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ありのままを受け入れる親の気持ちの作り方
- 他人の目を気にせず、自分のやりたいことに集中することで後悔をしない人生を送ることができます。
- 子供の個性を尊重し、余計な口出しをせずに成長をサポートすることが重要です。
- ありのままの子供たちを受け入れることで、長い目で見た対応ができます。考えすぎずに自信を持って子育てをしましょう。
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あれもこれも、は「親の常」じゃないんですかね?。 心配事はキリがないですから。 ただ、ちょっとだけ「引く」ほうが、むしろ安全であるとか、効率的であるとかもあると思います。 考えてみてください…私たち大人は、子供よりもたくさんの経験をしています。 それで「よい悪い」は、それなりに知っている…だから結論づけることだってできる、と思い込みがちです。 でも「成長のプロセス」は、親と子供では違います。 時代も違うから、常識も違います。 子供は同年代での「社会」を形成しながら、自他の判断をつけていくわけですから、詰まるところ「親の経験」というものは必ずしも「成功法」では無いのです。 それをまずは心得ておかないと。 料理の伝承、ってあるじゃないですか?。 いわゆる「我が家の味」っていうのが。 これ、たぶん最初のうちは「嫁」としてはすごく違和感を感じると思うんですね。 でも「食べなれてくると」ああ、こういうのもありだなぁ、ということで、美味しく感じるようになる。 そしてそれでも、ただコピーするだけじゃなくて「エッセンス」が十分身体にしみたならば、その中に「自分のルーツ」も混ぜていこう、って思うんじゃないかと。 それで少しだけ変化した「我が家の味」が出来て、それがスタンダードになっていく、という流れです。 だから、子供さんにも同じように「私の意志」は伝えて良いと思うんですね。 ただし、子供には子供の世界がありますんで、それは尊重してあげないと駄目だと思います。 そうでないと「味がなんだかめちゃくちゃだ!」になっちゃうじゃないですか?。 駄目なら駄目!と言うのは正しいです。 根本的な過ちは正さないといけません。 でも、そういったことばかりでは無いのですから 「あなたの「我が家の味」を作って見せなさい」 と、いう「腹積もり」というか、そういう「気合」があれば、自然曲がることは無いと思うんですけどね。
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私に子供はいません 今のあなたは あなたの欲でお子さんと接してませんか お子さんかもしれないけど1人の人間です まだ小さくてわからないところ、注意した方がいいところはあると思う それはそうしてあげればいい でも強制はよくないと思います お子さんも1人の人間として見られた方が何事にも意欲的になれるのではないでしょうか
お礼
たぶん 欲で接している部分はあると思います。 子供が負担になってる部分はこれなのでしょうね。 ひとりの人間として対応できるように心がけます。 ご回答ありがとうございました。
- ekopon
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世間の普通の母親はほとんど同じだと思います。 自己認識してるだけ賢いですね。 例えば、子供の成績に一喜一憂しているママ友が近くにいたら… と想像したりして自分を他人に置き換えてみたらどうでしょう。 生まれたばかりの頃のお子さんの写真を、 いつも見えるところに置いたり貼ったりしたら その頃の気持ちを思い出しやすいかもしれません。 いずれにしろ何かしらの工夫をしないと親心というのはコントロールが難しいです。 お気に入りのサラ川に「親の夢つぎつぎ潰して子は育つ」というのがあります。 紫式部のひいおじいさんも「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」 なんて詠んでます。
お礼
自己認識はできているのか…それでも改善することができない情けない母親ですね。 写真はいいですね。 飾ってはありますがもっと大きく飾ろうと思います。 初心を忘れないように…。 ご回答ありがとうございました。
