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暗い人は嫌いですか?
もうすぐ20歳になる男です。様々な付き合いをなさっている方たちから 意見を聞きたいので質問させてもらいました。 自分で言うのもなんですが僕は暗い性格をしています。幼少の頃は おとなしい子程度だったのですが小学校高学年あたりから周りの人に 暗いと言われ始めました。理由はごく単純で自分自身が暗い人のほうが 好きでそうなりたかったからです。これも類は友を呼ぶというやつかも しれません。 友達付き合いにしても暗く見える友人は本を多く読み物事を深く考えて 話す価値のあるような自分の意見をしっかりと持っているように思え ます。明るい友人もいるのですが彼らは良い事かどうかはともかくとして 楽しいことを求めているようで人間的に尊敬するのはどちらかといえば 暗い人のほうです。もちろんこれは僕の価値観であって明るい友人も 大切な友人ではあるのですが。 しかし一般的に明るいのは良いこと、暗いことは欠点のように言われて います。言われるゆえんはとっつきにくさなどなんとなくわかるのです が暗いことやおとなしいことが過剰にけなされすぎているような気も します。 皆さんはご友人など個人で考えた時に暗い人は嫌いでしょうか。また 暗い人は明るくならなければ好かれるに足りないと思いますか? 暗い人、明るい人についての意見も聞かせて頂きたいです。
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質問者が選んだベストアンサー
一般的に暗い人は嫌われますね。 質問者さんの中では、暗い人と思慮深い人がいっしょになっていませんか。暗い人は自分の意見をしっかりと持っている人ではないですよ。もちろんそういう場合もなくはないですが。 暗い人は表情・身のこなし・声のトーンが暗いのです。多くの場合は発想もネガティブで、会話も弾みません。ということは情報も入りずらく何かを考えても所詮井の中の蛙です。 こんな感じですから、思慮深い人は歓迎されますが、暗い人は嫌われます。 明るい人と脳天気な人も違います。明るい人は歓迎されますが、脳天気な人は最初は歓迎されますがそのうち飽きられます。または、脳天気な人は同類の人たちだけで楽しく過ごします。 なぜ質問者さんは暗い人を選ぶのでしょう。明るくフレンドリーで、思慮深い人になってはいかがですか。
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私自身は明るくみられがちな暗い人で、 自分の友人についてもあなたと同じく暗い人のほうが好きですが、 こればかりは好みだからしかたないのでは? >一般的に明るいのは良いこと、暗いことは欠点のように言われて います 一般ウケなんて明るい人に任せて、 我々暗い人は好きな人と好きな事をしていればいいんじゃないでしょうか (少なくとも私はそのほうがいいですが) >暗いことやおとなしいことが過剰にけなされすぎているような気も します 好きな人と好きな事をしているのが羨ましいんでしょ まさに羨望の裏返し たぶん明るくいる事に疲れているんでしょうね (だったらやめりゃいいのに) それで、オマエもちょっとは苦労しやがれって八つ当たりしてるんですよ
お礼
回答ありがとうございます。 「一般」が明るい人基準だから物静かな人(暗い人)が必然的に少数派になる のでしょうね。暗い人と言われるもの同士では盛り上がってたりします。 明るく見える人があれだけ明るく保っているのも大変な気苦労だと思います。 もちろんそちらを好んでしている人ですからその気苦労が暗いと言われる人の 評価にあたるのかもしれませんね。
- suzut777
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確かにマイナスになっちゃうかな。 同じスケベでも、暗いだけでむっつりスケベとか言われるし。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに僕はスケベらしき言動を一度もとったことがないのに中学の頃よく むっつりスケベと言われてましたね。口数が少ないとそう見えるのでしょうか。
