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生きてさえ入れば必ず道は開ける?
自殺志望者に対してよく以下のような言葉を投げかける人がいますが。 「死ぬことは無意味だ!」 「生きてさえいれば必ず道は開ける!」 「生きていれば無限の可能性が開ける!」 「命より尊いものはこの世にない!」 「命を絶つことなんて許せない!」 そこで思うのは、それほどまでに強固に「生き抜くこと」を訴えられる方というのは、 死刑囚に対しても同様に、 「生きてさえいれば必ず罪を償うことができる!」 「命より尊いものはこの世にない!」 「死刑台で命を絶たれることなんて無意味だ!」 「命を絶つことなんて許せない!」 などと思われるのでしょうか? ふと、疑問に思ったものですから。
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>矛盾がいけないとは思いません。 矛盾を見て、いけないと思えば、矛盾は解決に向かうと思っています。 だけれども、二人いれば、ダブルスタンダードになるのはあたりまえで、それはスタンダードとはいえません。矛の人も、盾の人も、同じ社会にいるのです。 >殺人犯の大よそ99.75%に社会復帰の道を残している = ほぼ全ての殺人犯に社会復帰の道を残しているという現実にも目を向けてほしいと思っているところです 知りませんでしたが、個人的には、現代の死刑制度は、現代の社会目的にかなっていないと思っていますが、殺人者の多い遺伝子というのや、自殺者の多い遺伝子というものもあります。罪の原因が、更正することで消えるのであれば、社会復帰できるであろうし、社会にそれ(犯罪)を誘発する要因が、恒久的にある場合もあります。被害者にも要因があります。自殺者の多さなどは社会のそれに値しますし、交通事故もそうです。それは悪い文化慣習であり、要因がわからないうちに、消えないうちに、犯罪者を送り返すことは、意味がありません。見えない糸が、殺人者ないし犯罪者を操っているのです。それを見て、糸を切ることが、よいか悪いかを、人権の観点で見切るべきだと思います。 ですから、科学的な社会の進歩が、死刑廃止を実現するのではないでしょうか。 ダブルスタンダードかどうかの問題は、犯罪の、社会的要因のうちの一つでしょう。死刑は社会的犯罪だからです。 まず、多くの人は、自分や家族の命が最高に大事なのです。 あまった余裕で、他の命も大事なのです。 犯罪者の人権は、被害者、被害者になる可能性の者の人権と衝突します。犯罪因子を持っているとわかった人は、人権を侵害されやすいのもまた事実です。犯罪心理を解明するということは、他人の精神構造を、いじくる事にもつながります。犯罪心理が働きやすいという理由でです。 話が現実離れしすぎでしょうか?少し、そう思いますが。 きっと、もうすぐ、死刑制度はなくなるでしょう。犯罪者の人権があるからです。犯罪者の人権と、被害者ないし被害者の家族の人権は、折り合いをつけなければなりません。譲れない一線は、人としての死線です。
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- haroeris
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ふと疑問なんですが、aabaaさんは 自殺志望者に対する >「死ぬことは無意味だ!」 >「生きてさえいれば必ず道は開ける!」 >「生きていれば無限の可能性が開ける!」 >「命より尊いものはこの世にない!」 >「命を絶つことなんて許せない!」 死刑囚に対する >「生きてさえいれば必ず罪を償うことができる!」 >「命より尊いものはこの世にない!」 >「死刑台で命を絶たれることなんて無意味だ!」 >「命を絶つことなんて許せない!」 と言った意見を指示するんですよね?すくなくとも#1さんへの回答からはそうとらえられますけど。死刑に反対しているんですから当然ですよね。 また「犯人の家族がかわいそうだから死刑にすべきではないと。」 これらの意見はすばらしいヒューマニズムあふれた意見なのでしょう。 しかし、同時にあなたは「殺人者が10年程で出てくるのが許せないから死刑を廃止して終身刑を導入しろと」と。 これって「生きてさえいれば必ず罪を償うことができる!」「犯人の家族がかわいそう」と矛盾していませんかね?一生かけて牢獄にいても罪をつぐなうことが出来ないから終身刑になるのではないのでしょうか?生きてさえいれば必ず罪をつぐなうことが出来ると言うのであれば、釈放されることにも問題はないと思うんですが、違いますかね?無期懲役であった者がいつか罪をつぐなうことが出来て出所するということもあり得ますよね? 一生会えず堀の中にいるのは可哀想じゃないんですかね?犯人の家族の気持ちを考えるなら、釈放してあげなければ。 僕の意見が"最初に死刑制度堅持有りき"と言われましたが、その出発点は、「被害者遺族の救済」であり、その根本は「ルールを守るからルールに守られる」と言う考えです。それ以外の理由では、僕は死刑制度を支持しませんし、その理由があるから死刑制度を支持しています。 逆に、あなたの意見はどうしても全てが「死刑を廃止すること」から始まっているようにしか見えないのです。上記のように内容として矛盾していたとしても結論は死刑廃止。全て結論がそこへ向けられていますよね。 あなたのは質問ではなく、主張です。自分の中で確固たる意見があるものを質問の形式を取って主張しているだけです。ですから、自分の意見に同調するものであればなるほどといい、違えば啓蒙しようとする。それって質問じゃない。すごい悪いたとえをするなら、『踏み絵』です。 さいごに。 そうでなかったのならこちらが一方的に攻めたてているだけなので謝るしかないのですが、この質問のすぐ下に自殺について悩んでいる人の質問があるのを見てこの質問をしていますよね。それを踏まえた上で、それを利用して死刑廃止論議へともっていこうとしたのであれば、あなたに対して非常におぞましい気持ちがわき上がってくるのを止めることは出来ません。 あえて最初から、触れませんでしたが、そもそも自殺について悩んでいる質問の直後には余りに不謹慎な質問ではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございました。 #9へのお礼を書いている最中でした。 貴方のこの回答は管理者殿が読まれた段階で、質問と回答の全てが削除されることになると思います。 