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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:サヴォイア人の歩んだ苦難?の歴史とは)
サヴォイア人の歩んだ苦難?の歴史とは
このQ&Aのポイント
- 18世紀に活躍したイギリスの政治家チェスターフィールドがイタリアやフランスで留学していた息子への手紙で、「イタリアやフランスには、下宿に下男のサヴォイア人がいるかもしれないが、決して彼らを見下したりしてはいけないよ。彼らだって好き好んで流転や難民生活をしている訳じゃない。不幸な運命からそうなってしまっただけなんだからね」と諭す一文がありまして、私はてっきりユダヤ人やジプシーのことかと思いましたが、当時のサヴォイア人はユダヤ人やジプシー並みに差別されていたのでしょうか?
- 世界史でサヴォイアが出てくるのって19世紀にイタリアが南チロルやイストリア半島をもらう代わりにフランスのナポレオン三世にサヴォイアとニースを割譲するくらいの認識しかありませんでしたが、それ以前の18世紀当時からサヴォイアは今のボスニアヘルツェゴヴィナみたく紛争地域だったのでしょうか(驚)?
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元々サヴォイアはイタリア統一を果たしたサヴォイア家の本領です。 イタリア統一を果たすためフランスの支援(不介入)を得るため仕方なく割譲されました。 本来ならイタリア統一の恩恵を一番得るべきサヴォイア王国の本領がフランスに割譲され フランスの片田舎として扱われ発展から取り残され。 フランスの2級市民(またはイタリアに出稼ぎ)とあつかわれてるのが 悲哀を感じんるんじゃないんでしょうか?