※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:作文の感想を教えてください。)
私達の使命
このQ&Aのポイント
中学生の私がふと思う「どうして自分は生きているのだろう?」という疑問について考えています。
使命とは何か、それを見つけることの重要性について述べています。
中絶について調べた話や、不条理に対する反発の重要性について触れています。私たちが生きるために何かを犠牲にしなければならないこと、そして感謝することの大切さを考えています。
「私達の使命」
最近、ふと思う事がある。「どうして自分は生きているのだろう?」と。中学生の私がこんな事を考えるのはおかしいのだろうが、いつか聞いた言葉で「人は生まれながらに使命を負っている」とあった。このような種類の言葉は本屋に行けばたくさん見つかるだろう。このような言葉に共通している、「使命とはなんだろうか」である。本当に自分たちが使命を負っているのなら、それを探しあてて、全うする事が大切である。十五歳の私にはまだその使命の道のスタートラインにも立てていないかもしれない。先日、ネットで中絶について書かれている記事を読んだ。中絶とは、どうやって行われているのだろう?と疑問に思い、少し調べてみた。すると、少し昔の話だったが、関東の産婦人科のクリニックで、中絶した胎児の肉塊を切り刻んで普通ゴミと共に捨てていた、という事件を知った。今はもうこんな事は行われていないだろうが、昔はこんな行為があったのだと知ると、怒りの気持ちでいっぱいになった。元看護士が胎児を切り刻む事にいたたまれなくなり、内部告発したそうだ。本当にこの看護士に感謝したい。この事件が明るみに出て本当に良かったと思う。もうこのような事はないと願いたいが、まだ続いているのなら本当に悲しい事だと思う。世の中は「しょうがない」や、「原因があるから」と何か理由をつけて、抑制しているように見える。それは、私達十代にも当てはまるかもしれないが、理不尽である事には変わらない。この看護士の様に、勇気ある不条理に対する反発は世の中を正していくためにとても大切にしなければならない。中絶胎児であっても、望まれない妊娠であっても、「しょうがない」や「原因があるから」でという言葉で新しい芽を摘み取ってもいいのだろうか。今、世の中は少子化で出生率が年々低下していっている。生まれてくる赤ちゃんより、中絶や流産で亡くなっていく赤ちゃんの方が多いような気がするのは気のせいなのだろうか。と同時に自分たちが生きるために犠牲になっているものも少なくはないと感じるのもそうなのだろうか。人が生きていくために何かを犠牲にしなければならないのは事実である。身近にある物で言うならば、食べるための牛、豚、鳥などの動物の命であったり、もっと極端に言うなら目の前の敵を撃たない限り自分は生きられない、でも同じ事が言えるだろう。技術が進歩した今、動物などを殺して生きるのが当たり前になっているのではないだろうか。今、目の前にあるもの達は望んで命を落としたのではないのだと言う事に気付いてほしい。そして、私達も生きていくためには代償を払わなくてはいけないという事を分かってほしい。その代償とは心の底から生きていられることに感謝することだったりする。どうして自分は生きているのだろう。私の意志とは関係なくこの世に生を受けた事を不思議に思う人々により、この素朴な疑問は幾度となく繰り返されてきただろう。その疑問の答えは未だはっきりと解明されていない。だが、この世に生を受けたのだから、何らかの理由があるのだろう。私は、私の使命をまだ見つけられていない。だけど、それでもいいと私は思う。私達は生きているのだから、納得できる答えを探していきたいと思う。
これで3枚程です。中3女子です。
命について書きました。
どうでしょうか?