非常に残念です。 管理者殿が削除すると私が判断できる理由は、貴方が苛立ちを表現しているからです。論争によるある種の喧嘩というふうに管理側では判断されるはずです。 質問者と回答者の間で論争めいた状態になったとしても、双方が大人であって苛立ちを露にするようなことさえなければ削除されるようなことはありません。 このことをできれば理解して頂きたく思います。 私が取り合えず締めたのは、どうせ削除されるであろう質問に新しい方が回答を寄せることは無意味だと思えたからです。 これも含めて一応全ての回答にコメントをつけるつもりです。この回答へのコメントは#9の方に合わせて付けさせてもらうつもりです。ここでもちょっとだけ付けるとするなら、 >あなたに対して非常におぞましい気持ちがわき上がってくるのを止めることは出来ません。 もし××ということであるならと前置きをされていますが、前置きがあれば何を表現してもいいことにならないことは理解して下さい。貴方の先生や上司に対して、もし××であるなら貴方をおぞましく思えるなどと言えますか? 何の面識もない人間に対してそのようなことを言ってくる貴方の方にこそ、正直背筋が寒くなるものを感じています。 管理者様へ 一部エキサイトされた方がいますが、できればこの質問と回答をそのまま残して頂ければと思います。
- nii2002
- ベストアンサー率33% (21/63)
こんにちは。 質問とaabaaさんの本当の目的が異なっているように感じますが、、、。 まぁ、それはそれとして、表向きの質問に対する私の回答は『思わない』です。 様々な悩みや問題を抱え自殺を考えている人と、死刑判決を受けるような凶悪犯を同列に考える事は私にはできないからです。 本当の目的?らしい事柄については、質問者のふりをして自分の意見や考えを主張する為に、名前だけかえて同じ様な質問を繰り返している人がいますので、そこらを読みながら考えてみたいと思います。
お礼
回答ありがとうございました。 >表向きの質問に対する私の回答は『思わない』です。 わかりました。 >質問者のふりをして自分の意見や考えを主張する為に、 >名前だけかえて同じ様な質問を繰り返している人がいますので、 そういう人がいるのですか? 私はそういう人は知りませんが、そのような使い方も一つの利用法として考えたら面白いかも知れないですね。ある意味芸のある質問といえるかも知れないですよ。
- haroeris
- ベストアンサー率36% (8/22)
>その人は命より金の方が大切だと判断したように感じますが。そのように自 >殺して残された金にありがたみを感じる人達などいるのだろうかと疑問に >思ってしまいましたが……。 僕はそう思えません。お金って使う人間がいて初めて意味がある物です。遺族がいなければ保険金の為に死のうとは思わないでしょう。命より金の方が大事と言う表現ってあり得ないことと思うんですが。命を絶ってまでお金を必要とするのにはやはり、残された人達の為を思うからだと思います。ただ、遺族と本人の気持ちにズレが生じると言うのは、分かります。自殺までして作ってくれたお金に喜ぶ遺族はいないでしょう。 >怨恨による殺人は逆恨みであるケースが非常に多いですが。そもそも独善性 >の乏しい殺人(犯罪において)などあるのかなと思ってしまいましたが。長年 >無能と言われ続けた上司に積年の恨みをはらそうとして殺害するケースなど >は、haroerisさんの基準では情状酌量が適応されるのでしょうか? 僕の基準では、多少の情状酌量があるかなと。ただ、日本の現状では、多少の酌量で死刑から、実質懲役20年以下になってしまうことには怒りを感じます。 >遺族の意向が死刑執行を左右するようなことになると、刑罰の公平性が損な >われしいては刑罰の体系自体に揺るぎが生じるような事態になってしまうこ >とを私は危惧しますが。 公平性。難しい問題ですよね。ただ、最高刑を請求されるべき者が、被害者の意志によって下げられると言うことには問題ないのではと思います。逆があってはなりませんが。裁判って被害者を救済するためにある物だと僕は思いますので、そう言う意味での、刑の減軽と言うのはあってもいいのではと考えます。 >それに被害者救済が死刑の最大の目的ということなら、殺人事件の大よそ >99.75%が死刑にならない日本の死刑制度は全く機能していないと言ってもいいと思いませんか? その点に関しては同意できます。もっときっちりとした形で死刑制度を固めるべきです。 >己の欲望追求のためだけの情状酌量の余地が全くないような犯罪でも一人の >みの殺人ではほぼ死刑にはなりませんが、そのような殺人を犯して刑務所で >刑期を終えて完全に更正して頑張ってられる方を私は知っています。 >そのような人に対してharoerisさんは、「本来ならおまえは死ぬべきだった >んだ」というような感情をお持ちになられるのでしょうか? そうですね。完全な更生なんてあり得ないと思うからです。また、たとえ更生できたとしても、けして罪をつぐなえる訳ではありません。もちろん死ねばつぐなえる訳ではありませんが、それで被害者の気持ちがおさまるのであればそうすべきだと考えます。以前にも書きましたが、ルールを守らない人はルールに守られるべきではないと思うからです。 >私が前回のお礼で申し上げたことは、「いくら凶悪犯罪を犯しているからと >いっても、死刑による死をその家族は平静に受け止めることはできないだろ >う。悲しみに暮れることだろう」ということですが……。 私も前回申し上げた通り、「死刑になりうる罪を犯しているのだから、ある程度の覚悟は出来ている」と思います。突然、大事な人を理由無く奪われた遺族と同列に扱うことに僕は非常に抵抗を感じます。加害者の遺族には明確な理由があります。被害者の遺族、そして自分の家族にまで悲しみを与えるまでが殺人と言う行為なのだと思います。 >仇討ちを野蛮な制度と見ていたのは欧米人のみで、日本人は理性的な制度だ >と思っていたのでしょうか? それならなぜ日本は仇討ちを廃止したので >しょう? >>「仇討ちといえでも法治国家において殺人はまずい」かといって、「仇討 >>ちをしたいと言う感情はなくなるものではない」からかわりに国が仇討ち >>をしてくれる為に死刑と言う制度があると僕は思っています。 と書いたのが回答になっていると思うのですが。野蛮だからと言う理由ではなく、法治国家だからです。 >仇討ちには返り討ちというものがありますが、それについてはどう思われま >すか? そういうことを含めても野蛮とは掛け離れた理性的な制度だと思わ >れますか? えぇっと、敵討ちが理想的だなんて一言も書いていないと思うんですが……。「敵討ちではまずいから、死刑制度がある」って書いていますよね? ただ、そのようなリスクを負ってまで敵討ちをしようと言う気持ちには同情できます。もちろんいい事だとは言いませんが。 >現在殺人事件の大よそ99.75%は死刑になっていませんが、ようするに家族 >を殺された人の大多数は国に犯人を殺してもらってませんが、そのような状 >況下で今の日本の死刑が国による仇討ちの役割を果たしていると思われます >か? 現状では果たし切れていないと思います。もっとしっかりとした死刑制度我必要だと思います。 >「だからといって死刑制度をなくすべきだとは思いません」というお言葉が >非常に印象的なのですが。 >なにかこう、"最初に死刑制度堅持有りき"という印象を受けてしまうのです >が。凶悪犯罪と刑罰の関係について考えた場合、一番大切なことは、私達の >生活が脅かされることを極力少なくするということだと思うのです。そこが >出発点になるべきだと思うのです。ですからそこを出発的にして、結果とし >て死刑を堅持することがどうしても必要という結論がでたなら、それはそれ >で仕方がないと受け止めます。しかし、最初から出発点が"死刑制度をなく >すことに反対"ということでは、私達の生活そのものについては二の次三の >次ということなのかなと思ってしまいます。 はい。意図的に使いました。それは、aabaaさんの意見が「死刑制度廃止有りき」と感じたからです。大人げがなかったと反省しております。僕が死刑制度を指示する理由は、被害者の救済の為であって、生活そのものの為ではありません。ですから、繰り返し申し上げているように、現行の死刑制度では問題があるとも思います。生活の保護だけが目的であれば、死刑を廃止しての終身刑でも問題はないと思います。 生活そのものと言う意味では、現行の実質20年以下の制度にもちろん疑問があります。 >それなら、終身刑を制定するにはどうすべきかと考えると、世界に目を向け >たなら、死刑廃止条約が国連総会で採択され欧州ではほとんどの国で死刑が >廃止されています。そのようなる状況を考えたなら、終身刑を制定するには >死刑を廃止することが近道であるという考えが思いつきます。世界の潮流な >ど関係ないというなら話は別ですが、日本という国は国際協調を無視した中 >では非常に不安定な立場に陥ると私は思っています。国益を考えたら世界の >潮流に反旗を翻すことは得策ではないと思います。 欧州でほとんどの国で死刑が廃止されているのはEUへの加盟条件であるからと言う理由もあると思います。同じ理由で、国益の為に死刑が廃止されることはあり得るでしょうね。ただ、政府主導で国民のいない改革による物でしょうが。現在日本の死刑制度支持率は過半数を超えているそうなので。 死刑廃止は「進んだ」考え方なのでしょう。ですから、知識があり、国連の議会に参加できるような人達には支持されると思います。でもそれが、本当に国民の総意であるのかと考えると僕は疑問を感じます。実質は世界の潮流ではなく、欧州の、そして欧州の教育を受けた指導者の潮流ではないのかなぁと思います。(あくまで個人的意見ですけどね。) 終身刑を採用する為に手段として死刑を廃止すると言うのは賛成できませんが、ある程度理解は出来ます。現状よりかはよくもなるでしょう。ただ、やはり、死刑制度を維持したまま(もちろん改革の上で)終身刑も導入するのが理想だと思います。 最後にそもそもの問題点は一級の刑(死刑)と二級の刑(無期懲役:実質20年以下)との差があまりに大きいことでしょう。一番最初にするべきことは、終身刑を採用することよりも、懲役40年、50年などの具体的に20年経っても出れない刑を制定することだと僕は思います。
お礼
ご回答ありがとうございました(#9へのお礼) >自殺までして作ってくれたお金に喜ぶ遺族はいないでしょう。 そのことに気がつかなかったという点で、保険をかけて自殺をした人は未熟だったと私には思えます。 ここで回答の後半にある一文を引用させて頂きます。 >僕が死刑制度を指示する理由は、被害者の救済の為であって、生活そのものの為ではありません。 「被害者の救済の為」というのがharoerisさんの死刑の位置付けを理解する上でポイントになると判断させてもらいました。 >>長年無能と言われ続けた上司に積年の恨みをはらそうとして殺害するケースなどは、haroerisさんの基準では >>情状酌量が適応されるのでしょうか? >僕の基準では、多少の情状酌量があるかなと。 情状酌量をすることが「被害者の救済」につながるのでしょうか? >>それに被害者救済が死刑の最大の目的ということなら、殺人事件の大よそ >>99.75%が死刑にならない日本の死刑制度は全く機能していないと言ってもいいと思いませんか? >その点に関しては同意できます。もっときっちりとした形で死刑制度を固めるべきです。 「被害者の救済」の観点に立てば、殺人事件のかなり部分は死刑になった方が良いと思われるということですね。それが死刑制度を固めるということの意味と理解しますが……。 >>刑期を終えて完全に更正して頑張ってられる方を私は知っています。 >>そのような人に対してharoerisさんは、「本来ならおまえは死ぬべきだった >>んだ」というような感情をお持ちになられるのでしょうか? >そうですね。完全な更生なんてあり得ないと思うからです。 ちゃんとした手続きに基づいてきちんと刑期を終えて、これからは真面目に頑張ろうと思っていても、凶悪犯罪を犯したという事実は消せないので、「本来は死ぬべきだったんだ」という態度で接するということですね。当人が、真面目に頑張ることが罪の償いに通じることになると思っていたとしても、そのような思いは当然受け入れられないということですね。 >以前にも書きましたが、ルールを守らない人はルールに守られるべきではないと思うからです。 でも、この元凶悪犯はルールに基づいて服役して社会復帰しているわけですから、真面目に頑張ろうとしている思いを多少なりとも汲み取ってあげることはできないでしょうか。私ならこの元凶悪犯の力になってあげたいと思ってしまいますが。このような人にこそ手を差し伸べてあげなさいと言っていた神父さんもいました。