- tumaritou1
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教育関係の仕事をしているわけではないものですから、部外者としての発言ですが、男の子が二人いる父親としての発言になります。 親の責任は最低限、この先に生きてゆく力をつけさせることで良いと思っています。いつか自分が居なくなった後に、一人で生き抜く力を付ける事で終了していると思っています。後は本人の考え方によって、努力を惜しまない場合には裕福な生活になるかもしれませんし、貧乏かもしれませんが。 それはどちらにしても本人が納得出来る生き方をしていると思えば、優劣は付けられないと思います。 『ありのままを受け入れる為の私の…親の気持ちの持って行き方、作り方のご助言頂けないでしょうか?』と云う事に絞って書いて見たいと思います。 男の子であれ女の子であれ、我が子であっても別な人格を持っています。何時かは分かれる運命になります。この事が達観できるようになればそれで終了と思っています。 その為には『子供が苦労をしていても』出来るだけ手を貸さない親になろうと思っています。子供が困っている時は『子供に力が付く時』と思っているからです。手を出して力を貸す事によって『せっかくの力をつけるチャンスの芽を』親が奪う事になると思うからです。 自分の仕事は自分の人生における自分の仕事をやり遂げる事だと思っています。子供の事は子ども自身に任せておいて、自分自身の人生の充実を計る事が大事と思います。 何の為に生きているのかの追求です。ライフワークに取り組んでゆく事です。人間は儚いし、ちっぽけな存在ですが、自分にしか出来ない事が在ると思っています。
お礼
生きていく力をつけさせる…その通りですよね。 目先の結果ですべてが決まるわけではないのに… それにとらわれてしまっている自分が情けなく思います。 子供たちが頼ってきた時には力になり…そうでなければ余計な口出しは無用ですよね。 子供自身のことは子供に任せる…見守りつつサポートしていくことが親としてやるべきことですね。 大変参考になりました。 ご回答ありがとうございました。
- bekky1
- ベストアンサー率31% (2252/7257)
【ありのままを受け入れる為の私の…親の気持ちの持って行き方、作り方のご助言頂けないでしょうか?】 まさに今の私の心情とおなじですので、思わず・・・書き込ませていただきます。 子供に期待はしても良いとは思います。 期待してやらなくちゃいけない。 ただし、それは、その子として、モット良く、もっともっとよりよく、明日を・・・ということに過ぎないです。 今より、明日。 今できることは、チャンと・・・です。 一生懸命にできること、できる瞬間というのは そうは、ないし、淡々と、日々、同じようなことでも、積み重ねて・・・というコトを親は繰り返す。 そして、「アーできるようになったね。良かったね」とほめる。 それが、底辺的な成果であっても、その子の歩みとしては一歩、一歩だから。 抽象的にはこんなです。 同じことをして、上の娘と下の息子とはかなり差が開きました。 娘は、何かコトを始めたら、やめてはいけない・・・という、考え方の持ち主だったようで、 特に、必死になることもなかったのですが、言われたことは言われたように、 普通に、こなして、親の目からは55点ぐらいで、きました。 私の子供なら、普通に80点はできると・・・と、欲を出してましたがそうはならずに、偏差値的には・・・・です。 ただし、子供のころからの日々の結果の積み上げでしょうけど、綺羅星大学でも難しい、金融先にも採用され、 すでに社会人5年目、転勤も3回目です。 さらに、幼少時からの、スポーツで、いまだ全国大会レベルにいます。 毎日の練習にも、寒くても、雨が降っても、「雨だ!」と思うだけで、いやだなぁ・・・とかも思わずに、 心身を鍛錬してきた結果です。 本人にはその自覚はないです。 親も、無理して、やらせたことない。 息子は、娘より、できました。 ただ、ほとんど勉強ということをしない、練習もしない。 ゲームばっかりやっていた。 