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通訳の葛藤
- 通訳の葛藤:教員が通訳の役割を果たし、苦情対応に頭を悩ませる
- 学校の通訳不在に対応するため、教員が通訳を務めることが多いが、納得の行かない親御さんからの苦情に対応することが難しい
- 通訳の対応に苦慮する教員:「通訳は学校の先生じゃない方がいい」と言われ、自身の存在意義を疑問視する
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No.4 です。 私の下手な表現を理解していただき、嬉しく思っています。 いくつか補完しておきます。 4.通訳を用意するのは双方が独立にと申しました。無料で提供されることを想定しておられませんか。仕事を頼むのですから、当然有償であるべきでしょう。実情に合わないと云われるのは、覚悟しております。心からのお礼で、引き受けて下さる方もあるでしょう。要は心の持ち方です。 5.相手の方には『市の通訳を頼まれてもよい』ではなくもっと幅広く『あなたが自由に通訳を選定されてよいのですよ』と提案するのがよいと思います。 6.議長役: 世の中の色々な会議を見ますと、多くの場合優秀な通訳が付加的な役割を担っておられます。議論の方向付けです。よい事かどうかは分かりません。実質的に非常に役立っています。『今残っている点は、こんな疑問ですよ。』『こんな方向で答えれば、相手は納得しますよ』『時間は後何分しかありませんよ。纏めに入りましょう』 ある種の議長役を務めるのです。両側の言葉を理解し、両者の考えを分かる通訳が持つ隠れた能力です。 7.意訳と直訳 話す人の考えをよく理解していれば、意訳をする方が、分かりやすいときがあります。しかし、誤訳が出る可能性も含みます。ですから、Aさんが頼んだ通訳が、Aさんの発言を意訳するのはよいのですが、相手側の発言を意訳するには躊躇を伴うでしょう。
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- PunPiPon
- ベストアンサー率43% (42/97)
返信ありがとうございます。 私へのお礼や他の回答者へのお礼を見て、思うところを述べます。 通訳が行う訳は、決して意訳ではありません。正確に訳すためには、発話者の発言内容を十全に把握しなければなりません。それを別の言語に変換するときに(私の場合は日本語⇔仏語)、そしてその内容を(できるだけ)正確に伝えるために、一番相応しい(と自分が思う)単語や表現を選ぶのです。もちろん通訳中は時間が限られていますから、その中で取捨選択を迫られることもあります。また逆に発話者の発現内容によっては、原文にない説明を付け加えなければならない時もあります。(特に、日本人の技術者に多く見受けられますが、自分たちの知っていることは当然相手方も知っていると思い込んでるらしく、テクニカルタームは別といても、関連研究機関名や、関連法規名などを、略語でどんどん説明する人がいます。) 用意した文書を読み上げる時の通訳を別にすれば(このようなときは予め原稿を入手して翻訳して準備しておかなければ、とてもじゃないですが追いつけません)、協議や交渉の中で考え考え発言する時、人はおのずとスピードもゆっくりになりますが、内容も同じようなことを繰り返したりしながら、考えを収束しているようです。そのようなとき、重複する部分などを取捨選択する必要が生じます。発話者が強調するために繰り返すのとは、発話者の発言スピードや声の調子、発言内容の修辞などから割と容易に判断はつきますから。 〉正確に、というのはつまり、雰囲気に忠実に、ということですね? 〉和訳のテストだったら、文法上や単語上、△。でも、映画の字幕だとしたら◎という表現ですかね。 ですから、↑↑これは違いますね。できる限り、文法や単語の選択にも正確性が求められます。 意訳でいいからと考えて、適当に(または自分が分からない単語や表現をとばして)通訳していると、鍵となる言葉が訳せなかったり、間違って訳したりすると、それが相手側にわかった時はお役御免となるでしょう。 とはいえ質問者の方はプロの通訳ではなく、ボランティアとして通訳を行ってるのでしょうから、あまり高度なレベルは要求されてないはずです。(また、要求されてはいけません。) 他方、質問者の方も教員であり、通訳を行う内容も保護者からの苦情(つまり生徒である子どもに関すること)でしょうから、私のように正確に通訳さえしていればあとのことは知ったこっちゃない、というような態度も取れないでしょう。(だから、親身になって相談に乗るのでしょ。) それでも質問者の方の相談内容は、質問者さんの関わっている立場(教員としてなのか、通訳としてなのか、それも専門性を求められるレベルなのか、教員のボランティアレベルなのか)が曖昧なまま、学校側と保護者側に挟まれての苦労(それも特に気苦労)に関わることだと推察します。 