要するに「イメージ」の問題なのですよね? まあ、一般的には「その場を明るく楽しく」が理想でしょうが その人の「本質」は変えようがありませんから お互いに「本質」を磨いたり、見抜く力を持った方が良いですね。 ただ、多くの人は「表面」で判断するものです。 もっと言えば、容姿のイメージだけでほとんどを判断していると言っても良いでしょうね。 つまり、その人を見ているのではなくて、服装をみているようなモノです。 人は、日常的に、自分の本質(本音)をさらけ出して暮らしている訳ではありませんので 表面的なことで、お互いが評価し合っているようなモノです。 ウソや誤魔化しが出来るのも、そうした事が根本にあります。 「根暗」であろうと「根明」であろうと、それでその人の価値が決まる訳はなく 性格とか生き方の「違い」でしかありえません。 どんなタイプの人であろうと、本質的にはどうか?・・・ それが、私にとっては大切な判断基準となりますね。 人には得手、不得手がありますので、無理をする事はないのですが 自分と同タイプの人と過ごすのは楽ですけれど、ある一面的な人間になる恐れはありますから 色々なタイプの人との係わりも、また大事だと考えてます。
お礼
回答ありがとうございます。 容姿のイメージによる第一印象は大きいですね。「人は見た目が九割」という 新書が流行ったりしましたがあれもある程度的を射ていると思います。 人付き合いが狭いとおっしゃる通り一面的な人間になるのでこれから様々な 人とかかわって行きたいと思います。
私は自分が口数が多く、非常にうるさいタチなので(笑)、 物静かで落ち着いた雰囲気の人には、男女問わず魅力を感じます。 でも、過剰にシニカルな人は苦手ですね… 他のかたもおっしゃっていますが、 「物静かな人」と「暗い人」は全然違います。 いっけん口数が多くて、社交的にふるまっている人でも、 実は根本の性格や発想が暗い、という人は結構います(笑)。 こういう人は、ちょっと怖いですね。 「明るい人」についても、少し誤解されているように感じます。 私は前述の通り、そうとううるさいタチですが(恥)、 趣味は読書に手芸、映画鑑賞です。 スポーツはまるでダメだし、仕事も一人で黙々とこなすタイプのもの。 人前でよく笑い、よくしゃべるからといって、 本を読まないわけじゃないし、何にも考えてないわけじゃありません(笑)。 (まぁ、そんなにたいそうなコトを考えているわけでもありませんが…) 物静かでおとなしい人の中には、なーんにも考えてないし、 なんの勉強もしていないからしゃべることがない、という人が、結構います。 「おとなしい=深い考えを持つ人」 「明るい=軽薄で何も考えていない」 というのは、明確な誤解です。 本当に大切なのは、「明るい」「暗い」といったぱっと見の印象ではなく、 その人の本質的な豊かさを見ることなのではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 僕の周りの人で月に三冊以上の読書や映画鑑賞をするのは物静かで口数が 少ない人ばかりなので少し印象がかたよっていたかもしれません。 haluru300さんのような多くの趣味をもっている方なら印象に偏見をもたず 魅力を感じるのですがなかなか居るような人ではない気がします。 確かに本質的豊かさを見る事が一番大切なのでぱっと見の印象ではなく 明るい人暗い人どちらでも本質を見抜いて付き合えるようにしていきたいと 思います。
- hurasuke
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人の数だけ常識があります。私の常識で意見させていただきますね。 本を多く読み、物事を深く考えて話すような人は魅力的です。楽しいことを求める人も好きです。とっつきにくい人は、最初が付き合いにくいですが、付き合い始めて自分と波長が合えば全く気にならなくなります。しかし、とっつきにくく、波長も合わず、底の浅い価値観を見せられることもしばしばでした。 あなたの挙げた特徴に関しては、それぞれ意見を言えますが、明るいだけの人、暗いだけの人は両方とも嫌いです。 人に好かれたいと考えるに、多くの人に好かれたいのであれば、明るい人と分類される側に分があるように思います。私が暗い人と分類される側なんですが、私と付き合う人はどうも少数派が多いようです(笑)。 まとめませんでしたので、参考になるとこがあれば、そこだけ拾って下さい。
お礼
回答ありがとうございます。 明るい暗いに関係なく個人に本質の深さがあるのですね。確かに自分の周り を見ても暗いけれど深い考えを持っていないと思えるような人は居ます。 やはり多くの人に好かれるには明るいほうが良いようでとっつきやすい人を 好む人が多いからこそとっつきにくい人を「暗い」と決めつける風潮がある のかもしれませんね。
