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なぜ思い通りにいかない事ばかりなのか?
- なぜ思い通りにいかない事ばかりなのか?ほとんどの人がそう感じている。
- 思い通りにいかないことについて考えると、信用が関係している可能性がある。
- 人や物事を信用することは大事だが、あまりに甘い考え方は禁物である。
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>なぜ思い通りに行かないのか 誤った(自己中心的)環境認識と、誤った(短絡的)欲求によっているからである。 (世界はあなたが存在するための必要として認識に於て派生している)
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こんにちは。 何故思い通りに行かないと思う、感じるのだろうか。 それは最初から出来ないことを思い描いている、そのことを 最初から自分自身 判っているから。 でも、あなたがそのように感じるのには別に理由があると 思います。 あなたは、その理由ゆえに、しばしばここにいらっしゃる。 「やらないからでしょう?」=「できないんです、どうしても」 という人にとっては堂々巡りの環から抜け出せませんし、 声をかける私達もどんな言葉をかければよいのか 判りません。 勿論、程度の違いがあるだけで、私も含めて誰しも「やらない」と 「できない」を同義語にして竦んだり立ち止まって後ずさりして しまうことは皆、一様にあります。 思考もするし意思もあるのに意欲が沸かないから出来ない。 出来ないことを思考し、叶えようという意思を持つから 思い通りにならない。 思いを叶えるのに必要なものは、夢を見続けることでも 意思を持つことでもありません。 意欲です。 肉体的な欲望の感情版、とでも言えばよろしいでしょうか。 必要なのは、欲望です。 意欲、という欲望の泉。 それについて、私がかすかに識っていることは、 意欲というエナジーは人の心の底の方に、 原形質として存在はしているけれども、それを 現実に発動するためには外部の触媒の供給が 必要だ、ということだけです。 この触媒には、逆に意欲を減衰させるものもあり いずれの触媒を持つ人物と関わりあうかで 想像も出来ないほど自分のエネルギー発現量が 変わってしまいます。 極論すれば、強大な意欲を引き出しうる触媒・・・ それは必ずしも誰かの人格という形をとるとも 限りませんが、それと出会うことが人生の転換点になる。 それまで出会ったことも無い、特殊な人、特殊な環境、 特殊な体験・・・そういうものと、です。 それなしに、いかに内省と思索を深めたところで 人生を変え得るほどの意欲は触発されません。 あなたが彼の下にいる限り、意欲そのものを 抜かれてしまっている。 それがあなたに限定した「上手く行かない」理由です。 あなたは、「憑かれて」いるのだと思うのですよ。 寄生するもの、略奪しようと図る者は、宿主を 直感的に見分けます。 そして、宿主になる者は 自分が宿主になってしまうであろうことに常に 暗鬱に諦観を抱きがちです。 捕食者は恐ろしいオーラを出すものですが、 喰われる者は喰われるべくして喰われてしまう むごいオーラを出しているものです。 それは、他者の残忍さを触発する、醜いいたいけさです。 この二つの相反する、しかし表裏をなす本質は、 生命そのものの原理的な有様を示していると 私は考えるのです。 互いに触発しあう、二つの 強烈な欲望。 狩る。駆られる。追う。逃げる。 でも、食物連鎖の頂点たる人間は、天敵の不在に よって、同種族の中でこの役割を便宜的に分担します。 裏を返せば、種として固定された役割=序列ではない、 逆転も可能、ということです。 異なる世界、異なる環境、異なる人種。 あなたが自発的に変えられるのは、そこから 逃げ出すことだけかも知れません。 そして、それは恐らく賢明な、初めての 「思い通り」に行動する端緒となるはずです。 蜂の幼虫を体に埋め込まれ、内側から食われる 芋虫。 おぞましいイメージを自分の姿に投影することの 怖気や怯えは、触発された意欲エネルギー 程ではないにせよ、今の状態を抜け出すための 脱出速度を確保するのに有益です。 あなたはゆっくり喰われているのですよ。今。 ちなみに、捕食動物と捕食される側の顕著な違い について、私はこう考えるのです。 昆虫であれば硬い外殻、動物であれば牙と爪・・・ 人であれば、それは「悪意」でしょう。 自分さえ良ければ良いという受身の悪意ではなく、 確信的に弱者を食い物にして養分を得ようとする 危害を加えようとする積極的な意思。 