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親の死を経験された方
父がこの世を去って、今日でちょうど1ヶ月が経ちました。毎日毎日、父の事を考えたり思い出さなかった日はありません。何がどうひっくり返っても父は帰って来る事はありませんが、この事を未だにまったく信じられない自分がいるのも事実です。皆さんの中で同じ経験をされた方、その時から今現在までのお話し何でもいいから聞かせて下さい。お願いします。
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- kurikuricyan
- ベストアンサー率14% (440/3139)
飯田史彦さんの「生きがいの創造」という本を読んで みてください。 人間の魂は、永遠であり、常に私達を見守ってくれてる、、ということが 分かりやすくかいてあります。 この本を読むと、親や子供や肉親を亡くした寂しさが薄れていきますよ。 この本は、医療関係者の間でも好評で数百万部売れています。 「飯田史彦」で検索してみてください。
- hausujigenn
- ベストアンサー率17% (42/244)
現在50歳手前の男性です。 若い頃、バイクや車の事故で友人を数人、亡くしました。その時はいっぱい泣きました。成人後も、友が突然死し、この時もくちゃくちゃになるまで泣きました。 30台後半、実の父がガンで入院し、3週間で他界してしまいました。医師から1年もたないと言われていましたが、3週間で亡くなってしまった為、1回しか病院に行けませんでした。 半年から1年かけて、親孝行したかったし、いろいろ話しておきたい事もありましたが、なにも出来なかったです。父の死では、1人になった時でも不思議と泣きませんでした。 実の父の死から3ケ月後、一緒に暮らしている(私はマスオさん状態です)妻の父が寝ていて死んでしまいました。この父には、とても良くしてもらっていました。だから、たくさん悲しまなければいけないはずなのに、この時も泣けませんでした。 今思えば、父の死がショックが大きすぎて、受け入れられなかったのだと思います。だから、思い切り悲しいはずが、きちんと悲しめなくて、泣くことができなかったのだと思います。 義父の死後も実の父の死で下がってしまったテンションは戻りませんでした。テンションが低いのは日常生活と仕事にも支障をきたし、心療内科に行ったら、うつ病と診断されました。 完治まで1年半かかりました。完治後、約10年経ちます。今では、人の死も普通に受け入れています。悲しんでばかりでは、天国の父と義理父に心配をかけるだけ、1度きりの人生を楽しんで、家族を愛する事を喜びとしています。
お礼
お話ししてくださってありがとうございます。偉大な父の死は誰にとっても受け入れがたい事で、残された私達は毎日を精一杯生きていかなきゃいけませんね。心の中で行き続ける大切な人と共に…。
- niseanpanman
- ベストアンサー率20% (11/55)
はじめまして 父の事を想いだす良い機会かとおもいお話させていただきます。つまらないかも、ですよ。 父の病気が発覚したのは、父の亡くなる半年前です。白血病でした。 私は、はじめの子どもがまだ一才にならないくらいだったので子育てに悪戦苦闘の毎日で・・・。 そんな忙しい日々のなか、気分転換に実家によく帰っていたので父の体の異常には気づいてはいましたがまさか、そんな重い病気だとはまったく予想していませんでした。 父はすぐ入院し抗がん剤の治療を始めましたが、白血病の中でも難病の種類で、医者からは覚悟をするように言われていました。それからは、何もかも受けられていないのにどんどん進行して・・・。 気づいたら、苦しみから解放された父が穏やかに眠っていました。そこから、父の死を受け入れられるまで、どのくらいの時間がかかったか・・・。今では、もう10年もなりますので、きっと見守ってくれていると、時々子どもの成長などを仏壇に報告するくらいで頻繁には想いだしません。 あの時、まだ働き盛りだった父はやり残した趣味に懸命に没頭しようとしていました。その姿をとても切なく見守っていたものです。迷惑ばかりで何一つ親孝行できなかったことが情けなく、なんでそのうちに・・・できるときにやろうなんて思ったんだろうと・・・。自分のふがいなさに泣きくれたものでした。 父の仕事にも、何をやってるかは知ってたんですが、そんなに興味もなく、ただ気さくに知らないお年寄りに話しかけてお人よしだな~くらいにしか思っていなかったけど、 葬儀のときの参列してくださる人数に家族でびっくりしたもんです。