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漢字の読みと意味
冠はノ、作りは亘の意味と読み
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「今昔文字鏡」という、漢字検索アプリケーションがあります。 それを使って該当の文字を探しますと、「なべぶた」+「旦」という字が出て来ます。 その文字の「関連字」を調べると、「直」という字が出て来ます。 実際どのような字なのか、本当にこのような使われ方をしているのかは分かりませんが、以上の点から推測するに「直」の異体字(略字)ではないかと思います。 前の回答者さんへの補足で、 「○傳正綂」「……相續○傳流元祖」とありますが、ここに「直」を入れると、「直伝正統」「相続直伝流元祖」となり、意味が通じるようになります。 「直伝本流居士」という戒名とも合致します。 あと、他の伏せ字になっている所ですが。 ◎「ウ冠」の下にカタカナの「タ」の中に一本多い。その下に「一」。宜の左の縦が下に付かないような漢字。 「うかんむり」+「亙」でしょうか。「亙」は「亘」の旧字ですから、「宣」だと思われます。 ただ、「宜讎宣恩」となると、意味がよく分かりません。 たぶん、「○讎○恩」の○の部分は同じ字で、「宜」か「宣」かどちらかが入るのだと思います。 最初の「宜」も「宣」だとすると、「讐(あだ)を宣べ(のべ)、恩を宣ぶ」になるでしょうか。 あるいはどちらも「宜」だとすると、「宜しく讐すべく、宜しく恩すべし」(“あだ”ともなるだろうし“なさけ”ともなるだろう)となるでしょうか。 ★「磨」くの「石」を「心」に置き換え、左の「ノ」を除いた漢字。 「なべぶた」+「林」+「心」という字でしょうか。 同じく「文字鏡」で調べましたが、「林」の下に「心」、「麻」の下に「心」という字はあるようですが、どうも意味がはっきりしません。 漢文の前後関係から見れば「歴」かなあという感じもしなくはないのですが。 ☆「丙」の下に「与」の漢字 これは検索しても出て来ませんでしたし、漢文からもちょっと推測ができませんでした。 実際の漢字を見れば、もしかすると推測できたりするかもしれませんが……。
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- technatama
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詳しいご説明を頂きましたので、いろいろと推察してみました。 「亘」ではなく、「旦」の上に「亠(なべぶた)」があるということかも知れません。 そうすると、「亶」という文字がありました。 でも、「亠」と「旦」の間に「回」があるので、省略するにしては、画数が多いですね。 ただ、同意語として「但」がありますので、「ノ」と「一」が組み合わさったものだと考えると、「但」かも知れません。 例えば、「島」の字で、「嶋」や「嶌」と書くこともありますので、「但」もありなのかという気もします。 「以和根元之巻相續但傳流元祖」は、「和根元之巻を以って但傳流元祖を相續す」と読めるのではないでしょうか。 いずれにせよ、「○傳流」とは武術の流派のことで、それを受け継いだことを顕しているのだと思います。 我が家の家系でも、武術の「××流師範」であった先祖がいるものですから、興味を持って調べてみました。
- technatama
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漢字の部首の名称は、構成する漢字を左右二つに分ける場合は、左の部分を「偏(へん)」、右の部分を「旁(つくり)」と言います。 又、上下二つに分ける場合は、上の部分を「冠(かんむり)」、下の部分を「脚(あし)」と言います。 ご質問者様の言われている「かんむり」と「つくり」の構成では、上と右とになりますので、ちょっとどのような漢字になるのか、想像がつきません。 「ノ」だけでは「かんむり」とは言えませんが、「亘」の上の部分に「ノ」があるということでしょうか? でも、そのような漢字はどこを見渡してもありませんでした。 「かんむり」と言われていますので、それらしい漢字を考えてみますと、「宣」くらいしか思いつきません。 これだとわざわざ質問されるような難しい漢字ではありませんよね。
お礼
ありがとうございます。 「亘の上にノ」の字の漢字です。 江戸時代の、先祖、滝澤武太夫と云う武芸者の門弟が建てた墓碑が長野市松代の明徳寺にあり、その中の一部に「○傳正綂 和之根元」「以和根元之巻相續○傳流元祖」の文言があり、○のところが該当の文字です。 緩和辞典を引いても出てこないのです。
お礼
詳しい推察ありがとうございます。 先祖の墓碑の全文を記載します。 読解、読み下しがお願いできれば幸いです。 正面 直 傳 本 流 居 士 正面下部 門弟中立之 右側面 銘日 術業専攻 馳名武門 身心相得 宜讎◎恩 淺岳烟起 曲水波飜 ○傳正綂 和之根元 柗操山僧忍杜多撰 左側面 瀧澤武太夫登愛後襲父名日武兵衛 父武兵衛祖彌五兵衛世仕 真田君公 為輕卒武太夫留心武術一 旦辤軄師事于大矢彌五兵衛番昌雪 錬霜磨殆乎十年遂得其奥矣番昌授 以和根元之巻而相續○傳流元祖 裏面 意慶僧正二十四代正続寛政年間 君公賜恩賞両焉文化年中經★五畿 七道試験其術八年而歸家教授學徒 君公☆賞以輕卒天保四癸巳年冬 十月十六日以壽終家享年七拾有五 門人三百二十餘人伝 漢和辞典に無い下記漢字4文字が分からない状況です。 ◎「ウ冠」の下にカタカナの「タ」の中に一本多い。その下に「一」。宜の左の縦が下に付かないような漢字。 ○「ノ」の下に「亘」 ★「磨」くの「石」を「心」に置き換え、左の「ノ」を除いた漢字。 ☆「丙」の下に「与」の漢字 注釈 意慶:奈良時代の直傳流の開祖といわれる僧 真田君:松代藩主 大矢彌五兵:棒術、剣術の師 和:やわら(柔)