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両親の死で感じる切なさと向き合う方法
- 両親の突然の死のショックから立ち直るには時間がかかりますが、少しずつ心を癒す方法を見つけることが大切です。家族や友人と話し合い、感情を共有することで支え合いの輪を広げましょう。また、遺影や思い出の品を飾ることで、亡くなった両親との絆を感じることができます。自分自身の時間を大切にし、心身のケアも怠らずに行いましょう。また、専門家のサポートを受けることもおすすめです。
- 両親との別れは誰にとっても辛いものですが、時間が経つにつれて少しずつ受け入れることができるようになります。自分自身の気持ちに寄り添いながら、思い出を大切にし、過ごした時間に感謝することが大切です。また、新しい趣味や活動を見つけることで気分転換を図り、前向きな気持ちになることも重要です。さまざまな感情に対して、自分自身を許し、ゆっくりと時間をかけて立ち直ることが大切です。
- 両親の死は辛い別れですが、いい歳であっても時間が経つにつれてこの辛さを和らげることができます。周囲の人々の助けやサポートを受けつつ、悲しみや喪失感を共有することで心の癒しを見つけましょう。また、自分自身のケアも怠らずに、心身の健康を保つことも大切です。新たな趣味や関心ごとを見つけることで、前を向いて生活することができます。さらに、専門家の相談やカウンセリングを受けることも有益です。
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質問者が選んだベストアンサー
40代既婚者男です。 >私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては >いけないのでしょうか? そんな事はありませんよ。 年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や 悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。 世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける 風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。 あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を 迎えます。 そして寿命というものがあり、親から先に旅立つのは必然です。 しかし、そんな事は頭で理解できることであり、決して心では 理解などできないのが本音だと思います。 私の両親はまだ健在なので、まだ死別の悲しみを味わったことは ありません。 ただ、大好きだったお婆ちゃんとの別れは経験しました。 肝臓癌が判明してから、あっという間でした。 本人には知らせていなかったので、遠く離れて暮らしていた僕が 急に何度もお見舞いに行くと、おばあちゃんが自分の病を疑う かもしれないと思い、泣く泣くお見舞いの回数を減らしました。 今思えば、愚かな気遣いであったと後悔しています。 何であろうと、毎日でも会いに行けばよかった。そしてたくさん 話をすればよかったと悔やみます。 人は大切な人を失って初めて、いろんな後悔に押し潰されます。 あの時こうしていたら、あの時もっと・・・・。尽きることは ありません。 でも、悔やんだところで、亡くなった人は戻ってきてはくれ ません。 それも頭で分かっているのですが、複雑な思いでした。 私はいつも近しい人とのお別れを経験する度に、思う事があります。 それは、人の死というのは、最後にその人から教えられる 愛なのだということです。 人は死というものがいつも身近にありながら、中々そこを見よう とはしません。 ですから、そうした愛する人の死を目の当たりにすることで、 そこで改めて、死について見つめることで、それまで気付かなかった 事に気付くのです。 自分がその時を迎えた時、どんな思いで旅立つのだろうか? 思い残すことがあるのだろうか? 残していく大切な家族へどんな思いなのだろうか? などと、リアルに感じることができます。 