予想していた人数を遥かに超えて会場から大勢の方がはみ出して手をあわせてくださる参列者を見て初めて、父の偉大さを知ったのです。 私はこんな父の娘で本当に良かったと皮肉にも、父をはじめて心から尊敬したのが、父の葬儀でした。 お人よしの父を、頼るばかりだったので、神様が少し早く連れて行かれたのだとおもいます。 長くなりましたが、久しぶりに父を思い出しました。機会をくださりありがとう。 あなたも、時間が経ってお父様との思い出がよりキラキラしたものに変わるまで、がんばってください。 あまりいつまでもメソメソしていると、お父様が心配して天国でゆっくりしてられなくなりますよ。
お礼
お話ししてくださってありがとうございます。悲しみはなかなか癒えませんが、自分の人生で父に出会えた事を心から感謝して、毎日を精一杯生きていかなきゃいけないですね。自分が生きている限り、父は私の中で行き続けるんですよね。お互いに頑張りましょうね。
- mama4615
- ベストアンサー率18% (987/5267)
はじめまして 二児の母です。 高校生の娘達を育ててます。 実母が他界し 5年が経過しようとしている所です。 当時まだ 実母は58歳、私は33歳でした。 国の指定難病である病を発症し、当然難病と言われる位ですから 治療方法が乏しく、母の病には 治療方法はありませんでした。 ガンの方には申し訳ないですが 放射線治療や切除 と言った 絶対的に治る と言う事ではなくても 方法があるだけいいじゃないか、、と悔しい日々を過ごしました。 家族にはそれぞれドラマが何十年と言う長い物がありますから、何とも言えませんが、未だ落ち込もうと思えば ガックリ落ち込む自分が居る気がします。 私自身 母親以外からの愛情は受けて育ってません。 父親は 健在ですが、幼少時代から 父は放浪癖があり 年に数回しか家に居てませんでしたからね。 母が亡くなり 私も無気力になりました。 泣きたいと泣くのではなく 自然に涙が出てしまうんです。 ですが ホントにドラマの様ですが 朝いつもは鳥の鳴き声なんて窓に無かったのに 泣き声が凄かったんです。 窓サッシの所に鳥がとまっていて、、、、。 ふと思い出したんです。母が生前元気だった頃 <鳥が目覚まし時計なのよ、だから鳩時計があるの>って。。 母が勝手に作った言葉なんでしょうけど それがふと頭をよぎり <私の役目はなんだろう、、、>って時間になったんです。 私は母に告知をしてません。 ずっと嘘を突き通したんです、それを母は絶対に分かっていて それでも不安だから怖いから私に何度も <もぅ私は長くないんでしょ?>と毎日の様に聞いてた。 いつか 私が死んだ時 母に謝らなくてはならない、だけどその前に母が私を育ててくれた様に 私は娘2人を育て上げなくては堂々と逢えない って考えに辿り着いたんです。 親戚も 中には気難しい人もいます。そりゃ当然ですよね、、、配偶者が病気になったが連絡がとれない、病院にもなかなか出向かないわけですから、誰だって冷ややかになりますし。 母一人だから 何も出来ないと 言われる事が私にとっては母を侮辱している様な感じにしか受け取れなくなっていて、、、、上手く言えずごめんなさいね。 法事にしても 段取りは今迄一切経験はありませんから 不手際もあったかもしれません。 ですが 私なりに段取りをして 不手際が無いように配慮はしたつもりです。 <○○(母)んちは、××(父)があんなだし、家事と仕事に追われて姑迄押っつけられて子育てが出来なかったんだ、何も出来ないじゃないか、、、> と 言われる事が 母が離婚を決断しなかったので 母を責められている様で許せなく 母の為だけに今もやってます。 別の視点から言うならば 私がいつか死ぬ時に 母と堂々と逢う為にやっている事です。 ですが 未だに 仏壇のお茶等は 毎日は苦痛です。 本来なら 毎日しなくてはならないのでしょうけど それが辛いんです。。。 なので 自分の気が向いた時、出来そうだな と言う時にしかしてません。 毎日しなきゃ と苦痛を超えてしていたら 多分精神的に萎えてしまう自分がいるので。
お礼
お話ししてくださってありがとうございます。お母様、58歳早すぎますよね。人生ってなんでこんなにも不公平なのでしょう。何年経っても大切な人を亡くした心の傷が完全に消える事はないですよね。自分の人生でお母様(私の場合は父ですが)に出会えた事を心から感謝して毎日を明るく元気に過ごして行くのが最高の親孝行につながるのかな…って思ってます。
お礼
ありがとうございます。必ず読んでみたいと思います。感謝致します。