いまさら、ゲームのせいにはしたくはありませんが、勝手に、買い与える親族がいたのです。 いい顔したくて、ありとあらゆる、ほしいといえば、ハードもソフトともです。 ・・・・で、結果、周回遅れもはなはだしく、中卒、高校中退、高卒認定、浪人3年、そして、今、フリーターの22歳です。 父親とも道中の反抗期にもめて、父親がつぶれて、別居すでにして7年です。 親は親で、自分の楽しみを持つことです。 ちなみに私は和裁と、落語と、そして、トライアスロン復活です。 子供に関しては、「親身な応援団」としてそばにいるだけ。 できることは少ないです。 食べさせる、寝る場所、そして、出せるならいくばくかの学費のような資金です。 コレも、息子に関しては、2浪目に、今年でお終いだから、入りたいなら、入れるように、努力と、受験戦略を立てなさい・・・が、全滅だから、もう、おしまい。 そんなこんなで、今。 親が死んだら、私が死んだら、それは明日かもしれないし、20年以上先かもしれないが、 それを楽しみにして、子供たちを見る最後の日が今より、多少とも、良くなっていれば・・・だけです。 もしも・・あの時・・と考えると、娘は脳に障害が残ったかもしれないし、 息子は、交通事故であと、何cm飛び出していたら・・・あのぐらいの怪我ではすまなかったという瞬間がありました。 だから、もう、丸ごと、子供たちの時間は、あのときから余分にいただいた時間なのかもしれないと、 たまには気に入らないこともありますから、そのように思います。
お礼
日々の積み重ね…一歩一歩…そうですよね…。 それを導いてあげるのが親ですよね。 頭ではそれを理想とし、実践しているつもりが いつの間にか目先の結果だけで導こうとしてる自分になってしまってました。 うちも兄弟真逆の性格で…同じ様に対応しているつもりが反応は様々で…思い通りの反応ではないことが押し付けになっているのかもしれません。 とても参考になりました。 ご回答ありがとうございました。
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
子供と一緒に楽しむことではないでしょうか。 あなたが子どもと一緒にいるのは世間体のためですか。 子供と一緒にいるのは彼らが好きだから、という風に 切り替えるのがいいと思います。夫と一緒にいるのも 好きだから。好きだから、分かってあげたい。 好きだから一緒に楽しみたい。好きだから悩みが あったら聞いてあげたい。好きだから応援したい。 そういうものでは。 成績がよければ好き。悪ければ嫌い。最悪です。 夫の給料が上がれば好き、下がれば嫌い。最悪です。
お礼
そうですよね…。 子供たちが大好きで…楽しくて…それだけでいいのですよね。 どんなことがあっても嫌いになることはありません。 当たり前のことがみえなくなってました。 ご回答ありがとうございました。
- suzuko
- ベストアンサー率38% (1112/2922)
とても、いいお母さんですね。 おこさんを充分に愛してらっしゃるのが、伺えます。 >自分自身のことではなく我が子に対して思ってしまうので つい余計な口出しをしてしまうこともあり 子どもの頃とは違い、今あなたが感じてらっしゃる事は「一定の世間の見方」ですよね。 ですので、アドバイスとしてお子さんに言うのはOKではないですか? そして、無理強いをしなければ。 選択権はお子さんに、渡せばいいのでは? 人生の先輩として、お子さんには見えない視点からの話は、有意義なものだと思いますが。 沖縄の歌にも「親の言う事は、肝に染む」とありますよ。
お礼
最近の私はアドバイスに留まらず 押し付けてしまってる様に感じます。 無理強いはダメですよね。 わかってるつもりなのに…情けないです。 ご回答ありがとうございました。
お礼
我が家の味…とても解りやすいですね。 私が姑で子供たちが嫁… 姑が絶対この味で作って!…なんてことを言えば嫁姑問題勃発ですね。 私が提案やアドバイス程度で子供たちがその先を自分自身で考え、アレンジして味付けをしていけばいいのですよね。 つい経験から白黒つけるような言い方をしてしまう時もあり いけない…と思いながらもやってしまう自分が情けなくなってどうしたものかわからなくなってました。 大変参考になりました。 ご回答ありがとうございました。