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疲れてしまうのは感受性が鋭いから、の意味

「人ごみに出たときに、ぐったり疲れてしまうのは、感受性が鋭いからだ」と言われました。 確かに、私は疲れやすく感受性は豊かです。 でも、感受性が鋭いと、どうして疲れやすいのですか?さっぱり分かりません。 アドバイスお願い致します。

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  • speako
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回答No.2

感受性とはある状況、情報が与えられた時に、どう感じるかということだと思います。 人ごみは視覚的にも聴覚的にも情報量が多いです。 その情報をどのように感じるかは人によって違うということです。 感受性が鋭いから疲れる、ということが正しいかどうかわかりませんが、 あなたの場合、そのような状況で疲れる感受性を持っているといえます。 いろいろな刺激、周囲の状況、に敏感に反応する人もいれば、鈍感な人もいます。 気になることがあれば人は意識を集中させるので疲労します。 気になることが多ければ、その分、疲れるのです。 もちろん、人ごみで疲れるから、他のことについても敏感であるとは限りません。 音楽に敏感な人でも、人ごみが平気なんていう人もいます。 人の気持ちに敏感だからといって、他のことにも敏感かといえば必ずしもそうではないです。 人それぞれということです。

noname#148686
質問者

お礼

確かに、人ごみは、視覚的にも聴覚的にも情報量が多いですね! 周囲の状況に、敏感に反応してしまっていたり、気になることに意識を集中させてしまったりして、疲れていたのですね。 よく分かりました。 アドバイスありがとうございました。

その他の回答 (3)

noname#181117
noname#181117
回答No.4

神経は多少鈍いほうが、多少鈍感なところがあるほうが、余計な疲れは少ない。 この逆を考えればわかるでしょう? 「過敏」と言いたいところを、「感受性が鋭い」と表現したのでは? その人は、使う言葉を選んだのでしょう。

noname#148686
質問者

お礼

「神経過敏」を、「感受性が鋭い」に置き換えたら、分かりました。 アドバイスありがとうございました。

  • speako
  • ベストアンサー率33% (13/39)
回答No.3

ついでにいえば、絶対的な感受性などありません。きっかけがあったり、慣れたり、環境が変わったり、さまざまな要因で感じ方は変わります。 今、人ごみで疲れやすいからといって、死ぬまでそうだなんて思わないでください。 人の感じ方は常に一定ではありません。 この前まで熱中していたことに興味がなくなる。好きな人が変わる。味の好みが変わる。 どんどん変わっていきます。

noname#148686
質問者

お礼

変わっていくんですね。良かったです。 再度ありがとうございました。

回答No.1

いろいろな人の気持ちが読めてしまうことで、疲れてしまうのかもしれません。

noname#148686
質問者

お礼

人の気持ちを読んでしまっていて、それでいつも疲れてしまっていたのですね。よく分かりました! アドバイスありがとうございました。

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