私も、41歳となり、結婚して妻も子供もいます。 あなたが言うように、私もいつかその時が来るのです。 妻や息子を残して旅立った後、妻や息子が私の死を悲しみ 苦しみ、毎日を泣いて暮らしていたならば、きっと心配で 心配で、残してきたことを悔やみ、きっと次なる場所へ行けなく なってしまうと思います。 故人への一番の供養とは、故人に心配させないような生き方を することだと、ある人から教わりました。 そうすることで、故人は思い残すことなく、次へと向かうこと ができるのだそうです。 私は、その言葉を頂き、それからは、おばあちゃんに対して、 いつも「ありがとう。僕なら心配ないからね」って伝えるように なりました。 この世へ誕生することをそばで見守ってくれた親へ、今度は あの世へ向かう時に、そばにいて見守るのが、子供としての責任 だと思っています。 今度はあなたが、子供さんへ教えてあげる番です。 しかしあなたはまだお若いですから、まだ見えない先のことを 考えて悲観的にはならないでください。 そして、また今度会いに行けばいいでは無くて、会いたいと 思えたら、すぐに会いにいくのです。 伝えたい言葉があれば、すぐに伝えるのです。 それが後悔の無い人生というものです。 あなたのお母さんとお父さんがいてくれたから、今のあなたがあります。 そして、子供さん、お孫さんへと命のリレーはどんどん繋がって いるのです。 私の祖母も祖父と二人で人生をスタートさせてから、今では30人という 家族たちができました。 そして今もなお、増え続けています。 そうした歴史も踏まえて、それぞれのドラマがあります。 辛い事、苦しい事。そして楽しいこと、嬉しかったこと、涙が出る ほどの幸せな思いを感じてきたのです。 今はとにかくとことん泣いていいと思います。 気が済むまで泣けばいいのです。 そしていつか、涙を拭いて、新しい一歩を踏み出して下さい。 お母様とお父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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- tomban
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質問から見る限りでは、パートナーの方はいらっしゃらないようですね?。 ありきたりな回答ではありますけど、やはり人は一人きりで生きるのはつらいものですから、パートナーの方を求めるのがいいと思います。 「誰か」がそばにいることで、自分という「個の世界」が「集の世界」へと繋がるのです。 結婚とかにこだわらず、また、子供さんの反応というものにとらわれ過ぎないように 「私の大事な人は、私の大事な人なんだから」 という「割り切り」があれば、子供さんも必ず認めてくれるはずです。 親子ですから。 親子という繋がりだからこそ、相手に対して「無物の信頼」が出来る。 独立して自立しても、互いを「認められる」ということは、手放しの愛情無くしては無理です。 悲しみの中ではありますが、今少し「信じてみても」良いのではないですか?。 別れは必ず訪れるものですから…死別であれ、自立であれ…互いが「繋がっている」ということを、自分の中で信じないと、離れるものも離れられなくなるものじゃないでしょうか?。 もちろん、こういったことは一朝一夕には出来ません。 そんなに人間簡単じゃないですからね。 でも少しずつ、互いの「物理的距離」を離していくことを、これからはしていくべきだと思います。 あなただけで「守れるものばかり」では無いでしょう?。 そのためにこそ、少しずつ離れていくように、離していくように、自分や子供さんを仕向けないといけないんじゃないでしょうか?。 私の回答が「形になって」現れるときがある「はず」です。 そのときを見逃さないようにしてください。 必ず「展開」はありますからね。
お礼