根本的な解決策ではありませんが、いくつか提案を: ・発話者の発言内容なのか、質問者の方の意見なのかが(相手側にとって)分かりづらい時: 通常、発話者が「私は~」と発言を始めれば、通訳も「私は~(英語ならば:I~/仏語ならば:Je~)」で始めればよいのですが、これを発話者の発言としてはっきりさせたければ、「彼(女)はこう言っている~」と通訳する手があります。英語ならば:He (She) says that ~/ 仏語ならば:Il (Elle) dit que ~です(この後のthat以下は間接話法になりますけど)。 〉相手がけんか腰のとき。私は担任のことばをそのまま通訳しただけなのに、「(あんな)通訳はいらん」と拒否される始末。 特に↑↑こんなときは有効かもしれません。これを繰り返して、なおかつ淡々と我関せず見たいな顔で通訳をしていれば、相手もそのうちこの人は客観的な立場とわかるかもしれません。 〉事務的なことや小さなことは、担任の負担を減らし保護者の手間を省くためにも、私が(通訳としてではなく教員として)答えることもあります。 ・これに関しては、一人称単数形(つまり、I)で答えるのではなく、一人称複数形(つまり、We)で答えることが有効なときがあります。質問者さんの回答は当然教員として答えているわけで、学校側の見解とまったく異なる回答をすることはありえないでしょう。むしろ、質問者の方も、学校も同じ見解、同じ立場に立っていることを示すためにも、一人称複数形は割りと有効かもしれません。(あえて日本語に訳せば、我々は~、ではなく、こちら(学校)としては~、とか当方としては~、という感じになりましょうか) ・質問者さんの通訳のレベルからなのか、教員という立場からなのか、いずれにせよ保護者側から(おそらく学校側からはないでしょう)通訳を変えろ、と言われたら、喜んで「どうぞ」と答えましょう。なぜならば質問者さんは通訳のために雇われたわけではないのですから。疎外感を感じる必要はまったくありません。次に相手が過ちを認めてまたお願いしてきても断ればいいだけのことです。
お礼
再度のご登場ありがとうございます。 >一番相応しい(と自分が思う)単語や表現を選ぶのです。 >取捨選択を迫られることもあります。 >原文にない説明 ははーなるほど。奥が深いですねぇ。それを半分無意識のうちに?瞬時にやらないといけないんですね。やっぱりそれには、「えーっとなんて言うんだっけな」なんていうレベルではなく、 「○○と××と△△」みたいな単語がパッパと思い浮かんで、そこから選ぶというレベルまで持っていかないと難しいですね。 >適当に(または自分が分からない単語や表現をとばして)通訳していると、鍵となる言葉が訳せなかったり、間違って訳したりすると、 すいません…やったことあります。 聞き取れない単語や、手がきのお手紙で(癖のある字で)読みとれない単語があって、話の前後の文脈から大体で訳してしまったこともしばしば…反省。 >だから、親身になって相談に乗るのでしょ。 その通りです。 >これを発話者の発言としてはっきりさせたければ、「彼(女)はこう言っている~」と通訳する手があります。 ああそうなんですか。 逆に、相手が言ったそのことばのまま、つまり「私は~」を「私は~」と訳す方が、自分が空気になれるので、客観的になれるのかなと思っていました。 そして、今まで「私は~」と訳していたのに、途中で「彼は~」と変えてしまうと、それはそれでややこしい気もするし…。 あ、でも、逆はあるかもしれません。 第一声は、「彼は~と言っています」と言い、その後は、ことばをことばのまま、「私は~」は「私は~」のまま訳したり。 >こちら(学校)としては~、とか当方としては~、という感じになりましょうか あ、これは時々使っています。自分独自の意見じゃなくて、学校の方針なんですよ、だから仕方ないんですよ、というのをにおわせるのですよね。 >なぜならば質問者さんは通訳のために雇われたわけではないのですから。 そうなんですけど、もっとできるようになりたいなという思いもあります。 >次に相手が過ちを認めてまたお願いしてきても断ればいいだけのことです。 「過ちを認めて」ということがないんですよねぇ。 次に私の通訳が必要になった時には、平然と何食わぬ顔をして話しかけてきますから。 私も何食わぬ顔をして、「なんだ普通に話せるんじゃないか」なんて思いながら、答えるわけですが。
- teaspoon711