この神父さんの言葉は間違いでしょうか? >>>仇討ちを野蛮な制度と見ていたのは欧米人のみで、日本人は理性的な制度だ >>>と思っていたのでしょうか? それならなぜ日本は仇討ちを廃止したのでしょう? >>「仇討ちといえでも法治国家において殺人はまずい」かといって、「仇討 >>ちをしたいと言う感情はなくなるものではない」からかわりに国が仇討ち >>をしてくれる為に死刑と言う制度があると僕は思っています。 >と書いたのが回答になっていると思うのですが。野蛮だからと言う理由ではなく、法治国家だからです。 「仇討ちといえでも法治国家において殺人はまずい」と言われていますが、死刑は殺人ではないのでしょうか? また、法治国家であっても、仇討ちが野蛮でなく理性的なものであると判断できるなら、仇討ち法のようなものを制定して国の管理の元で仇討ちに酷似したものを行うことは可能ではないでしょうか? >>仇討ちには返り討ちというものがありますが、それについてはどう思われますか? >>そういうことを含めても野蛮とは掛け離れた理性的な制度だと思われますか? >えぇっと、敵討ちが理想的だなんて一言も書いていないと思うんですが……。 私も理想的という表現は用いていません。"理性的"というのは"理想的"の誤字ではなく、野蛮ではないという意味で用いています。仇討ちが野蛮というのは欧米人の独善的解釈だと言われていたので、それならば、日本人は返り討ちなどもある仇討ちを野蛮でなく理性的なものであると見なしているのでしょうか? と質問させてもらった次第です。 >>一番大切なことは、私達の生活が脅かされることを極力少なくするということだと思うのです。 >僕が死刑制度を指示する理由は、被害者の救済の為であって、生活そのものの為ではありません。 >ですから、繰り返し申し上げているように、現行の死刑制度では問題があるとも思います。 >生活の保護だけが目的であれば、死刑を廃止しての終身刑でも問題はないと思います。 生活が脅かされることを極力なくすこと → 生活の保護 という捉え方と理解しましたが。この生活の保護よりも被害者の救済に重きを置かれるということは、殺人の件数を減少させることよりも殺された遺族の憤りを死刑によって解消することの方が重要であるという認識でよろしいのでしょうか? >欧州でほとんどの国で死刑が廃止されているのはEUへの加盟条件であるからと言う理由もあると思います。 それも一部はあると思います。が、フランス1981年・西ドイツ1949年・デンマーク1978年・オーストリア1968年等等かなり以前に廃止している国々もけっこうあります。 >ただ、政府主導で国民のいない改革による物でしょうが。 確かに世論は死刑を支持しているのに関わらず政治主導で廃止した国もあるようです。が、そのような国でも廃止後の世論調査では死刑廃止支持の方が多くなっているようです。 >現在日本の死刑制度支持率は過半数を超えているそうなので。 これも欧州諸国のように政治主導で死刑を廃止したのなら、その後の世論調査で支持率の逆転が起こることがあるかも知れません。 >死刑廃止は「進んだ」考え方なのでしょう。ですから、知識があり、国連の議会に参加できるような人達には >支持されると思います。でもそれが、本当に国民の総意であるのかと考えると僕は疑問を感じます。 >実質は世界の潮流ではなく、欧州の、そして欧州の教育を受けた指導者の潮流ではないのかなぁと思います。 国連や民主主義国家の諸決定を重んじることなくして国際協調は不可能であると私は思いますが。 >ただ、やはり、死刑制度を維持したまま(もちろん改革の上で)終身刑も導入するのが理想だと思います。 理想を持つことは大切だと思います。ただ理想にこだわり過ぎて現状を全く変えることができないということだけは避けたいものです。 >一番最初にするべきことは、終身刑を採用することよりも、懲役40年、50年などの具体的に20年経っても >出れない刑を制定することだと僕は思います。 それは私も賛成です。そして死刑を廃止すればそのような刑を制定しやすくなると思えてなりません。実質年間3~4人程度しか執行されていない死刑をなくすことが、凶悪犯がたやすく社会復帰できない状況を作り出すことにつながることになるのなら、それは非常に意義のあることだと私には思えますが。 #12へのコメント >逆に、あなたの意見はどうしても全てが「死刑を廃止すること」から始まっているようにしか見えないのです。 別にそういうつもりはないですが、仮にそうだったら何かいけないことでもあるのでしょうか? >上記のように内容として矛盾していたとしても結論は死刑廃止。全て結論がそこへ向けられていますよね。 「内容として矛盾していたとしても」と、矛盾しているとご自分で勝手に判断を下して次へ進んでいませんか。 ではあなたが矛盾していると判断を下したことに関してコメントさせてもらいます。 その前に一言。貴方の文章は非常に意味が分かりづらいです。思いつきで文章を書くのではなくもう少し内容を整理して一文一文を吟味されてから書かれることをお勧めしたいです。 まずですね、無期懲役が存在する現行法においても社会復帰が可能なのはお分かりかと思いますが、ならば仮に終身刑が制定されたとしても、字義通りの完全な終身刑にならないことが考えられると私は想定していました。場合によっては懲役20年なり30年なりで出所の道もあり得るだろうと。それでも、現状の無期懲役でも10年で出てこれるような制度に比べれば格段の差があると思えます。 また、仮に本当に終身の刑で出所の道が絶たれたとしても、刑務所の中で真摯に日々生活をしていくことが被害者への償いに通じるという考え方もできると思います。また面会なども可能だと思われますので、加害者の家族も死刑と終身刑では天と地ほどの差があると私は受け止めます。 このくらいで、矛盾だ矛盾だ!! と叫ばれていた点は納得して頂けたでしょうか? >あなたのは質問ではなく、主張です。 わかりました、仮に主張だとします。主張なら○○です! と断定する箇所が随所にあると思われますが、私の文章をもう一度読み直して、断定している箇所をピックアップしてみて下さい。 それよりも、この貴方の回答こそが○○です! のオンパレードで完璧な主張ではありませんか? >ですから、自分の意見に同調するものであればなるほどといい、違えば啓蒙しようとする。 では仮に啓蒙しているとします。回答に対してお礼も言わずに俺の考えが正しいんだ! などという態度であったら問題ですが、そのような非礼な態度がありましたか? そのような非礼がないのであるなら、仮に啓蒙的な内容であったとして、どこに問題があるのでしょうか? 