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ギリシャで、公務員を殺しまくったら、抵抗権でOK?
”抵抗権”という自然に認められる権利があるそうです。選挙によってその腐敗為政者を排除できない場合、武力の行使も認められるそうです。 1)ギリシャで暴れまくっている公務員を殺しまくったら、抵抗権として認められますか? 2)日本の現憲法下で、1000兆もの借金を作りだし、年金の原資さえ借金につぎ込み、国民の財産、国民の生きる糧を奪いながら、高給を税金から搾り続けている悪党政治家や悪党公務員を殺した場合、正当防衛は認められるでしょうか? 3)ドイツの憲法には、抵抗権が明文化されているそうです。日本の憲法改正の論議の中に、抵抗権の明文化についての話は出ているのでしょうか?
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1)ギリシャで暴れまくっている公務員を殺しまくったら、抵抗権として認められますか? 抵抗権の行使が成功した場合、認められるでしょう。 失敗すれば、殺人罪に問われます。 2)日本の現憲法下で・・・正当防衛は認められるでしょうか? 認められません。 正当防衛が成立するには、相手の殺意の立証が必要です。 3)日本の憲法改正の論議の中に、抵抗権の明文化についての話は出ているのでしょうか? 恐らく言及されていないと思いますが、明文化する必要性も希薄な権利です。 抵抗権は革命権と言っても良いのですが、革命が成功すれば抵抗権など不要だし、失敗すれば現政権下で処罰されて終わりですから。 同様に、革命を禁じる法令が有っても、無意味です。 従い、抵抗権は人権に内包されると解釈するのが一般的です。
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- hiroki0909
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1)何か勘違いしているようだが、百歩譲って「抵抗権」が認められるとしても、行使できる相手は質問者自身が認めているとおり<為政者>のみ。 日本ではなぜかそういう風にとらえられていないが、一般公務員は「公務員労働者」階級であり、為政者サイドとは厳密に区別されている。民主主義のお膝元欧米では、こんなもの常識。だからこそ欧米では、警察や消防士までもがストライキを実施することがある。 つまり、ギリシャだろうが日本だろうが、抵抗権なるものを楯にそこいらの一般公務員を殺すことなど、到底許される行為ではない。立派な『殺人罪』。 どうしても『抵抗権』を行使したいのなら、無血革命でも起こすことだね。 ちなみにわが日本国では、判例により、4人以上殺した者は例外なく『死刑』なので、念のため。 ちなみに質問者が主張する「抵抗権」も基本的人権なら、一般公務員が持っている「生存権」も基本的人権。自分が基本的人権を主張したいのなら、相手の基本的人権も最大限尊重しなければならないのが、法治国家に所属する国民の絶対の<義務>。 自分の権利ばかりを主張して、相手の権利を踏みにじる行為は『権利濫用』といって、絶対に許されるべきではない。 2)以前、自分の飼い犬を殺されたからと言って、厚生労働省の次官クラスやその家族を手にかけたおバカな男がいたが、単純に「キ○ガイ」扱いされて警察のご厄介になった。 ま、後は説明不要かな。
お礼
1)強い権限を持つ官僚なら許されるのでしょうかね。 2)違法であることの覚悟が必要ですね。
- issaku
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現代の民主主義国家では抵抗権の理念が憲法で具体化されている、というのが常識です。 よって、造反有理の主張は、その憲法がどの権力者によって程度侵害されているか、またその過程で武力や暴力による弾圧が行われているか、その双方が客観的に成立していることが妥当性の判断基準です。 「殺す」だのという言葉を軽々しく用いるからには、その程度の基準は理論的にクリアされているのでしょうから(そうでなければただの殺人願望です)、そもそも質問掲示板などで問いかける必要性がありません。 まさかと思いますが、殺人を目的とする主張の表明、ではありませんよね?
お礼
日本の憲法のどこに、抵抗権の理念が具体化されているのでしょうか。衆院選のマニフェストがことごとく破られている状況を鑑みると、武力の行使も妥当ではない、とも言えない状況だと思います。選挙の意義が失われています。
- thank27
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公務員に異常な敵意を抱く noritakeitron さんですが 公務員改革は国民が切望している重要なことです せっかくお調べになった情報を出すのですから 低次元な悪党とか殺すなどのワードを入れてしまうと逆効果になってしまうことを認識できるとうれしいですね と言いますか、もしかして公務員擁護の新戦術ではないですよね
お礼
確かに。
補足
一方で、反原発も、今まで低次元とされてきた気はします。
お礼
1)大勢の国民が結束して動く必要があるということですね。 2)実際に、国民が一万人余計に死んでいても、政治家は許されるのですね。 3)しかし、明文化することに、国民に与える精神性において意義があるように思います。極論、憲法なんていらない、ということにもなりかねませんし。