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すいません、通訳ではないですが、多少は日本で働く/学ぶ外国人と関わっている者です。 僭越ながら回答させてください。他の回答者とは異なった視点で。 質問者様はプロの、つまりお金を貰っている通訳ではないですよね? あくまで学校の教員であり、たまたまその言語ができるから、 ”サービスで”通訳をされていますよね。 悪い意味で書いてないです。むしろ尊敬します。 教師という大変なお仕事の中で、生徒や保護者の方のためによく通訳という 責任の多きいお仕事をされていると思います。敬意を表します。 「学校の先生じゃないほうがいい」というのは、その保護者の個人的意見です。 ただ”言ってみただけ”。気にしすぎです。 もともと”保護者”というのは言いたいこといいます。自分も人の親なので、分かります。 日本人の保護者だって、誠意を持って対応しているのに言いたいことを言うことは 多いですよね(^^; それと同じです。 その上で、外国人というのは全てでないけど、特に日本語能力が低い場合は 言いたいことを日本人に対して言います。全く気にせずに。 ですから気に病むことはないですよ。日本人なら”気を使って”言わないことでも なーんの悪意も意図もなしに、言っているだけですよ。 付け加えるなら、外国人は(繰り返し、全てじゃない)オープンに見えて どの国の方も国別、あるいは宗教別にかなり固まるというか閉鎖的です、実は。 ブラジル人社会のことは全く分かりせんが、日系ブラジル人はたくさん日本にいて ブラジル人だけで大きな社会を形成していますよね。 日本に住んでいても同国人の中の理論で生きていたりしませんか? ご質問からはブラジル人の多い地域の学校にお勤めということですよね。 発言の真意は「ネイティブじゃないから?日本人だから?学校の先生の側の人間だから?」の 全てが理由ですよ。自分の”仲間”じゃないからです。 質問者様の通訳としての力量うんぬんは全く関係ないです。 それにですね、日本の学校に通う生徒の親ですよね。 日本語くらい勉強すれば?という考えもできますね(^^; ともかく、質問者様はというか、日本人は親切ずぎますよ。 ”外国人”がからむと、異常なほど繊細に反応してしまう。 1人の保護者の発言を必要以上に気にすることはないです。 「自分はここまでは通訳する。業務上必要だから。しかしそれ以上はできない。 それは通訳を雇ってやってもらうことである。自分の力量を超えた仕事、 自分の仕事の支障となることは、やらない、できない。」 というラインがあっていいはずです。 長文で失礼しました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ポジティブな回答でうれしいです。 私、心配性で、ついつい考えすぎてしまいますので。 >日本人なら”気を使って”言わないことでも >なーんの悪意も意図もなしに、言っているだけですよ。 そうなんですよ。日本人なら、ハラワタ煮えくりかえっていても、ひきつった笑顔と、感情を押し殺した丁寧な口調で、その場を乗り切ることができますよね。 やっぱりそっちに慣れてしまっているので、はっきりものを言われてしまうと、ちょっと引いてしまうのでしょうね。 そして、「もうちょっとことばを選んでよね」とか「言いすぎじゃない?」とか「なんでそんな言い方するんだろうなー」とかいう発想になるのでしょう。 >日本に住んでいても同国人の中の理論で生きていたりしませんか? おっしゃる通りです。 「郷に入りては…」じゃなくて、「俺は○○人だ」なんですよね。 >自分の”仲間”じゃないからです。 理解はしてほしい。でも、自分が同じように生きろと言われたらいやだなと思います。 そういうレベルじゃあ、やっぱり信頼にも限りがあるんでしょうね。 >自分の力量を超えた仕事、 >自分の仕事の支障となることは、やらない、できない。 >というラインがあっていいはずです。 そうですねぇ。外国人関係に関わらず、基本的に過保護で手を出しすぎてしまうときはあります。 通訳するから、日本語が覚えられない。要求にそのまま応えるから、要求がエスカレートする…。 自分ができないからと放棄するのと、できるけれど相手の為に手を出すのを我慢するのとでは似て非なるものですよね。後者ができるようになるといいのですが。
- PunPiPon
- ベストアンサー率43% (42/97)