教えてgoo !の規定に、啓蒙めいたことは一切禁じるという規則でもあるのでしょうか? 啓蒙であるないというよりは、このようなサイトで一番大切なことは相手に非礼がないことだと私は思っていますが、その点では貴方の#12の文章の方がよっぽど問題が多いと思えてなりませんが。 >そうでなかったのならこちらが一方的に攻めたてているだけなので謝るしかないのですが、 そうではありません。反省して下さい。 >そもそも自殺について悩んでいる質問の直後には余りに不謹慎な質問ではないでしょうか? その質問は読んでいません。ですから自殺について悩んでいる内容かどうかなども知りません。そもそも、質問をする時は前の質問に目を通しおく必要があるという規則はないと思いますので。 最後に一言。#12の回答からは、何かこうお寒い稚拙な論理によって構築された勘違い的正義感のようなものが感じられ、おまけにそんな勘違い的正義感を振りかざす自分に酔われているような青く幼く滑稽なものを感じてしまいましたが。
>などと思われるのでしょうか? おそらくそうでしょう。矛盾がなければそうなると思います。 しかし、実際に人はいろんな人がおり、いくらかの人が、矛盾を抱えているといえるのも、事実です。 矛盾を持たない人も、いくらかいるというのもまた事実ですが。 質問文のように、上のように言っておきながら、下のように言う方もおれば、政治において、右を指差しながら、左を向いて歩いている人もいます。 彼らは、動く歩道に乗っているんでしょうか。 真ん中を歩く人も、いくらかいるでしょうし。 右翼と、左翼と、両方もてば、空を飛べるじゃないか!と思います。 両翼ってことで。 余談ですが、この前、寒い日でした。より目をしながら自転車を運転していると、溝に落ち、ハンドルを握っていた指が、横の壁にすられて、一部削れてしまいました。より目をするのは、斜視になるのを防ぐためのつもりだったんですが、。 きちんと前を見ないと危ないです(笑。 自殺を、命が尊いからという理由で否定しながら、死刑を認めるのは、矛盾が存在しており、矛盾の存在を許しています。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >自殺を、命が尊いからという理由で否定しながら、死刑を認めるのは、矛盾が存在しており、矛盾の存在を許しています。 矛盾がいけないとは思いません。ただ、それに相当な効果があると信じて死刑を認めているのなら、 殺人犯の大よそ99.75%に社会復帰の道を残している = ほぼ全ての殺人犯に社会復帰の道を残している という現実にも目を向けてほしいと思っているところです。
- haroeris
- ベストアンサー率36% (8/22)
「命より尊いものがある」というのは戦争を肯定するつもりで書いた訳ではないのですが、たとえが悪かったですかね。これも余りいい例ではありませんが、借金に苦しむ人が、保険金で家族が生活に困らないようにと自殺することがありますよね。少なくもこの人にとって家族にお金を残して少しでも苦労を減らしてやることは、自分の命より尊いと思うから自殺するんじゃないでしょうか。こう言う人達を非難する方もいらっしゃいますが、僕にはそこまで思い詰め手までも自殺した人を責めることは出来ません。 >我が国ではここ数年大よそ年間1300件前後の殺人事件が発生していますが、>この1300件の犯人は、 全員生きる権利はない→死刑にするべし 基本的にはそう思います。ルールを守らなければ、そのルールに守ってもらう資格はないと思います。ただし、次の2つのケースにおいては例外かと。 1.殺害動機が余りに独善的ではないもの。 長年の恨みとか、ケースは色々あると思いますが情状酌量が適応されうるもの。余り詳しくはないですけど、大抵がこのパターンにあてはまるのではないでしょうか。もっと厳しくするべきだとは思いますが。 2.被害者の遺族が死刑を望まない。 死刑と言うのは、結局のところ被害者救済の為だと思いますので、被害者の遺族がそれを望まないと言う高尚な方々の場合には必要ないと思います。 >どのような状況下でも肉親の死に諦めがつくようなことはないと私は思いますが(程度のいかんを考えても)。 そうですか。この意見に関してはaabaaさんとはおり合いがつけられそうにもありません。僕は、「お前が殺人を犯したらすぐに警察に突き出す」と親に言われて育ってきました。肉親だからといってかばうことなく、責任はきちんととらせるべきである、と僕はとらえました。 死刑は「遺族に悲しい思いをさせる」ことまでを含めてのペナルティーであると思います。遺族が親とは限りませんが、ニュアンスとして「そんな親不孝をすることになる」こともあるのだから、殺人なんかするな、という。 >被害者の家族が死刑廃止運動を行っているケースもありますので、被害者の >家族の全てがそのように思うものでもないと思います。また犯人に強い憎し >みを抱きながらも、とにかく最後まで生き抜いて罪を償ってもらいたいと思 >う家族もいると思います。 そういう方々の場合は上記したように死刑ではなくてもいいとおもいます。なったことがないのでなんとも言えない部分はありますが、僕にはけして、そのような気持ちは生まれないと思いますし、その様な方々はまだ少数派ではないでしょうか。 >それが今はなくなったのは、野蛮な非人間的なものだという判断があったからのように思えますが。 野蛮で非人間的ですか…。僕は正直こう言う表現が好きじゃありません。「自分らは文明人だがあいつらは未開の蛮族だ」という欧米の独善主義を感じずにはいられません。 それはおいといて、「仇討ちといえでも法治国家において殺人はまずい」かといって、「仇討ちをしたいと言う感情はなくなるものではない」からかわりに国が仇討ちをしてくれる為に死刑と言う制度があると僕は思っています。 >それとも何が何でもたった0.25%の死刑にこだわり続けて終身刑を導入しな >いで、殺人犯の99.75%を社会復帰させる現状の制度を支持されたいです >か? 「一生をかけてつぐなってほしい」と思う遺族がいるのですから、終身刑制度『も』取り入れるべきだと思います。だからといって死刑制度をなくすべきだとは思いません。 また、現行の死刑制度に対しては多くの問題点があると思います。だからといって死刑制度をなくすべきだとは思いません。例えば、法務大臣の気持ち一つで死刑が執行されるなんて言うのはもってのほかです。