私はなんとなく分かりますよ。 単純に「明るい」「暗い」と分ける事は出来ませんが、「暗さ」に潜む「何か」はいつも私を惹きつけます。 人格や性格に於いて、表面的なイメージとしての「暗さ」はあまりどうでも良いというか、それがその人の本質では無いとは思うのですが、私は音楽や絵が好きなので、そうした芸術作品で私の思う「魅力のある作品」は必ずといって良いほどその底には「暗さ」を湛えていますね。 ただ、それは表面的な人格とはあまり関係はありませんね。。。 もの凄く社交的であったり、エネルギッシュである人が作品を作る時には自分の中の「暗部」をさらけ出す時に「何か」が生まれる事もありますし、もの凄くおとなしくて控えめな方がこと作品に関してはとても強硬な意志を貫く事もあります。 ですから繰り返しになりますが、単純に「明るい」「暗い」でその人を分ける事は出来ません。。。 ただ・・・そうした中で、私は特に暗さを好む性格ではありますね。 「人の心の影」であったり、「引きずる部分」であったり、そうした「傷」の様なものから「作品」は生まれて来ると思っています。。。 だから音楽家や画家といった芸術家は皆大抵は世間とは上手くいきませんよね(笑)、精神を病んだりもしますしね。。。 私自身、デザイン事務所で仕事をしていた時、凄く明るい絵を描いているつもりなのに、それでも「暗い」と言われて難儀した経験があります。 やはり周りの人間からしたら、そうした「暗さ」は嫌煙されますよね。 それはしょうが無い事と思います。 ある意味「暗さ」は「社交性」が足りないと同時に「内にこもる」という「自分本位」でもありますからね。 周りに受け入れて貰おうという努力が足りないか、周りの力になれないという「協調性」の無さを表していると言えますから。。。 もちろんそれはイメージであって、努力しても「暗い」イメージを持たれてしまう方もいらっしゃいますよね。 そうした方はそういう「負のイメージ」と向き合って一生懸命協調しようとしますよね。 人が集まる環境ではしょうがない事だと思います。 まあ、ただそれだけでずっと人間関係が上手く行かないという事は無い訳で、キチンとしていればちゃんとそれは受け入れて貰えますし、受け入れて貰えないというのは「他の部分」に原因があると考えた方が良いでしょうね。。。 私みたいに「別に分かって貰わなくても結構だ。」という「傲慢さ」だったりね(笑)。 そうした人間はそれなりにリスクを背負う覚悟がいりますけれど。。。 まあ何度も申しますが、「明るい」「暗い」だけでは何事も成り立ちませんから、みんな何らかの形でバランスを取っているのだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに優れた芸術作品からは何か暗い、苦悩のようなものを感じたり しますね。芸術の特性なのかそういったものが人を惹き付けるのかは 無学の僕にはうまくわかりませんが暗さというのは無くせば良いと いうものでもないと思います。 「分かって貰わなくても結構だ」と自分を確立している人はきっと 僕にはないものを持っていると思い好きになるような気がします。 確かに明るい人も暗い人も社会生活をする上では他でバランスを とる必要があるのですね。大変参考になりました。
- adwd
- ベストアンサー率19% (11/56)
>失敗をおそれないのも大事ですがすべての要素を考えるとネガティブにならざるをえない場面もあるのではと思います。 なんか横からであれなんですが、おそらくNo.1の方と質問者さんのネガティブという言葉の捉え方が食い違っています。不安要素を考えるのは何故か?それは「より良いものにしたい、成功させたい」という前向きな考えから出てくるからだと思います。逆にネガティブと言った時は、その前向きな考えから発せられておらず、ただ不安を煽り、物事をマイナスの方向にしか持っていかない全く生産性の無い発想や考え方です。だから不安要素を考えるがイコールネガティブにはなりません。それが最終的にプラスに向かっていればいいんです。 >僕としては本当は「物静か」なのにそれを「暗い」と思われて嫌われてしまう人が多くいると感じているのです。 私も同じようなことを感じますが、それは仕方の無い事でもあると思います。見る人間に人を見る力が無いんでしょう。明るい人だって悪く見れば「うるさい、やかましい、落ち着きが無い」というように見られますし。 なんか日本人(だからなのかは知りませんが)は、その場の雰囲気や空気などの「見えないもの」をやたらと守ろうとしますよね。馬鹿騒ぎに乗れない人は「空気読めない」、逆に騒ぎすぎても「空気読めない」。その人がどのような事を考えているのか?どんな人なのか?という事よりも何だかよく分からない「場の空気」を優先する奇妙な人たちが多くいると感じます。自分を出すと「KY」と言われる、なんとも生きにくい世の中です。
