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【名言】この名言の意味

イノセンスというアニメに このようなセリフがあります。 「人はおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもない。 肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きないことだ。」 アニメオリジナルの名言ではなく何かの引用らしいです。 意味としてはそのまんまだと思うんですけど では、何故、人はおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもないのか。 何故、肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きてはいけないのか。 その2点がぼんやりしています。 何故だと思いますでしょうか。

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  • ベストアンサー
  • hekiyu
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回答No.3

「では、何故、人はおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもないのか。」   ↑ 敵を知り己を知れば百戦・・と言います。 敵を知ることはそれほど難しくないと思います。 己を知ることの方が難しいでしょう。 鏡で見る自分よりも、写真で撮った自分の方が醜いのは 観察の負荷性があるからだと思います。 自分のことを客観的に判定することは、かなり 難しい。 これがキチンとやれるのはゴルゴ13ぐらいでないですか。 「何故、肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きてはいけないのか」   ↑ 豊かな社会ではアノミーが最も問題になるからでは ないですか。 喰うや喰わずの社会ではそんな悠長なことなんか 言っていられませんよ。 豊かだからこその贅沢な悩みです。

yuzuru0024
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noname#156094
noname#156094
回答No.5

少し言い換えてみました。 幸せとは客観的に判断できることではない 大切なのは、常に新鮮である主観を持ち続ける事だ。 さらにちょっと言い換えてみました。 人の幸せは外からは分からない 自分の幸せを決めるのは、自分で見つけなさい。 解釈は自由だと思います。 参考にしてください。

yuzuru0024
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回答No.4

幸福感の源泉は、自らの内にあるから。 生命の危険を感じる(僕の趣味だと冬山単独行とか)、仕事なら絶対イヤな事も、趣味でなら、貴重なお金と休暇をつぎ込んでも行く、何にも代え難い喜びになる、という事では? そこに必要なのは、環境的に恵まれているかどうか(「思っているほど幸せor不幸」)ではなく、自らの内なる意志の大きさと、それを遠くまで射影できる認識の深さだ、という話で。 (物欲に支配され、虚栄心(他人との比較)に毒された、現代人への警鐘でしょう)

yuzuru0024
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回答No.2

幸福な事に、好きな人と結婚できた。 不幸な事に、愛する人を失ってしまった。 ほかにもいろいろ幸福、不幸はあるでしょうが、 どの幸福も不幸も、それらを、 「なんて幸せなんだろう!」とか、 「もう私は立ち直れない……」とか、 そうやって感じ取る自分があってはじめての幸福や不幸。 だから、本当に幸福や不幸なことというのは、 幸福や不幸と認知できる各々の現状や現象ではなくて、 それらを望んで掴み取れたとか、それを天に舞い上がるほどのことと感じ取れたこととか、 そういうふうに、生きた自分が思えることが幸福や不幸の核心なんだ。 だから、そいういう感じ取る事に疎かになってはいけない。 でなければ、幸福も不幸も消化不良のままガラクタのように存在するただの状況や現象になってしまう。 みたいな、そいういう意味でしょうか。。。

yuzuru0024
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回答No.1

自分が幸福や不幸だと認識することは、その幸福を自分は得てしまったということです。 その幸福が自分にとって良いものだと感じたなら、人はそれ以上の幸福を望まない。 しかし、人はそれでも幸福を求めようとするのは、自分の中で幸福の限界に達していないということになります。 だからこそ、人は幸福を求めることに飽きてはならない。 飽きてしまっては、それは死んでいることに等しいからだ。

yuzuru0024
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