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アンチ・カラヤンの理由
カラヤン・ファンというほどではありませんが,カラヤンの演奏で気に入っているものは多くあります。 (映像は観たくありませんが) 特に,R.シュトラウスやチャイコフスキーは,カラヤンがお気に入りです。 カラヤン大嫌いという人達が多くいることも知っています。その理由がよく分かりません。 個性が強い人は,好き嫌いが分かれると思いますが,そんなに個性が強いとも思えません。 私の感覚では,アーノンクール,ノリントン,クレンペラー, 楽器奏者では,グレン・グールド,ギドン・クレーメル,アルゲリッチの方が個性が強いと思っています。 カラヤン・ファン,アンチ・カラヤン,それぞれの立場からご意見をいただければと思います。
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こんにちは。 あちら(?)のお礼もまだなのに出てきて申し訳ありませんが,興味深い話題だったので。 知名度からのなんとなくのファンとそれについ反発してしまうアンチ,という構図もあるとは思いますが,それだけじゃないよな,という気もしましたので,考えてみました。 私の場合は, ファン⇒アンチ⇒いろいろ好きな指揮者がいる中のひとり といった感じでふらふらしており,現時点では,商業的な成功度や知名度の高さと指揮者の良し悪し(?)は比例しているわけではない,というのは前提として,いろいろな指揮者を聴く中の(有力な)ひとりになっています。 はじめはとにかく出てくる音の美しさに驚き惹かれました。輝かしくて豊穣で華麗で。 その後,「外面的」「深みがない」「人工的」などという言葉を耳にするようになり,「そうだ!音楽の本質は表面的な響きの美しさではなーい!」と洗脳(?)されていた時期もありました。 カラヤンの楽曲へのアプローチとして,意地悪に書けば,「臭いものにフタ」というイメージは何となくあります。 作曲家が抱えていた闇や傷口をあまりに巧妙に隠してしまうのは,見方によっては「作品の本質を切り取っていない」「聴衆をペテンにかけている」というようにも思えなくもありません。 一方で,灰汁を徹底的に取り除いて磨き上げることで,ときに作曲家すらそこまでイメージできていなかったのではないかというような美しさを作品から引き出しているように感じることもあります。例えば,マーラー9番,R・シュトラウスなどの複雑で大規模なオーケストレーションの作品群,シェーンベルクの浄夜などの20世紀音楽,などなど。 これらは,カラヤンの卓越したセンスや耳や統率力があってこそ成し得た演奏なのかな,と思っています。 例えば,「楽譜に忠実に」「作曲家の意図に忠実に」といっても,実際に楽譜には演奏に必要なことのほんの一部しか書いてないし,多くのクラシック作曲家はすでにこの世にいない以上,本当の意図は分かりようがないですから,どんな指揮者も演奏するためにはある程度恣意的に作品を再構成する必要があると思っています。そんな中で,カラヤンは妥協なく自分の信念・美学に徹底的に従うことができた指揮者のひとりであったのかな,と。例えば,アーノンクールのように。 その知名度から,ともするとこれがクラシックのスタンダードと考えそうにもなりますし,ぱっと聴いた感じでは個性的とは感じなくても,実は極めて個性の強い演奏なのかもしれませんね。 ファンとアンチの両方が多いというのは,その表れなのかも。 以上,まとまらない雑感になってしまいましたが。
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- yoshrkw
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私はカール・ベームのファンですが、ベーム派にアンチ・カラヤンが多かったような気がします。30ウン年前、ベーム・VPOが来日公演して、ベーム・ブームが起きた頃の話です。
お礼
ありがとうございます。 >ベーム・VPOが来日公演 その当時の日本でのベームの人気は高かったです。 録音もたくさん出て,私もよく買いました。 ドイツ・オーストリアでも同様に人気が高いことが伝えられていました。 ドイツとオーストリアを結ぶ列車カール・ベーム号は今でもあるのでしょうか。 ドイツ・オーストリア系指揮者の最高峰というイメージがありました。 その背景には,絶大な人気があったカラヤンに対するアンチ勢力の象徴という 感じもありましたね。 >ベーム派にアンチ・カラヤンが多かったような気がします。 カラヤンかベームか! 比較されることも多かったと思います。
補足
■この場をお借りして,皆様,ありがとうございました。 ・帝王と呼ばれるほどの地位が敵を作る。 ・彼の行動が反感を抱かせる。 ・クールで感情の爆発がない。 ・「美しい」が実は極めて強い個性。 特に個性が強いとは思っていませんでしたが, アーノンクールのブルックナー第5番を聴いたときに, 「カラヤンのような力強く透明な美しい響き」と思いました。 カラヤンのような…と考えること自体が, 私も(強い)個性を感じていたということですね。 気付いていませんでした。 ■