有難う御座います。 私は色々あって実家に戻り、心ならずも娘たちを片親にしてしまいました。 しかし娘たちは、「お爺ちゃんとお婆ちゃんがいるから、お父さんはいらない。良いお父さんなら欲しいけど」と言いました。良い思い出がなかったのです。 私も結婚して良かったのは、子供だけです。 これからは一人になるでしょうが、近くには兄がいるし娘もいます。 何かしてもらいたいとかは思いませんが、近くにいるというだけで、それだけで 安心しています。 娘たちの幸せが自分の幸せになるのです。 今、大切な人たちが、続いて手の届かない、とてつもない遠くへ片道切符で逝ってしまいました。 いつか私も同じ切符をもらって逝くでしょう。その時まで、父と母の住んだ 思い出深い家で、父の愛した花、母の愛した花の手入れをして暮らして行くつもりです。 私のパートナーは心の中にいます。趣味もいっぱいありますが、今はその気分になれないのです。 身の周りを整理し、自分の生涯をなるべく後悔しないように頑張ります。 有難う御座いました。
- zz400n
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再回答です。 その「ダメ娘ですよね。」 がネガティブ思考で悪いのだって。 両親を心配させたくないのであれば 「今まではダメ娘だったけど、心を入れ替えてがんばる!!」 のが正解です。
お礼
そうですね。叱咤激励を有難う御座います。 私は心が弱いのです。というか感受性がつよいのですね。 秋の空を見て感じ、雨の音やにおいを感じ、風が木をゆらしても感じるのです。 でもやはりネガティブなのは間違いないです。 楽観的ではなく、取り越し苦労が多いです。 だから夕方、黄昏時の光はなんとも言えず悲しく、真っ暗な夜の方がマシに思えます。 日にちが経てばもっと楽になるだろうと思い、ただ月日が早く経つように毎日を送っています。 遺影に向かって、元気になったよって早く言えるように頑張ります。 有難う御座いました。
私も36で母親を亡くしました。 今の私と同じ64歳でした。 父親は私が53歳の時で、ほぼ十年前です。 そして夫は4年前。 クヨクヨしても、泣いても叫んでも、人の生き死にはどうにもなりません。 人間の力の及ばぬところで操作されていますから。 こう言った事はクヨクヨすまいとか、忘れようとか、努力してどうなるものでもありません。 ただただ日にち薬。 時間の経過で忘れられる日を待つしかありません。 私は母の時は十年掛かりましたよ。 実親とそれだけ長い生活が出来たなんて、私からすれば羨ましいです。 娘さんだって父親と早くに別れて暮らしておられるんでしょう? 会社は辞めない方が良いです。 どこに居てもストレスは付き物です。 止めて家に居る様になれば、もっとご両親に向き合う時間が増えて、今の質問者様にはプラスにならないと思います。 私にも娘がいます。 夫が亡くなった時、直ぐにでも来るように言ってくれました。 でも娘にはもう新しい生活が始まっていますし、連れ合いが居る以上、やはり甘えては駄目と判断して今一人でいます。 だから質問者様の立場やお気持ちは、とても分かります。 >母も「お前たちと暮らすようになって生活に張りが出来た」と言ってくれていました。父の病院通いにも毎日行きました。 懺悔の気持ちは、お母様のこの言葉で全てクリアーですよ。 世の中には一緒に暮らしたくても、暮らせない親子がいっぱいです。 「私なんてもうとっくの昔に、父親と暮らせていないよ。」 私がお嬢さんなら、きっとそう言うと思います。 貴方もご両親も決して不幸なんかじゃないですよ。 昔は人生50年。 医学の水準も低く、80までも生きる親はあまりいませんでした。 特に女は今でも、自分の親との生活は無理ですよ。 それがこんなに長きに渡って共に暮らせたんですから、質問者様は幸せなほんの少数の人達なんですから。 ごめんなさい。 他の方々の様に優しい言葉が掛けて上げられません。 私も今必死で耐えている最中なので、どうしても辛口になってしまいます。 でもどうか、頑張りましょう!! 残された者に出来ることは、先に死んで行かなければならなかった人達に、安心して貰うことだと思うんです。 残した子供達が気になっては、何時までも成仏できませんもの。 とにかく五年は思い続け耐える時です。 その頃から徐々に忘れている時間が増えて行って、気が付くと考えている時間と比重が入れ替わって行きます。 そして十年くらいすると、涙も出なくなり、殆ど忘れています。 それまではとにかく辛抱です。 それしかないです。 お互いに頑張りましょう!!