お礼
回答ありがとうございます。 この通りひとに伝える文章を書くのが苦手なので解説していただいて助かり ます。その本来の意味でネガティブを使えればよかったのですがどうも ネガティブ=否定的意見という誤った解釈が多く影響されてしまいました。 おっしゃるとおり明るい人暗い人それぞれ誤解をしているのかもしれま せんね。自分は慣れているのでなんともないのですが暗いと誤解されている 友人には本当に素晴らしい人がいるのでかわいそうに思います。明るい人に 対しても誤解しないように努めます。
私は見た目で人を判断しないので、暗そうな感じでも、物事をよく考えていて、知性があって、話の合う人なら友達になりたいですよ☆
お礼
回答ありがとうございます。 暗い人としてはそう言ってもらえると嬉しいです。暗いから友達ができない と言い訳するのではなく中身の魅力で人をひきつけられるようになりたいと 思います。
- cieux
- ベストアンサー率22% (100/443)
あなたは「物静か」を「暗い」と取り違えていませんか? 「大人しい」と「暗い」は、似てるようで全然違いますよ。 暗い人というのは、嫉妬深く他人をねたみ、自分の不運を嘆き、いじけている、そんな人のことです。 そういう人は付き合いたくありません。 でも、明るく楽しく、周りを盛り上げてくれる人も好きですし、本を読み、いろいろと思索にふける人は、私は話をしていて面白いと感じます。そういう人と交流を持つことに抵抗はまったくありません。
お礼
回答ありがとうございます。 僕としては本当は「物静か」なのにそれを「暗い」と思われて嫌われてしまう 人が多くいると感じているのです。例えばこの前何々の本を読んだと言った だけで明るく人気のある人の集団に「暗い」とキャラ付けされた人を知っ ています。 こういうことなのですがご指摘の通り質問文では「物静か」と「暗い」の 区別をつけなかったのでわかりにくかったと思います。「暗い人」の印象 について大変参考になりました。
おとなしい人は嫌いではありませんが、暗ければ嫌ですね。 暗いというのは私のイメージでは ・笑顔がない ・ネガティブな発想 ということです。 おとなしいと暗いの違いはありますよね??
お礼
回答ありがとうございます。 僕としては本当に楽しいときに笑えば暗い人でも笑顔は素敵なものに なると思っています。確かに笑う頻度は明るい人に比べてみると少ないかも しれませんが無理に笑わないということにはならないでしょうか。 またネガティブな発想についてですがネガティブが必要な際たとえば 文化祭などの会議のときに不安要素を無視してポジティブに考えすぎ、 失敗してしまうような明るい人が非常に苦手でした。失敗をおそれないのも 大事ですがすべての要素を考えるとネガティブにならざるをえない場面も あるのでは と思います。 しかしやはり暗いというのにはおとなしいよりマイナスのイメージが こめられていますね。おとなしい になれるように考えてみます。
お礼
回答ありがとうございます。 質問文中では意図的に「暗い人」「物静かな人」「思慮深い人」を一つの 印象として区別しなかったのですがやはりそこの区別は大事ですね。 ただ物静かで思慮深いだけなのに暗い人とマイナスイメージをつけられて 居る人を多く見るのでもしかしたら混同されているのではと思っていました。 明るくフレンドリーで、思慮深い人を目指してはみるのですがやはり数が 集まると明るいグループと暗いグループと(あえてこの二つに分けると) では話す言葉というか共通知識が違い、話す内容に深みが足りないように 思います。例えば僕の周りの明るいグループ内では月に一冊本を読むことが 非常に珍しいという具合なので「汎用性」という言葉が通じないことが ありました。決して馬鹿ではないどころか学業も非常に優秀な人たち なのですがもう文化レベルで違うということになってくるとなかなか 難しくなります。 このようなことは付き合いの範囲が広がるとなくなっていくと思うので そのときはただ暗く暗く物を考える人と誤解されないようにしたいです。