ポルトガル語ではありませんが、フランス語の通訳を生業としているものです。 私が通訳をする際に心がけていることは、 1.できるだけ正確な、かつ分かりやすい通訳(当たり前のことのように思われますが、実は一言一句にこだわるのではなく、発話者が伝えたいことを捉え、その内容を(できるだけ正確に、かつできればニュアンスも)伝えられるような表現を選ぶことだと思います。) 2.あくまでも中立性を保つこと。(正確な通訳ができているという自信というか、自負がある限り、自分が通訳を行っている交渉や協議の結果は、意に介さないようにしています。それは通訳とは別な話なので。以前、クライアントから私を通訳派遣したエージェントにクレームというほどではないにしても、指摘がなされたことがあります。その時のクライアントは少しフランス語が分かる人でしたが、そのクライアントより「(XXXさん←私の名前です)の通訳は、まるで人ごとのような話し方で、どちらの味方かわからない。」とのことでした。担当者よりこの話を聞いて、まさしく自分はそのように心がけていることを自覚した覚えがあります。クライアントは主に日本の企業・団体・個人ですが、通訳の際には自分を一歩引いた目で見る感じを意識しています。クライアントからのこの意見は私にとっては、ほめ言葉であります。) 3.上記2.に関係しますが、当然ながら自分の意見は発しない。ある程度同じ分野の通訳を繰り返していると、発話者の質問に自分が答えられるような知識を得ることになります。また状況によっては、発話者が同じ質問を相手を変えて、または同じ相手に繰り返すことがあります。そのようなとき、当然のことながら通訳が答えてはダメですし、また通訳によっては質問の前に「また同じことを訊きますが...」等の言葉を添える人がいるようですが、私はこれもダメだと思っています。 4.その他には、議論に熱中したりして、通訳せずに自分も議論を始めたり、自分も議論に加わったりする人もよくいるそうです。 5.上記の2.と矛盾するようですが、交渉や協議を離れたときは、できるだけクライアントや相手と世間話や食事などをするように努めています。(それは発話者のくせをつかむことも理由ですが、相手から信頼関係を得るためでもあります。) 私が上記であげたことは、プロの通訳なら当然のように心がけていることだと思います。 質問者の方は本業が教員でありながら、語学が出来る関係から通訳のお手伝いをされているようですが、プロの通訳ではないからといって、上記のことを守ってますか? 特に自分の専門分野でもあれば、通訳をしている間も、自分が答えてしまったり、自分も議論に加わったりすたことはありませんか? また母国がポルトガル語だとしても子どもを日本の学校に入れるぐらいの親であれば、多少なりとも日本語はわかるでしょうから、質問者の方の通訳に不満があるかもしれません。 質問文の中でも「~、些細だと思うようなクレームにも親身になって半紙を聞いてきて~」とありますが、外国語ができる教員の方としては素晴らしいことだと思いますが、もし相手が通訳として質問者の方を捉えていたら、これは困ったことにもなりかねません。 上記5.に関連することですが、私は通訳もサービス業の一つだと思っています。そのためには先方(クライアントとその相手)から信頼を得ることです。先方が、「この人に任せておけば大丈夫。安心である。(お互いが慣れてくればですが)自分が言い足りないことでも指摘して、フォローしてくれる。」となればしめたものです。逆に、協議や交渉の内容自体が合意を得るのが難しかったり、お互いのカルチャーギャップなどがあって相互理解が進まなかったり、はなはだしくは元から喧嘩腰で最初から雲行きが怪しかったりするときは、どんなに素晴らしい通訳をしても、結果が伴わない責任を通訳にされる恐れもあります。そのためにも先方との信頼関係の構築も通訳の仕事の一つかもしれません。 もちろん、質問者の方はプロの通訳ではないので、私が上記で上げたことを守る必要もないのです。もしこのようなことを求めるのであれば、学校側(市側)か親側が自前で通訳を雇えばよいのです。 元々の出発点が親御さんの苦情であるならば、親御さんからしてみれば苦情の原因が取り除かれない限り不満は残るでしょうから、最後は「学校の通訳とは別の人」となるのは十分にあり得ることでしょう。(そして問題が解決しないのは通訳のせいではなくで、他のところのあることに気づくかもしれません。ただしこういう人たちは、たとえ問題の原因が自分たちにあっても認めないでしょうが。) とはいえ、教員の立場で生徒の親御さんの苦情に対応する立場であるなら、通訳とは別にしても、信頼関係を構築するとともに、あえて言えば質問者の方が通訳をするときは、あくまでもボランティアの立場で通訳することを周知させることが必要ではないでしょうか。
お礼
