとは呼べないと思います。
>ところで、憧れがあるもの惹かれているものを敢えて拒絶する立場をとるのは何故なのでしょうか?
;それは、元々はファンから始まったケースだと思います。
恋心が裏切られた(幻滅させられた)、そんな感情に近いと思います。
お礼
お付き合いいただきありがとうございました。 参考になりました。綺麗な花ですね。