お礼
有難う御座います。 娘たちが幼い頃、夫は自分自信の生活が大事、という事で「自分だけ働いて損だ」と言い、両親が怒り話し合いの結果実家へ戻る事になったのです。娘にとって父親の事は悪い印象しかなく「、会いたくない、お爺ちゃんとお婆ちゃんがいるから幸せ」といってました。 今、母の突然の死と、寂しい顔をしたまま逝った父の死はなかなか受け入れられず苦しんでいます。 ほぼ毎日、「日にち薬で月日がたたないと無理やね、この気持ちは」と言いながら食卓に置いてある遺影に話かけています。いたる所にスナップ写真を貼って、見ては沈みこんでいますが、はずした方が良いのかな?とも考えています。 会社にいる時は気が紛れるので、しばらくはまだ勤めるつもりです。 下の娘もいつかは嫁ぐでしょう。 その時までに、しっかりしなくては、と思っています。 感受性が人一倍強いので、何を見ても、何をしても、嬉しい事に感ずるのは良いのですが、悲しい事に出会うとものすごく感じ、尾を引いてしまいます。親の死に会うのは分かっているつもりでしたが、こんなにも後悔と辛さがくるとは…。悲しいとは思っていたのですが。 両親も長く連れ添って来たので色々あったでしょうが、旅行などもよく行って 写真も一杯出てきました。 娘と写真を出しては「こんなところへ行ってたんだ」と見ています。 泣く回数とかは減りましたが、やはり続いて逝ったのがきつく、母の急死で 動転している父がもう少し落ち着いて、普段の生活を取り戻していたら…、 (父もガンなどあるので長くはないと思っていました) 私達の気持ちも少しはマシだったのかも、と思います。 今日で4ヶ月少しです。ことしの秋が恐ろしいとも思います。寂しい季節です。 実家に戻って5人家族でしたが、娘が結婚し4人家族に。ずっと4人でいたのが 突然2人になってしまいました。 母が生前、「ワシはお父ちゃんより先に死ぬかもな」と言っていたのを「止めて」と制した事がありました。 まだしばらくは辛い日々が続くと思いますが、過去や悔いばかりを遺影に話かけても、両親は心配しますよね? 世の中には色々不幸を抱えた方たちがいらっしゃいます。私は両親の許で暮らせて幸せでした。 今も、娘たちは元気で、近くには兄夫婦がいて優しくしてくれます。 だから前を向いてしっかり生きて行きます。 有難う御座いました。
- popperlove
- ベストアンサー率45% (87/191)
死別は本当に悲しいですよね。 産んでくれて育ててくれて、たくさんの年月の思い出。 そして先に親が逝く。 人生ですよね。 これが人生なんですよ。 残された者、という言い方は非常に後ろ向きなのであえてこれからもこの世で生きていく者(あなた) と言いますが、今後もこの世で生きていくあなたにとってはもう愛する両親がいない世界で 数々の思い出があなたを辛くすることもあると同時に、 誰もが当たり前のように持っていない家族との貴重な思い出を持っていることが強みになることもあるんですよ。 親と不仲、絶縁、幸せな時間を親と過ごすことが出来ずに別れた人、 親を恨んだり疎ましく感じて「早く死んでほしい」と思う人。 さまざまですが、あなたはどうだったでしょうか。 文章を読むと本当に幸せな親子だったのではないですか。 これはあなたの財産ですよ。 私も最愛の肉親を亡くした時、抜け殻のようになりました。 でもこれからもこの世で生きて行かないといけない私は 食べないといけない(働く)。 せっかくの素晴らしい人生を与えてくれた肉親の想いを無駄にしたくないので 思い出して泣くことはあっても、自分を止めないことに重点を置きました。 今は悲しくないわけではありませんが、消化して肉親を成仏できたと思います。 宗教的な話ではなく、いつまでも自分が亡き人を思うがあまり仕事も手つかずで 悲しみに暮れている毎日だと肉親が逝けないんじゃないか、と。 もう逝かせてあげなければ、そのためには私はどうこの気持ちを消化すればいいだろうかと。 「安心して、もう逝ってください。有難う。私は大丈夫です」 と言ってあげたいと思うようになってからは 自分の行動や気持ちの持ち方にも多少変化は出てきましたし 今まで肉親が与えてくれたたくさんの思い出や愛情、色々教えてくれた大事な気持ちを 今後の生活に活かさなくてはどうする、と思うようにもなってきました。 