えん罪の問題もありますから、死刑確定後直に執行とは行きませんが、刑確定から執行までの期間はきっちりと決められるべきだと思います。 実質10年程で殺人者が出てきてしまうという現状には僕も怒りを覚えますし変えていかなければならないと思います。だからといって死刑制度をなくすべきだとは思いません。 aabaaさんは「死刑をなくせば終身刑が出来る」とおっしゃいます。確かにその通りだと思います。 しかし「死刑をなくす」労力と「新たに終身刑を制定する」労力はどちらも法を改正するという非常に大変なことであり、余り変らないと思うのですが。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >借金に苦しむ人が、保険金で家族が生活に困らないようにと自殺することがありますよね。 その人は命より金の方が大切だと判断したように感じますが。そのように自殺して残された金にありがたみを感じる人達などいるのだろうかと疑問に思ってしまいましたが……。 >1.殺害動機が余りに独善的ではないもの。 >長年の恨みとか、ケースは色々あると思いますが情状酌量が適応されうるもの。 怨恨による殺人は逆恨みであるケースが非常に多いですが。そもそも独善性の乏しい殺人(犯罪において)などあるのかなと思ってしまいましたが。長年無能と言われ続けた上司に積年の恨みをはらそうとして殺害するケースなどは、haroerisさんの基準では情状酌量が適応されるのでしょうか? >2.被害者の遺族が死刑を望まない。 >死刑と言うのは、結局のところ被害者救済の為だと思いますので、被害者 >の遺族がそれを望まないと言う高尚な方々の場合には必要ないと思います。 遺族の意向が死刑執行を左右するようなことになると、刑罰の公平性が損なわれしいては刑罰の体系自体に揺るぎが生じるような事態になってしまうことを私は危惧しますが。それに被害者救済が死刑の最大の目的ということなら、殺人事件の大よそ99.75%が死刑にならない日本の死刑制度は全く機能していないと言ってもいいと思いませんか? >>ここ数年大よそ年間1300件前後の殺人事件が発生していますが、この1300件の犯人は、 >>全員生きる権利はない→死刑にするべし >>とお考えでしょうか? >基本的にはそう思います。ルールを守らなければ、そのルールに守ってもらう資格はないと思います。 己の欲望追求のためだけの情状酌量の余地が全くないような犯罪でも一人のみの殺人ではほぼ死刑にはなりませんが、そのような殺人を犯して刑務所で刑期を終えて完全に更正して頑張ってられる方を私は知っています。 そのような人に対してharoerisさんは、「本来ならおまえは死ぬべきだったんだ」というような感情をお持ちになられるのでしょうか? >「お前が殺人を犯したらすぐに警察に突き出す」と親に言われて育ってきました。 そのようなことはどこのうちでも同じだと思いますが。 >肉親だからといってかばうことなく、責任はきちんととらせるべきである、と僕はとらえました。 それも当たり前の考えだと思いますが。 >死刑は「遺族に悲しい思いをさせる」ことまでを含めてのペナルティーであると思います。 私が前回のお礼で申し上げたことは、「いくら凶悪犯罪を犯しているからといっても、死刑による死をその家族は平静に受け止めることはできないだろう。悲しみに暮れることだろう」ということですが……。 >野蛮で非人間的ですか…。僕は正直こう言う表現が好きじゃありません。 >「自分らは文明人だがあいつらは未開の蛮族だ」という欧米の独善主義を感じずにはいられません。 仇討ちを野蛮な制度と見ていたのは欧米人のみで、日本人は理性的な制度だと思っていたのでしょうか? それならなぜ日本は仇討ちを廃止したのでしょう? 仇討ちには返り討ちというものがありますが、それについてはどう思われますか? そういうことを含めても野蛮とは掛け離れた理性的な制度だと思われますか? > 国が仇討ちをしてくれる為に死刑と言う制度があると僕は思っています。 現在殺人事件の大よそ99.75%は死刑になっていませんが、ようするに家族を殺された人の大多数は国に犯人を殺してもらってませんが、そのような状況下で今の日本の死刑が国による仇討ちの役割を果たしていると思われますか? >終身刑制度『も』取り入れるべきだと思います。だからといって死刑制度をなくすべきだとは思いません。 > 実質10年程で殺人者が出てきてしまうという現状には僕も怒りを覚えますし変えていかなければならないと思います。だからといって死刑制度をなくすべきだとは思いません。 「だからといって死刑制度をなくすべきだとは思いません」というお言葉が非常に印象的なのですが。 なにかこう、"最初に死刑制度堅持有りき"という印象を受けてしまうのですが。凶悪犯罪と刑罰の関係について考えた場合、一番大切なことは、私達の生活が脅かされることを極力少なくするということだと思うのです。そこが出発点になるべきだと思うのです。ですからそこを出発的にして、結果として死刑を堅持することがどうしても必要という結論がでたなら、それはそれで仕方がないと受け止めます。しかし、最初から出発点が"死刑制度をなくすことに反対"ということでは、私達の生活そのものについては二の次三の次ということなのかなと思ってしまいます。 凶悪犯罪と刑罰の問題で私が早急に解決されるべきと思うことは、殺人犯の99.75%(ほぼ全員といってもよい数字)に社会復帰の道が残されるという現実です。そこに問題があることはharoerisさんも同意して頂けることと思います。それを是正することが急務だと思うのですが、そのためにどうすればいいかと考えた場合、終身刑がないことが安易な社会復帰の道筋をつけることにつながっていると考えることができます。 それなら、終身刑を制定するにはどうすべきかと考えると、世界に目を向けたなら、死刑廃止条約が国連総会で採択され欧州ではほとんどの国で死刑が廃止されています。そのようなる状況を考えたなら、終身刑を制定するには死刑を廃止することが近道であるという考えが思いつきます。世界の潮流など関係ないというなら話は別ですが、日本という国は国際協調を無視した中では非常に不安定な立場に陥ると私は思っています。国益を考えたら世界の潮流に反旗を翻すことは得策ではないと思います。 死刑廃止による終身刑の導入は世界の潮流に乗ることですから、死刑を維持して終身刑を導入することよりは実現しやすいと考えます。そしてそれが実現できれば、殺人犯の99.75%に社会復帰の道を残す異常な状態がそれなりに改善できると考えます。死刑を廃止することが目的ではなく、あくまでも殺人犯の99.75%に社会復帰の道を残す極めて不自然な状態を是正することが目的であり、それを実現するための現実的な方法の一つとして死刑の廃止があると私は考えます。