私感ですが、 1.カラヤンはクラシック音楽の「帝王」とされ、日本人はこういう 「権 威」は嫌いなのです。おそらくこれが第一の理由。 2.若い頃の録音を良いとする方が多いです。すると、その後が良くないと いうことになります。 3.その後が良くないのは、はっきり言って、何事も「しつこい」。好き嫌 いが出やすくなったということ。例、EMI盤「英雄の生涯」うるさいこと このうえなく下品。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「帝王」 おそらくこれが第一の理由。 まさか,自分で「帝王」と名乗ったわけではないと思いますが, 誰が言い始めたのでしょうね。 ファンでもなければ,そんな呼び方で通っているのは反感を抱きますね。 カラヤンの生涯からみれば,50代も「若い頃」になるのかもしれませんが, 戦前のもっと駆け出しの頃も人気があったようですね。 EMI盤「英雄の生涯」 カラヤンが皮ジャンパーを着たレコードジャケットでしたね。 よく聴きました。確かにやかましいところがあります。 結構,好きでしたが…。 この曲は,ヴァイオリン・ソロも私には重要です。 確か,シュヴァルベさんのソロでした。 発売当時,カラヤンが自らを「英雄」と重ねているというようなコメントを見ました。 「帝王」&「英雄」となると,益々,アンチ・カラヤンに反感をもたせますね。
- symphonie
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こんばんは。 私自身もhikipapa様同様、R.シュトラウスや近現代の作品のカラヤンの演奏はなかなか好感を持っています。 (実は私も映像は全く観たくありません) ただ、特別カラヤンが嫌いだというわけでもありません。 他の回答者の方々も言っていらっしゃいますが、 カラヤンの音楽は非常に美しいです。 表面の丸い、ボールのような非常に滑らかな感じの音楽を作り出します。 これが、良い場合と悪い場合があるのだと思っています。 私はカラヤンのブラームスの演奏はあまり良いとは思いません。 内声部が美しい箇所でも、それよりも外声部がよく聴こえてしまっていて、なんだかブラームスを聴いている気になれません。 逆に上にも書いた近現代の作品はカラヤンお得意の美しさが存分に発揮されているので世間からの評価も高いものと思われます。 これは予想なのですが、 おそらく、アンチカラヤンの方々の中には、 人間的に嫌いだとか、カラヤンへの嫉妬心からカラヤンを嫌う、 という音楽ではなく人間性の問題で嫌っている方も少なからずいると思っています。 誰もが知るとおり帝王と呼ばれたカラヤンですから、 世間からの評価もあれば、厳しい批判もはるはずです。 さらにその才能や運に対して嫉妬している場合もあるかもしれません。 その流れが未だに残っているのかもしれないと思っています。 しかし、カラヤンの音楽が嫌いという方は、 やはり先ほど書いた「良くも悪くもいつもカラヤン」というのが嫌なのかもしれません。 少々個性が出すぎていると感じる方も多いのだと思います。 ただ、私は音楽界でのカラヤンの存在は重要なものだったと思います。
お礼
ありがとうございました。 >カラヤンの音楽は非常に美しいです。 >これが、良い場合と悪い場合があるのだと思っています。 他の指揮者の演奏も美しいですが,カラヤン風の美しさというものがありますね。 好きな人にはそれが良くて,嫌いな人には,そこがたまらなく嫌いなのでしょうか。 カラヤン風の独自の美しさという形を作ったなら,好き嫌いは別として, 新しいもの(自分のスタイル)を創り上げたので,芸術家として素晴らしいと思います。 カラヤンについては美学という言葉もよく出てきますが, 好きな人には褒め言葉で,嫌いな人には皮肉なのかもしれません。 その美しさが個性なら, >少々個性が出すぎていると感じる方も多いのだと思います。 嫌いな人にはそのカラヤン風の美しさが強い個性に思えるのだろうかと思いました。 >人間的に嫌いだとか 独裁的だとか,いろいろありますね。 ずっとカラヤンがアップで映るビデオの編集も大きなマイナスポイントですね。 カメラ撮りや映像の編集に口出ししている,写真にも口出ししているとのことですが, そのような行為から嫌われる面もあるかもしれませんね。 音楽とは無関係なところで。
- madvally88
- ベストアンサー率49% (161/323)