こんにちは。ご回答いただけてありがたいです。 フランス語の通訳さんなんですね。 >発話者が伝えたいことを捉え、その内容を(できるだけ正確に、かつできればニュアンスも)伝えられるような表現を選ぶことだと ははぁ。nisikasaiさんも同じことを言っていました。やっぱりそうなんですねぇ。でもなかなか難しいですよねぇ。 正確に、というのはつまり、雰囲気に忠実に、ということですね? 和訳のテストだったら、文法上や単語上、△。でも、映画の字幕だとしたら◎という表現ですかね。 >正確な通訳ができているという自信というか、自負がある限り、自分が通訳を行っている交渉や協議の結果は、意に介さないようにしています。 なるほど。正確な通訳は…スムーズにできないときもあります。 「苦情」の場合、得てして相手も興奮していたり、感情的だったりすることも多く、ダーっと早口でまくしたてられると、聞き返してしまうこともあります。 そうすると、一応言い直してくれますが、相手のイライラの原因にもなるでしょうね。 話が平行線だったりすると、日本人(担任)のオブラートに包んだような言い方をそのまま言うと、相手に理解してもらえなかったり。 後は、相手の言っていることはわかったけれど、返答につまり少し黙ると、私がことばを理解しなかったように取られてしまうこともあります。 要は、自分がもっと勉強して、語学に自信がつけばその点はクリアできますね。 クライアントからの苦情を「褒め言葉」ととることができるのは、通訳作業に自信があればこそですね。 >当然ながら自分の意見は発しない。 「大きなこと」特に、苦情のような場合、または、懇談会のように直接面談して話すときなどは、そのように心がけています。 けれど、事務的なことや小さなことは、担任の負担を減らし保護者の手間を省くためにも、私が(通訳としてではなく教員として)答えることもあります。 >「また同じことを訊きますが...」等の言葉を添える人がいるようですが、 これは、私はよくやってしまいます。ダメなんですね。 >5 これは大丈夫だと思います。 >プロの通訳ではないからといって、上記のことを守ってますか? 時と場合によります。 小さなことを、直接電話等で私に聞かれれば、通訳ではなく、教員として保護者にも答えます。 けれど、担任への苦情であったり、大きなことであれば、通訳として自分の意見は挟みません。 これがいけないんでしょうかね。普段と大事な時の態度が違うから。 本来は「教員」ですよ、でも、今日は大事な話だから、「通訳」として自分の意見は言いません、と面談などの最初にアピールしておけばいいんでしょうか。 >協議や交渉の内容自体が合意を得るのが難しかったり、 >お互いのカルチャーギャップなどがあって相互理解が進まなかったり >はなはだしくは元から喧嘩腰で最初から雲行きが怪しかったりするときは >どんなに素晴らしい通訳をしても、結果が伴わない責任を通訳にされる恐れもあります。 そうなんです。そこなんです。 話が平行線のとき。相手がけんか腰のとき。 私は担任のことばをそのまま通訳しただけなのに、 「(あんな)通訳はいらん」と拒否される始末。 信頼関係ですよね…。本当に大事だと思います。 だからこそ、普段小さなことでも切り捨てず、話をうんうんそうだよね、と聞いてるんですけどね…。
- BASKETMM
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1.中立性 A(個人あるいは団体)とB(個人あるいは団体)が話をする場合、中立の人を通訳にするか、双方が一人ずつ通訳を用意するべきです。 通訳がBさんの親戚だったら、Aさんは不安に思うでしょう。 実際には費用と時間が掛かるので、中立の人でない人にお願いすることが多くなりますが。 その場合には、双方の事前了解が必要と考えます。 2.独立性 Aの意見を通訳が語っているとき、Aの意見か、通訳の個人的意見かをハッキリさせるのは、かなり難しいことです。意見を出す人と、通訳は別人の方が、誤解は少ないのです。 3.かたいことを述べました。現場の実情に合わず、実現不可能かも知れません。しかしこのような原則を頭に置けば、質問者様の疎外感はなくなると思います。
お礼
はじめまして。ご回答感謝します。 とても簡潔でわかりやすかったです。 親戚の例はその通りです。 どんなに良い人であっても、身内の通訳では、不信感を持っている相手にとっては信憑性がないですよね。 そうか、私も、身内みたいなものなんですよね。 >その場合には、双方の事前了解が必要と考えます。 ちょっと思ったのですが、可能なら、私から保護者に提案することもできますね。 もめそうだなと思った案件には、 「私は学校側の人間なので、通訳に徹するよう努力はしますが、ニュアンスなどに自分の感情が入ってしまうこともあるし、完全に中立な立場を守れないと思います。 もしご心配でしたら、市の通訳さんをお願いすることもできますよ。ただ、日程調整のために日にちは限定されますし、少し日があきます。どうされますか」と。 そうすると、「いや、あなたでいいよ」となるかもしれませんね。 >Aの意見を通訳が語っているとき、Aの意見か、通訳の個人的意見かをハッキリさせるのは、かなり難しいことです。 そうなんですよね。私も結構迷います。 電話で一対一で話していたり、文面でやりとりするときはまだわかるのですが、対面式で、担任と親と私、となると、ややこしいときもあります。 私は通訳に徹していたいので、「私は…」と担任が言ったら「私は…」とそのまま訳しているのに、途中で担任が、 「ねえrosaさん、これ訳さないでね。…って、どう思う?」なんて聞いてきたり、親御さんが、「え、でも、○○でしょ?rosaさん」と、名指しで話しかけられたりすると、一瞬焦ります。 参考になりました。