- verypop
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まず最初に。 差別的な表現があるかも知れません。 読みにくい部分がありましたら失礼します。 自殺志願者に対して”生きてさえいれば必ず道は開ける!…等”と言う方の大部分は無責任だと思います。 自殺志願者が如何に考え、如何に自殺を望んでいるのか?。 どの様な苦しみを感じ、どのように解決したら良いのか考えたのか? そういう自殺志願者が”感じて”いる事を”感じよう!”としない人が多いからです。 自殺志願者に対して「生きてさえいれば必ず道は開ける!」と、さらりと答える人は自分の道徳観を押し付けているだけのような気がします。 そしてそういう押し付けは自殺志願者に対して一切心に響かないものになる。 お互いの心がシンクロしていないからです。 さて、そんな「生きてさえいれば必ず道は開ける!」の人にとっての道徳観はシンプルなものです。 自殺志願者=死ぬべくして死ぬ人ではない人。 死刑囚=死ぬべくして死ぬ人 世の中に生きている人の中でも別のカテゴリとして属されていると考えるのです。 だから、自殺志願者は死んだら駄目。死刑囚は死んでも構わない。 そういう結論に繋がるのです。はっきり言葉には出さないかもしれませんが…。 と、ここまでは「生きてさえいれば必ず道は開ける!」と言う人を少し否定的に表現してみましたが、それくらいに心を薄めて考えないと、うつ病等心の病に陥る(誰でも多少は抱えてる心の病が強くなってしまう)可能性が高くなります。 だから自分を守る為にも心を薄めて道徳観を振りかざして生きていくこともある意味では必要だと思います。 最後に、この質問って死刑制度に対しての異を唱える事が質問の要点なんでしょうか? 質問に質問で返してすみませんでした。
お礼
ご回答ありがとうございました。 自殺志願者に対して「生きてさえいれば必ず道は開ける!」と言う人の心理分析は興味深く読ませて頂きました。 >この質問って死刑制度に対しての異を唱える事が質問の要点なんでしょうか? 異を唱えるというより、殺人犯の何%くらいが死刑になっているとかその程度のことも知らない方が「死刑は被害者感情を慰撫するために必要不可欠」などと思っているようですので、まずは基本的な矛盾点に目を向けてもらいたいという思いが根っ子にあります。
- haroeris
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僕はそもそも、「死ぬことが無意味だ」なんて思いません。 死ぬ事によって本人が楽になることもあると思うからです。 「命より尊い」ことだっていっぱいあると思います。 でなければ、戦争なんて起きないでしょうし。 ただ、生きていれば無限ではないにしろ多少の可能性はあるでしょうし、止めれるなら止めたいと思います。死んだ本人は楽になれても回りの人間が辛くなるのが分かっているからです。いきなり、身近な人間が死ぬと言う辛さを見てきたからです。 死刑囚に対してはえん罪の可能性と言う問題もありますが、「生きてさえいれば必ず罪を償うことができる!」 とは思えません。法律には疎いので、殺人以外で死刑になる場合があればあてはまらないのですが、他人の生きる権利を奪った時点で、その人間には生きる権利なんてないと思います。義務を果たさなければ、権利は保証されるべきではありません。 確かに、死刑囚にも回りの人間がいて、殺すことによって悲しむ人はいるでしょう。でも、死刑囚の回りの人達には、死刑が確定した時点である程度の覚悟が生じると思います。死刑囚のえん罪を全く疑っていない限りある程度のあきらめはあると思うんです。いきなりではなく予想の範囲内ですから。 死刑を執行したからといって被害者の気持ちが晴れるとは思いませんが、少なくとも「自分の家族は殺されたのに、なぜあいつは生きていられる?」と言う気持ちは消せるんじゃないでしょうか。古来から敵討ちと言う風習があると言うことは、やはりある程度の効果はあるんだと思います。 僕は死刑制度を支持します。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >「命より尊い」ことだっていっぱいあると思います。 天皇・国家を「命より尊いもの」としたがゆえに特攻隊などという愚かなものが過去に行われたわけですが、「命より尊いもの」という思想は権力者に利用されうる側面があることを忘れてはいけないと思います。 >他人の生きる権利を奪った時点で、その人間には生きる権利なんてないと思います。 我が国ではここ数年大よそ年間1300件前後の殺人事件が発生していますが、この1300件の犯人は、 全員生きる権利はない→死刑にするべし とお考えでしょうか? >死刑囚のえん罪を全く疑っていない限りある程度のあきらめはあると思うんです。 どのような状況下でも肉親の死に諦めがつくようなことはないと私は思いますが(程度のいかんを考えても)。 >少なくとも「自分の家族は殺されたのに、なぜあいつは生きていられる?」と言う気持ちは消せるんじゃないでしょうか。 被害者の家族が死刑廃止運動を行っているケースもありますので、被害者の家族の全てがそのように思うものでもないと思います。また犯人に強い憎しみを抱きながらも、とにかく最後まで生き抜いて罪を償ってもらいたいと思う家族もいると思います。 >古来から敵討ちと言う風習があると言うことは、やはりある程度の効果はあるんだと思います。 それが今はなくなったのは、野蛮な非人間的なものだという判断があったからのように思えますが。 >僕は死刑制度を支持します。 #4さんのお礼の中にも書いたのですが、ごく大雑把な数字ですが、現状において我が国で殺人事件を犯して死刑になる割合は0.25%程度です。99.75%の殺人犯は社会復帰の道が残されるのです。この現実を見据えたら、死刑を廃して終身刑を導入して殺人犯の社会復帰を大幅に減らすことを検討した方が、被害者感情の慰撫にはるかに寄与すると思えませんか? それとも何が何でもたった0.25%の死刑にこだわり続けて終身刑を導入しないで、殺人犯の99.75%を社会復帰させる現状の制度を支持されたいですか?
