- ベストアンサー
佐渡の金をどういうルートで江戸に運びましたか?
映画「御用金」(五社英雄監督)では、船で敦賀、下関を廻る西回りルートで江戸に運んだとしていますが、危険な海運より、陸で運んだ方が確実だと思います。 ちなみに「御用金」は天保年間の設定です。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (7)
- 川原 文月(@bungetsu)
- ベストアンサー率51% (834/1628)
回答No.8
- yajiuma-38
- ベストアンサー率29% (10/34)
回答No.6
- Pinhole-09
- ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.5
- mekuriya
- ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.4
- chie65536(@chie65535)
- ベストアンサー率44% (8812/19983)
回答No.3
- ndkob2011
- ベストアンサー率17% (227/1262)
回答No.2
- misawajp
- ベストアンサー率24% (918/3743)
回答No.1
補足
ありがとうございます。 映画では小さな船で冬の日本海を三日間かけて佐渡から敦賀に渡ります。 運ぶ金は70貫=262.5kgです。 出雲崎から陸路で運んだのは歴史的事実だと思いますが、 ネットを検索して、一つだけ気になる点が。 それは徳川家康五男の結城秀康が藩主だった福井藩での伝説。 七十五万石なのに、六十八万石は家臣の知行。 秀康はどうして暮らしているのかというと、彼の城下福井は当時、 佐渡から産出された金を江戸に運ぶルートになっていて、必要な分はその都度に もらっていたというものです。 となれば江戸初期には船で運んでいたのかもしれません。