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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人との縁って必然なんでしょうか?)

人との縁って必然なんでしょうか?

このQ&Aのポイント
  • 人との縁は必然なのか?自分自身の変化を通じて人生において必要なものを得るための神の教えとも考えられる。
  • 自己中で軽薄だった高校時代からの変化を経て、バイトを通じて価値観の違う人々と接するようになり、人付き合いの大切さを知った。
  • ブラック会社で苦しむ経験を通じて自己成長し、自分に足りなかったものが何気なく選んだ道で養われていることに不思議さを感じる。

質問者が選んだベストアンサー

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  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.1

まさにその通りだと思います。 私は人間がだいっ嫌いです。だから一生人間と遭わずに済む人生をと考えていましたが、 結局、一番人と接する開業医になってしまいました。 更に親から引き継いだ直後、旅の坊さん、法相宗のお坊さん、新興宗教の教祖さんが我が家を訪れ「安泰な一生を送りたければ儲けようと思うな」と言われてしまいました。 三人は全く無関係です。旅のお坊さんは全く知りませんが、法相宗のお坊さんはカイロプラクティックの先生で、心臓が悪いにも関わらず、伝えたい事があると言って弟子に肩を担がれてやってきたのです。新興宗教の教祖は母の占いの先生で、わざわざ我が家に来るような関係ではありませんし、他の二人とも当時は全く繋がりはありません。(後に私のカイロの担当医の奥さんがその教団に入信しました) 今でも、必要な金銭はいただけますので、欲に駆られる事無く、子供を三人育て上げ、後は仕事の縁がなくなるまで勤め上げようと思っています。三人の忠告どおりおよそ30年余りもそれを守ってきたのです。そのお陰か、先日患者さんから「先生の病院はネットで地域で一位になっているよ」と言われました。 一つ一つを語るのは大変ですが、 自分の進もうとする中で突き当たる壁は、自分自身が持っている壁だと言う事を学びました。思い通りにしたければ、自分の持っている同じ根っこの壁を見つけ、そこを直すと自分の前に立ちふさがっている壁も消えていきます。 逆に自分が納得する仕事をすれば、それが人のためであるということも知りました。 人生と言うのは全て、自分を育てるための修行なんです。 昔医師会の武見会長が言っていました。「医師たるもの全て科学者であれ」と。 私は大学でも研究をしていましたし、科学者であろうと考えています。 科学には「偶然」と言う言葉は無いんですよ。全ては原因があって結果があるんです。 つまり、科学を信じているものにとって「偶然」と言う言葉は自らの辞書にはありえないんです。 科学者が「偶然」と言う言葉を使うとき、それは「俺はこれ以上の真理の追究が出来ない」という敗北宣言でしかありません。 しかし、科学は仕組みは解明できても理由や意義と言うものは絶対に解明できないんです。 そしてその意味や意義を考察できるのは人間だけなんです。 世の中には二つの人種が居ます。一つは自分の為になる人、もう一つは自分の為にならない人。 でも自分の為にならない人も、やはり「反面教師」という先生なんです。先生は感謝すべき人なんですね。 人間が大っ嫌いな私は、15歳からずっと人間というものを考え続けさせられてきたのです。