- nishikasai
- ベストアンサー率24% (1545/6342)
>どのような気持ちで、「学校の先生じゃないほうがいい」と言うのでしょう。ネイティブじゃないから?日本人だから?学校の先生の側の人間だから?意見されたら嫌だからでしょうか? どう思いますか? 警察の通訳をやっていて実際によくあることなんですが、通訳というのは二カ国語が抜群であればいいのですが、大抵どちらにウェイトがかかります。日本語がネイティブであれば日本人側が安心しますし、ポルトガル語がネイティブであればブラジル人側が安心します。それはもう間違いないです。で、私の作戦は取り調べ中、刑事が調書を書いていて暇なときなどになるべく被疑者とブラジルの思い出話などをして意思の疎通をはかります。そうするとブラジル人側からも信頼され、一番良い状態になります。通訳は双方から信頼されるのが一番良いです。 こういう経験もあります。 逮捕されたばかりのブラジル人被疑者と雑談をしていました。結構和んでいて友好的な雰囲気でした。途中で男は「精神病で毎日薬を飲んでいる」と言いました。これはたいへん重要な情報ですのでそのことを取り調べ刑事に伝えたら「えっ? マル精ですか!」と驚きました。見かけはほとんど普通の人だからです。マル精なら扱いは全然違ってきます。取り調べ刑事と私の間でマル精という言葉が幾度か出て来て、被疑者も横で聞いていました。男は日本語もある程度わかるので、マル精という言葉がどうやら警察の隠語であることがわかったようです。 そして被疑者は私に対して言いました。「貴方は警察の人ですか」 私は民間の通訳人だと言いましたが、もう私に対して心を開かなくなりました。 ですからRosaさんが日本人で学校の先生であることは間違いないんですからその限界はあります。通訳にパーフェクトなんてありません。パーフェクトになる努力は必要ですが実際にはなれません。 結論。仕方がないです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >日本語がネイティブであれば日本人側が安心しますし、ポルトガル語がネイティブであればブラジル人側が安心します。 ああ、やっぱりそうなんですね。 担任の先生方は、懇談会などで自分(担任)が言いたいことがあるときは、日本人の通訳(私)の方がニュアンスが伝えられるから良いとよく言います。 保護者が言いたいことがあるとき、つまり苦情のときは、逆なんでしょうね。 会話というのは、キャッチボールですよね。 一方が言いたいことだけ言えればいいわけではなくて。 そうすると、やっぱり双方もしくは中立の立場に立たなくてはいけませんね。 「どちらの味方でもある(双方)」もしくは「どちらの味方でもない(中立)」と二通り考えられるわけですが、 「どっちにもいい顔をする」と、下手をすると「八方美人」に取られることはないでしょうか。(あんたはどっちの味方なんだ、と思われるとか) また、「どちらの味方でもない(中立)」となれば、冷たいんだね、と思われるとか。 それは突き詰めると、 >通訳にパーフェクトなんてありません。 ということなんでしょうか。 >そして被疑者は私に対して言いました。「貴方は警察の人ですか」 >私は民間の通訳人だと言いましたが、もう私に対して心を開かなくなりました。 情景が目に浮かぶようです。 やっぱり、どちらの側の人間なのかというのは、不信感を持っている人間にとってはとても大きな問題なのでしょうね。 市の通訳さんは、学校や保護者とは、中立の立場にあります。 教育者という面では学校よりだけれど、ブラジル人という面では保護者よりです。 私の場合、できることはなんでしょうか。 「私も人の親だからわかりますよ」ということを、通訳をしていないときに話すことくらいでしょうか。 nisikasaiさんが通訳する場面というのは、基本的に心中穏やかではない人たちばかりですよね。 そんな人たちの心をつかむことができて、すごいと思います。
- ur2c
- ベストアンサー率63% (264/416)
