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犯罪の抑止力としての宗教はいかに。
イスラムではジハードは犯罪でなく賞賛される行為ですが、死刑が凶悪犯罪の抑止力となるなら、多くの宗教は犯罪に対し抑止力の役目となるのでしょうか。
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no.2の回答者です。 回答を補足いたします。 宗教の目的と犯罪の抑止、というのは元来違うものですから、「犯罪の抑止力としての宗教」という問自体がちょっと「?」なところがあります。 信仰を持っているからと言って別段社会性があるわけでもありませんし、無宗教だから社会性がない、という訳でもありません。 逆もまた然りです。 また、信仰があるからと言って自ら考える習慣を放棄するか、というのもまた「?」でして、熱心なキリスト教徒の科学者もいますし、無神論者で非科学的な人間などいくらでもいます。 私も一応仏教徒(禅宗)であると同時に理工系の学科で学んでいますが、別段日々の生活の中で信仰と科学の間で悩んだりすることはございません。(悩む人、宗派もあるようですが…) あくまで宗教と言うのは個々人の考え方の問題ですから、公共の役に立たないから存在意義がない、という訳ではありませんし、公共の役に立たねばならない、というものでもないように思います。 宗教を精神の麻薬とか、妄想だとかいう人もあります。 まあそう考えるのも結構だとは思いますが、何事も使いようと言う言葉もあります。 そうなるかならないかは個々人の資質によるところが大きいものと思います。
宗教によると思いますね。 一応それぞれの宗教には戒律がありますので、宗教を信じる人や修行している人が犯罪を犯す可能性は低いと思います。 No.1の回答者様のおっしゃる通り、宗教が国家に支配の道具として利用された場合、人間を飼いならすシステムとして作用することもあるでしょう。 所謂キリスト教の各派や、他力本願の仏教(浄土宗、浄土真宗など)に関しては犯罪の抑制につながると思います。 反面、いわゆる自力本願の仏教(曹洞宗、臨済宗等)等はどこかアナーキーな感じがしますし、日蓮宗系の宗教などは一部過激な行動を行った事例もあるようです。 そういったところでは教えを曲解して犯罪に走る輩がいるかもしれませんね。 ただ、宗教に限らず何にしてもそうですが「それ以外あり得ない」とかいう思想、主義を掲げるところは大抵碌でもないことをやっています。 禅宗の言葉に「来るもの拒まず去る者追わず」という言葉があります。 宗教とは個人の心労を軽減したり、個々人の重大な疑問を解決するためのものですから、あくまで自主性によるべきものなのでしょう。 一時的な効果はあるかもしれませんが、宗教を犯罪の抑止に使っても碌な事にはならんでしょうな。
補足
宗教者の犯罪が彼ら地震犯罪と自覚していない事、その行為が他宗教者から見れば犯罪でもある事など考慮すると宗教が犯罪の抑止力になりそうもありませんね。
そもそも宗教とは治安維持の為に人為的に創出されたと考えられます。 どの宗教の教義も、謳っている事は至極真っ当で、誰しもが一度は惹かれるのもムリないほどです。 問題は宗教に熱心な人が、それ故に自己判断力を放棄してしまうという矛盾にあると思います。
補足
と言うことは宗教は理性をなくしてしまうのでしょうか。オームの連中もそうでしたね。
補足
この点が日本人と西欧クリスチャンと違う点かな。個人と公共人としての違いもある様です。