それに、この悲しみに耐えたのだから、今後人生で大概の辛いことがあっても 私は大丈夫だ、という強みにもなり、 肉親の死によっても私は肉親から最後にとてつもない強さを授かったと 今でも感謝しています。 死と向き合うことは、同時に今後の自分と向き合うことです。 悲しみに暮れている期間も当然ありますし、それを無理やりどうこうしろとは思いませんが 考え方ひとつで自分が動けないままなのか、それともそれを強さにして動くのか それを決めるのは自分しかいないのですから、 恐れずに向き合って、糧にしないといけないんです。 自分の中で区切りをつけて、愛する人を安心して逝かせてあげる日を あなたが作ってください。
お礼
有難う御座います。 両親には、心配をかけどおしで、若い時心の病気を苦に悲観して死にかけた時がありました。その時母が抱きしめてくれました。兄は私をたたいて叱りました。 「お前が死んだら、お母ちゃんは一生悲しむんやぞ」と。 そうなのです。私の大好きな母を一生悲しみのどん底に置く訳にはいきませんでした。再々おこる発作を「自分で」と言い聞かして克服しました。 今でもまだ恐いです。 自分の気持ちの持ち方は自分しかできないのです。どんな薬も効きません。 兄に感謝しました。あの言葉で「お母ちゃんを悲しませられない」という一心で克服できたのでした。 その母親が夜寝たまま目覚めなかったのです。 こんなに大切な人と、こんなに急に…と思うとしばらくは何がなんだか分からなくて、食事もせず眠ることもせず、ただぼーっと母の傍にいました。頭の中はクルクル回っていましたが。 私は普段は何もしていない時がない、何かしていないと気が済まない性分なので、ぼーっと座っているだけの時間を持ったのは、この時だけでした。 それからは、葬儀など終わり、会社にも出て、家にいる父の食事等しながら 「又、落ち着いたらどこかへ出かけようね」と言っていた矢先の事でした。 父は母の四十九日に入院をし、5日後に亡くなってしまいました。 母を追って七週間後の旅立ちでした。 あまりにも急だったので親戚の人もびっくりしていました。 5人家族が4人に、そして今は二人です。勤めているので犬も飼えません。 小動物は沢山いるので、その世話だけでも大変です。 本当に親との死別はあるものだと実感、その辛さを痛感しました。 私は祖父母との縁が薄く、死別の経験はありますが覚えていないくらいの年でした。 娘たちにとって父母は、お爺ちゃんお婆ちゃんですが、親代わりだったのでとても大事な人たちだったのです。 二人きりになった今、娘は「自分が結婚して外へ出て大丈夫か?」と心配していますが、近くには結婚しているお姉ちゃんがいるし、裏には兄夫婦がいて優しくしてくれるので大丈夫だよ、と言いました。 父は兄に妹を頼むと言ってくれ、兄も両親の突然の死にショックを受けています。 両親は愛情に満ちた人たちで、私も頼りないけれど、男手がないのでテレビの配線をしたり、木の剪定や草引きなど出来るだけ家の事をするようにしていました。下手くそに剪定をしても怒らずに「切ってくれたんか」と喜んでくれました。 懐かしいです。一緒に花が咲いたのを見たり、金魚の子を見たりしていたのに。 これからくる寂しい季節の秋に、こんなに気弱では乗り越えられるのか心配です。 それに娘が嫁ぎ、遠くに行ったときの事、又わたしが最後を迎える時などのことを考えると、とても苦しくなります。 でも、娘の結婚は嬉しい事だし、自分の最後はいつなのかわからない。 先の事で思い悩んでも仕方がないので、「今を生きる」という映画の題名のように、しっかりと生きて娘たちが安心できるように頑張ります。 沢山の方のご意見は非常に有りがたく身にしみております。 まだまだ泣いたり悔やみ事を言ったりしながらの日は続くでしょうが、 悲しい思いをしているのは自分だけではない、と、これからくるかも知れない 明るい話題を想像してがんばります。 本当に有難うございました。
- zz400n
