- ベストアンサー
「ている」と「てくる」の違い
- 「ている」と「てくる」は過去のある時点から現在まで続いていることを表すが、用法に違いがある。
- 「思っていた」を「思ってきた」に変えると違和感があるため、用法に違いがあると考えられる。
- 「信じていた」と「信じてきた」も使えるが、使える動詞の種類によって使い分けがある。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「~ていた」は、~という状況・状態があったことを表わす用法。 「~てきた」は、~という状態・状況があった期間・時間に重点を置いた用法。 と考えるとわかりやすくなるでしょう。 1. 「きのうまで子供だと思っていたのに、いつの間にか大人になっていた。」 →「子供だ」という思いを(きのうまで)【抱いていたという状態があった】というニュアンス。 「きのうまで子供だと思ってきたのに、いつの間にか大人になっていた。」 →「子供だ」という思いを【きのうまでの期間、抱き続けていた】というニュアンス。 ただ、この例文の場合、前者が自然な表現です。 「いつの間にか大人になっていた」という後半につなげるためには、あくまで「子供だという思いを抱いていたという状態」に重点を置くほうが自然だからです。 「子供だという思いを抱き続けてきた期間」に重点を置くと、シチュエーションから考えて不自然になってしまいます。 2. 今まで彼を信じていたのに、裏切られた。 →今まで彼を【信じるという心の状態であった】のに、裏切られた。 今まで彼を信じてきたのに、裏切られた。 →今まで長い期間ずっと彼を【信じ続けてきた】のに、裏切られた。 この例の場合は、どちらも自然な文になります。 「信じるという状態があったこと自体」に重点を置くのか、「信じ続けてきた期間」に重点を置くのかによって(無意識的に)使い分けることになります。
その他の回答 (4)
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
基本的には「補助動詞」の問題ですね。 「〇〇ている」などの形は、「動詞+て(接続助詞)+補助動詞」です。 まず動詞の種類と、時制の問題を、ちょっとゴッチャにしておられる様です。 補助動詞は、必ずしも「動作が過去のある時点から現在まで続いていると言う意味」では有りません。 それは「時制」によって示されます。 まず補助動詞の、そもそもの動詞としての意味は、 ・「いる」は状態・存在を表す動詞。(「ある」などと同じ。) ・「くる」は時間や場所などの「移動」と言う動作・行動を表す動詞。(「いく」などと同じ。) です。 補助動詞にした場合、元の意味ではないですが、接続した動詞に、補助動詞の元の意味のニュアンスが付与されます。 「信じていた」は「信じる」と言う「精神状態であった」と言うことです。 「信じてきた」は「信じる」と言う「動作を行ってきた」と言うことです。 これと同様で、「思っていた」も「思ってきた」も使用可能です。 「私は甥のことを、我が子の様に思ってきた」と言う文章は、特に違和感は無いかと思います。 一方、「いる」の過去形が「いた」、「くる」の過去形が「きた」で、これらは時制です。 信じる状態については、「信じている(現在の状態)」「信じていた(過去の状態)」でも用いることが出来ますね。 しかし信じると言う動作については、現在の動作は「信じる」のままで良いですから、「信じてくる」とはなりません。 その代わり(と言うワケでもないですが・・)、過去は「きた」で表現出来る様に、未来形は「くる」の反対語「いく」を用い、「信じていく」と表現できます。 また「くる(現在)」でも、「ウソと判っているのだが、彼が言うと、不思議と信じられてくる」と言う様な用例はありますね。 簡単ですが、ご理解戴けたでしょうか?