ああ、先に質問されてしまった。 私も、同様の質問をするつもりでした。 ただ、私の質問は、「カラヤンファンに、カラヤンの音楽のどういうところが好きなのか? また、幅広く他の演奏家も聴いた上でのカラヤンファンなのか?」という感じの質問を考えていました。(笑) アンチがいるということは、それだけビッグネームということですよね。 カラヤンが帝王などと呼ばれずに、他の巨匠の中の一人として扱われていたら、こんなにアンチがいることはなかったでしょう。 特にフルトヴェングラーのファンや、往年の巨匠ファンは、アンチというわけではないけど、カラヤンを好きではないという人が多いと思います。 昔の巨匠の演奏は、表現方法こそ違えど、熱い、魂を焼き焦がすような音楽だったと思います。 ところが、カラヤンは非常にクールな演奏(カラヤンの演奏も年代によってかなり違いますけどね)です。 そんな自分の好みと違う演奏する指揮者が、帝王などと世間で崇めたてまつられているし、音楽以外の政治や金のことで醜聞を流す巨匠のことを疎ましく思いうようになるのは当然ではないかと思うのです。 純粋にカラヤンの音楽だけでなく、その世間の評価、政治や金の問題がよりカラヤン憎しの感情を増幅しているのではと感じます。 私個人の感情は、カラヤンはいてもいなくてもいい音楽家ですね。 ある曲の好きな演奏CDを挙げろと言われたら、カラヤンの演奏は、良くてベストテンに入ってくるかなという感じです。 カラヤンの音楽は、汗をかかないし、必死さもないし、感情の爆発もないような気がします。 非常に表面上、美しい響きでBGMにはいいかもと思うこともあります。決して演奏に引き込まれることが無いので、仕事の邪魔にならないということです。 以上、かなりアンチカラヤンのように思われることを書きましたが、私自身は、中立の立場の人を中心として、hikipapaさんとちょうど逆のアンチカラヤン側にいるつもりです。 私自身は、芸術家や音楽家の人格にあまり期待していません。期待するとがっかりすることが多いので(笑) その人の仕事のみで、個人的評価をしてるつもりです。 フルトヴェングラーやトスカニーニだって、人間的には問題も多かったと思います。 ただ音楽には、真っ正直だったように感じます。
お礼
>昔の巨匠の演奏は、表現方法こそ違えど、熱い、魂を焼き焦がすような音楽だったと思います。 >ところが、カラヤンは非常にクールな演奏 受け止め方次第ですが,良くも悪くも「クール」,それは感じます。 「熱くならない」が理由のひとつかもしれないと思いました。 フルトヴェングラーは,始めは感情を抑えて,抑えて,抑えて…, 聴く側にはまだかまだかとじらせて,最後に一気に爆発! ずっと我慢させられていたものが,最後で一気に爆発して満足させられスカッとする…。 そんなパターンがあるように思います。 対照的にカラヤンには確かにクールという言葉が合いますね。 お礼&回答のようになってしまいますが,カラヤンに興味をもったきっかけは, ベルリン・フィルの力もありますが,透明感,立体感のある響きです。 カラヤンだけを好きになったのではなく,ベルリン・フィルとセットで好きになったところがあります。 当時の Vn のシュヴァルベやブランディスのソロにも興味がありました。 ありがとうございました。ご説明が分かり易いでした。
- harrywithers
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クラシック専門ではないので、ちょっと気が引けますが、 どうも、カラヤンの指揮は好きになれません。 「オケの技量や限界と聴衆の嗜好を見すかして、 この辺の音を出しておけば、感動するだろう」というような感じ、 音の出し方がどうも好きになれない、最大の理由です。 逆に言えば、安定した破綻の無いパフォーマンスが聞けるとも 言えますが、何か達観したような演奏には面白みを感じられません。 カラヤンの指揮でも小品には、この感じが少なく (私的に)聴けるものもありますが、総じて交響曲は駄目です。 後、ビートルズのように信者がうるさいのも、嫌になる動機かな(笑) ・・・「そんなに偉大じゃないだろ」とか、 「我田引水が過ぎないかぁ」とか、思っちゃいます。 そんな訳で、普段は特にアンチだとは言いませんけどね。 ちなみに好きな指揮者は、カルロス・クライバーです。
お礼
ありがとうございます。 >ビートルズのように信者がうるさいのも、嫌になる動機かな(笑) 読売ジャイアンツが強かった頃のアンチ・ジャイアンツみたいなところは私にもあります。 周囲の人たちが,ジャイアンツ,ジャイアンツと言うと,別のチームを応援したくなります。 先日,テレビで放送があったカルロス・クライバーのベートーヴェンの7番はとても良かったです。 クライバー・ファンは多いと思いますが,クライバーが嫌いという声は聞いたことがありません。 朗らかな表情で人柄も良さそうで,熱くなる人,音楽が大好きというイメージがあります。 見たくないカラヤンの映像は何度も見ていますが,熱くなる人という印象はないです。 ずっと目を閉じたまま,顔に表情を出さないことも,そんな印象を持たせるのかもしれません。 もし,カラヤンの映像を一度も見たことがなければ,別の印象をもっていたかもしれません。 唯一,表情が出ていたと思うのは,ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートです。 素顔のカラヤンという印象でした。
- pustulata
- ベストアンサー率33% (2/6)
