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母と娘とは?
こんにちは。 むかしむかし、あるところに、母と娘がいました。 母は娘に、勉強、躾、なにかにつけとてもきびしく接しました。娘は立派な大人になりましたが、一人立ちして家を出て結婚して子供の親となってからも、自分の母親を嫌い、自分からは決して会おうとはしませんでした。 さて、このお話に続きを書くとすれば、どれがもっとも「真実」を含んでいると思いますか? 1. 娘は歳を重ねるうちに母親のやっていた事を理解し、母を受け入れ、ある日自分から会いにいきました。 2. 年老いた母はいつしか円満な人格になっていて、娘の落度を昔のようには叱らなくなりました。 3. 母も娘も、いつまでも自分を変えることはできず、叱る母、憎む娘のまま死ぬまで離れて暮らしました。 変な質問ですみません。もっとすてきなエンディングがあれば、書いて下さってもいいですよ。
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こんにちは。 母は、娘のためにこんなに頑張ってきたのに、なんてひどい娘だといつも周囲の人にこぼしていました。 娘は親としていろいろな経験をしていくなかで、母のやっていたことは自分にとって良かったとは思えないが、母なりに頑張っていたんだと思うようになりました。 ある日娘は近所の人からじゃがいもをダンボール1箱分もらいました。うちだけではとても食べきれないので、母に久しぶりに挨拶に行きがてら、半分持っていこうと思い、きれいそうなじゃがいもを紙袋に詰めました。 娘はどういうふうに母に話そうか電話の受話器を持っては躊躇し、やっと「時間ができたから今日ちょっとだけ顔をみせにいくよ。」と言えたのは1週間後でした。母は嬉しそうに「待っているわよ。」とだけ言いました。 娘はじゃがいもの入った紙袋を持って急いで実家へ行きました。 母と娘は今までのことには一切触れず、お互いの近況報告をしました。丁度遊びに来ていた親戚のおばさんは母に「良かったじゃない、仲直りできて。いい娘さんじゃないの。」と言いました。 母は「まあまあそんな気をつかわなくていいのに。」と言いながら紙袋の中を見ました。芽が出てしまったたくさんのじゃがいもがそこにはありました。 一緒に中を覗き込んだおばさんは「あら、でもね、お土産を持ってこようというその気持ちが嬉しいじゃない、いいのよいいのよ。」と言いました。娘はにっこりしました。 母は黙り込んでしまいました。
- Hauyne
- ベストアンサー率30% (44/143)
う~ん、1多めで1+2、それに3を風味付けって所かしら?って、自分の事ですけど^^; 自分から会おうとはしないってほどではないし、多分端から見れば中の良い親娘見えてたと思いますが、どうしても性格が合わなくて、反発ばかりしてました。 自分が子供を育てるようになって、親の気持ちが良くわかるようになり心の奥底でずっと根に持っていたことがひとつ、またひとつと無くなる今日この頃です。親の方も、『もう、別の家族だから、その家族なりのやり方があるものね』とあまり口出ししなくなりましたし・・・。 ただ、帰省などで長く一緒にいたり、電話などで何かの拍子にどうしようもなくいがみ合ってしまうことがあります。でも最後には、もう別の家族って感じで何となく収まりますね。 ホームドラマならこれで何となくめでたしめでたしだけど、実際もっと年とって同居する頃にはどうなるんでしょうね・・・・?
- sheyw
- ベストアンサー率28% (63/218)
こんばんは。 私の身内におります。こんな母娘が。 彼女には子供がありませんので「自分も母になれば変わってくるよ」って言ってますが。『そぅだといいんだけど…』って事です。 で、この質問の話の続きならばですが。 娘は、我が子に自分が育てられたような親に、なりたくないと子育てを完璧にしました。 いつも、自分の母の育て方が違ってたと気付きながら照らし合わせながら。 その頃、まだ母親に対して嫌悪感を持っていました。 そうして、長い年月、自分が育てあげた理想の子供が、県外の大学を受験すると。「この家から出たい」と、言うものでした。 一心同体のつもりだった我が子が、自分から離れて行きたいという事にショックでした。 それから大学に進学してから、我が家には帰ってくる機会が減り、就職し結婚し、我が子から「お母さんに育てられて窮屈だった。自分でない自分が居たみたいだ」と… 自分の育て方を批判され我が子が母を受け入れたくない。 そして、反発するような態度に変わりました。 自分なりには、全て子供のため、将来のためにと一番よい方法で、我が子もそれなりに結果としてあらわれ、自信に満ちていたのに… そうして、やっと、自分の母の行動に対して理解が出来たのです。 しかし、長年、親とは親しく話していない。 親に対して“こんな親子関係には自分はならない”と育ててきたため、今更会う事は出来ない… しかし、年老いた母を目の前にした時、自分の今の寂しさから途端に涙がこぼれました。 全ての思い出と記憶が涙として流れてゆきました…
1.自然に受け入れることはないと思います。 2.円満な人格になることはないでしょう。 3.物語&人生として寂しいと思います。 もしドラマだったら… 「娘は子育てをしている中で、 なぜ母親が厳しい人だったのか、疑問に思いました。 子供に優しくしようと思っても、 厳しい部分も出てきてしまい、 そんな自分が嫌になり、トラウマと向き合いました。 ある日、答えを探すために母に会いに行きました。」 ↑クライマックスです。 ↓エンディングです。 「母は答えました。 憎くて厳しくしたのではない。愛している。 娘は、母を誤解していたことや、 もう苦しまなくてよいことを知り、 安心して涙を流しました。 それから、少しずつ親子のやり直しをして行きました。 娘の心は少しずつ癒えてきています。」 どこかでやっていそうなドラマを思い浮かべてみました(●^o^●)
お礼
ありがとうございました。#1や#3のかたが、自分は母と違うやり方で子を育てる、というのに対し、自分も母と同じに子に接してしまう、という心理的トラウマにはまるパターンですね。母娘の相克のとても激しかった場合にこうなるのかもしれませんね。エンディングはありふれたアメリカ映画みたいですね。
うーん,1 2 3 ミックスのソフトクリーム,です. 私は 勉強もしつけも強要されていませんので、質問の場合とちょっと違うのですが, 母親とすごく仲が悪いです. でも,結婚して距離ができたこと,自分の見方(旦那,子供)ができたことで, 母に依存し,ははに愛して欲しいと願い, こうしてくれたら良いのに,,,と、期待をかけてた部分が 無くなった(要らなくなった)感じです. 愚痴ばっかり,子供に当ってばっかりだった母も,子育ての責任から開放されて 多少 明るくなってます. お互い,自分からは近づきませんが,うっかりすれ違ったら,にっこり挨拶ができる,それで良いと私は思ってます. ここで 近づきすぎたら,またぴりぴりし合うのは お互いわかってます. 子育ても,ははから学んだ物は取り入れるし, されていやだったことは避けられるんで... とおーくのほうで,でもまあにっこりと,手を振る,くらいで良いと思います.一つの意見と言うことで.
お礼
お返事ありがとうございました。「自分からは近づないが,うっかりすれ違ったら,にっこり挨拶ができる」「とおーくのほうで,でもまあにっこりと,手を振る,くらい」などなど、上手に表現されてますね。ある意味で、最もハッピーエンディングに近い形かもしれませんね。
お礼
お返事ありがとうございました。大人の文章ですね。ラスト3行、泣かせますねぇ。理解しても、すぐには受け入れられない(行動に移せない)、のですね。何か真理の鍵がひそんでいる気がします。それにしても、平行線の交わる(可能性の生じる)のは、ずっとずっと後になってからなんですねぇ、、。