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お腹すいてたら、肉まんあるよ。
学校から帰った子供に母親が 「お腹すいてたら、肉まんあるよ」 と言っていました。これは、 「肉まんがあるから、お腹すいてたら、食べてもいいよ」 という意味に解釈できます。 しかし、ここまで論理を崩した短縮がなぜ可能なのでしょうか。お腹がすいていようが、いまいが、肉まんがあることには変わりはないのに。
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「(もし)お腹すいてたら、(何か食べたいだろうから先に知らせておくけど)肉まんあるよ」 の省略でしょう。 「肉まんあるよ」だけだと、「別に腹すいてないけど」という会話のすれ違いが生じる場合もあります。 仮定形の「たら」は「(肉まん)ある」に掛かっているわけではないと考えると良いのでしょう。
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- Knotopolog
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論理が崩れているように見えても,実は,論理は崩れていないのです. 本当に,論理が崩れているのならば,はじめから,誰一人理解できません. 論理なるものは,実に,人間の頭脳の中に整えられているのです. そこに気づいて下さい.ですから,この様な会話が可能なのです. この例だけでなく,その他の多くの場合で,そうです.
お礼
有難うございます。 私は、このような会話が不可能だとが通じないと言っているのではなく、このような短縮の仕方がどうして(Why)可能なのかを質問しています。可能であることを認めて、そのメカニズムを質問しているのです。 理解できる(実際上論理的)からといって、統語的論理の崩れをここまで許容するのはなぜかという質問です。
- cxe28284
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省略された仮定の条件文と云えるのではないかと思います。 お腹がすいていたら、肉まんがあるから食べてもいいよ。でしょうけど 「お腹すいてたら、肉まんあるよ。」これは話し言葉なんですから 忙しいお母さんは目の前の子供の状態を読み取り、云った言葉で十分通じると思います。 「お帰り、肉まんあるよ」だって通じるでしょう。 それで質問者さんは肉まん食べなかったのですか。肉まんある無しの問題じゃありません。 子供のために肉まんがある。という子供と肉まんの関係の問題です。
お礼
有難うございます。 >お腹がすいていたら、肉まんがあるから食べてもいいよ。でしょうけど 本来は逆で、「肉まんがあるから、お腹がすいていたら食べてもいいよ」だと思います。 「お腹がすいている」という条件は「肉まんがある」にはかからないでしょ。 >「お腹すいてたら、肉まんあるよ。」これは話し言葉なんですから 忙しいお母さんは目の前の子供の状態を読み取り、云った言葉で十分通じると思います。 私は「通じない」とは言っていません。「論理が崩れた短縮がなぜ可能なのか」と問いました。「不可能」と言っているわけではなく、「なぜ可能なのか」と質問をしました。 >「お帰り、肉まんあるよ」だって通じるでしょう。 この言い方なら、論理的問題はありません。 >それで質問者さんは肉まん食べなかったのですか。肉まんある無しの問題じゃありません。 >子供のために肉まんがある。という子供と肉まんの関係の問題です。 この親子の会話は、単なる例文で質問を分かりやすくするために書いたものです。 例文は、「捨てるものがあるなら、今日はごみの日(ごみ収集日)だよ」でもいいですよ。
- やっちゃん(@510322)
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確かに論理を崩した短縮形ですね。 これも日本語の面白しいところですね。 最近は日本語が乱れていることが巷で 囁かれています。 特に若者が流行で短縮してみたりと・・・。 これもジェネレーションギャップかと思いますが、 古き良き、奥ゆかしい日本語を学んで使って 欲しいものですが、それは無理ですかね。 そもそも大人もまともな日本語を使うことは できませんからね。(私もです。) まぁでも、短縮されても通じるのであれば、 それはそれで良くありませんか? 日本の言葉や文法を勉強すると、確かに自分が 間違って使っていることが多々あって反省することが ありますが、今回のお母さんの発言は、お腹が空いている 子供のことを思ってのことなので、寛大な心を持って 受け止めてあげてください。 でも結局肉まんは食べたのですか?
お礼
有難うございました。 肉まんは食べました。 ところで、英語の放送を聞いていたら、次のような発言かありました。 If you have just tuned in, we are discussing the global warming issues. 「貴方が今こちらの局を聞き始めたのなら、私たちは地球温暖化問題を議論しているところです。」 英語でも同じような論理の崩れが見られます。
>「お腹すいてたら、肉まんあるよ」 (あなたが)お腹が空いているならば (食べるための)肉まんがあるよ、ですね 日本は「察する文化」と言われますから 言葉になってない行間を 読むことが大事になります 言われたことしかわからないのでは 生活するのに困ります 行間を読むには経験を積むに尽きます で…なんの話でしたっけ
お礼
有難うございます。 >(あなたが)お腹が空いているならば >(食べるための)肉まんがあるよ、ですね なるほど。(あたなが)は単なる省略だからいいとして、(食べるための)は面白いですね。 「お腹が空いている」が条件で、「(食べるための)」が結論 という訳ですね。言い換えると、 「お腹が空いてたら、(あなた用の)肉まんがあるよ。」 「お腹が空いていないなら、それはあなた用ではなくなりますよ。」 ということですよね。子供のお腹が空いているかどうかで、肉まんの属性が変わるという解釈は新鮮です。
- M-shiraishi
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全部言わなくても察するという日本の文化というものが有るからでしょうね。 まだ「お腹空いてたら」を言ってるのだからいいのでは? ただ「肉まん有るよ」しか言わない場合も有るでしょう 子供はいつも腹ペコだという事は、親も子供も解ってるからわざわざ言わなくてもいいと言う事になる
お礼
有難うございます。 私も、この短縮形でも常識的に意味が分かるという点では依存はありません。不思議なのは、「論理の崩れ」です。 >ただ「肉まん有るよ」しか言わない場合も有るでしょう ただ「肉まん有るよ」なら、肉まんが有るという事実を述べただけですから、論理的には全く問題ありません。この場合、「お腹が空いてたら食べていいよ」がconotationになっています。 私が興味を持ったのは、「お腹がすいてたら、肉まんあるよ」が論理的に可笑しいのに使われているという点です。
お礼
有難うございます。 なるほど。「お腹空いてたら」の掛り先が省略されているということですね。 理にかなった分かりやすい説明だと思います。