> 納得ができず教育委員会に行った親御さんの一人に、 > 「通訳は、学校の先生じゃない方がいい」 > と言われたことがあります。 不満がある親としてとしては、当然のような気がします。自分は先生に不満を訴えているのか、それとも通訳を介して他の人に訴えているのか、うまく区別できなくなるからです。 それは先生兼通訳の側としても同じなはずで、自分が問題解決に当事者として関わるのか、それとも自分の意見は殺して他人の意見を伝えることに徹するのか、難しい立場になります。 > 私は、正直、空しいような気持ちになりました。 私ならむしろ、ありがたいと思うでしょう。 > 自分一人だけが解決したような気になっていただけで、親御さんにとっては、大した意味はなかったのかと。 そのときは解決して、意味があったのです。ところが、そのときのやり方で解決できないことが出て来ました。だから教育委員会まで行って、別なやり方にしたい。 > 理由もはっきり聞かされず、担当を外されたような疎外感がありました。 当の親に理由を尋ねるだけのことだと思います。 > どのような気持ちで、「学校の先生じゃないほうがいい」と言うのでしょう。 > ネイティブじゃないから? Native なら大概、日本語がおかしいです。その点に思い至らないような親なら、そういう理由もあり得るかもしれませんけど。もしもそうなら、その人が訴えている問題が解決する可能性は、もともと、ありません。相手にするだけ時間のむだです。 > 日本人だから? そういう意識を持ったブラジル人は、少ない気がします。日系人には、日本人に偏見やひがみを持った人が、たまには、いるように見えますけど。 > 学校の先生の側の人間だから? そうでしょう。 > 意見されたら嫌だからでしょうか? それも少しはあるかも。でも、主な理由とは考えにくいです。 > どう思いますか? 結局、学校の先生の側の人間だから、でしょう。他に可能性は思い浮かびません。 市の通訳が入ってくれるなら、ありがたいではないですか? 誤訳や誤解があれば、学校側の人間として、遠慮なく指摘や解決に当れるのですから。立場は単純です。「通訳は市が用意するから、あなたはいなくて良い」と言われれば、仕事が減って、ますます嬉しい。 私は学生のとき通訳や翻訳もやってはみましたけど、卒業して食うに困らなくなってからは、すべて断っています。自分の意見を交えずに他人の意見だけを伝えることができないからです。問題を理解すれば自然に解決案は持っちゃうのに、それが表明できない。気が狂いそうになります。通訳は難しい仕事で、まともにできる人は稀です。 あなたの本業は先生で、語学は余技です。それに徹すれば精神の安定が保てるという意見です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >自分は先生に不満を訴えているのか、それとも通訳を介して他の人に訴えているのか、うまく区別できなくなるからです。 確かにそうですね。 >私ならむしろ、ありがたいと思うでしょう。 えええ。そんな風に思ったこと、私ありません。 とてもポジティブなんですね。 >そのときは解決して、意味があったのです。ところが、そのときのやり方で解決できないことが出て来ました。だから教育委員会まで行って、別なやり方にしたい。 そうですね。そういう前向きな理由だといいです。 教育委員会としても、話す人(担任から管理職、教育委員会へ)を変えるだけでなく、通訳も変えてやってみようということなのかもしれませんね。 >当の親に理由を尋ねるだけのことだと思います。 私もとても聞きたいです。けれど、尋ねられるような雰囲気ではないことも…。(着信拒否) >Native なら大概、日本語がおかしいです。その点に思い至らないような親なら、 そういう可能性もありますね。今日はAと言い、明日はBと言う人なので…。 私、日本語には自信があるんですけどね。 >日系人には、日本人に偏見やひがみを持った人が、たまには、いるように見えますけど。 そうなんですか?純粋なブラジル人よりも、日系人の方が、偏見を持っていることがあるんですか? >誤訳や誤解があれば、学校側の人間として、遠慮なく指摘や解決に当れるのですから。 そうですよねぇ。その通りです。 >仕事が減って、ますます嬉しい。 通訳をやってもやらなくても、給料は変わらないんですけどね。 ただ、1年限りの担任と違って、私は親御さんと何年も付き合うことになります。兄弟がいれば尚更に。 肥料まきを怠ると作物が育たないのと同じく、土壌づくりとしての信頼関係を築きたいと思っているのですが、なかなか難しいです。 仕事とはいえ、人間相手の仕事なので、どうしても感情が入ることがあります。 協力的な親御さんには、いくらでも手助けしたいと思います。 けれど、「通訳なんかいらん!」と態度を硬化させる親御さんに対しては、「じゃあ勝手にやってください」と放置したくなります。 …が、結局子どもがかわいいので、放置できないんですが。 >気が狂いそうになります。 はは。もどかしいと思ったことはありますが、さすがに気が狂うと思ったことはありません。 >あなたの本業は先生で、語学は余技です。 余技ですか。いいことばです。日本語や英語も含めて、語学は好きです。