- mamasou
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私も親になってわかった事ですが、一つの命を育てるのには 具体的にいうときりはありませんが、かけがえのない時間 身体的なこと金銭的な事もろもろ自分の身を削る感じで日々 この子の為にという気持ちで暮らしています。 こんな全てを育児に与えても大事に育てている我が子の命 をかけがえのない命を今とられてしまったとしたらやはり その相手には同等の事で償って欲しいと自然と身近な方 は思う気がします。 その人が育つまでには様々な方が関わり生活して、 その人との未来を考えて、それを支えに生活している 人や本人の人権さえも無視して身勝手に命を絶って しまうのならば今の日本の法律においてはどうその相手に それを償ってもらえば良いのでしょう? とはいえ、その加害者にも同様に親御さんやその人を 大切に思う人はいる事だろうし、その人の未来も 大事なのでしょう。 ただ償えないだけの罪を犯したとしたのならば、そうい う形で私は罪を償ってもらうというのしか被害者やその 周りの方々は浮かばれない様に思います。 無期懲役とかいっても何十年かで罪ははれてしまうと思うと 被害者家族は一生続くと思われるやりきれない思いは どうおさめたら良いのでしょう? 加害者がもし死刑という事になっても被害者家族は やりきれない気持ちがけして消える訳ではない のでしょうが、かけがえの無い命を同じ命という形で 償ってもらえたという事で少しすくわれる様に 思います。 個人的な意見ですが、もし償えないだけの罪を 犯して加害者が死刑では無くて無期懲役と裁かれたと したら、無期懲役とかではなくてきちんと最期まで 終身刑という形で被害者家族同様に一生続 く十字架を背負って頂きたいと思います。 日本にも終身刑制度があればいいのにと思います。 そう同様に考える被害者家族の方もいるでしょう。 私と違う生き方をしている人もいて色々な考えを もって生活されている方もいるのかとは思うので どの考えが正しいとかはいちがいに言えない のかと思います。 aabaaさんの身近な方がもしそういう形で被害者と なった時に私の様に考えずに質問の内容の様に思われ るというのも間違いでは無いのでしょう。 私にはそう考えられる器の広さは無さそうです。 難しいテーマで質問者さんが聞きたい内容とずれていたら すみません。あまり賢くないので上手く表現できたかと 補足要求とかで答えられる自信がないのですが、 私の思ったありのままを書いてみました。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >無期懲役とかいっても何十年かで罪ははれてしまうと思うと >被害者家族は一生続くと思われるやりきれない思いは >どうおさめたら良いのでしょう? まず死刑を廃止した国で終身刑を導入していない国はないと思いますので、日本においても死刑が廃止となったら必ず終身刑が導入されるでしょう。 >個人的な意見ですが、もし償えないだけの罪を >犯して加害者が死刑では無くて無期懲役と裁かれたと >したら、無期懲役とかではなくてきちんと最期まで >終身刑という形で被害者家族同様に一生続 >く十字架を背負って頂きたいと思います。 >日本にも終身刑制度があればいいのにと思います。 そうなんです。おっしゃる通りなんです。死刑にならないなら終身刑にしてほしいという思いは非常に重要な意味を持っているのです。 mamasouさんもお子さんがいらっしゃるようですが、もし、mamasouさんのお子さんが不幸な事件に巻き込まれて殺害される(非常に不吉な例えで申し訳ないですが)ようなことになった場合、犯人が死刑になることは99%以上ないと思いますし、それどころか大抵の場合は社会復帰が可能になってしまうのです。 具体的な数字を挙げて説明しますと、大よその数字ですが、ここ数年の我が国の殺人事件(認知件数)は年間1300件前後で推移してます。そして死刑の執行数は年間3~4件といったところです。単純に死刑執行数を殺人事件数で割ってみると、0.25%の低い数字になります。かなり大雑把な数字ですが、人を殺して死刑になる者は1000人のうち2.5人程度ということになります。そして終身刑がないゆえに残りの997.5人には事実上社会復帰の道を残してしまうのです。 何かおかしいと思いませんか? 0.25%を死刑にするために99.75%を社会復帰させているようなものだと思われませんか? これだったら死刑を廃止して終身刑を導入すれば、社会復帰してしまう99.75%の数字を大幅に減らすことが可能になるわけです。 私だったら肉親が殺害されて犯人がたやすく社会復帰することはとても耐えられません。ですから死刑など廃止してもいいのでその分終身刑の導入で社会復帰の道を困難な方向に持っていってほしいと思います。 死刑をそのままにした上で終身刑を導入すればよいと思われるかも知れませんが、現実問題としてそれは不可能に近いことです。欧州のほとんどの国が死刑を廃止していますし国連総会では死刑廃止条約が採択されてもいます。世界の潮流は死刑廃止の方向にあると言えると思います。 ですので、日本で終身刑の導入を考えたら死刑を廃止するしかないと思います。殺人犯のたった0.25%しか死刑にならない死刑制度にしがみついて終身刑を導入せずに殺人犯にたやすく社会復帰の道を残すことと、死刑を廃止して終身刑を導入することで殺人犯の社会復帰を現状より格段に厳しいものにすることとでは、どちらが被害者感情の慰撫に寄与するでしょうか? またどちらの方が犯罪抑止に効果があるでしょうか?
- ex-tome
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あ、補足です 別に死刑囚を軽蔑視してるわけじゃあないです 見てる立場が違うと思いまして本意が判りにくかったです しかし、被害者の気持ちを考えると微妙ですね やはり、とにかく殺したいほど憎いと思います 世界中の永遠のテーマですから本当に微妙な問題です 答えに苦しみますのでパスします(ごめんなさい)
お礼
ご回答ありがとうございました。 >しかし、被害者の気持ちを考えると微妙ですね >やはり、とにかく殺したいほど憎いと思います 殺したいほど憎いやつを殺してしまったら、きれいさっぱり嫌な思いは消え去るのでしょうかね。殺された大切な人のことはきれいさっぱり忘れることができるのでしょうかね。とても疑問ですが。 >世界中の永遠のテーマですから本当に微妙な問題です 欧州のほとんどの国はすでにこのテーマを解決しているようですね。 とにかく思うことは、いくら自殺志望者に対して、 「死んでしまったら全てがおしまいだ!! 生きてさえいればどんな状況だって必ず道は開けるんだ!!」 なんて言っても、死刑囚には、 「おまえなんか生きていてもどうにもならないんだよ。おまえには全ての道が閉ざされているんだよ」 なんて言えるような人には、なにかこう矛盾を感じてなりません。
- ex-tome
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死刑囚は自殺ではありませんが・・・・ 少なからず多からずどんな死に方でも悲しむ人がいると思いますよ 僕ももう40年くらい前に自殺した親戚がいることを最近知りましたが悲しいです(相当のヤバイ業界の人ですが・・・・) ちょっと質問の本意が判りにくく答えづらいです
お礼
ご回答ありがとうございました。 >死刑囚は自殺ではありませんが・・・・ 命を絶つということに関しては同じですよね。 「命より尊いものはない!」という考えの持ち主であれば、死刑囚の命であっても尊いと考えると思ったのですが。 また、「生きていれば必ず道は開ける!」と思われている人なら、死刑囚に対しても「生きていれば必ず罪を償う道は開ける!」と考えるのではないかと思ったのですが。 >少なからず多からずどんな死に方でも悲しむ人がいると思いますよ そうですよね。だからこそ、「死刑を執行したら死刑囚の身内の人々がどんなに悲しむか考えてみてくれ!」と考える人が多いと思ったのですが。
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お礼
回答ありがとうございました。 大変興味深く読ませて頂きました。 >きっと、もうすぐ、死刑制度はなくなるでしょう。 それは間違いないと思います。世界の潮流に逆らって日本が存在していくことは不可能でしょうから。