それは正しく、本来の狩猟本能そのものでしょう。 同時にそれは原始的ではあるが極めて強固な 生存本能でもあるのです。 これは私見に過ぎませんが、人は良識や善心を 生きる根っことして大切にしますが、憎悪や敵愾心、 攻撃本能、怒り・・・そういうものを盲目的に排除 しようとし過ぎる気がします。 それらは身を守り、家族を守り、ひいては社会を 守ることにも繋がる牙であり鋭い爪です。 「悪意」を理性の下に制御し、管理する。 私は個人的な防衛という意味において、明確な 悪意を否定しません。 場合によっては暴力的な 手段さえ、選択すべき場合があると思っています。 「善たらん」とする感情や行動原理には、おのずと 自滅的な脆弱性、批捕食者性があるものです。 猫にだって牙と爪はあるんですよ。 人にだってあるんです。生き物ですから。 それを思い出してください。
>世の中は思い通りにいかない。 そのとおりです。 これは事実なのであって、 >どうしてそう思うのだろうか? こう来る人はまれですね。 どうしてそうなるのだろうか?がふつーなのですが。 なぜかなー、へんだなーと思っていたら >おそらく、それは人や物事を信用しているからではないだろうか。 と来たのには驚きました。 そのあと、カミュのむるそーのようなちょっと怖い人が現れて >「事の半分以上は実行しない。」 なんていわせている。 この文句はちょっとしっかり理解しにくいんだけれど、 つまり最初に戻って、計画しても半分以上は(外部要因によって)はじめることも出来ない という彼の愚痴なのか、と解釈できます。 でも、前に戻って >僕には約束をなんとも思わない知人がいる。 これが引っかかるんですね。 自分が他人と約束したことを自分から半分以上勝手にキャンセルするような人間が 人間社会でまともに生きていけるはずはない。 こんなひとの下ではたらくのはリスクが多すぎですよ・ww >ちなみに今日も給料日なのに給料をもらえなかった。 ほら >そんな知人と一緒にいたら、良くも悪くも疑心暗鬼の考えになる。 何でも最悪のほうに物事を考えるようになり、ある意味甘い考えは 捨て、辛い考えを持つようになる。 世の中というものに、何の期待も持たなくなり強い人間になれる。 確かにこれ大震災後の小説の一節としてはふさわしいのかもしれませんが、 まともに読んでいたら私自身も人格崩壊してしまいます。 ちょっと違うのではないですか? 人間社会の基本は信頼と希望です。 貴方も言っているではないですか。 >おそらく、それは人や物事を信用しているからではないだろうか。 結論 そんな知人とは付き合わないほうがいいです。
- yukiyama500
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要求に従って全部やったのにむかつくむかつくむかつく
- atomonados
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民法上の労働契約で違法なことも,民事だから,約束を守らない相手を許してしまう善良な人が損を被ることになる。そこで労働基準法がある。この法に反する場合は行政が動くから裁判所のおせわになる必要はない。まずは,労働局,ユニオン,自治体には労働相談のコーナーがあるから,ここで労働相談を受け,知識を得るだけでも現実的な解決につながる。 ちなみに,休日に給料がもらえないことに不満が生じるのは,当事者双方にとって無益なことだから,給与の支払い方法などは,労働契約書に明示して誤解が生じないようにしておくべきなのだ。 普通給与は毎月一定の日に支払日が決められ,休日に重なるときは,その前後どちらかにずらされる。相方がこれに同意していれば,いらぬ不満も生じず,円満な労使関係が保たれる。 世の中思い通りにいかないのは,多くは,自分と他人の関係の中に共通の認識が足りないためであり,ときに信用ならぬ他人との関係によって生じる場合もある。 また,人の意思は強固なものではないのだから,善良な人が意見撤回することもあり,それを許さなければ,自分も許されず,窮屈な世の中となって,さらに住みにくくなる。
タイトルに >なぜ思い通りにいかない事ばかりなのか? あなたの質問文中に >おそらく、それは人や物事を信用しているからではないだろうか? と書かれておりますが。 これが、答えなのでは? でも、人間、普通、誰しも世の中のことを、あえて信用しないように、期待しないようにと、生まれた時から、そう考えようと努めることは、よほどのことがない限りありませんからね。 人間の自然な心理状態では、ありませんね、確かに、だから辛いのかも。。。