- martinbuho
- ベストアンサー率64% (284/437)
案件によるでしょう。 一般的な話題なら先生の兼務(好意)でもいいでしょうが、学校の教育方針、方法など先生にも関係することになれば親としては当然「先生の通訳は嫌だ」ということになるでしょう。先生としても教育委員会の席で学校の方針あるいは担任の方針などの話になったら居心地が悪いでしょう。 先生は少し思い過ごしです。もっと割り切らなければ通訳は出来ませんよ。先生の思い通りの通訳サービスが出来なければサービス業務上不愉快でしょうが、相手が二人いる以上、誰がやっても同じです。 外国人ははっきりとものを言うので通訳も遠慮することなく(日本人の保護者には言えないようなことでも)なぜを連発して納得するまで相手の言い分を聞いてあげるべきでしょう。日本式に対応しているとストレスがたまり、やがて馬鹿らしくなると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「先生」はやめてくださいね。子どもに言われるのは代名詞のようなものですが、家でパソコンやっているのにそう呼ばれると、なんだかこっ恥ずかしくなりますので(苦笑) おっしゃる通り、私の“通訳”は基本的に「兼務(好意)」なのです。 逆に言えば、プロ意識の見えない通訳なのでしょう。 そういえば、「ちゃんとした通訳」を求められた方もいました。 以前、別の方の話ですが、学校にある要求をした親御さんがいました。 校長の返事はNO。一蹴です。 私が、ダメだそうです、と伝えると、親御さんは、「あんた通訳でしょ?通訳なら、親の願いが通るように校長に図るのが本当じゃないの?」と罵倒されたこともあります。 いや、これはただの八つ当たりのような気もしますが…。 おっしゃる通り、シンプルなことや小さなことなら、担任に負担をかけず、親御さんにも手間が少なくすむように、「学校の先生」という立場で自分の意見も言いますし、それでうまくいっています。 そして、 大きなことや深刻なことには、基本的には、私は自分の意見は挟みません。通訳に徹しているつもりなのです。 けれど、通訳の立場に徹しようとすると、それはそれで冷たいと思われたり、「私(親)の味方になってくれない」と思われたり、担任の言うことがちょっと違うだろうと思っても、口を挟めなかったりします。 ひょっとして、普段「小さなこと」で直接(私と親御さんとで)話をしている分、「大きなこと」では冷たい、そう思われているのでしょうか。 けれど「大きなこと」で、私が私の意見を挟んでしまうと、「どうせ学校の先生だから、こっちの気持ちなんてわかってないんだ」と悪くとられたり…。 「小さなこと」で、逐一担任を通すと、それはそれで必要以上に事を大きくしてしまうし…。 >先生は少し思い過ごしです。もっと割り切らなければ通訳は出来ませんよ。 そういっていただけると、ちょっとホッとします。 >なぜを連発して納得するまで相手の言い分を聞いてあげるべきでしょう。 ああなるほど。掘り下げて聞くのですね。それは思いつきませんでした。 電話など、担任がそこにいなくて、私対保護者で話を聞くときにはそうしようと思います。 >やがて馬鹿らしくなると思います。 そうなんです。まさにそんな気分になることがあります。
お礼
再度のご回答ありがとうございました。 >仕事を頼むのですから、当然有償であるべきでしょう。 より確実な成果を望むのなら、それなりの代価があってしかるべきですね。 学校側は、「通訳」を雇用し、市や学校に配置しています。 保護者側も、正確な通訳を望むのなら、ご自分でお金を払って通訳を雇うという方法もありますよね。 私は<給与一人分>で担任もある程度の通訳もでき節約になっているのでしょうが、通訳の仕事に重点を置くのならば、通訳として雇われている人にもっと活躍してもらうべきですよね。 >『あなたが自由に通訳を選定されてよいのですよ』と提案するのがよい それは、気持ちに余裕が感じられるいいフレーズですね!今度使わせていただきます。 >『今残っている点は、こんな疑問ですよ。』『こんな方向で答えれば、相手は納得しますよ』『時間は後何分しかありませんよ。纏めに入りましょう』 なるほど…。第三者から学校側に戻ったり、通訳側に戻ったり、そういうことはしましたが、話の流れをまとめるというような、そういう話し方をしたことはありませんでした。 国語の授業で教師が子どもたちの意見を交通整理するのと似ていますね。 今度やってみたいと思います。 >Aさんが頼んだ通訳が、Aさんの発言を意訳するのはよいのですが、相手側の発言を意訳するには躊躇を伴うでしょう。 そうですね。わかったつもりになっていても理解不足のところはあるかもしれませんので、注意して訳したいと思います。