自身は中立的立場ですが、周りがカラヤン嫌いばっかりの者です。 アンチ・カラヤンの人がカラヤンを嫌う理由には音楽性と生前にしたことの2つがあるようです。 個性の強い人としてわりと最近の人を挙げておられますが、もう少し前の世代(19世紀生まれで1940~60年代前半に活躍)にはトスカニーニやフルトヴェングラー、シューリヒト、クナッパーツブッシュといったもっと個性の強烈な人たちがいました。この指揮者たちの支持者にカラヤン嫌いが多いようです。それ以外でもいるかもしれませんが… アンチ・カラヤンの人たちはよく「カラヤンの演奏には深みがない」と言います。これは、上に挙げた人たちが楽曲に対する一貫した理念・姿勢に基づいて演奏してきたのに対し、カラヤンからはそういったものが感じられない、ということなのだと思います。能力だけではダメだ、と考えるのでしょう。 また、カラヤンがしてきたことも彼を嫌う理由としてよく言われます。 それには、彼がナチ党員だった、ということがあります。この点は特に、フルトヴェングラーがナチスに抵抗してユダヤ人の音楽家や体制に反抗的な音楽家たちを当局から守って国内で活動できるようにしたり(ギュンター・ヴァントなど)亡命の手助けをしたり(ヒンデミットなど)したのに、戦後、ナチに協力した疑いをかけられたことと比較して悪く言われます。 加えて、カラヤンのCDがたくさん残されていることからも分かる通り、カラヤンが録音・販売に熱心だったことも「金儲けに熱心」という悪いイメージを抱かせているようです。 カラヤンが嫌われる理由はいくつかありますが、裏を返せば、それだけ卓越した能力を持ち、クラッシクがレコード・CD業界で発展するのに貢献した、と言うこともできると思います。
お礼
ありがとうございます。 >録音・販売に熱心だったことも「金儲けに熱心」という悪いイメージ・・・ ずっと以前に「商業主義」というような意味で批判されている記事を見たことがあります。 まだ音楽をあまり知らなかった頃は,音楽評論家たちが次々と批判すると, 「そうなのかぁ~」と刷り込まれていました。私の場合,音楽評論家の酷評の影響で, カラヤンの最初の1枚(レコード)を買うまでに時間がかかりました。 今では,録音が多いのは,カラヤンが新しいもの好き,機械好きと思っていますが, 金儲けに熱心,商業主義と見られていることもあるのですね。 誰の発言だったか忘れましたが(元ドイツ首相?),ナチ党員については, 「その状況の中にいなかった者が非難できるものではない。」 こんな見方をする人もいるようですが,当時の帝王フルトヴェングラーと 確たる地位がなかったカラヤンの立場の違いを考えると,野心に満ちた若き日の カラヤンが地位を得るためにナチを利用した? それとも断れる立場ではなかった? 真実はよく分かりません。 同時代で,トスカニーニ,フルトヴェングラー,ワルター,クレンペラー, 私は特にフルトヴェングラーとワルターから入りましたが, 「カラヤンの演奏には深みがない」…これがなぜなのか理解できません。 逆に言えば,トスカニーニやフルトヴェングラーの「深み」を理解できていないのかも しれませんね。 余談になりますが, >ユダヤ人の音楽家や体制に反抗的な音楽家たちを当局から守って・・・ フルトヴェングラーは神様のような人(人格者)だと思っていましたが, フルトヴェングラーのことを悪く書いてあるこの本を読んで,かえって人間味を感じて 人柄として好きになりました。 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%AD%E5%B7%9D-%E5%8F%B3%E4%BB%8B/dp/4344980212 詳しくご丁寧にありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。 アンチとまではいかなくても,あまり好きではないと意思表示する人から 「カラヤンは綺麗」と聞きます。 綺麗であることの意味は,もっとどろどろとしたものを出すべきということなのか, 表面的にサラッと美しいということなのか,真意はよく分かりませんが, >作曲家が抱えていた闇や傷口をあまりに巧妙に隠してしまう・・・ そういうことなのかもしれません。 そういったことが気にならない私は,もしかしてカラヤン・ファン? カラヤンのどんなところが好きかと質問されたら, 「カラヤンは綺麗」と答えてしまうかもかもしれません。 熱烈なカラヤン・ファンの知人がいます。 あまりにも盲目的にカラヤン大好き人間なので, その人の前では,なぜかアンチ・カラヤンの立場になってしまいます。 あまりにもべた褒めするので,ちょっと反発したくなります。 強い支持者がいれば,反対勢力も生まれてくるような自然発生的な 一時的アンチ・カラヤンです。 >ぱっと聴いた感じでは個性的とは感じなくても, >実は極めて個性の強い演奏なのかもしれませんね。 私は感じませんが,カラヤン嫌いな人には,きっとそうなのでしょう。 はっきり「嫌い!」と言われる指揮者は,カラヤンの他には思いつきません。