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冷静に考えましょう。 お母さんは幸せな死に方ですよ。 何も苦しまず、病院なんかで薬や管で囲まれた死に方より、自宅で死ねることは幸せなことです。 文面を読んでいると、ほとんどが自分の感情の話ですよね。 何故両親の冥福を祈らないの? 何故安らかに眠らしてあげないのでしょうか? 貴方の言っている後悔や自責の念は、自分の慰めであり、両親にとっては心配事なのです。 大切なのは過去ではなく未来です。 盆や正月にお墓参りをする。 毎日仏壇に手を合わせる。 これでも十分に冥福を祈ることが出来ます。 過去になにをしなかったなどと嘆くよりか、これからなにをするかが大切です。 本当に両親を大事と思うなら、そこを頑張りましょう。 大切な人との別れは、大変辛いものです。 泣くのもよいと思います。 しかし、ひとしきり泣けば前を向いて歩き出しましょう。 貴方が幸せになることが、ご両親の幸せとなります。
お礼
有難うございます。 ほんとうに母は楽に逝くことができました。 入院もせず、元気だったのですが、(頑張りやだったので少しくらい具合が悪くても言わない人でした。) 過去を振り返ってばかりいても仕方がないのです。良い思い出を語り合えるよう日々、気持ちを切り替えるように頑張ります。 母の写真は笑っています。嬉しそうに笑っている遺影です。 写真の通り明るい人でした。 父はもう母の所に着いたでしょう。二人で天国から、私を心配そうに見ているかもしれませんね。 いつまでも心配をかけていては本当にダメ娘になります。
- nrhp618
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独り言を長々と書いてもなんにもなりませんし、日々、泣いて過ごされていると言うことは、亡くなられた方が成仏できずにおられ、質問者自身に取りついておられることが要因の一つでしょう。 何年経過したとしても、現状のままと言うこともありえます。
お礼
本当にそうですね、泣いて後悔ばかりしていても仕方のない事です。 こんなことでは、両親も成仏できませんね。 でも、取りついてでも、もう一度だけ会いたいとの願いは消えません。 夢にも出てきてくれません。 何年も今の気持ちのままではないと思います、苦しいので早く気持ちの切り替えをしたいと思っています。 有難う御座いました。
お礼
有難う御座います。 >人は大切な人を失って初めて、いろんな後悔に押し潰されます。 ほんとうに大切に人でした。いつも空気のごとく側にいて心の支えになってくれていました。まさかこんなに突然、なんの前触れもなく逝くとは思ってもみませんでした。 >あの時こうしていたら、あの時もっと・・・・。尽きることはありません。 いくら後悔しても伝えることが出来ないのは分かっていますが、家の中には色々思い出す事がありすぎて、何を見ても、「ああ、これは…」と泣けてきます。 >でも、悔やんだところで、亡くなった人は戻ってきてはくれません。 戻ってきてくれたら、もう一度だけでも会いたい、と何度願ったか知れませが、 脳出血の母は何も言わずに逝ってしまいました。 いっぱい聞くことがあったのに、言うことがあったのにと後悔ばかりです。 >それは、人の死というのは、最後にその人から教えられる愛なのだということ です 母は常日頃から愛情を示してくれていたので良く分かっていましたが、父は気難しく無口なので、心の中がよく分かりませんでした。 最後の日、苦しい中で手を握り締め、顔を見ながらうなずくようにしていたのは 父の愛情でした。世話になったといい、兄に妹(私)を頼むと身振りでいって去ってしまった父。 もっともっと話をすれば良かった、いっぱい話しをしていれば父の気持ちも分かっていただろうに。 いまさら気付いても遅いのでした。 これからは、父と母から受けた一杯の愛情を子供たちに注いで、いつかくる私の最後の日まで、しっかり生きて行こうと思います。 本当にご親切に有難う御座いました。 自分の気持ちの持ち方を人に教わるなんて…と思いますが家の中では娘と私だけ。結婚した娘には家庭があり会社もいってますし、その子も悲しんでいるのに私がメソメソ泣き言はいえません。 最初の頃より涙の量と泣く回数も減っていますので、日にちが経てば随分気が楽になると思います。 有難う御座いました。