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ケシ栽培が不採算になった理由は?
(「国際」というカテゴリーがなかったのでこちらで質問します) ある新聞に最近、「国連はタイでケシ栽培が割に合わないことを証明した」という記事が載っていました。以前は貧しい国の農民にとって、ケシその他の麻薬は野菜などの作物などよりはるかに収益性が高いため、なかなか代替作物に転換しないという問題を抱えていたように記憶していますので、これは意外でした。 ケシが「割に合わない」ようになったのは、いつ頃からどのような理由によるものなのでしょうか。 また「割に合わない」のはケシだけで、他の麻薬は依然「割に合う」のでしょうか。そのような麻薬による特殊性があるのであれば、それも知りたく思います。
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再登場です。 南米の麻薬生産はメデシン・カルテル、カリ・カルテル、センデロ・ルミノソなどの黒社会組織や左翼ゲリラ組織が運営していますネ。運営というか、実際には組織運営のための資金源として麻薬栽培と製造・販売をしているというのが正しいのでしょう。 コカについては南米では広い範囲で自生するものであり、栽培は至って容易です。他の農作物を作るよりも簡単に作ることができるという点では、コストパフォーマンスに優れたものであると農民が認識していても不思議はないでしょうネ。作っている限りは危険な組織の庇護を受けることもできますしネ。 通常の農産物と麻薬類で最も異なるのは、原料価格と末端価格の非常に大きな差であるということができます。 普通の農産物では、例えば20kgで100円のダイコンが末端では30倍程度になって売られている程度の格差ですが、麻薬の場合数千~数万倍になります。 この格差の大きさが、様々な組織の収入源として重視されるのですネ。 これを防ごうという政策の一つの形がヨーロッパで見られるようなマリファナの解禁といったすがたなのです。マリファナを合法的にし、ソフトドラッグをタバコ並の価格で広く供給することでハードドラッグに手をださないようにするというものです。 マリファナに関しては栽培の簡単さや世界的な末端価格の低下により採算は摂りにくくなっているでしょうネ。 ヘロインやコカインについては新規マーケットとして日本がターゲットとして捉えられているようで、世界一高い相場での販売が行われていますので、これらについては、まだまだ採算は合うでしょう。 覚せい剤についてはアジアの某国家が国家レベルで積極的な生産を行っているということが知られていますが、これは国家事業(?)なので別のこととして考えなければならないでしょうネ。 以上kawakawaでした
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- kawakawa
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いわゆるゴールデントライアングル地方へは仕事で何度も訪れたことがあります(別に密売人ではありません。逆に撲滅に関連した仕事です)。 そこでの生産農家にとって、麻薬を栽培しようが、米を作ろうが、鶏を飼おうが、収入はほとんど変わりません。ご質問の中の収益性が高いために転換しないというのは現実とは若干外れていると考えます。 収益性はほとんど同じなのですが、旧ポルポト派や軍閥、或いは、いわゆるマフィアの指示通りに麻薬を作りつづけることがその地域で生き長るための条件だったのですネ。 その中で最も積極的に麻薬経営を行っていたポルポト派残党の影響力が非常に薄れ、タイ・カンボジア・中国ルートが若干弱くなってしまったことは確かでしょう。 アヘン、ヘロインといったものは比較的収益性が高いものですが、大麻などは東南アジア全域でごく当り前に植えられ、八百屋さんなどで普通に入手できるものですし、このようなものを作っても割に合わないでしょうネ。 国際的に問題となっているのは、覚せい剤とコカインですが、これらはゴールデントライアングルとは全く別のルートで供給されているものですネ。 以上kawakawaでした
補足
早速の回答有難うございました。 説明不足でしたが、「収益性が高いため、なかなか代替作物に転換しない」というのは南米のコカイン原産地を想定してお尋ねしたものでした。確かに東南アジア方面ではご回答のとおりの状況であることは、新聞やテレビ等で聞いたことがありました。 南米でいまだにコカインが作られ続けているということは、現地の左翼ゲリラなど(資金源にしていると言われていますね)による農民への強制もさることながら、やはり収益性が高いということが最大の原因ではないかと思うのですが、いかがでしょう。
お礼
回答有難うございました。 (「ケシ」と「麻薬(一般)」とをごっちゃにした書き方をしてしまい申し訳ありません) 麻薬がなかなか根絶できない状況がよくわかりました。 それにしても「国家事業」として行っている国というのは、一国家の名誉というものをどう考えているのでしょうね。それともそうしたものに頼らざるを得ないくらい、現実は過酷だということなのでしょうか。 また疑問ができた際には宜しくお願いします。