お礼
ご回答いただきありがとうございました。 とても参考になりました。
- moto_koukousei
- ベストアンサー率54% (331/606)
言葉の使い方はかなり短期間で変化するし、地方や所属集団でも大分違います。また使う場面(いわゆるTPO、相手や状況、自分の姿勢など)でも言い方は変わって来ます。 ですから、ご本人が、何となく自然と感じるか、何となく不自然と感じるかがあるのならば、その感覚で言葉を使うのが良いと思います。 なお、角川国語辞典新版(初版発行昭和44年)では、次のような説明があります。 「て」接続助詞 (1)一つのことを終えて、他のことに移ることを表す(2)上の文を受けて、原因を説明する(3)並列の意を表す(4)逆接を表す 「いる」(補助動詞「ている」の形で (イ)動作・作用が継続進行していることを表す(ロ)動作・作用の結果が残っていることを表す(ハ)現在の状態を表す 「くる」補助動詞 (イ)「てくる」の形で、だんだんある状態になる(ロ)「となると」などの形で、………という点については この国語辞典の用例がいつでもどこでもパーフェクトということはありません。ただ、この辞典の用例に照らした解釈だと次のようになると思います。 「ている」⇒前につく語で意味が変わる。 (イ)信じている・思っている ⇒ 途切れたりせずに、ずーっと信じる状態・思っている状態が続く (ロ)大人になっている ⇒ いつの時点かで大人になり、その状態が続く (ハ)裏切られている ⇒ (ある時点での現在状態が裏切られた状態である) 「てくる」 (くるは、コ/キ/クルのように変化する) ⇒ 段々と、少しずつ、確実になどステップを踏んで、ある状態になることを表す 「きのうまで子供だと思っていたのに、いつの間にか大人になっていた」 息子・娘の日常的成長経過を見落としていて、昨日まで子供の状態であると思い込んでいた。しかし、息子・娘が大人になっていた(ロ:結果が残っている)ことに今日気付いた 「きのうまで子供だと思ってきたのに、いつの間にか大人になっていた」 息子・娘の日常を観て、まだ子供の段階から成長してないとしばしば感じ判断して、成長の遅いことを強く実感していた。しかし、それは親の見逃し、判断ミスであって、実は、息子・娘はいつの間にか大人になっていた。(前文との違いは、後文では、「思ってきた」というプロセスが間違いだったことを強く意識した表現になっていること) 「きのうまで子供だと思ってきたのに、いつの間にか大人になってきた」 息子・娘の日常を観て、まだ子供の段階から成長してないとしばしば感じ判断して、成長が遅いと強く実感していた。しかし、事実は、これまでも少しづつ成長していた微妙な変化が現れていた数々の過去の象徴的出来事に今日は気付いた。(過去の見逃しや、過去の解釈の間違いに今日気付いた) 「今まで彼を信じていたのに、裏切られた」 「今まで彼を信じてきたのに、裏切られた」 違いを強く識別するならば、(発話者が、そのような細かな言葉の遣い分けを日常するかどうかは、重要なポイントです) 「今まで彼を信じていたのに」⇒「信じていたことの継続」を言っているのみ 「今まで彼を信じてきたのに」⇒「信じて何かをしてきた」ことを内包している 後者は、彼を信じて、(督促や確認などをしないできた)(忠誠を尽くして従ってきた)(他の誰かの誘いや誘惑に乗らないできた)(悪いうわさを聞いても否定してきた)(言われるママに金を渡していた)などの、自分の行為についての感慨のようなものを込めている。 言葉の使い方は、人によっても違うし、同じ人でもいつも同じ使い方をきっちりするものではないから、普通はあまり深読みをしない方が良いです。 会話だけでなく、文章にしても、言い違え、書き間違いさえ多いのが普通です。 詩や俳句のような、極く短文の文芸作品で、言葉遣いに熟慮、推敲を重ねたものであるなら、それを鑑賞・解釈するときに、十分配慮した方が良いですが、日常は、こだわりすぎになると、間違いを犯す危険が高まると思います。
お礼
ご回答いただきありがとうございました。 とても参考になりました。
- marisuka
- ベストアンサー率38% (657/1685)
「ている」は現在この瞬間の状態。 「ていた」は現在まで継続していた状態。 「てくる」は現在動作が継続中であること。使いにくそうです。 「てきた」は過去から現在までずっと継続中であること。 「思っていた」「信じていた」は、その人物に会うたびにそう思った、という感じ。 「思ってきた」「信じてきた」は、会っていないときでもずっと思い続けた、という感じ。 場面・状況によってどちらも使えますが、上記より、よくある場面を想定して、 「昨日まで子供だと思っていたのに」 「今まで彼を信じてきたのに」が自然です。
お礼
ご回答いただきありがとうございました。 とても参考になりました。
- Gletscher
- ベストアンサー率23% (1525/6504)
表題と本文の例題の違いが分かりません。 「ている」は現在進行形 「ていた」は現在完了形 で使い分ければよいのでは?
お礼
ご回答いただきありがとうございました。
お礼
ご回答いただきありがとうございました。 ニュアンスの違いが分からず困っていました。